85話 予想外の事態へ
テフランがスクーイヴァテディナと共に転移したのは、ファルマヒデリアとアティミシレイヤが待機している場所から少しだけ離れた場所だった。
テフランたちがそちらへ向かって歩き出そうとした瞬間、通路に悲鳴が響き渡った。
「ぎぃいあああああああああ!」
「あああばばばばばばばばば!」
野太い声が多い悲鳴に、テフランはスクーイヴァテディナと顔を見合わせる。
「どうやら、対応している真っ最中みたいだね」
「んっ。見に行く」
テフランたちがのんびりと移動していくと、通路の先にファルマヒデリアたちの姿が見えてきた。
彼女たちの周囲には、二十人ほどの男性と数人の女性が倒れている。立っている者はいない。
問題なく撃退している様子にテフランが安堵していると、ファルマヒデリアとアティミシレイヤが剣呑な色を湛えた瞳を向けてきた。
すわ、操られているのか。
と思いきや、どうやらテフランを襲撃者の援軍と勘違いしていたらしく、ころっと態度が変わってにこやかな様子に。
「テフランの方も、撃退が終わったんですね」
「こちらも見ての通り、たったいま対処が終わったところだ」
「二人とも、お疲れさま」
テフランは労いの言葉をかけながら近づこうとして、不意に変な臭いがした。
真新しい金属のような、熱した石にかけられた水が揮発したときに感じるような、でもそれらとは少し違う嗅いだことのない臭い。
毒気の可能性を考えてテフランが足を止めると、スクーイヴァテディナが小鼻をひくつかせる。
「これ、電撃、空気焼いた。だから、変な臭い」
「デンゲキ? 言葉の感じからすると、雷ってこと?」
「んっ。似たもの」
テフランは『電気』について良く分からなかったが、毒ではないとわかったので、ファルマヒデリアたちの元へ歩き寄った。
すると、離れていた時間分をとりもどすためにか、テフランは左右から二人に抱き寄せられてしまう。
「テフランの言いつけ通り、スクーイヴァテディナの杖を借りて撃退しました」
「電撃を耐えたものは、この拳で意識を刈り取ったんだぞ」
二人ともに褒めろと言外に要求してくるが、柔らかい肢体に挟まれたテフランはそれどころではなかった。
「気持ちはわかったから、二人して体を押し付けてこないでってば!」
おしくらまんじゅうのように、左右からぎゅうぎゅうと押し付けてくる乳房やお腹の感触に、テフランの顔は羞恥で真っ赤である。
しかしファルマヒデリアもアティミシレイヤも、その言葉には従わず、褒めてくれるまで退く気はなさそうだ。
そんな三人の様子を見ていたスクーイヴァテディナは、少し考えた後に、テフランを後ろから抱きしめる。
「これで、平等」
「だから、こんなことしている場合じゃないんだって。ほら、人も見ているしさ!」
テフランの悲鳴に、アティミシレイヤたちは地面に倒れている人たちに視線を移す。
電撃で痺れて動けない中で、男性はテフランが絶世の美女に構われていることに悔し涙を流しそうな顔を、女性はテフランたちの仲睦まじい様子に毒気を抜かれた顔をしていた。
そんな面々に見られているのだが、ファルマヒデリアは気にしないでテフランにより体をくっつける。
「テフランは私より、見も知らない人のことが気になるんですか?」
拗ねた口調で告げつつ、ファルマヒデリアはテフランの頬に指を這わせる。
動く指先を意識させるように、あえてゆっくりとした動き。
その蠱惑的な撫で方に、テフランの背筋にゾクゾクとした甘い痺れが走る。
普通の男性なら思わず体を任せたくなるほどに、男性的な欲望が刺激される感覚。
しかしテフランは、持ち前の女性への免疫の低さと、ファルマヒデリアに対抗してアティミシレイヤとスクーイヴァテディナが動き出そうとする気配を察知し、慌てて頬を撫でる手を掴んで止めた。
「本当に止めて。このままやられると、まだ作戦が終わってないのに、気絶しちゃうってば」
「んもう。もうっちょっとだけ、やらせてくれてもいいですのに」
ファルマヒデリアは名残惜しそうにしながらも、テフランの要求を聞き入れて、そっと抱き寄せる手を解いた。
その行動が呼び水になったようで、アティミシレイヤとスクーイヴァテディナも離れる。
テフランは窮地を脱したことに安堵してから、三人を伴って次の目的地へと移動することにした。
「俺の方とファルリアお母さんたちの方で対処したことで、大多数の有象無象は排除できた。怪我を負ったあの人たちが、迷宮から無事に帰られるかは、あの人たちの努力にお願いするとして。ここからは、手強い人たちが集まっている組だね」
「アヴァンクヌギからの伝言では、そんなに数は多くないとのことでしたね」
「実力はあれど素行不良の輩ばかり、駆除しても構わないと頼まれたな」
「ん~? どうするの?」
「積極的に殺したくはないけど、俺の実力じゃ手加減して制圧できる相手でもないだろうしなぁ」
先ほど対処した襲撃者たちが大したことがなかったこともあり、テフランは未だに自分の手での殺人を行う決意が持てないでいた。
テフランの悩みに、ファルマヒデリアたちはそっと提案をする。
「私たちはテフランの従者です。言ってくだされば、なんだってします」
「汚れ仕事を、こっちに押し付けてこようと、我々は喜びこそすれ恨むことはない」
「んっ。任せて」
三人の心配は理解しつつも、テフランは首を横に振る。
見目麗しい女性に大変な役割を押し付けて良しとするような性格を、テフランはしていないのだ。
「そう言ってくれること自体は嬉しいけどさ。三人に任せるのは、筋が違う気がするから、却下」
「ふふふっ。テフランは頑固ですね」
「そういうところが、テフランの可愛らしくも頼もしいところだがね」
「男の子、って感じ」
「なッ!? か、からかわないでってば!」
テフランがからかわれて赤ら顔になると、ファルマヒデリアたちはさらに顔を綻ばせる。
そんな状態で、ルーレットとその仲間たちに手強い襲撃者たちへ教えさせた、テフランたちが潜伏しているとした地点へ、転移罠を利用して先回りしていったのだった。
テフランが手強い部類の襲撃者たちを迎え撃つように定めた地点は、ファルマヒデリアと出会った地区よりも強い魔物がでてくる、より迷宮奥の地区だった。
それも、テフランが構築した転移罠網からは少し外れた場所。
襲撃者を察知して、容易く追ってはこれないように迷宮の奥に逃げた――という設定である。
そんな地点に、テフランは迎撃の準備万端整えて待っているのだが、いまだに誰もやってこないでいる。
(腕に覚えがない人は「こんな場所には行けない」って諦めるだろうし、覚えがある人でも道中の魔物と罠に疲れて、途中に定めた休憩場所――安息地で引き返してくるかも。って期待して、この場所にしたんだけど……)
テフランのその目論見が当たったかのように、待てど暮らせど、襲撃者の気配がない。
時間が経つにつれて、これは変だとテフランは思い始める。
「念のために、例の安息地まで様子を見に行ってもいいかな?」
「そうですね。ここで待っていても、暇なだけですし」
「魔物部屋の罠を開いて、全滅したかもしれない。もしそうなら、待っている意味がない」
「様子見、だいじ」
三人とも同意したことで、テフランは移動する。
そして安息地にたどり着き、そこでさらに首を傾げる羽目になった。
「誰もいない?」
人の姿どころか、この場所で休憩していた痕跡すらない。
アティミシレイヤが危惧した通りに、魔物の攻撃で襲撃者が全滅した可能性がでてきた。
テフランは地図を取り出す。
この地区はだいぶ魔物が強い関係で、大部分が渡界者に踏破されていないため、通路の全容が解明できていない。
そんな地図を使い、襲撃者が辿るはずだった道順を確認する。
「ここが転移罠から跳んで出てくる地点。それで俺たちがここにいると教えてあげていた。だから、短い距離かつ安全な道を通るなら、こう通って、この安息地に来るはずだよね。だから、この途中で全滅したってことになるのかな?」
テフランが地図にある判明済みの通路を示しながら質問すると、ファルマヒデリアたちも地図に目を通していく。
「テフランが示した道順が、一番道理に適っています」
「であれば、この道のどこかで全滅したということだな」
ファルマヒデリアとアティミシレイヤは同意するが、スクーイヴァテディナは疑問顔をしている。
「ん~。ここから、こう、こうー」
抽象的な言葉を言いながら、スクーイヴァテディナは指で地図の通路を辿っていく。
その道順は、途中までテフランが示したものと同じだが、途中から別の道に入る行程。
テフランはその道程の意味がわからず小首をかしげかけて、スクーイヴァテディナの指が通路が途切れた場所をそのまま突き進んだのを見て、納得した。
「あー。地図にない方向から、俺たちが待つ場所に行こうとしたのか。あり得るな」
普通なら、狙う相手が待つ場所がわかり、そこに至れる道も判明しているのなら、あえて逸れるという選択肢は取らない。
なぜなら、知らない道を進むということは、未知の分だけ危険が潜んでいる危険に出くわす可能性が高くなるからだ。
しかしテフランたちを狙う襲撃者の中には、渡界者が確実に混ざっている。
渡界者ならば、地図にない道を開拓することを苦にしないし、むしろ地図で判明している道を避ける選択も多分にあり得た。
(となると、ここら辺から、こう行く道を辿って、さっき俺たちがいた背後に回るってことか)
地図の何も書かれていない地点に、テフランは大まかに指を滑らせながら予想した。
そして事前計画が役に立たなくなったことに、半分残念、半分興奮といった気分になる。
(相手は一年目の俺よりも、渡界者としては格上の人たちばかり。立てた作戦の全てが大当たりするわけもないよな)
自嘲してから、テフランは使えなくなった作戦はすぐ破棄し、新たな計画を立案していく。
その最中、唐突にファルマヒデリアたち三人が、同時に顔を顰めた。
「どうかした?」
「魔法の衝撃による、迷宮の微震を感知しました」
「どうやら、テフランとスクーイヴァテディナが予想した、地図にない地点付近のものだ」
「結構、すごい、魔法」
「……襲撃者の中に、そんな大魔法使いがいるってこと?」
そんな人物なら各方面から引く手あまたなので、金目当てに襲撃に加わるはずがない。
そうテフランが反論すると、ファルマヒデリアは強く頷いてから、困ったように頬に手を当てる。
「そうなりますと、可能性としては一つだけですね」
その可能性とやらについて、テフランも遅まきながらに思い当たった。
「もしかして襲撃者たちは、野良の告死の乙女に手を出したってこと!?」
「きっと彼らは、テフランと同行する絶世の美女を殺せと言われただけでしょうから、テフランがいるとされる地点の近く――地図にはない安息地に告死の乙女が佇んでいれば、私たちと誤解して攻撃しても変ではありません」
「ここは迷宮のやや奥の地区だ。告死の乙女と出くわすことは、十分にあり得る場所だ」
「告死の乙女なら、魔法で微震、可能。あり得る」
重なっていく嫌な予想に、テフランは二つの心配をしてしまう。
(もし予想が本当なら、襲撃者以外に被害を出さないために、俺――というかファルマヒデリアたちに出てもらわないといけない。そうなったら、もう一人告死の乙女が従魔に加わるってことだよな!?)
命の危険とは違った身の危険の予感に、テフランは顔を引きつらせる。
しかしここで、もろもろの危険に目をつぶって逃げ出せるほど、テフランの心は擦れていない。
テフランは気分を転換させるため息を吐くと、ファルマヒデリアたちを連れて、微震がするという方向へと移動を始めたのだった。




