81話 ぶしつけな者
今回はちょっと長めです
テフランたちが休憩しているよう見せかけて待ち受けていると、スクーイヴァテディナの報告通りに十人近い人たちがやってきた。
男性が多く、女性は数人。年齢は下は十代から上は四十代まで幅広い様子だ。
その全員が、綺麗な衣服を身に着け、整った髪型をして、真新しい金属鎧と綺麗な装飾が入った鞘と剣帯をしている。
全体的に育ちの良さがうかがえる姿。
それにもかかわらず、どことなくいけ好かない印象を受ける人たちだった。
(一、二……全部で十二人か)
冷静に数を確認したテフランは、休憩中に他の渡界者と出くわしたときの対応通りに、ファルマヒデリアたちに道を開けるよう指示をだし、自分も壁に背を付けるように移動する。
通りかかっただけの人たちなら、これで去っていくはずなのだが、彼らはテフランたちの近くで立ち止まった。
そして、テフラン以外の三人に目を向けると、目当ての者を見つけたような顔つきになる。
(チッ。やっぱり、こいつらも)
テフランは内心で舌打ちし、すぐに対応できるように心構えをしながら、何も気づいていない風を装って彼らに声をかけることにした。
「どうしたんですか? 先に進まないんですか?」
「我々が迷宮の中までやってきたのは、魔物が目的ではなく、そなたたちである」
「はあ、そうなんですか」
テフランはとぼけた様子を続けながら、小首を傾げてみせる。
撃てば響くような返事でなかったためか、彼らの中から怒鳴り声がやってきた。
「やはり渡界者など、口の利き方もわからぬ蒙昧で下賤かつ、食い詰め者しかおらぬようだな!」
一方的に侮る言葉を吐いたのは、十二人の集団中央に位置する二十代初めの男性。
周りの人たちも上等な武装をしているが、この人物が一番高価そうな装備をつけている。
そして、その装備が体から少し浮いて見えることから、あまり着慣れていない様子がうかがえた。
あまりの物言いに、テフランが眉をしかめる。
「いきなりなんだ。それに誰だ、お前」
ぞんざいな口調で問いかけると、その男性は怒りを顔に充満させて怒鳴ってきた。
「貴様! 誰に向かってそのような口の利き方を! 知らぬというなら教えてやろうではないか! 我が名は――」
「若様。不用意に名を教えてはなりませぬと、迷宮に入る前に教えたはず」
集団の中で一番年嵩がある男性がいさめると、若様と呼ばれた男性は名乗りを止めた。
「そうだったな。いまの我らは、一個人としてここにいるのだった」
「思い出されたようでしたら、よろしい」
力関係の一端がうかがえたが、テフランは構わず問いかけなおす。
「それで『若様』はさ、なにしにここまできたんだよ」
「お前に若様と呼ばれる筋合いは――」
「若様。口論は不要かと」
「――わかっている!」
若様は怒鳴り返すと、心を落ち着けるため大きく深呼吸し、真面目な顔をしてファルマヒデリアに顔を向けた。
「お初にお目にかかる。聞いての通り、この場で名を明かすことはできぬが、一目見て貴女に惚れた男であると覚え置きいただきたい」
「そうなんですか。でも、そのお顔に見覚えはありませんよ?」
「もしや、いままで出会った者をすべて、ご記憶しておられるのですか」
「もちろんです」
ファルマヒデリアがにっこりと返すと、若様の顔が面白いように真っ赤になる。
その姿を見て、テフランは苦笑いを顔に浮かべた。
(俺も外からみたら、あんな感じなんだろうな。けど、ファルマヒデリアが他人の顔を覚えているのは、出会った人の中から俺の敵対者が出た場合、その記憶から敵対者の仲間を一網打尽にするためだろうなぁ……)
ファルマヒデリアの思考と傾向が大分掴めてきたため、テフランはそう判断した。
しかし、初対面である若様に、そんなことは分かりようはなかった。
「素晴らしい。どんな者の顔も忘れないという優しい心がけ、我が目に狂いはなかった。その美貌と合わせて、渡界者にしておくのはやはり惜しい!」
若様は集団から一歩抜け出ると、ファルマヒデリアの前に跪いた。
「名を明かせぬ不調法はお許しを。だが、絵姿でそなたを拝したその日より、我が心は恋の病魔に捕らわれたことに偽りはない。そして今日改めて、そなたの真の姿を前にし、その病魔が強まり、もはや癒せぬ状態に陥ってしまったのだ」
婉曲的な表現に、ファルマヒデリアは意味が分かっていない様子で首を傾げた。
若様はその行動を前向きに勘違いしたようで、より饒舌になる。
「いきなりこのようなことを言われて驚かれるのも無理はない。だが不変となった我が真なる愛は、もう時を待てはしない。この場では詳しくは言えぬことが口惜しいが、そなたに関する衣食住のすべてを満足以上に、そして娯楽は望むがままに叶えてみせると確約する。安心して我に身を寄せて欲しい」
熱に浮かされた目で、若様は求婚をした。
対するファルマヒデリアは、ここでようやく愛の告白だと気づいて微笑んだ。
「お断りします」
微笑みを受けて、『すわ了承か』と浮つきかけていた若様は、にべもない遮断の言葉に愕然としている。
「な、なぜだ。一切の不満は持たせないとの約束は本当だ。初対面なのが問題ならば、これからお互いをよく知るために時間も設ける。考え直してはもらえぬか?」
「ごめんなさい」
再度の拒否の言葉に、若様は跪いた体制から立ち上がろうとして、後ろに二歩ほどよろめいてしまった。
「若様、大丈夫ですか!?」
「だ、大事ない。いや、吐き気がしてきた……」
若様がファルマヒデリアに抱いていた恋心は本物だったようで、拒否された衝撃で体調不良を起こしてしまっている。
仲間が心配そうに介抱しながら、ファルマヒデリアへ憎々しげな目を向ける。
若様の心を傷つけたこと、そして下賤な身分の者が身の程をわきまえずに求婚を断ったことに、怒り心頭の様子だ。
しかしファルマヒデリアは、それがどうしたとばかりに、表情は微笑んだまま。
一秒経つごとに、両者の間の空間に敵意という圧力が高まっていく。
それを霧散させたのは、片手を上げて仲間たちを制止した若様だった。
「よい。報告にあったように、義理の息子を第一に考える方だということなのだから」
自分を納得させようとするような言葉。
ファルマヒデリアはそれを聞いて、やおらテフランに抱き着いた。
「ちょっと、いきなり何を!?」
「その通りです。私にとって一番大切なものは、このテフランです」
胸の中に埋めるように、ファルマヒデリアはテフランを抱き寄せる。
仲睦まじい様子を目の前で見せられ、若様の目に嫉妬の炎が燃え上がった。
「なるほどな。おい、アレを出せ」
「……はい。ただいま」
仲間の一人が何か言いたそうにしたが、若様の嫉妬に狂いかけている表情を見て、何も言わずに『あるもの』を荷袋から取り出して手渡す。
テフランはそれを見て、気味悪く思った。
(ガラスの筒に入った目玉?)
事実その通りのものが、若様の手に握られている。
金銀の飾りが施された円筒形のガラス。中には薄黄色の液体が充満してあり、そして血管の筋も露わな目玉が一つ浮かんでいた。
その瞳の色が濃い青――サファイアブルーなためか、異様な存在感を放っているように感じられる。
ファルマヒデリアも興味深そうに液体に浮かぶ目玉を見ていて、ハッとなにかに気付いた様子になった。
「テフラン! 失礼します!」
「うわぷっ。ちょっと、苦しいって!」
顔を豊かな胸の谷間の奥へと押し込まれて、テフランは大慌てで抗議した。
しかしファルマヒデリアは聞き入れず、手袋をつけた手を若様へ向ける。
明らかに魔法を使う体制に入っていたが、テフランを胸の中に抱いた動作の分だけ初動が遅れ、若様に目玉――それが入った魔道具を使われてしまう。
「魅了の魔眼よ、我が花嫁の心を縛るがいい!」
若様の宣言と共に、円筒形のガラスの周りにある金銀の飾り――飾りに見せかけた魔法紋の模様が輝き出す。
それに伴い、中にある目玉のサファイアブルーの瞳にも複雑怪奇な模様の魔法紋が現れた。
そしてファルマヒデリアが魔法で対抗する前に、円筒のガラスは強い光を放つ。
不思議なことにその光はすべて、集光されているかのように、ファルマヒデリアに降り注いだ。
すると意外なことに、ファルマヒデリアは魔法を使うことをやめて、呆然自失という表情に変わる。
ファルマヒデリアの様子が変わったことに、抱き寄せられたままのテフランも感じ取った。
慌てて腕の中から脱出すると、いままで見たことのない自失した表情に変わっているファルマヒデリアの肩を掴んで揺する。
「ちょっとファルリアお母さん、どうしたんだよ!」
いくら揺すろうと、いつも通りの微笑みは戻らない。
テフランは怒りを目に湛えて、若様を睨みつけた。
「何をした!」
「ふんっ、答えてやる義理はない。だが、お前から母を奪う形になってしまうのだから、答えてやろう」
若様は得意げな顔で、手にある円筒のガラスを掲げる。
よく見ると、中にある目玉の瞳が真っ白に変わってしまっていた。
「これは魅了の魔眼という魔道具。一度きりの使い捨てだが、使用者を愛するように対象者の心を書き換える働きをするのだ。本来なら一瞬で心変わりは果たされるはずだが――様子からすると、よほど精神が強固なのだろう、魔法の効果が浸透するまで時間がかかっているらしい。だがそれも時間の問題だ」
欲しいものを手に入れた喜びに、若様は満面の笑顔となっている。
テフランはファルマヒデリアを見やり、続いて腰から剣を抜いて若様へ切りかかる。
彼の仲間が対応し損ねるほど、素早い一撃だ。
「たああああああああ!」
気合一閃。
テフランの剣は、若様の体ではなく、その手に持つ円筒のガラス。そして中にある目玉を真っ二つに斬り捨てた。
若様は驚いて後ろによろけ下がり、彼の仲間が護衛のために囲う。
「若様、お下がりください」
「お手をお拭きになってください。お怪我はありませんか!?」
仲間の心配する声にも、若様の視線はテフランに向けられている。
その目にあるのは、優越感だ。
「魔道具を壊せば心が戻ると思ったのだろうが、それは間違いだ。使い捨てだといったであろう」
「チッ。アティさんとスヴァナ!」
テフランは魔法に長じた二人に顔を向けるが、返ってきた反応は横への首振りだった。
「我々は戦闘特化だ。精神面への攻撃と回復は専門外なんだ」
「ごめん。難しい」
「そんな! どうにかならないの!?」
うろたえるテフランを、アティミシレイヤは抱き寄せる。
そして自失しているファルマヒデリアからテフランを引き離すように、後ろに下がっていく。
テフランはその意味が分からずに混乱するが、ふとある予想が頭の中に現れる。
(心を書き換える魔道具とはいえ、それは人間用だ。告死の乙女に使用した場合、もしかしたら従魔前の状態に戻ってしまうんじゃ?)
そう考えると、アティミシレイヤがテフランを抱いて下がっていることが腑に落ちる。
しかしそんな予想と裏腹に、ファルマヒデリアの表情が、自失から微笑みに変わった。
その変化を、後ろに下げさせられたテフランは見えず、見ることができた若様は心の書き換えが完了したと受け取る。
「さあ、我がもとに来るがよい」
両腕を広げて迎え入れようとする若様に、ファルマヒデリアは微笑んだまま歩き寄っていく。
いままで自分の傍にいた存在が、他者のもとにいこうとしている。
その様子に、テフランは心に軋みを感じ、思わず声を上げた。
「ファルリアお母さん!」
悲痛な響きが混ざる大声にも、ファルマヒデリアは反応せずに若様に近づいていく。
(くそっ、俺がもっとしっかりしていれば)
テフランが悔い、若様の顔がさらに喜色にあふれる。
そんな二人を尻目に、若様の仲間たちの表情に変化が表れ始めた。
任務が終わる安堵から、徐々に不審な点に気付いた表情になり、やがて警戒感を露わにする。
「女、止まれ!」
「若様、止まるよう指示を出してください!」
「どうした。何を慌てているんだ?」
色ぼけした若様は、護衛の言うことが理解できずに首を傾げる。
それはテフランも同じで、なぜ慌てているかわからない。
状況に置いて行かれている二人をよそに、ファルマヒデリアが更なる動きを見せた。
若様に近づき、手を伸ばせば届く距離に着た瞬間、ものすごい速さで片手で掴みかかったのだ。
「若様、御免!」
異常を察知した仲間の一人が、体当たりで若様を吹っ飛ばす。
しかし若様の代わりに、その彼の顔がファルマヒデリアに捕まれてしまった。
ここでようやく、若様とテフランは状況が変であることに気付く。
そしてその理解を加速させるように、ファルマヒデリアの口から笑い声が漏れ出てきた。
だがその笑い方は、楽しいからというより、怒気が振り切れて笑いに変わってしまったかのように、おどろおどろしいものだった。
「くふ、くふふふふふっ。よくも、よくも私の心を、テフランを愛する気持ちを踏みにじってくれましたね」
大きな声では決してなかったが、聞いたものが背筋を凍らす響のある重々しい声色。
続く魔法紋を起動させる歌声は、まるで大型の獣が唸りながら深呼吸するような、不穏な響きに満ち溢れていた。
「Raaaaaaaa」
若様の仲間の顔を掴む手の指先から肘までに、色とりどりの魔法紋が手袋を透過して浮かび上がる。
その瞬間、まるで柔らかい果物だったかのように、掴まれていた人の頭が破裂した。
魔法紋が浮かぶ手から、血と骨の欠片、そして脳漿を滴らせながら、ファルマヒデリアは怒気を隠す微笑みを浮かべて、若様とその仲間たちを睨め付ける。
「全員、殺します。特にその若様という男は、念入りにすり潰します」
その宣言は、聞く者に十二分に真実味を感じさせた。
若様は喜色から一転して青い顔で震え上がり、その仲間は死を覚悟した顔になる。
「俺が抑え――いや、もう一人だけ死の旅路に付き合え!」
「なら、年長者二人がいいな。残りは若様と共に、魔道具で迷宮の外へ逃げろ!」
仲間のうち、一番と二番の年嵩の男性がファルマヒデリアと若様の間に立ちはだかった。
その他は若様を中心にひと塊になると、魔法紋がびっしりと刻まれた顔大の水晶を荷袋から取り出す。
「逃がすと、思っているのですか? Raaaaa」
ファルマヒデリアはあふれ出そうな怒気を口から逃がすように呟くと、立ちはだかっている二人の男性を火の魔法で一瞬にして白い灰までに焼却した。
そのあまりの熱気と、仲間のあっけない死に、若様を囲う人たちから悲鳴が上がる。
「早く魔道具を発動させろ!」
「もうやったわ。すぐに転移が始まるわよ!」
護衛が悲鳴を上げると、大きな水晶が砕け散り、若様の一団の周りの空間に揺らぎを生み出す。
ファルマヒデリアが素早く魔法で炎の弾を撃ち放つが、揺らいだ空間に軌道が歪み直撃させることができない。
しかしその熱の余波で、若様の横にいた男性の顔の半分がケロイド状に解け崩れた。
「ひいいいいいいいいいいいい!」
間近で人の顔が崩れる様を見て、若様の口からガラスをこすり合わせたような悲鳴が上がる。
その瞬間、水晶の魔道具の効果が発動し、彼とその一団の姿がこの場所より消え去った。
ファルマヒデリアは誰もいなくなった空間を一睨みすると、つかつかと足音高く、スクーイヴァテディナに詰め寄った。
「あの人たちがどこに跳んだか、転移魔法を使えるスクーイヴァテディナなら分かりますね」
断定的な言葉だが、スクーイヴァテディナは首を横に振る。
「分からない」
「分からないはずがないですよね?」
「理由、ファルマヒデリア。魔法で、一部、魔法紋燃やした」
「……私が放った魔法の影響で転移先が歪んでしまって、あの人たちがどこに行ったか分からなくなった。という解釈であっていますか?」
「んっ。その通り」
自分に失態の原因があると知ったことで、ファルマヒデリアはゆっくりと気分を落ち着けようとする。
そして、テフランが呆然と姿を見ていることに気付いて、顔から火が出そうなほどに赤面した。
「あのその、情けない姿を見せて、ごめんなさい。でもその、怖いとか思わないでくださいね」
おろおろと釈明するファルマヒデリアの頬を、テフランは手で触れた。
「ファルリアお母さん。俺のこと、ちゃんとわかる? 瞳の魔道具の影響はない?」
「えっ。あ、はい、大丈夫ですよ。私は万能型の告死の乙女です。あの程度の精神系魔法なんて軽く治せます。それに防ぐだけなら、アティミシレイヤやスクーイヴァテディナでも可能な程度の魔法でした」
テフランが「えっ」と驚いて顔を向ける先は、精神系の魔法に拙いと言ったアティミシレイヤ。
「嘘をついたわけではないぞ。事実、精神系の魔法は使えないし、魔法にかかった他者を治すすべはない」
「自分自身にできない、言ってない」
スクーイヴァテディナの補足説明も手伝い、テフランは大きくため息をついた。
「心配させないでよ。俺はてっきり、ファルリアお母さんの心が変わっちゃったと思っちゃったよー」
愚痴るように言うと、ファルマヒデリアは不服そうに頬を膨らませ、アティミシレイヤは苦笑いする。
「私が愛しいテフランから離れるわけがないじゃないですか。もう、心外ですね」
「いや、私がテフランを連れて下がったことが勘違いの元だろう。ファルマヒデリアが怒り心頭だと見て、余波を浴びせないようにとの配慮したのだが、裏目に出てしまった」
ファルマヒデリアのいつも通りの調子に、テフランは頬を緩めて安堵した。
すると、スクーイヴァテディナがツンツンと肩を突いてきた。
「ん? どうしたの?」
「いいの?」
「いいって、なにが?」
「若様。ファルマヒデリア、魔法使うの、見たよ?」
言われて、テフランは問題に気付いた。
「ファルリアお母さんが、告死の乙女だと気づかれたかも!?」
若様一行がどこに跳んだかは分からないが、まんまと逃がしてしまったことに、テフランは嫌な予感が禁じえなかったのだった。




