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89話 結局はいつも通り

 テフランが借りている家の扉を開けると、急に目の前が真っ暗になった。

 しかし、気絶したわけではない。

 柑橘系の匂いのする、柔らかなもので顔を包まれてしまっているからだ。


「ちょっと、ファルリアお母さん! 急に抱き着いてこないでよ!」


 テフランは真っ赤な顔で怒鳴りながら身を捻り、柔らかいもの――豊かな乳房の谷間から脱出する。

 すると、至近距離にファルマヒデリアの微笑んだ顔があった。


「お帰りなさい、テフラン。首尾はどうなりましたか?」

「概ね、俺たちが立てた作戦の通りになったよ。あの迷惑なヤツは、組合に連れていかれて――」

「ああああーー!」


 言葉を遮るようにファルマヒデリアが悲鳴を上げたことに、テフランは大変に驚いた。


「え、なに。また襲撃がきたとか!?」


 焦るテフランの顔を、ファルマヒデリアは両手で優しく挟むように掴む。

 そして軽く顔を傾けさせて、テフランの赤い頬――照れとは別に殴られて赤くなった場所を確認した。


「誰ですか、これをやったのは。警備ですか、それとも」

「その、それともの方だけど」

「ちょっと今から行って、片頬を抉ってきます」


 ファルマヒデリアが冷たい目になり、腕を放して歩き出そうとする。

 今度は逆に、テフランがファルマヒデリアを抱き寄せて止める番になった。


「待って待って! いまファルリアお母さんが出ていったら、面倒なことがぶり返すから。それにこんなの撫でられたようなものだし、すでに俺が殴り返してあるから、ファルリアお母さんが出なくていいから!」


 テフランが必死に説得すると、ファルマヒデリアの目が柔らかく温かいものに戻った。


「テフランが良いのなら、納得します。いつまでも玄関口でいるのも変ですし、中に入りましょう」


 ファルマヒデリアに背中を押されてテフランが中に入ると、アティミシレイヤとスクーイヴァテディナが待っていた。

 二人ともテフランの帰還を喜び、軽い抱擁を交わす。


「上首尾に終わったようで安心した」

「これで、終わり?」

「あとは組合長が方々に『俺の町で迷惑を起こす気なら、とことんやるぞ』って、恫喝含みの苦情を入れればお終いになるね」


 テフランの答えに、ファルマヒデリアが頬に手を当てながら小首を傾げる。


「スルタリアもそう言っていましたが、本当にそうなるのでしょうか」

「むしろスルタリアさんが保証してくれるなら、組合長が言うよりかは信憑性が高いでしょ」

「……それもそうですね。それに、また騒動が来るようでしたら、再び蹴散らせばいいだけのことですし」

「三人の力が強すぎるから、蹴散らす程度を考えないといけないのが難点だけどね」


 小憎たらしい返しに、ファルマヒデリアは笑顔のまま、テフランの頬を優しく摘まんだ。


「テフランも、ずいぶんと遠慮なく言うようになりましたね。それが嬉しいやら、ぞんざいな扱いをされて悲しいやら、複雑です」


 ファルマヒデリアの独白に、アティミシレイヤが頷く。


「確かに、テフランは最近我々の存在に慣れてしまった感じがある。先ほど抱き着いたときなど、少し前なら顔を真っ赤にして気絶寸前となっていたはずなのにな」

「お風呂に一緒に入っても、最後まで意識を保てるようになって、介抱する楽しみが減ってしまいました」


 ファルマヒデリアが続いて感慨深そうに言った言葉に、スクーイヴァテディナは不思議そうな顔になる。


「慣れるの、いいこと。慣れたら、次に進める、よ?」

「うむ。それもそうだった。訓練と同じように、難易度を上げるべきだな」


 知らないうちに企みが進んでいることに、テフランは嫌な予感がしてきた。


「いやいや。せっかく気絶しなくなってきたのなら、このままでいいんじゃない?」

「そうはいきません」


 ファルマヒデリアは後ろからテフランを抱き寄せ、テフランの耳に口を近づける。


「いまのいままでテフランにしてきた奉仕は、告死の乙女にとって書き出しも同然。まだまだ奥深い部分があるんですから」


 優しい声色ながら、ねっとりと鼓膜に絡みつくような口調に、テフランの背中にゾクゾクと感覚が走った。

 それと同時に鼓動が早まり、比例して顔色も赤く変わる。


「ちょ、なにを言って!?」

「テフランも男の子なんですから、男女な関係に興味がないわけではないのですよね?」


 婉曲的な表現だったが、テフランはすぐに意図を察して、より顔の赤みが深まった。


「いや、だって、それは――」

「責めているんじゃありませんよ。ただ少し、テフランは我慢強すぎると思うんです」


 ファルマヒデリアの微笑み混じりの声の後、アティミシレイヤは少し照れが入った表情で、スクーイヴァテディナは無表情ながら瞳に楽しそうな色を映して、テフランに近づいていく。


「いくら女性に免疫がない男子だとしても、我々と一つ屋根の下で暮らし続けても邪な行為を仕掛けてこなかった、テフランの誠実さに感心しているが」

「手、出してこないの、つまらない」


 前からじりじりと詰め寄られ、後ろには抱きしめられて逃げられず、テフランはどんどんと混乱度合が深まっていいく。


「いきなり、そんなことを、なんで言うんだよ」

「ほら、こうして三人がかりで迫っても、テフランは気絶しないじゃないですか」

「先ほども言ったが、少し奉仕の程度を深くしてやってもいいかなとな」

「いっしょに、気持ちいこと、学ぼ?」

「いや、だって、その、あの」


 テフランはうわ言のような言葉しか出せず、その目がぐるぐると回り始める。

 そして気絶に陥る――その一歩手前で、ファルマヒデリアたちがパッと包囲網を解いた。


「なーんて。いますぐに、テフランと良い仲になるきはありませんよ。それは勇み足過ぎるとわかってますから」

「それでも、予想よりも大分、テフランは意識が保ったな。それが分かっただけでも収穫だ」

「気絶の、境界線、覚えた」


 三人のあっけらかんとした様子に、テフランは混乱と恥ずかしさの境地から脱することができた。


「も、もう脅かさないでよ!」

「ごめんなさい、テフラン。でも――」


 ファルマヒデリアは苦笑いから、一転して、熱情を帯びた瞳で微笑んだ。


「――テフランと良い仲になること自体は、わたくしたち全員、望んでいるということは覚えておいてくださいね」


 テフランが驚きで息を止めると、アティミシレイヤがもじもじと口を開く。


「できることなら、その、一人ずつ、テフランが誘ってくれて、行為に及んでくれると、嬉しい」

「三人、同時でも、いいよ?」


 続いたスクーイヴァテディナの言葉も含めて、テフランは返答が思いつかず、黙ってしまう。

 しかし三人ともが答えを待っている様子なため、テフランは止まってしまった思考を努めて再開させ、自分の本心を探っていく。

 そして少し時間は経ったが、テフランは自分なりの答えを導き出した。


「えっと、三人の気持ちは嬉しいけど――いや『けど』じゃなくて、純粋に嬉しいし、俺も三人のこと好きだから、そう望むなら叶えてあげたい。でも、そういうことに耐えられる自信がないから、もうちょっとだけ耐性がつくまで待ってくれないかな」


 格好いい告白とはいかないものの、本当の本心を純粋に拾って出した言葉の連続に、ファルマヒデリアが嬉しさと驚きが複雑に混ざった顔になる。


「それは、私たちとそういう関係になりたいと、受け取って良いんですか?」

「直接的な表現が恥ずかしくて、あえてぼかして言っているんだから、察してよ!」

「ダメです。その部分は、はっきりと声に出してください」

「ううぅ……。うん、三人とそんな関係になりたいと、俺も思っている」


 顔を真っ赤にしながらの断言に、ファルマヒデリアは感動に打ち震えたかのように、口元に手を当てて小さく体を震わせる。

 しかしその様子は長続きせず、やがて顔は笑みで解け崩れ、堪えきれなかった衝動に突き動かされるように、全身に魔法紋を浮かばせてテフランをきつく抱き寄せた。


「あーもう、可愛らし過ぎます。やっぱり、いますぐに押し倒すべきですよね!」

「むぐーむぐーーーー!」


 顔を豊かな乳房の谷間に押し込められたテフランは、ファルマヒデリアが抱く腕によって右へ左へと振り回される。

 テフランのくぐもった悲鳴に、アティミシレイヤが慌てて割って入った。 


「止めろファルマヒデリア。嬉しいのは分かるが、それは踏み込み過ぎだ!」

「んっ。女性への、苦手意識、ぶり返したら、困る」


 スクーイヴァテディナも手伝って、ファルマヒデリアの抱擁からテフランを脱出させる。

 しかし哀れなことに、テフランは赤い顔で目を回して気絶してしまっていた。

 アティミシレイヤとスクーイヴァテディナに白い目を向けられ、ファルマヒデリアは誤魔化し笑いをしようとする。

 しかし二人が本当に怒っているとわかると、表情を引き締めて深々と頭を下げ、真摯な態度で謝罪したのだった。

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