68話 訓練での進歩、その頃
テフランが復調したばかりともあって、迷宮行は日帰りとなった。
「ちぇっ。日帰りで行ける辺りの魔物は、もう相手にならないのに」
テフランは面白くない様子で呟くが、その口調の割りに、歩く姿に油断した様子はない。
どんなに弱い魔物でも侮って相手してはいけないと、父親から何度も言い聞かされて育った経験から、自然と警戒を心がけてしまうからだ。
とはいえ、アティミシレイヤに防御技術を叩き込まれたテフランにとって、この付近の魔物の攻撃は『ヒヤリ』とも感じない。
その危なげのなさからか、ファルマヒデリアたちも暢気な様子で、テフランの後ろをついて歩いている。
「テフランの動に疲れが見えませんから、風邪は完璧に抜けたようですね」
「戦い方に淀みは見られない。体調はとても良いようだ」
「離れて、獲物とってきて、いい?」
こんな命の危機が感じ取れない状況で油断をするなというのは、歳若い青年であるテフランには少し難しい。
(こうも緊張感を持てないと、どうも気が緩みそうになるなぁ……)
いけないと気を引き締めても、二度三度と魔物との戦闘を経ると、どうしても緊張感が緩んでしまう。
(うーん。少し前まで、こんなことはなかった気がするんだけど……。まだ本調子じゃないのかな?)
このまま迷宮行を続けては、金稼ぎはできても、自分のためにならないとテフランは判断した。
「一日暮らす分のお金が手に入るぐらいは魔物の素材は集めたから、少し開けた場所を探して戦闘訓練をしたいんだけど。それでいい?」
テフランが問いかけると、アティミシレイヤは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「もちろんだとも。テフランとの訓練ほど、心躍るものはないからな!」
うきうきとアティミシレイヤはテフランの前を歩き始め、襲い掛かってくる魔物を自らの拳で屠って進む。
そうして、訓練に使えそうな場所を見つけた。
すると、すぐにアティミシレイヤは荷物を下ろして、訓練の準備を始める。
「ささ、テフラン。病気で鈍った戦いの勘所を、訓練で引き締めよう」
「望むところだよ」
テフランは剣を構え、アティミシレイヤに向き直る。
二人が訓練にしては高い戦闘意欲を見せる傍らで、ファルマヒデリアはのんびりとした雰囲気で様子を見ている。
普段のスクーイヴァテディナなら、ここで離れていって勝手に魔物を狩り集めてくるのだが、今回はテフランの訓練を観戦する構えであった。
そんな観客二人の様子が目に入らないのか、テフランはアティミシレイヤに斬りかかる。
「たああああああああああ!」
先ほど弱い魔物を相手にしていたときとは違い、気合と警戒感が十分に発揮された身動きをする。
しかし、テフランの振るった剣を、アティミシレイヤはあっさりと手甲で受けてみせた。
「剣筋と威力は遜色ないな。どんどん、かかってこい」
「わかっている、よッ!」
テフランはすかさず連続攻撃をする。
成長途上の剣筋だが、新米渡界者にしては良い攻撃だ。
それでもアティミシレイヤには通じない。
迫る剣撃のことごとくを、右腕の手甲のみで防ぎきってみせる。
その盤石さは、まるでテフランが大岩を相手に剣を振っているかのようだ。
それでもテフランは手を止めずに剣を振り続けた。
だが、連続運動による疲労の蓄積から、剣筋が少しだけ鈍くなる。
その僅かな隙を、アティミシレイヤは見逃さず、右腕の手甲で剣を大きく弾き上げた。
「ここからは、こちらの番だ」
「くそぉッ!」
テフランが急いで剣を構えなおしたその直後、アティミシレイヤの猛攻が始まった。
唸りを上げて迫る拳、空気を切り裂いてやってくる蹴り。そしてその複合。
一応どれもこれも、テフランが必死になれば防げる程度に手加減はされている。
だが一発防ぐ毎に、テフランの体勢が崩されて、状況はどんどんと悪くなっていく。
「このぉ!」
立て直しを図り、拳の軌道を剣を強く動かして大きく逸らす。
これでほんの少しだけ戦況を戻すことができたものの、その優位はアティミシレイヤが次に放った攻撃ですぐに無に帰することになった。
その後は、ずるずると押し負け続け、やがてテフランの顎の下に拳が寸止めされる。
「これでこちらの勝ちだ」
「むッ。次はこうはいかないから!」
負けん気を発揮して、テフランは再戦を要求する。
アティミシレイヤは微笑み、その挑戦を受けた。
しかし次の攻防も、アティミシレイヤの勝ちで終わってしまう。
「くうぅ。もう一度!」
テフランが口惜しげにそう口走ったところで、スクーイヴァテディナが二人の間に割って入ってきた。
テフランが疑問顔になる中、スクーイヴァテディナはアティミシレイヤに向かって抜いた剣を向ける。
「ほぅ、模擬戦の申し込みか?」
アティミシレイヤの問いに、スクーイヴァテディナは頷く。
そして小声で、テフランに一言だけ告げた。
「見てて」
言葉にある明確な意思を感じ取り、テフランはスクーイヴァテディナがしたいようにさせてみることにした。
そして、アティミシレイヤとスクーイヴァテディナの模擬戦が始まる。
「いくぞ」
一言かけてから、アティミシレイヤは攻撃に入る。
スクーイヴァテディナは迫る拳を剣で受けた。それこそ、テフランがやったのと同じように。
(お互いに魔法紋を使わないのは分かるとして、どうして受けたんだ?)
アティミシレイヤの攻撃は、告死の乙女の基準からしたら牽制打どころか小手調べにもならないもの。
テフランの見立てでは、スクーイヴァテディナなら避けきることは容易いと感じていた。
意味が分からずに首を傾げるテフランとは違い、アティミシレイヤはその意図を感じ取ったようだった。
「なるほど、テフランにお手本を示そうというのか」
「……見てて」
テフランは、アティミシレイヤの呟きを聞き、そしてスクーイヴァテディナに同じことを言われて、気持ちを引き締めて二人の行動を観察することにした。
アティミシレイヤの行動は、先ほどテフランを相手にしたものと同じ。
傍目から見ても、猛攻という言葉に相応しい、両手足を緻密に連動させた連撃である。
それに比べると、スクーイヴァテディナの動きは精彩を欠いていた。
明らかに身動きが遅いうえ、防御一辺倒で攻撃に翻弄されっぱなしである。
しかしその動きに、テフランは覚えがあった。
(俺を真似している? いや、俺ができる動きを上限として、模擬戦で見せてくれているのか)
こうして傍で見せられて、テフランは自分の動きが告死の乙女相手だと、未熟に過ぎると理解させられた。
しかし、その自覚を促すことが、スクーイヴァテディナの目的とは思えない。
そこでより良く観察すると、スクーイヴァテディナの動きは、自分より洗練されていると見てとることができた。
(あれは、いまの俺ができる理想の動き方を見せてくれているんだ!)
そうと分かった途端、二人の模擬戦から得るものが多くなった。
ほんの少しの体の動かし方の違いで、どんな風に結果が違ってくるか。
アティミシレイヤの猛攻を、どんな風に堪えればいいのか。
どうやって仕切り直し、立て直した状況を長持ちさせればいいのか。
その中でテフランが一番驚いたのは、スクーイヴァテディナが鋭い一撃を返し、アティミシレイヤに防がせた場面だった。
(あの動きが、いまの俺でもできるってこと……)
テフランは半信半疑になり、とりあえずと、スクーイヴァテディナがした動きを、その場で模倣してみた。
すると、完璧に同じとはいかないものの、出来てしまった。
攻撃を放った状態で固まるテフランを横に、アティミシレイヤとスクーイヴァテディナの模擬戦は終了していた。無論、テフランの身体能力を模していたスクーイヴァテディナの負けである。
スクーイヴァテディナは剣を腰の鞘に戻すと、テフランに近づいた。
「参考、なった?」
小首を傾げて問う表情は感情に乏しいが、どこか褒めて欲しそうだ。
「うん。とっても、ためになった」
「よかった」
これで用は終わったと立ち去ろうとするスクーイヴァテディナを、テフランは咄嗟に呼び止めた。
「待って、スヴァナ」
「?」
「あのさ。俺に、剣の使い方を教えてくれないかな?」
スクーイヴァテディナは、予想外のことを言われたという驚きを瞳に宿したまま、視線をアティミシレイヤに向ける。
「いい?」
「構わない。剣の振り方は、スクーイヴァテディナはの方がより得手そうだ。二人で、テフランを強くしよう」
「わかった」
「よしっ。これからも、指導よろしくね、二人とも」
テフランが大喜びで呼びかけると、アティミシレイヤは嬉しそうに、スクーイヴァテディナはほんのりと笑みを浮かべる。
一人蚊帳の外の状況のファルマヒデリアはというと、三人の様子に満足そうに微笑みながら、無粋な魔物が近寄らないように処理していたのだった。
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テフランたちの周囲に人が集まるようになってから、組合長であるアヴァンクヌギは対処に追われていた。
通常の業務に加えて、テフランたちの様子にも気を配らないといけないからだ。
「チッ。まったく、素行調査も楽じゃねえな」
「方々から渡界者になりに、人々が来る町ですから」
言いながら秘書のスルタリアが手渡したのは、テフランたちを監視している者からの報告書。
そこには、どこの誰が、テフランたちの内の誰を目的に接触してきたかを、詳細に記してあった。
しかし、渡界者になろうとする多くは、故郷を背にして身を立てようとする者たちだ。
この町での拠点や素行は調査できても、育ってきた背景まで追いきれるものではない。
アヴァンクヌギはそれを流し見して、大仰な溜息を吐く。
「だはぁ~。同じ国の奴らなら調査可能かもしれんが、他の国から来たヤツだと身元を洗うのは無理だな、コリャ」
「その予想は立っていたのでしょう。だからこそ、彼をこの地に留めているのでしょう」
スルタリアが諫めるように言ったとき、組合長室の扉がノックされた。
アヴァンクヌギが入室の許しを出すと、部屋の中に男性一人と犬型の魔物一匹が入ってくる。
少し前にテフランたちに接触してきた、魔遣いの集いのネヴァクと従魔のマブロだ。
「組合長さん。怪しい臭いがしていた人たちの目録、秘書さんの手下に渡しておきましたよ」
「おう、助かる」
一言で片づけられて、ネヴァクは苦笑いする。
「あの子とその従魔たちに合う条件で、手助けするとは言いましたけど」
「ん? なんか問題か?」
「まあ、こんなに長い時間、この町で働かされるとは思ってなかったもので」
「その点については悪かったな。まさか、次々にテフランたちに言い寄ってくる奴らが出るとは思わなくてな」
「俺たちが調査を頼まれた、貴族やそれに準ずる人たちの息がかかったものたちだけだと、思ってたんですよねー」
ネヴァクが苦笑いを深めながら言うと、アヴァンクヌギは心苦しそうな顔になる。
「他所の組合員を働かせて悪いとは思うがよ。お前さんだって、連中を好き勝手されたらいけないことだってわかるだろ?」
「下手に貴族の手に渡せば、闘争の具ですからね。いや、告死の乙女と知られたなら、戦争の種になりますね」
「渡界者やその従魔を軍事に関わらそうとする輩は、機会を狙っているからな。渡界者組合としちゃ、戦力を奪われることになるから、困りもんなんだ」
「俺も、マブロの鼻があれば偵察や夜間警備に人を割かなくても良くなると、血気盛んな軍人さんに勧誘を受けましたよ」
「お前さんも苦労しているようだな」
「まぁ、マブロの鼻がいいこともあって、魔遣いの集いでも雑用係みたいな用事を言いつけられることが多いのは事実ですよ」
苦笑いを交換してから、アヴァンクヌギは椅子の背もたれに体重を預けた。
「なんにせよ、もう少しの間だけ協力してくれ。報酬はキチンと出す」
「お願いします」
ネヴァクは一礼して去ろうとし、なにかを思い出したように振り返った。
「組合長さん。俺ができるのは、怪しい臭い――貴族や豪商連中が好んでつける香水と、その移り香の判別だけ。テフランくんたちの援護には回れないってこと、十分に承知しておいてくださいね」
「こちらの都合で働かせているのに、貧乏くじまでひかせたりしねえよ。町中はスルタリアの伝手の連中、迷宮内は腕利きの渡界者に見守らせている。問題が起きたら、すぐに対処できるようにな」
「それを聞いて安心しました」
ネヴァクは顔を前に戻すと、組合長室から去って行った。
扉が閉まった後、スルタリアがアヴァンクヌギに顔を向ける。
「見守らせているとはいえ、有力貴族などが来ようものなら、組合の権力では真っ当な手段で追い返すのは無理ですよ?」
「わかってるよ。そうなったときは、せめて俺らの目が届くところで、双方に集まってもらうしかねえだろう」
「……その際は、組合建物内ということになりますが、貴族を招くような部屋の用意はありませんよ」
「ふんっ。向こうが勝手に、下々の建物にやってくるんだ。内装をとやかく言われる筋合いはねえよ」
「まったくもう。相変わらず、貴族嫌いのままですか」
「うるせえ。ある程度に実力が上がった渡界者は、たびたびくる勧誘に辟易して貴族嫌いになるもんなんだよ」
「貴族は持てる戦力の個数が限られてますから、少しでも良い実力者が欲っすること自体は、仕方がないのですけど」
なにはともあれ、テフランという組合に利益を今後ももたらしてくれるであろう存在を守るために、アヴァンクヌギとスルタリアは執務をこなし続けるのだった。




