46話 防御訓練
ファルマヒデリアとアティミシレイヤの懸念を払拭した後、テフランは迷宮に泊りがけで入ることにした。
そして現れる魔物を斬り倒し、素材を回収していく。
その戦いぶりは、渡界者になって一年未満にしては堂に入ったもので、ファルマヒデリアも安心から笑顔で観戦していたほどだった。
しかし、アティミシレイヤはその戦い方を腕組みして見ていて、なにかを考えている様子である。
十何度目かの戦闘の後に野営の準備に入ったとき、アティミシレイヤはテフランに近寄った。
「テフランには、今までより困難な戦闘訓練を課さなければいけないと判断した」
「……なんだよ、突然に。まあ、難しい稽古をつけてくれるっていうのは、願ったり叶ったりだけどさ」
テフランは眉を寄せつつも、詳しい理由を話せと、アティミシレイヤに身振りした。
「話は単純。いま、この迷宮に件の告死の乙女がいるのは間違いがない。その相手に出くわしたときのために、テフランにはより強くなってもらう必要がある」
「アティさんやファルリアお母さんに全部任せる気はなかったから、望むところだよ」
テフランがあっさりと頷くと、アティミシレイヤはより深刻そうな顔つきに変わる。
「気楽に構えてもらっては困る。これは、とても重要なことなんだ」
意味が分からずに首を傾げるテフランに、アティミシレイヤはより詳しい説明を行う。
「迷宮に入ってからずっと、件の告死の乙女がどんな手段をとってくるかを考え続けた。仮に相手が殲滅戦の得手だと考えても、単独では同種が二人いるこちらの方が有利なのは間違いない」
「家で話した通りだね。だから、心配する必要はないって結論が出たでしょ?」
「そこが問題なのだ。こんな分かり切った理屈を、主がないために自意識がないとはいえ、告死の乙女たる者が考え逃すはずがない」
「つまりアティさんは、その戦力差を見越した上での作戦を、相手がとってくるはずだと考えたわけだ」
「その通り。そして、逆の立場に置かれた場合、私がどういう作戦を選ぶかを考察してみた」
一度言葉を区切ると、アティミシレイヤはテフランを指す。
「件の告死の乙女の目的は、我ら告死の乙女二人を打倒ではなく、テフランを殺めることだろう。なにせ、テフランが死んでしまえば、我々は人間に加担する意味を失うのだから」
「ということは、戦闘になったとき、例の告死の乙女はアティさんたちを無視して、俺をひたすらに狙ってくると?」
「あくまで、私ならそうする、という話だ。だが、そうしてくる可能性は高いはずだ」
戦闘型の告死の乙女としての自負を滲ませる発言に、テフランは難しい顔つきになる。
「どうやっても俺だけを狙ってくるはずだから、その際にあっさり殺されないように、アティさんは鍛えようとしてくれているわけだね」
「テフランが攻撃を防いで時間を稼いでくれれば、こちらが件の告死の乙女を止める機会も増えることに繋がる」
話を理解したテフランは、野営の準備を整えてすぐに、アティミシレイヤと訓練を始めた。
いままでは、テフランが攻撃し、アティミシレイヤが防御するばかりだった。
しかし、テフランの防御力を高める必要があるため、今回からはアティミシレイヤが攻撃側、テフランが防御側の訓練に変わる。
テフランは剣を油断なく構え、アティミシレイヤは手甲をはめた手を顔の位置まで引き上げた。
「よし、こい!」
「では、まず軽くいく」
アティミシレイヤは無造作に歩いて、腕が届く距離まで近づく。
その瞬間、右腕が残像を残す速さで繰り出された。
動体視力で辛うじて見えたテフランは、咄嗟に剣で防ぐ。
金属同士が打ち合う音が響き、剣を握った手に痺れが走った。
「ぐっ――これが、軽くだって!?」
「もちろん、テフランが対応できるギリギリまで、威力と速度を落としている」
アティミシレイヤは言葉を紡ぎながら、もう一度拳を繰り出してくる。
テフランは慌てて剣で防ぐが、連続して放たれた次の拳が鎧をまとった胴体に当てられてしまった。
殴られた衝撃で下がりながら、テフランは負けじと構えなおす。
そこに、アティミシレイヤの助言が飛んできた。
「鎧も立派な防具だ。無理に剣だけで防ごうとしなくていい。ただし、連続して食らうのは避け、食らったときも体勢を崩さないように注意が必要だ」
「言い分は分かるけど、さッ! これより強い力で殴られたら、体勢を保つのはキツイ――ぐふっ」
連続して放たれる拳に、テフランは剣での防御が間に合わないと判断して、鎧で拳を受ける判断をした。
殴られた衝撃で呼吸が一瞬止まり、それにつられて動作も止まってしまう。
アティミシレイヤはその隙を見逃さずに拳を繰り出し、テフランの鼻先の皮に振れる位置で腕を止めた。
「鎧で防御する際、受ける場所によっては致命的な隙が生まれてしまう。留意するように」
「そうか。衝撃を逃すような体移動が必要なんだ……。よし、もう一度お願い!」
テフランはもう一度構えなおし、アティミシレイヤの繰り出す拳を、剣と鎧で防御していく。
しかし、一朝一夕で身につくはずもなく、さんざん鎧の上から叩かれてしまう結果になった。
ファルマヒデリアは、二人の訓練の様子を横で見ながら、近寄ってくる魔物の対処をしていた。
しかし、胴体を何度も殴られたことで、テフランの顔色が悪くなってきたのを見て取って、訓練を中止させるために割って入る。
「そこまでです。これ以上やっても、テフランの体調が悪化するだけで、防御力が身につくとは思えません」
横から入ってきたファルマヒデリアがアティミシレイヤの拳を受け止めた姿に、テフランは面白くない顔つきになる。
「ファルリアお母さん、割って入ってこないでよ。この訓練は必要なことなんだから」
「テフランは男の子ですから、意地を張る気持ちはわかります。ですが、訓練とは意地でやるものではありませんよ」
柔らかくは言いつつも、ファルマヒデリアはきっぱりとテフランの意見を却下してみせた。
その様子に、アティミシレイヤは困惑顔になる。
「念のために言っておくが、これはテフランを虐めているのではないからな」
「そんなことわかってます。ですが、これ以上は見過ごせません」
「体を殴られて呼吸がままならないときに、防御する訓練も必要だと思うが?」
「そんな訓練は、もう少しテフランが防御し慣れた後にすればいいことです。急ぐ必要なないと思います」
冷静な表情で、目と目で見つめ合いながら、意見を戦わせる二人。
静かな睨み合いは、アティミシレイヤが折れる形で決着となる。
「急いては事を仕損じると言うな。では、テフランの体調が回復してから、続きをすることにしよう」
「分かってくれたようで、安心しました。ほら、テフラン。休憩しましょう」
笑顔で勧められて、テフランは渋々と地面に腰を下ろす。
そうして緊張が解けたためか、殴られ続けた胴体が急に重くなった気がした。
加えて、衝撃で揺さぶられた内臓が少し変調を起こし、軽い気持ち悪さがこみあげてくる。
吐くほどではないものの、喉に酸っぱさを感じたテフランの顔色が、やや青ざめてしまう。
その様子を心配して、ファルマヒデリアは木の器に水を入れて差し出してきた。
「ほら、テフラン。ゆっくりと、一口ずつ飲んでください。気持ちが落ち着きますから」
「うん。んっ、んっ……」
言われた通りに、ゆっくりと水を飲んでいくと、口から喉にかけてあった酸っぱさが取り払われた。
そして、水の冷たさが内臓の変調に効いたのか、気持ち悪さも落ち着いてきた。
テフランが一心地ついたところで、その頭をファルマヒデリアに抱き寄せられてしまう。
服越しではあるものの、豊かで柔らかい乳房の間に押し込められて、テフランの血圧が上昇する。
急激な血圧の変化によって、内臓の変調が復活し、気持ち悪さも戻ってきてしまった。
そのことに抗議しようとテフランが口を開こうとして、ファルマヒデリアの手が優しい動きで、抱いている頭を撫で始める。
「体の力を抜いて、こちらに体重を預けてください。お腹の力を緩めれば、そのぶんだけ気持ち悪さが和らぎますから」
からかうためではなく、癒そうとしてくれている仕草。
それを受けて、テフランは抗議することを止めた。
そして心をどうにか落ち着けつつ、言われた通りにファルマヒデリアに力を抜いた体を預ける。
女性特有の柔らかな肉体の感触、頭を包み込んでくる匂い、眠気を誘うほど心地のいい撫で方。
テフランがその全てに身を任せると、妙な安心感が胸の中に生まれ、段々と気分が良くなってきた。
(泣いていた迷子が、駆け寄ってきた母親に抱きしめられると、すぐに泣きやんでしまう気持ちが分かるな……)
そんな感想を抱きながら身を任せていても、テフランの心にはどこか気恥ずかしさがある。
そのため、完全に復調したと判断した瞬間、テフランはファルマヒデリアの抱擁から脱出した。
「よしっ。体調は戻ったから、アティさん、訓練しよう」
「その意気だ、テフラン。だが、次に気持ちが悪くなったときは、ファルマヒデリアではなくこちらに頼んで欲しい」
「なに変な対抗心燃やしてるのさ」
テフランは苦笑いしながら、アティミシレイヤとの訓練を再開させた。
しかし、なぜだか先ほどより、迫る拳の速さが上がっている。
テフランは必至で剣で受けたり逸らしたりするが、すぐに限界に達し、鎧で受ける決断をした。
だが、当たった拳の威力は想定以上で、予想外の衝撃が胴体を貫く。
「うげっ――」
「すまない。少し良いものが入ってしまったようだ」
アティミシレイヤは言い訳しつつ、頬をやや赤くしながら、倒れそうなテフランを抱きしめる。
その表情が赤面しつつも嬉しそうに緩んでいるのを見て、テフランは苦痛に歪む顔に苦笑いを浮かべた。
(よっぽど、ファルマヒデリアが俺を介抱していたのが羨ましかったんだろうな……)
そんなことを思いつつ、テフランは身もだえしながら、アティミシレイヤに体を預けるのであった。




