66話 少しの変化
幸いに、テフランは翌日には復調した。
先の風邪は体力と心的な疲労感から来たもので、一日寝て、その両方が回復すれば癒えてしまうのも当然のことだ。
少し遅い朝に、テフランが平調な顔で食卓に現れると、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは安堵し、そして嬉しそうな顔つきになる。
「もう、すっかりと良さそうですね。安心しました」
「表情に疲れが見えないどころか、気力が充実している。風邪とやらは、なくなったようだな」
「二人とも、心配かけて、あと昨日はキツイことを言って、ごめん」
「いえいえ、いいんですよ。体調が悪いと人は、機嫌が悪くなるか、甘えてくるものと聞きましたから。私としては、どうせなら甘えてくれた方が嬉しかったですけど」
「テフランは矜持が高いんだ。病気のときに甘えてくるよりかは、昨日の態度の方が、テフランらしい行いだろうに」
「……俺自身、甘え下手である自覚はあるよ」
テフランは微妙な愛想笑いをすると、食卓に着く。
ちょうどそのとき、テフランの寝室からスクーイヴァテディナがやってきた。
「おはよう」
「うん、おはよう。それとスヴァナ、昨日は一日中付き添ってくれて、ありがとう」
「平気。やりたかった、から」
スクーイヴァテディナは薄く笑う。
しかしそれは、うまく表情を動かせなかっただけの、内面からの喜びが滲み出ている嬉しそうな顔つきだ。
テフランも笑顔を返し、食卓の椅子を勧める。
どことなく仲良さそうに食卓に着いた二人を見て、ファルマヒデリアはアティミシレイヤと顔を見合わせた。
「なにやら、二人の間に絆ができた感じがしますよね」
「病気の最中、スクーイヴァテディナはテフランに寄り添い続けはしても、余計な手出しはしなかった。それが安心と信頼に繋がったのではないか?」
「添い寝でテフランから信頼を寄せられるのでしたら、私がやればよかったと悔やみます」
「……ファルマヒデリアがやっていたら、逆効果になっていたと思うのだが?」
部屋から追い出されたというのに、昨日の寝室の様子をよく把握しているようである。
テフランはそのことに気付いたものの、二人は告死の乙女だしと、気にしないことにした。
少しして、朝食が食卓に並べられた。
テフランの前には、柔らかく煮られた麦粥、葉野菜の漬物。そして、細かく挽いてから炒った肉が、少量だけ置かれている。
明らかな病人食に、空腹なテフランは面白くない顔をした。
「俺も、皆と同じ料理がいいんだけど」
ファルマヒデリアたちの前にあるのは、歯ごたえの強い硬いパン、根野菜とスジ肉のスープ、チーズが数種類。
育ち盛りのテフランにとって、病人食よりも、彼女たちの前にある朝食の方が魅力的だ。
しかし、ファルマヒデリアは首を横に振る。
「ダメです。病が明けてすぐの食事は、胃腸を回復させるために、病人食でなければいけないのだそうです。下手に常食を食べさせると、胃が引き攣れを起こしたり、体調が悪化して病気がぶり返すことがあるそうですから」
「ええー。それ、近所の奥さんにから聞いた話?」
「裏通りに住んでいる、薬師のお婆さんから聞いたお話です。腕がいいと評判の人なんですよ」
ファルマヒデリアの人付き合いの広さに、テフランは目を丸くしてから薬師の言葉ならと、しぶしぶ麦粥を食べ始めた。
ほのかな塩気があり、粥の粒を噛んでいけば甘味を感じて美味しい。
漬物を食べると食味が一層されて、次の一口も美味しく食べられる。
炒り肉を少量粥に振りかければ、肉らしい滋味が出てきて、味に飽きがこなくなる。
しかし、食べ盛りかつ病気明けのテフランにとっては、美味しくお腹は膨れるものの、満足感が薄い料理でしかない。
(お腹にズシッとくるぐらいの、食べ応えがあるものが食べたい……)
そんな気持ちからテフランは、三人が食べている野菜や肉がゴロゴロと入っているスープやチーズに、視線を向けてしまう。
しかし、ファルマヒデリアは笑顔で拒否の態度を示し、アティミシレイヤは見られていることに気付いていない様子を装おう。
テフランは恨みがましい目で二人を見てから、一縷の望みをかけてスクーイヴァテディナを見つめる。
スクーイヴァテディナはすぐに視線に気づき、テフランと目と目を合わせてくれた。
そしてじっと見つめたまま、言葉を放つ。
「あげない。テフランは、それ食べる」
にべもなく断られ、テフランはシュンとした顔で麦粥を食べ進める。
スクーイヴァテディナはその様子を見て、満足した様子。
ファルマヒデリアとアティミシレイヤは、スクーイヴァテディナがテフランの頼みを真っすぐに断ったことが、意外そうだった。
「昨日添い寝して、テフランと仲良くなったんですよね。どうして料理をあげないんですか?」
「美味しい料理を分けたくなかった、というわけではないだろ?」
二人の質問に、スクーイヴァテディナは心底不思議という表情になる。
「コレ、食べるの、テフランによくない」
そう言ったのはファルマヒデリアだろう、といった目をスクーイヴァテディナはする。
それを受けて、ファルマヒデリアはバツの悪い表情になる。
「その通りなんですけど。スクーイヴァテディナは、昨日テフランと仲良くなったじゃないですか。なら、絆されてあげちゃうんじゃないかなと思ったんですよ」
「?」
スクーイヴァテディナは、『テフランと仲良くなった』ことと『体に悪いという料理をあげる』という点が結びつかなくて、首を傾げる。
本気で理解してない姿に、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは不思議に思う。
「主に取り入るために、欲しているものを渡すこと自体は、従魔ならやって当たり前なんですけどね」
「スクーイヴァテディナは、我々のように告死の乙女としての事前知識がないため、その理に従うかと思ったのだがな」
二人が会話に夢中になっている横で、テフランは麦粥を食べ終えていた。
まだ食べ物が入る腹具合に、自然と調理場へ視線が向く。
他の三人が食べているものを欲しての行為だが、一つ失念していたことがあった。
(あー。魔法調理だから、料理ができる前は、混沌色の泥みたいなんだった)
テフランはがっくりと気を落として、木匙を口に咥える。
その十代半ばの青年にしては可愛らしい様子を、会話を終えて食事を再開しようとしていたファルマヒデリアは見て、笑みを浮かべてしまう。そして、つい甘やかしたくなった。
「お腹の調子は良さそうですし、お代わりを持ってきましょうか?」
「! うん、お願い!」
ぱっと華やいだ顔で頼まれて、ファルマヒデリアの相貌がより緩んでしまう。
テフランが喜んでくれるならと、焼いた肉の一つでも付けそうな様子である。
その顔を、スクーイヴァテディナがじっと見つめていた。
「体に悪いの、ダメ」
「うっ。わ、分かってます。お粥のお代わりだけですー」
図星を刺されて唇を尖らせつつ、ファルマヒデリアは調理場でお粥を魔法で作り始める。
その様子を見て、テフランはつい考えてしまう。
(あの様子なら、もっと強く言えば麦粥以外も出して貰えるかも――痛ッ?!)
考えの途中で頭を叩いてきた誰かに、テフランはふくれっ面を向ける。
席から腰を浮かせて、頭を叩くために手を伸ばしていたのは、スクーイヴァテディナだった。
意外な相手に、テフランの怒気が小さくなる。
「えっと、なんで叩いたの?」
「体に悪いの、ダメ」
言葉少なながら強固な口調で注意されて、テフランは咄嗟には二の句が継げなくなった。
数秒経って、ようやく言葉が結実できた。
「ご、ごめん」
「んっ」
分かればいいと、スクーイヴァテディナはあっさりと食事に戻った。
テフランは、もう痛くはない自分の頭を撫でつつ、ふと感じ取ったことがあった。
(スクーイヴァテディナは俺が嫌がることはしないし、こっちが本当に欲しいことはやってくれる。そして、俺のためにならないことだけは譲らないんだ)
そんな性格が不快かと疑問すると、テフランにはそうは思えなかった。
(本当にダメなことは止めてくれると信頼するなら、俺が無茶しても大丈夫な領域への指針が得られるってことだしね)
スクーイヴァテディナについて、一つ理解を深めたテフランは、やってきた麦粥のお代わりを手にする。
お腹に感じる満足感は相変わらず少ないものの、この料理もファルマヒデリアの親切心からのものだと改めて考えて、感謝しながら美味しくいただくことにしたのだった。




