第六話 それぞれの思惑
「起きろゲオルグ。早く起きんが馬鹿者」
ライデン達が部屋を出てからそれほど間を開けずに瞼を上げたのは、黒髪の冒険者アルドだった。
腕を組み、壁に寄りかかるように眠っていたはずだった彼は、特に苦もなく──それこそ、ただ思考の海に自ら入り込むために瞳を閉ざしていただけとでもいうかのごとく動き出すと、隣で寄り添うにして眠りに落ちていた大男に右の肘で軽く小突く。
「……んぐ……ん? ……あれ? うわっ!?」
しかし、小突かれたゲオルグはアルドの意図など関係ないとばかりに豪快に起き上がると、周りを見渡し、すぐに現状の状況に驚いたらしく、浮かしかけた腰を再び落としてしまった。
その際控えめとはとても言えない音と振動が部屋に響き、アルドを挟んでゲオルグとは反対側で身を寄せるように眠っていたセリアも目を覚ますこととなった。
「……なによ……煩いわね……。って、あれ? どうして私眠って……」
「説明ならすぐにしてやるから、いい加減離れんか愚か者」
アルドの肩に頭を乗せて不思議そうな表情を浮かべたセリアの顔をアルドは押しのけるように立ち上がると、丁度部屋の対面側に位置する壁に視線を向ける。
そこには、恐らく先ほどの物音で目覚めたのであろうアリシアとレイラが立ち上がる所だった。
「目覚めは良好かね?」
「一々癪に障る言い方ね」
「おや。これでも気を使ったつもりだったのだが」
「いらないわよ。少なくとも貴方からはね」
掛けられたアルドの言葉に反発しながらも、アリシアは周りに目を向けた後に嘆息した。
「……どうしてこんな所で急に寝てしまったのか……と、思ったけれど、状況を見れば考えるまでもなさそうね」
「うむ。どうやら随分と質の悪い悪戯を企んでいた輩が混じっていたようだな。こいつは貴様にとってもイレギュラーだったのではないか?」
「…………」
「沈黙は肯定とみなすぞ」
腕を組み、断言するアルドと、眉を寄せて黙り込んでしまったアリシアのやりとりを黙って見ていたセリアだったが、一度は離されたアルドとの距離を詰めると、組んでいた腕の肘のあたりの服を2、3度引く。
「ちょっと。何を言っているのかよくわかんないんだけど」
そんなセリアの行動にアルドは心底嫌そうに顔を顰めると、再び視線をアリシアへと戻す。
「馬鹿に説明するだけ無駄だ」
「馬鹿って誰がよ。すぐに説明してくれるって言ったじゃない」
眠った事で吹っ切れたのか、ここに来た頃よりも随分と元気が出てきたセリアの態度に面倒になったのか、それとも、起き抜けに余計な事を言ってしまった自分の台詞を悔やんだのかはわからないが、アルドは組んでいた腕を解くと、右手で自らの頭を乱暴に掻き毟りながら答える。
「……別に難しい話はしていない。ただ、本来この場に存在するはずだった“3つの思惑”の他にもう一つ。予定のなかった思惑が混じっていただけの話だ」
「……だから……。よくわかんないんだけど……」
「ゲオルグ」
セリアの返答にアルドは目を瞑り顔を目一杯顰めると、セリアの声を遮ってそばで黙ってやりとりを見ていたゲオルグを呼んだ。
「直ぐにこの部屋から出て、ライデンの馬鹿を追いかけろ。恐らく、相当厄介な問題に直面しているはずだ」
「厄介な問題?」
ゲオルグの疑問にアルドは頷く。
「うむ。厄介な問題だ。恐らくあの男一人では解決できまい。そして、これは予想だが、あの男がいる場所には貴様しか行く事は出来ないだろう」
アルドの言葉にゲオルグは暫く顎に手を当てて考える素振りを見せていたが、直ぐに顔を上げてアルドを見る。
「わかった。何だかよくわからないけど、とにかくライデンの所に行って助けてくればいいんだね?」
「うむ。余りにも理解力の乏しい人材しか周りにいない事に感涙を流し得ない気持ちだが、概ねそれで間違いない」
「うん。任せて」
了承した後にドスドスと重量感のある足音を残して退室していくゲオルグの後ろ姿を眺めた後にようやく気がついたのか、セリアはキョロキョロと左右を見た後に目を瞬かせる。
「あれ? そういえば、ライデンとナターシャの2人もいない」
「……今更か……貴様その程度の観察力でよくこれまで冒険者が務まっていたな」
「う、うるさいわね……」
セリアの言葉にアルドは大きな溜息を吐くと、視線を先程から黙っていた二人に向ける。
向けられた先にいたのは、目を細めてアルドに対する敵意を隠そうともしないアリシアと、アリシアとアルドを交互に見ながら何やら状況を理解していないように見えるレイラ。
そんな2人の様子を見ながら、アルドは「あそこにも馬鹿が1人」と呟き一歩踏み出すと、再び腕を組みつつ挑発的な言葉を投げかけた。
「さて、これで2対2だな」
◇◇◇
そこは一欠片の光も存在しない暗闇だった。
状況から自分達2人が落下していると判断したライデンが咄嗟に使用した【重力操作】のスキルのおかげでどうにか地面に叩きつけられる事は無かったライデンとナターシャだったが、落ちていた時間の長さからその高さを想像して思わず身震いしてしまった。
もしも、落ちたのがライデン以外の誰かだったなら。
もしも、落ちた先の空間が最奥の間と同じようにスキルを封じる仕掛けが施されていたならば。
物事に“もしも”は存在しない。
結果として今現在ここに存在している事実こそが全てである。
それはわかってはいたが、それでも暫く動き出す事が出来なかったライデンを責める事が出来る人間が果たしていただろうか。
「いや、アルドだったら平気で責めてきそうだな」
思考の整理をする為にしばし動きを止めて暗闇の中で考え込んでいたライデンだったが、ふと頭に浮かんだ自らを擁護する考えに苦笑しながら声をこぼす。
ライデンよりも2年早く生まれたあの男は、極端な女神信仰者ではあるものの、ただ、単純純粋に強い。それこそ、まともにやったならばライデンとゲオルグ、そしてガイヤの3人がかりでも勝つのは難しいだろう。
もちろん、戦い方次第ではそれぞれが持つ力の強みがある以上絶対は存在しない。
しかし、アルドのもつそれは事真っ向勝負においては最強に近い力を有していたから。
「最も、今はそれはどうでもいい事だが……」
ライデンはようやく体を動かすと、腕の中にすっぽり入り込んでいた塊を抱き上げる。
それはとても暖かく、ふわふわと柔からな存在であり、ライデンはそれこそ壊れ物でも扱うような動作で地面に立たせた。
「ほら。別に気絶しているわけでもないだろう? いつまでも黙って抱きついてないで明かりでもつけてくれないか? いい加減周りの状況を確認したい」
そんなライデンの言葉に、その存在は暗闇の中でクスリと小さな笑い声を溢し、「ライト」と一言呟いた。
すると、ライデンの目の前で小さな光の玉が現れたかと思った刹那、直ぐに光量を強くした光の玉はライデンの頭よりも更に高く、それこそ、ライデンが手を伸ばしてやっと届くという位置まで浮かび上がった。
「出来れば暫く幸せな一時を味わっていたかったのですが、ライデン様のご要望とあっては仕方ありませんね。それに、触れ合うのならばやっぱりお顔が見えなくては」
「いや、触れ合う云々は別にどうでもいいのだが……」
周りが明るくなった事でようやく見えるようになった白い髪の少女の微笑みは一瞥しただけで直ぐに周りに目を向けたライデンだったが、自らの傍にそびえている石壁に手を触れて納得するように頷く。
「ここの壁も上の壁と同じ緑晶石……か。となるとここも同じ設備の一部なのだろうが……」
トコトコと傍に寄ってきたナターシャを見下ろすため……というわけではなく、2人が落ちてきたであろう床を見渡すライデン。
既に朽ち果ててしまい砂山になってしまっている物が多数だったが、中には魔力を帯びていたが為に原型を留めていたのだろう事が伺える主を失った武器、防具が見えた。
「……もしも……の答えだな。本来であればこうして床に叩きつけられて一生を終える定めだった訳だ」
ライデンは辛うじて原型を止めていた両刃の長剣を手に取ってみたが、まるでライデンに触れられた事で止まっていた時間が動き出したかのように、魔導の剣は砂となってライデンの手から滑り落ちて消えてゆく。
「……どれだけ長い時間ここは発見されてなかったんだ? 一番初めの調査団の頃なんてレベルの朽ち方ではないぞ」
「多分、古代王国時代でしょうねぇ」
手の上に砂となって残った嘗て武器だった砂塵を眺めていたライデンに答えるように、ライデンの手をハンカチで拭きながらナターシャは答える。
「一応、ここって古代王国時代は女神を閉じ込める為に作った施設みたいですしねぇ」
「……何?」
ライデンの手を綺麗にして満足したように微笑みながらライデンの手を引いて歩を進めだしたナターシャに向かってライデンは疑問の声を上げる。
それは先ほどのナターシャの発言もさる事ながら、今こうしてなんの迷いもなく通路を進んでいる事にある。
現在ライデン達がいたのは確かに一本道の廊下ではあったのだが、左右どちらに進むかの逡巡くらいはあってもいいはずだ。
にも関わらず、ナターシャは何の迷いもなく右手側の廊下を進みだしたのだ。振り返るようにライデンが反対側の廊下の先を見てみれば、黒光りした瓦礫のような物が積み上がっているのが見えたから、恐らくは行き止まりなのだろうが、それでも調べに行ったりはするだろう。
そう、ここの事を知らない冒険者であるならば。
「女神を閉じ込める為の設備だと? どうして君がそんな事を知っているんだ? それとも、今の君はナターシャじゃないのか?」
ライデンの問いかけに、手を引きながら歩くナターシャは唇を尖らせて不満そうな顔を見せたが、そんな表情とは違い少しだけ楽しそうに、それこそ鼻歌でも歌うように答えてくれる。
「私はナターシャです。でも、そうですね。今回こんな事があってここに来る事が決まった時に情報の共有はしましたね。それくらいは出来るんですよ。私でも」
ライデンはギョッとする。
しかし、そんなライデンの反応すら楽しむように、ナターシャは続ける。
「だから、教えてあげたんですよ。アリシアさんと────セリアさんに。アリシアさんはとっても喜んでくれましたけど……セリアさんはとても怖がっていましたね。直ぐに相談しなきゃって言ってました。誰にかは知りませんけど」
ナターシャの言葉にライデンはようやく今朝のセリアとアルドの態度に納得する。
アリシアに近づこうとせずにアルドから離れようとしなかったセリア。
熱烈な女神信仰者であり、女神討伐任務など知っていれば絶対に着いてきたりしないはずなのに着いてきたアルド。
アルドは初めから知っていたのだ。
今回の依頼の本当の目的を。
だからこそ、不本意ながらもライデン達に着いてきた。それが、女神を討伐する事になるとしても。
会話しながら進んだ通路はやがて終わり、先を歩いていたナターシャの歩みが止まる。
当然手を引かれるように歩いてきていたライデンの歩調も止まる。
足を止めた2人の前にあるのは一つの扉。時の経過と共に風化しかかっている周りの岩壁とは時間の進みが違うとでも言うように、その青い扉は淡い光を湛えながら不自然な光沢を保ってそこに存在していた。
「“あいつ”に情報を与えたら、とてもびっくりしていました。『あの装置はまだ生きてるんだ』って。その時に、私は代わりの情報をもらったんです。そして、情報の共有をして思いつきました。とても素晴らしい事を」
ライデンに振り返ることなくナターシャは扉に手を伸ばす。
ナターシャに触れられた扉は金属を叩いたかのような高い音を発し、ナターシャの掌を中心にして波紋のように魔力が四方に散っていくのがライデンの目からも確認できた。
やがて、青い光沢を湛えていた扉は光を失い、目の覚めるような澄んだ青色はくすんだ藍色へと変化する。
そして、扉に手を添えたままのナターシャがそのまま扉を押し込むと、光を失った扉は軋んだ音を立てながら内側へと逃げていく。
扉の先に見えるのはひとつの部屋。
しかし、その部屋は上部にあった何もなかった部屋とは違い、僅かながらに装飾品のような物が見て取れた。
一番目を引くのは部屋の中央に浮いているクリスタルだろう。
青みがかった透明の宝石は、子供の頭ほどの大きさはあるだろうか。恐らく、ナターシャが隣に並んでたったなら、ほぼ同じ大きさとして映るのではないだろうか。
ナターシャは再びライデンの手を引くと、部屋の中に入ってゆく。
中に入ると、質素ながらもその一つ一つが現在であっても高級品に値するであろう家具が最低限揃っているのが目に付いた。
ベッドにクローゼット。部屋の一番奥にあるのはシンクだろう。その隣にある扉は浴室かトイレかもしれない。
ただ、この部屋が本当に古代王国時代のものだとするならば、ライデン達の時代の常識とは違うだろうから、ひょっとしたら見当違いの何かかもしれない。
「ここに女神は閉じ込められていたのです」
ナターシャは振り向かずに声を出す。
「もちろん“あいつ”とは違う別の女神ですが、その効果は絶大だったようですね。何しろ、消滅するまでの間ずっとこの部屋から出られなかったようです……からっ!」
ナターシャが振り向き、ライデンがワンドをナターシャに向ける。
ナターシャの雰囲気の変化から無意識の内に飛び出したライデンの行動だったが、本来であればそのワンドの先から飛び出すはずの力は掻き消え、変わりにナターシャの杖の先から飛び出した魔力の鎖がライデンの体を雁字搦めに縛ってしまった。
「がっ! ……な、何をするんだ。ナターシャ!」
「それはこちらの台詞ですよライデン様。こんなにか弱い私に向かって、なんて物騒で、気に入らない力を向けるのですか」
あくまでライデンの手を取りながら、杖を向けてくるナターシャにライデンは歯噛みする。
確かに順番としてはナターシャの言は正しい。
あの時ナターシャが取った行動はライデンに向けた攻撃ではない。寧ろ、先に攻撃を仕掛けたのはライデンだった。ナターシャは、ライデンの攻撃に対して自衛の手段をとったに過ぎないのだ。
「……少し意外でした」
呟くように。
そして少し悲しそうにナターシャは続ける。
「私はずっと、ライデン様は迷惑していると思っていたのです。気のない相手に見初められ、勝手に力を押し付けたくせにその代償として自らへの愛を要求する。もしも力を放棄すれば、そこに待つのは【嫉妬】という名の不幸な未来。“あいつ”にライデン様が見初められる前に私が出会っていれば……何度そう思った事でしょう。ライデン様もそう思っていると思っていた。私達の目的は同じだと思っていた。……それなのに」
ナターシャはライデンの手を離すと、ゆっくり中央のクリスタルまで歩を進める。
クリスタルは透明感のある輝きを放ってはいるが、そこに魔力の力は感じない。あくまでも宝石としての輝きを称えるのみのクリスタル。
その表面に右手を添えて、ナターシャは悲しげながらも微笑んで、ライデンを見た。
「私が“あいつ”を閉じ込めようとしたら攻撃するなんて。私が“あいつ”を消滅させようとしたら邪魔してくるなんて。ひょっとして……情でも湧いてしまったのですか? あの、“偽りの女神”に。昨晩も私に黙って2人で会っていたのでしょう? 私に記憶が残らない事をいい事に」
独白を続けるナターシャに向けてライデンは力を振るおうともがく。
しかし、ナターシャの作り出した鎖はライデンを縛るだけではなく、その能力すらも縛ってしまったかのように何の力も出す事が出来なかった。
「く……そ。これはスキルか。そういえば上でも……。ナターシャ。君は一体どれだけ女神の力を扱えるんだ?」
「心配しなくても、ほんの少しですよ」
答えると同時に、ナターシャの触れていたクリスタルが輝き始める。
先ほどとは違い、魔力による不自然ながらも強い発光を。
「……やめろナターシャ。俺は女神など毛ほどにも思っていない。それは事実だ。しかし、それとこれとは話が違う。女神を消すことだけは駄目だ。女神を消す事は君の幸福には繋がらない!」
ライデンの必死の呼びかけも、しかし、ナターシャには届かない。
ナターシャはライデンの『女神には気がない』という発言に満足したのか、とても嬉しそうに微笑んだ。
「嗚呼ライデン様。私はその言葉が聞けただけで十分です。今は鎖で縛ってしまっていますが、この部屋の機能が作動すれば直ぐに私と、ライデン様の【祝福】は消えて自由になれます。女神の力を失った私達の先は短いかも知れない。でも、例え短い時間でも、本当に好きな人と過ごせるならばこれ以上の幸せはありません」
「やめろナターシャ! やめるんだっ!! 一時の感情で死を選ぶつもりか!」
「そうですよ?」
ライデンの叫び声にナターシャは穏やかな声で答える。
「愛していますライデン様。この部屋で一緒に幸せになりましょう」
ライデンは後悔する。
どうしてもっと真摯に少女の気持ちに向き合わなかったのだろうかと。
ライデンは後悔する。
どうして昨晩女神を呼び出して会ってしまったのだろうと。
ライデンは後悔する。
どうして────冒険者になる夢を諦めきれずに女神の力にすがったのだろうと。
数々のライデンの後悔も、狂ってしまった少女には届かない。
クリスタルから発せられる魔力の波紋は部屋全体に波及して、先ほど開いたばかりの扉が背後で閉まる音を聞き──
──その音に合わせて昨晩確かに会話した、一人の少女の叫び声が聞こえたような気がした。