44話 懸念
テフランが目を覚ますと、隣に寝ているファルマヒデリアの姿が目に入った。
絶世の美人のあどけない寝顔が間近にあることに、テフランの心臓が高鳴りを起こす。
(って、昨日と同じ状況か……)
ファルマヒデリアに抱きかかえられている状態から、テフランは脱しようとする。
しかし、今日もまた叶わなかった。
そうこうしている内に、ファルマヒデリアが起きた。
「うーん……おはようございます、テフラン。もう少しだけ、抱き着かせてください~」
さらに腕の中に抱き寄せられたテフランは、ファルマヒデリアの乳房が柔らかく形を変える感触を感じて赤面しつつ、ゆっくりと手を伸ばす。
そして、ファルマヒデリアの鼻をつまんだ。
二秒、三秒と経った頃に「ふごっ」と、美女には似つかわしくない音が聞こえてきた。
「テフラン、なにするんですかー」
くぐもった声での抗議を受けて、テフランは半目を向ける。
「ファルリアお母さん。なに、昨日の二の舞を演じようとしているんだよ。ほら、訓練に出るんだから、放して」
「ええー、いいじゃないですかー」
ファルマヒデリアのぐずる様子に、テフランの勘が働いた。
「もしかして、また俺を迷宮に入らせないようにする企みをしているんじゃないよね」
「さあ、なんのことだか、わかりません」
ファルマヒデリアの笑顔での否定。
しかしテフランは、その表情に嘘の臭いを感じ取った。
「昨日のことを考えると、アティさんもグルなんでしょ、まったく」
「……バレてしまいましたか」
ファルマヒデリアは観念したように呟くと、あっさりと抱き着いていた腕を解いた。
テフランは憮然とした態度でベッドから出ると、剣を片手に家の庭へと向かう。
そこでは、汗を滴らせているアティミシレイヤがいて、非情にゆっくりとした動きで、攻撃動作を行っていた。
じれったくなるほどの遅さで、突きの腕が伸びきったところで、アティミシレイヤは立っているテフランに顔を向ける。
「どうやら、昨日上手くいったのは偶然だったらしいな」
「……どうしてこんなことをしたか、説明してくれるんだよね?」
「もちろんだ。小手先の誤魔化しなど、長々とは続けられないと、我々だって分かっていたのだから」
アティミシレイヤは薪割り台の上に置いていた手ぬぐいを取ると、汗を拭いながら、テフランを家の中へと誘う。
「俺は、訓練したいんだけど」
「まあ、待ってくれ。こちらに不信感を抱いたままでは、素直に訓練は受け入れられないだろう?」
「むっ。まあ、そうだけどさ」
テフランはやり込められているような気がして、面白くない。
そんな気持ちを見透かされたようで、アティミシレイヤは苦笑いしている。
ちょうどそのとき、寝室からファルマヒデリアが普段着に着替えて出てきた。
告死の乙女の二人は視線で意思を交換し合うと、テフランを伴って食卓の席につく。
「さて、我々がテフランを迷宮に行かせないようにしていた理由だが」
「実は、ちょっと困った事態になっているようなんです」
そんな切り出しの後で、二人がなにを懸念しているかが、テフランに伝えられた。
「告死の乙女を殺した人物を殺しににくる、告死の乙女だって?」
にわかには信じがたい話に、テフランは眉を潜めている。
一方で、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは真剣な顔つきだ。
「間違いありません。魔物の怯えようからいって、もうすでに迷宮内を闊歩しているはずです」
「そいつの狙いは、間違いなく『我々三人』だ」
アティミシレイヤの主張に、テフランは目を丸くする。
「三人って、その告死の乙女の狙いは、俺だけじゃないの?」
「いえ。標的が従えている告死の乙女も、抹殺対象になっています」
「なにせ、我々が先導すれば、迷宮など最下地域まで到達は容易いのだ。告死の乙女の本来の役割を考えたら、従魔となった告死の乙女は排除するべき相手となる」
「二人を殺しにくるってことは、その告死の乙女は二人より強いってことだよね?」
当然の結論による質問だったが、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは何とも言い難い表情をする。
「それがその、実は私たちにもわからないんです」
「件の告死の乙女の出現は前代未聞で、我々の知識の中にある情報では、今回が初となる」
「ですので、本当に私たちよりも強いのかや、どんな型の告死の乙女かもわからないんです」
「……それじゃあ、二人よりも弱い可能性もあるってこと?」
ファルマヒデリアとアティミシレイヤは、同時に頷く。
その姿を見て、テフランは知らずに入っていた肩の力を抜いた。
「なんだよ。警戒して損しているような話じゃないか」
不確定の話で、迷宮に挑めなくされたことに対して、テフランは不満を抱く。
しかしすぐに、ファルマヒデリアから注意が飛んできた。
「テフラン、甘く見てはダメです。海のものとも山のものとも分からない相手だからこそ、最大級の警戒が必要なんです」
「いや、そのことは良く分かっているよ。戦いになりそう相手を知らないってことは、怖いことだってね」
そう忠告を受け入れつつも、テフランは気を抜いている。
ファルマヒデリアとアティミシレイヤが咎める視線を向けるも、その態度は変わらない。
なにせ、テフランには確信めいた考えがあるのだから。
「その告死の乙女ってさ、一個体としては二人よりも強いんでしょ。でも、ファルリアお母さんとアティさん――万能型と近接戦闘型の二人がかりでも、倒せない相手なの?」
テフランの言葉に、二人はハッとした顔になる。
その表情を見て、テフランは口元に笑みを浮かべた。
「二対一の状況なら、倒せるんじゃない?」
「そう言われてみると、その公算が高いですね」
「告死の乙女の力量は型によってまちまちではあるが、二個体分の力量を一個体に詰めこんで作ることは、設計上不可能なはず。我々の二人がかりなら、どんな告死の乙女が来ようと倒せなくはない」
「どうして、そんな簡単な理屈を思いつかなかったんでしょう?」
ファルマヒデリアとアティミシレイヤはお互いに顔を見合わせると、小首を傾げて不思議そうにする。
これで、テフランは問題がなくなったと判断した。
「さてじゃあ、俺を迷宮に行かせない理由は消えたことだし。早速、迷宮にいく準備をしよう」
テフランは食卓の席を立つと、自室に装備を取りに向かう。
その間にも、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは首を傾げたままだ。
そして議論に入った。
「なにか、考慮に入れてない気がするんですよね……」
「可能性として考えられるのは、告死の乙女が数体で協調して襲ってくることだが」
「それは、ありえません。主なしの告死の乙女が、他の個体と協力関係を作れると思いますか?」
「学習次第ではできないこともないが――いや、別々に動いた方が、効率的に索敵と戦闘を行えると判断するか」
「なにせ私たちは、協調性は組み込まれないで生まれますからね。人間たちのように、見ず知らずの相手と協力すると考えるはずがないんですよね」
「最強種で敵なしで協調する必要がないからな。別の個体は別の存在と考えてしまう、独立独歩な思考形態だものな」
可能性の一つを消してから、次の可能性の議論に移る。
「となると、武器を持って生み出される、という可能性はどうだ?」
「それはあり得ますが、武器のあるなしで、二対一の人数差を埋められますか?」
「……無理だと、この身が戦闘型だからこそわかる。武器に魔法紋が刻まれてようと、戦闘型の脅威度は素手のときと大差ないはずだ」
「素手であろうと、戦闘型ならどんなものでも壊せますものね。むしろ、武器の扱いを学習しないといけない分だけ、弱くなっている感じすらあります」
二人は首を傾げ続け、自分たちが考慮していない可能性を探り続ける。
しかし、彼女たちは気づいていなかった。その考察がどれだけ意味のないものなのかを。
二人が事前に語っていた通りに、相手は『どんな型の告死の乙女かもわからない』。
そんなわかっていないものを、見知っているモノで代用して考えようと、真実に近づくことはできても暴くことまでは至られない。
そのことを二人は、自意識を獲得して数十日という人生経験の浅さから自覚できないまま、無情にも時は過ぎてしまうのだった。




