ファーストキッスは塩の味
可愛い彼女と寄り添い合い、その唇が俺に迫る。ああ、ついにこの時が……。
彼女の唇が俺の唇と触れ合った。その感触はもちろん!
ざらっざらで、若干しょっぱい味がした。
え? 塩みたいな味するんだけど。なに? 塩でも舐めてたの? てか唇割れすぎじゃない? ざらざらするってどんだけ乾燥してるんだよ。
これが俺のファーストキス? 待って、やだ! ファーストキスが塩味って嫌だそんな――。
「ぶふっ」
鼻がむずむずして、くしゃみが出た。すると、なにかが鼻から飛んで、また鼻に入ってきた。
咄嗟に飛び起きると、顔から砂が零れ落ちる。俺の初キッスを奪ったのはこの砂の感触だったらしい。なんだよまったく、夢にしたってもっとマシな夢を見せてくれ。
ところで、なんで砂が付いてんだ? ベッドに砂なんてまぶした覚えはないぞ。
手元から、視線を上げる。架空の彼女との逢瀬を終えた俺の目の前には、白い砂と岩の大地が広がっていた。どこまで行っても、砂、岩、砂。手と足に触る砂はざらついていて、若干痛いくらいだ。
砂を掴んで、手の隙間から落として遊んでみる。砂時計のように、砂は重力に従うままに落ち続けた。
「え? ここどこ? まだ夢の中か? 二段重ねの夢は初めて見たな」
いやあ、斬新な夢だなぁ。あー砂で遊ぶの楽しいな、あははははは! はぁ……。夢だよな? 夢に違いない! 俺、砂漠に観光旅行しに行った覚えなんてないぞ!
起きたばかりだからか、変に記憶がぼやけている。寝る前、なにをしていたのだっけ。確実に分かるのは、俺はこんな場所を知らないということだ。
普段からここで寝ているわけはないし、なにより服装はジャージだ。裸足だし、砂漠のようなところにこんな格好でいるはずがない。
待て待て、落ち着くんだ。一つずつ、冷静に思いだせ。
とはいえ、なにを思い出せばいいんだ。例えば――そう、名前は? 八木藤彦だ。歳は? 18歳……いや、違う。19になったんだ。
そう、昨日で19歳になった。それで、誕生日プレゼントを自分に買ったんだ。涙が出そう。親父もお袋も姉ちゃんも弟も、俺の誕生日だってのに誰一人連絡よこさないし! 友人連中もだ! どいつもこいつも忘れやがってちくしょう!
いや、そうじゃない。今はその怒りを鎮めろ。そんなことは後で好きなだけ言えばいいんだ。
なんか買ったんだけど、なんだっけ。確か、最新のすごいやつだったような。VRヘッドセット……じゃないな。でもそれに近いやつだ。ああ、BCだ! 【BRAIN CONNECT】だ!
サークレット型の機種で起動スイッチ以外はなにも付いていない。それはCONNECTと呼ばれる装置で、もう一つ、BRAINという正方形の箱型の機体がある。CONNECTはBRAINに装着者の脳波を送り、BRAINを介して装着者は意識をネットワークに接続して、自分の思考だけでPCでできたことを可能にする優れもの。
要するに、ディスプレイからキーボードやマウス、その他機器全てを排したパソコンだ。BRAINに接続すると、仮想体としてネット上のマイルームに入室する。そこに、ガイドという自分専用の召使い的存在がいて、彼女あるいは彼に向って検索したいことを話す、あるいは思うだけであらゆる媒体に繋げることができるというものだ。
服が欲しいと思えば服専門のネットショップに繋げてくれるし、ゲームがしたいならオンラインゲームか、BC専用のゲームをダウンロードしている場合はそれに接続してくれる。動画が視たければ動画サイトに接続してくれる。もちろん、慣れない人向けに仮想キーボードやマウスといったものも存在し、自分で操作して検索等も可能。
いわばネットにフルダイブするというこの夢のマシンは、つまり五感そのものが現実と遜色ない。ただ、そこは最新技術の結晶、設定項目がちゃんとあって、自分の切りたい感覚もしっかりオンオフ可能だというから驚き――。
そうじゃない! BCはすごいけど、それも今はいいんだよ! BC買って説明書は腐るだけ読んだよ! だってこれ20万したんだぞ! そりゃ感傷に浸って普段ろくに読まない説明書を暗記するだけ読んだわ!
ああ……俺の溜めたお金が飛んだっけなぁ。働いてるとはいえ、一人暮らしの新人社員には辛い出費だった……。
思い出して心が痛んだが、涙を拭って思い返す。うん、こんだけしっかり思い出せるなら、記憶喪失にはなっていないらしい。
そうだ、この最新機種に対応したオンラインゲームを一つ、試しにやろうとしたはずだ。ということは、これはゲームの中か?
試しにメニューを呼び出そうと念じるが、なにも出ない。BCのガイドの声も聞こえない。なんだ? もしかして、なんらかのトラブルに巻き込まれたのだろうか? ログアウト不可とか、アニメやゲームの展開っぽくて胸が高鳴る。
「それにしても」
周囲を見渡す。一面、白い砂漠が広がっている。いや、砂漠と言っても、周りに砂しかないからそう呼んでいるだけで、日差しがきついわけでも暑いわけでもない。実際春や秋といった、温暖な気候だ。
あ、そうだよ、気温を感じられる! 本当に現実みたいだ! はしゃいでから、また周りを見て項垂れる。
ゲームにしても、こんなよくわからないフィールドに投げ出すなんて不親切な。普通町に出てくるもんじゃないのか? 起き上がって周囲を眺めてみるが、町はおろか人影も、生物の影もない。
地形は平坦というわけではなく、波のように砂が盛り上がったり下がったり、岩が連なっていたりと凹凸激しい地形になっている。
一体なんなんだここは? 確かに、ゲームとしては破格のリアル感があるけど、どこか変だ。
「おーい、誰かいないかー!」
叫んでみても、返事はない。ひとまず、歩いてみるか。ゲームなら、他にも人はいるはずだ。一人は心細いし、探してみよう。
やはり靴がないと砂の硬さがダイレクトに伝わってくる。裸足でなくても、靴くらい付けてくれてもいいじゃないか。本当に不親切なゲームだ。
少し歩いてみても、景色の果てまで砂、岩、砂……。なにもいないし、起伏があるおかげで遠くが見えない。
なんてつまらないフィールドなんだ。
ため息交じりに足元に視線が落ちた時、砂が動いたのが見えた。少し盛り上がっては沈み、また砂が盛り上がる。なにかが動いている。動きのあるそれに目を奪われ、側にしゃがみこんで様子を窺う。
やがて、砂から現れたのは砂と同じ白いカニだった。スプーン状になったハサミや足先が砂を掻き分けており、砂地に潜りやすく進化したらしいことは分かった。その生物は砂から出てくると、俺など気にも留めず、のそのそと砂の上を歩いていく。
奇妙なのは、カニと思ったその生物、甲羅の後ろにエビの尾が付いている。尾は曲げることもできるようだ。全く役に立ちそうにないそれがひょこひょこと動いている。カニじゃないのか? エビなのかあれ? エビカニなのか? というか、エビだとするとなんで陸地に?
モンスター……にしては小さすぎる。手の平サイズだし、戦えそうな武器を持ってるわけでもない。変わったゲームだ。なんのためにこんな生物を作ったんだ?
エビカニの前に移動し、わざと顔を目の前に持ってくると、さすがに邪魔されて腹が立ったのか、エビカニは足先だけで体を浮かせ、ハサミを持ち上げて体を大きく見せようとして、威嚇してきた。まったく怖くない。生物の特徴を掴んだ細かい動作と言えるし、リアリティにはとことんこだわったゲームのようだ。
感心していると、エビカニは役に立ちそうにないエビの尾を丸めて砂に押し当てる。なんの動きだ? さらに覗き込もうとした俺の顔面に、勢いよく砂が吹き上げられた。
「ぶおっ!?」
さすがに仰け反ってしまった。どうも、あのエビの尾には噴射腔でもあるらしく、それで砂を吹き上げて外敵にぶち当てるために使われるようだ。見事にしてやられた。
エビカニは危険を感じたためか、その場で足を使って素早く砂の中に身を隠してしまった。やってくれるじゃないか。
ジャージの裾で顔を拭き、考え込む。よくわからないが、モンスターというよりは、変な生物がいるゲームらしい。他にもなんらかの生物がいるのだろう。
とりあえず、人間に会いたい。