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みそじぱ  作者: 無口な社畜
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第七話 ごめんなさい

 月の無い夜に激しい雨。

 

 こんな日に外に飛び出してしまったのがそもそもの間違いだったのだと、ようやく名が売れ始めたばかりの冒険者──ライデンは思った。

 日が落ちてから降り始めた雨によって生まれた水たまりの中に無様に尻を落とし、背後には血だらけになった幼い見た目の白髪の少女。うつろな瞳に荒い息をつき、いつ呼吸が止まってもおかしくない状態である事は誰の目にも明らかだった。


 陶磁のように白かった顔色は土気色に染まっており、泥と自身の血がこびり付いたその姿は、可憐に見えた元の容姿の見る影もない。それは、身に纏っている白いローブも同様で、激しく上下する胸元も、真っ赤に染まった染みと泥に塗れていた。


「……そこをどけ。女神様の祝福を悪用する……背信者」


 ライデンの目の前に立っているのは黒髪の男。

 黒い金属製の胸当てに、黒いマントを羽織っており、この様な夜に出会ったのならばその存在すら見逃してしまいそうであった。

 武器の類は一切持たず、ただ、両腕を下げた状態で立っているだけに見えるが、その身からどんよりと漂う異様な空気に押し込まれるように、地面の上のライデンは尻を地に付けたままで後退する。


「……背信者? 何を言っているのかわからないな。俺はただ──」

「──ただ、その女を守ろうとしただけだ……と? 愚かな……」


 ライデンの位置からは黒髪の男の表情はよく見えなかった。

 しかし、その口調の変化だけでライデンの行動が男の不興を買ったのだという事だけは理解した。


「汚らわしい女如きを守る為だけに女神様の【祝福】を使用した事がっ!! それが!! どれほどの背信行為か貴様にはわからんのかぁっ!!」


 空気が震えるとはこういう事を言うのだろう。


 黒髪の男が上げた咆哮にライデンは顔を顰めながらも更に後退し……背中越しに地面に突いていた手のひらが少女の足に触れた所でようやく止まる。

 雨で濡れた石だらけの道を走り続けた事で傷だらけになってしまった少女の素足によって。


「その女は万死に値する」


 黒髪の男の声は止まらない。

 しかし、そんな黒髪の男の声を聞きながらもライデンは別の事を考えていた。


 ──こんな雨の日に飛び出してしまったのは間違いだった──


「だが、女神様の祝福を得ている貴様だけならば見逃してやっても良い」


 ──そう考えることがそもそもの間違いなのだと。


 ライデンは立ち上がる。

 少女を背にして、これ以上の進行は決して許さないとでも言うように。


「……何だその顔は……?」


 先程まで高圧的に撒き散らしていた黒髪の男の困惑の声にも、ライデンは何を言っているのか理解できない。

 そもそも、今こうして自分が立ち上がって目の前の男に向かっている事さえ理解できていなかった。

 何故なら、既に目の前の男に全ての手の内を晒し、それでも尚こうして地面に舌を這わせる事になってしまった相手なのだから。


「……何故……笑う……!?」


 黒髪の男の言葉で、ライデンはようやく自分が笑っていることを自覚する。泥で闇に半分溶け込んだようになっている右手を自身の顔に這わせ、ああ、本当に笑ってら。と、他人事のように呟いた。


「貴様っ!! 侮辱するかぁっ!?」


 どうやらそれが黒髪の男の“女神の祝福を受けた男は殺さない”という自らに課した安全装置を外す引き金になったらしい。

 両手をまるで剣でも持つかのように構えると、その両手をそのまま、それこそ突きでもするかのように突き出しながら突進する。


 対するライデンは左手のワンドを振りかざす。

 いつもの動作。

 いつもの感覚。


 しかし、女神の奇跡は訪れない。


 そんなライデンの行動など関係ないとばかりに突っ込んできた黒髪の男の両手が自身の胸に到達し、背中から夥しい量の血液が吹き出すまでの一部始終をその目に捉えていてなお──


「……何故……笑う……」


 ──ライデンの表情には笑顔が張り付いたままだった。


 まるで、そのまま息絶えてしまったかというように。


「ま、そんな事させないけどねー」


 そんな狂気が渦巻いた血生臭い街角に、唐突に聞こえたのは場違いな軽い声だった。

 

 それは幼さの残る少女の声。

 それは決してそんな軽さなどあるはずのない存在から。


「……っ!! 貴様……。どういう事だ!? 確かに貴様は!!」

「致命傷を与えた筈だったって? そーだねー。確かに君はこの娘(・・・)を斬ったはずだった。でも、残念ざーんねん!」


 あくまで明るい声を上げた白髪の少女は、その声色には余りにも似つかわしくない凄惨な笑みを浮かべて、両手を広げて笑顔のままに息絶えている(・・・・・・)ライデンを両手で包み込んで、真っ赤な双眸を黒髪の男に向ける。


「……殺した順番が不味かったねぇ……。あんたが最初に言った通り、ライデンを見逃してこの女だけ(・・・・・)を殺してれば私だってなーんの行動も起こさなかったんだけどね」


 白髪の少女は愛おしそうにライデンの胸元を両手で撫で────先程までの笑顔から、憤怒のそれへと変化させ、見るものが見ればそれだけで命を落としかねない殺気を乗せた視線を黒髪の男へと向けた。


「あんたは一番やっちゃいけない事をした。その罪────その身で償いな!!」


 ──その日。

 

 ──ノーラッドの町外れの一角が、文字通りこの世から“消失”した。    



◇◇◇



「……はあ…………はあ……………」


 ぐったりとベッドに横になり、荒い息を吐きながら瞳を閉じているナターシャの右手を握り締めたライデンは、ベッドの横に持ってきた椅子に座って少女の顔を見つめていた。

 一体どんな保存方法をとっていたのかはわからないが、部屋に置かれていた家具や調度品の類はどれも新品のようで、埃一つ被っていなかった。


 だからこそ、扉が閉まると同時に崩れ落ちたナターシャをベッドの上に運んだのだが、その姿は余りにも弱々しく、先程までの元気さが嘘のようであった。


「……馬鹿だよ。君は。こうなる事は君自身が一番わかっていたはずだろう? それなのに……」


 そう零したライデンの声に、ナターシャは薄らと瞳を開けると、力無いながらも握られていたライデンの手を握り返す。


「……馬鹿では……ありません。だって……こうでもしないと……今の私はライデン様と……二人きりでのお話も出来ないのですから……」


 ナターシャの言葉にライデンは左手で自身の顔を覆って懺悔する。


「……俺にもっと力があれば……いや、そもそも俺があの雨の日に(・・・・・・)君を傷つけなければ、こんな事にはならなかったんだ。夜の街に飛び出した君を追いかけて……アルドに出会わなければ……こんな……」


 ライデンの視線は少女の顔から胸元へと移動する。

 白いローブに覆われた小さな身体。その体に身につけた白い服にはいつの間にかじんわりと真っ赤な染みが出来始めていた。


「……こんな事にはならなかったのに……!!」


 ギュッと目を閉じて、ライデンは握り締めていた手の上に自らの額を落とす。

 そんなライデンに向けて、少女は苦しそうな態度とは裏腹に、あくまで穏やかな声を出す。


「……泣かないで……ライデン様……」

「…………」


 握られたライデンの手を、親指でゆっくり撫でながら、ナターシャは微笑む。


「……本当は……ずっと謝りたかった……んです。……私の……勝手な我が儘で……ライデン様を……縛り付けてしまった。……一番……解放させてあげたかった奴からの……呪縛を……。私のせいで……以前よりも……ずっと……強く」

「…………」

「でも……でも。……あいつが聞いている場所で……あいつが聞いている時に……あの時の事を……謝るのも……癪じゃないですか……。だって……それだと…………あいつの行いを……認めてしまう……あいつの好意を……ライデン様に……認めさせて……しまう」

「…………」

「だから……ずっと……待っていました。……今みたいな……状況……あいつが聞いていない場所で……あいつの聞いていない時に……あの時の事を……謝りたくて……」


 ライデンは顔を上げる。

 その瞳は涙で濡れて、いつもの冷静なベテラン冒険者の風格など微塵も無かったが。


「……あの時……我が儘言って……ごめんなさい。……心配させて……ごめんなさい。…………………………好きになって…………」


 笑顔のままにゆっくりと言葉を紡ぐ小さな少女。

 その少女の瞳に涙が溜まり────


「…………ごめんなさい…………」


 ────涙が一粒。

 その白い頬を伝って零れおちた。


「…………お願いだ」


 その姿を瞳に捉えて、ライデンは言う。


「教えてくれ。この部屋の機能を止める方法を。もう言いたい事は言っただろう? 君はあいつを出し抜いた。今はそれでいいじゃないか。だから頼む。この部屋の檻を壊す方法を教えてくれ。でないと君は……」

「……出来ません……」


 「死んでしまう」その一言が言えずに口篭ったライデンにの耳に届いた少女の声は、今のライデンが最も聞きたくない答えだった。


「……一度…………発動してしまった“女神殺し”は…………閉じ込めた女神が…………消滅するまで……決して、止まらない……みたいです」


 「だからこそ覚悟が必要だった」と言う少女の顔に手を伸ばし、ライデンは悲痛な声を上げる。


「なら、無理矢理にでもあいつを…………」

「それは……嫌……です……」

「どうして!」


 ナターシャの返答にライデンは思わず大声を上げたが、そんなライデンに向けてナターシャは少しだけ困ったような笑顔のままに答える。


「……私だって……死んでしまうのは……嫌です……。でも…………ライデン様が……あいつの指にあの指輪(・・・・)を……嵌めるのを見るのは…………もっと……嫌。……そんな……所を……見るくらいなら……このまま……死にます……」

「……どう……して……」

「…………どう……して? ……ふふ……そう……ですね」


 泣きながらナターシャの頬を撫でるライデンの手に自らの手を重ねて微笑むと、ナターシャは嬉しそうに続ける。


「……私は……女神じゃ…………ありませんけど…………きっと……これが……私の……嫉妬……なんです。だから……ライデン様……」


 その言葉は、この行いそのものが、少女からライデンに降りかかる呪いだとでも言うように。


「……このまま……最後まで……私の手を……握っていて……下さいね?」


 ライデンの胸の最も深い部分に打ち込まれた。

 何故なら、これはライデンにとっても少女に対する罪であったから。

 力のない自分自身が行える、最善の償いだと思ったから。


「────ライデン!! ここにいるんだろ!? 開けて、ライデン!!」


 扉の向こうからそんな声を聞いたのは、ライデンが一つの決意をする直前の事だった。


 


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