65話 風邪の日
昨今多く来客がきたことで、日常生活が慌ただしくなり、テフランの心休まる時間が少なくなってきた。
それで休息の質が落ちたことに加えて、今まで通りに精力的に訓練と迷宮探索をしていたために体力が消費され続け、とうとうテフランは軽い風邪をひいてしまっていた。
熱っぽい頭での思考能力では、朝のアティミシレイヤとの訓練は危険なため、今日はは不参加となっている。
「あー、風邪だなんてー」
ファルマヒデリアが用意してくれた朝食を食べながら、テフランは自分の体調管理の失敗に歯噛みする。
この体調が悪さに、ファルマヒデリアとアティミシレイヤはとても心配した。
「テフラン、風邪ということですけど、大丈夫ですか? なにか欲しい物や、やって欲しいことなどありませんか?」
「テフランには治癒の魔法紋はないが、風邪というのをどうやって治すものなんだ?」
心配からずいずいと迫ってくる二人に、テフランは体調不良による心の余裕のなさから、ついぞんざいな口調になる。
「こんな風邪なんか、たくさん食べて一杯寝れば、一日で治るって。だから、詰め寄ってこないで」
「では、もっと料理を用意しますね! 消化に良い物のレシピを、近所の奥さまに聞いてきます!」
「寝て治すというのなら、寝床は清潔な方がいいだろう。シーツを洗いたてのものに変えてくる!」
バタバタと慌ただしく行動する二人に、テフランはため息を吐く。体温の上昇により、普段より熱っぽい吐息が出る。
(俺のためにいろいろやってくれることは、本来は嬉しいことなんだろうけど……)
テフランには、どうも実感がわかない。
テフランは幼い頃から父親が留守がちで一人だけの暮らしが長かったし、父親が失踪後に迷宮孤児となった。
そのため、風邪になったときに世話してくれる人がいないことが、いままでの普通だった。
だからこそ、風邪という弱った状態のときに、近くに誰かが居るということに少し負担を感じてしまう。
「胃に優しい料理を聞いてきました。いまから作ってあげますからね」
「ベッドのシーツを交換した。いつ寝ようと、寝心地はいいはずだ」
こうして喜んで甲斐甲斐しく動こうとする、ファルマヒデリアやアティミシレイヤの姿を見ると特にだ。
だからこそ、いまのテフランの心情では、様子を見つつも手を出してこないスクーイヴァテディナの態度の方が、好ましく映ってしまう。
(スクーイヴァテディナも、風邪という知識がないから、対応を学習中だってだけだろうけど……)
ついつい悪態に似たことを考えてしまい、自身の内心を誤魔化すために、テフランは苦笑いを浮かべる。
そして体調の悪さも考慮しつつ、吐かずに食べられる限界まで料理をお腹に詰め込んだ。
重たいお腹を抱えて、テフランはベッドに入り、掛布団をかけて目を瞑る。
しかし、突き刺さるような視線を感じて、寝るために閉じたはずの目を開けた。
「……ファルリアお母さんにアティさん。近寄り過ぎだから」
苦情の通りに、二人の顔はテフランの顔の至近距離に位置している。
「顔が赤くて、呼吸が苦しそうなので、ついつい心配して見てしまうんです」
「なにか用があればすぐ対応できるように、近くにいた方が良いはずだ」
「言い分は分かったけど、離れててよ。風邪が移るから」
「私たちは魔法紋で、毒や病原体を消すことができますから、風邪にはかからないんですよ」
「魔法で体力を強化するだけでも、病気にはならないのだ」
だからと離れようとしない二人に、テフランはつい苛立ちを覚えてしまう。
「いいから、離れてよ。むしろ、寝室から出てってくれないかな」
冷たい言葉に、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは愕然とした顔になる。
テフランにも悪いことをしているという自覚はあるが、病気による余裕のなさから、二人の心情を斟酌するよりも自分の気持ちを優先させてしまう。
「誰かに見られていると、安心して眠れないんだよ。だから出てって」
平坦な声ながら、有無を言わせない意思を感じさせる言葉。
ファルマヒデリアは唇を尖らせて不満そうに、アティミシレイヤは残念そうに目を伏せつつ、言葉に従って寝室から出ていった。
立ち去る後ろ姿に、テフランは罪悪感を抱いてしまう。
(ごめん、二人とも。風邪が治ったら、埋め合わせはするから)
静かになった部屋で、テフランは目を閉じる。
眠りに入ったとはいえ、確りと夜に睡眠をとり、朝の訓練もしなかったことで体力が減ってないため、眠気はまったくない。
それでも無理やりに寝ようとすると、テフランの意識は覚醒と眠りの間にあるような揺蕩った状態になる。
周囲の状況を音で判断できるが、認識がゆっくりで時間が早く過ぎる感覚があったり、ときどき意識が途切れたりする。
そんなあやふやな自意識の中で、テフランはふとした反応を得る。
薄目を開けると、目の前に誰かの胸元――服にある起伏が少ないことから、スクーイヴァテディナだと分かった。
「スヴァナ?」
テフランが少し苛立った声で呼びかけるが、掛布団の上に寝ている彼女からの反応はない。
不思議に思っていると、耳に寝息が聞こえてきた。
テフランが視線を移動させると、スクーイヴァテディナは目を瞑っていた。
(どうして一緒に寝ようとしているんだろう?)
テフランは疑問を抱く。
だがすぐに、スクーイヴァテディナが横に寝ているのに不愉快さがないことの方に、より意識を向けた。
(掛布団を隔てている上に、こっちの体に触れない位置で、静かに寝ているからかな)
添い寝というより、単に隣で寝ているだけな状態。
けれど、テフランの気持ちの上では、この距離が変に関わられたり放って置かれるよりも心地よく感じる。
スクーイヴァテディナのテフランに接触しないように勝手に静かに寝ている状態は、病気の時に人に構われたくない気持ちが強いテフランでも、忌避感が少なく済んでいる。
そのうえ、人間ならどうしても感じてしまう病気中の一人寝の寂しさを、この肌は触れずに体温は薄っすら感じる距離がある添い寝は癒してもくれている。
つまり、テフランはスクーイヴァテディナの『よそよそしさがある添い寝』を、あまり嫌だと感じなかった。
(こんな添い寝なら、安心して眠れるかな)
そんな感想を抱きつつ、テフランは再び目を瞑る。
掛け布団を通して感じるスクーイヴァテディナの体温に温められて、段々と眠気が強くなってきた。
その眠さに、テフランが気持ちを預けると、不思議なくらいにスッと眠りに落ちていった。
この後、テフランが喉の渇きを覚えて起きたり、昼食のために起きたりしたときも、スクーイヴァテディナは位置を変えずに寝ていた。
そのことが安心感を呼んだこともあり、この日二人はずっと並んで寝ることになる。
ファルマヒデリアとアティミシレイヤは悔しがるかと思いきや、テフランが一人で寝室で寝るよりは、スクーイヴァテディナが側にいてくれる方が安心できると、憂慮が消えた穏やかな表情で時間を過ごしていたのだった。
当作品の書籍版――
敵性最強種が俺にイチャラブしたがるお義母さんになったんですが?!
――をご購入いただいたとの報告、大変にありがとうございます。
これからも、楽しんでいただけたら幸いです。




