41話 朝遅くに
結局テフランは、朝遅くにベッドから起きることになった。
すっかり、お腹はぺこぺこである。
「ううぅ、お腹が鳴りやまない」
空腹の辛い感じで顔をしかめながら、テフランは食卓の席につく。
一方、少し遅れて寝室から出てきたファルマヒデリアは、有頂天なまでに幸せそうな表情をしている。
「では、張り切って朝食を作りますね」
心が弾んでいる様子が擬音で聞こえてきそうな調子で、ファルマヒデリアは料理を開始する。
全身に魔法紋が浮かびあがり、調理台に乗せられていた食材が、泥に変わったかのように形を失った。
その泥のようなものは一塊に集まり、香辛料や調味料を飲み込むと、まるで体操をしているかのようにグネグネと形を変える。
一般人なら正気を疑う奇妙な光景だが、テフランは違う。
テフランが感じているのは、あの泥からどんな美味しい料理が出来上がるかを楽しみにしている感情だった。
(この怪しい光景にも、すっかり慣れちゃったな)
テフランがお腹に手を当てて料理が出来上がるのを待っていると、アティミシレイヤが玄関から入ってきた。
珍しいことに、湯気が立ち上りそうなほど、体に大汗をかいている。
アティミシレイヤはその汗を手ぬぐいで拭きながら、食卓に座るテフランに目を向け、そして微笑んだ。
「おはよう、テフラン。朝はゆっくりと眠れたか?」
「ゆっくりとじゃなくて、だらだらと寝ていたよ。お陰で、お腹が減り過ぎて辛い」
「ふふっ。お腹が減っているのはこちらもだから、一緒だな」
アティミシレイヤは汗を拭きながら、別の椅子に座る。
その際、彼女の少し甘く感じる体臭が漂ってきて、つい上気した肌に目を向けてしまう。
溌剌とした健康美を湛える肉体には、躍動感の名残のような、生き生きとした力強さが見えた。
それはアティミシレイヤの女性的な魅力と合わさり、少し強く呼吸する口元、上下するハリの強い乳房、へこんでは膨らむ腹部にエロスを醸し出している。
ファルマヒデリアとはまた違ったその魅力に、テフランは妙に目を引き付けられ、ドギマキしてしまう。
つい抱いてしまった邪な感情を誤魔化すため、アティミシレイヤに質問をする。
「アティさんは、どうしてそんなに汗をかいているんだよ。俺との訓練じゃ、汗一つかいたことないでしょ」
感情かくしを含めて、少し不満げに言葉を放つ、テフラン。
それに対して、アティミシレイヤは苦笑いした。
「汗ばかりは、嘘ではかけないものだ、許して欲しい。いや待て、魔法紋を使えば、どうにかできるのか?」
「訓練の最中に、偽装で汗をかいて欲しいってことじゃないよ。どうしてそんなに汗だくなのかを、聞いているんだよ」
「ああ、そういうことか。すまない。この汗は単純に、自己鍛錬の結果だ」
「鍛錬だけで、そんなに大汗をかくんだ?」
テフランがどんな激しい運動をしていたのかと想像しようとして、アティミシレイヤの苦笑いの度合いが強まった。
「全力でゆっくりと動く鍛錬をすると、こうなってしまうんだ」
「……全力を出して、遅く動作する意味が分からないんだけど?」
「これは意外といい訓練だぞ。体軸のブレや、各部の連動を再検討できる」
テフランはアティミシレイヤが言った意味が半分も分からなかったが、とりあえずすごい鍛錬なのだと納得した。
「そんな鍛錬は前はやってなかったのに、いきなりどうしたの?」
「うむ、それはだな――」
アティミシレイヤは質問に答えかけ、失態に気付いたような表情になる。
そして声を発しないまま、助けを求める目を横に向けた。
その視線の先には、大皿や深皿を両手に満載したアティミシレイヤの姿がある。
「お話はそれぐらいにして、料理が温かいうちに食べてしまってくださいね」
どんどんと食卓に置かれる料理の数々。朝食にしては、かなりの量があった。
テフランは目の前のご馳走を見たことと、漂ってきた匂いに空腹が刺激され、アティミシレイヤの訓練のことなど、どうでもよくなった。
「それじゃあ早速、食べるから!」
宣言と同時に、分厚く焼かれた肉の塊にナイフとフォークを突き立てる。
大きく切り分け、大口を開けて噛みつき、頬を大きく膨らませながら咀嚼していく。
染み出てくる肉の味に頬を緩ませながら、パンや付け合わせの野菜をさらに口に押し込んでいく。
上品とは言えない食べ方だが、その食べっぷりをファルマヒデリアとアティミシレイヤは微笑ましそうに見ている。
「テフランの口に合ったようで、よかったです」
「急いで食べて喉に詰まらさせないように、コップに水を入れてあげよう」
豪快に食べ進めるテフランを世話しながら、二人も朝食を取っていく。
やがて、テフランは大半の料理を食べ、そして膨れたお腹を撫でさすって苦しそうにする。
「ううぅ、空腹だったし、料理がすごく美味しいからって、たくさん食べすぎた……」
「あらあら、大変です。この様子では、食休みをしないといけませんね」
「膨れたお腹で戦闘を行うのは危険だ。動きは緩慢になるし、激しく動きすぎれば吐くかもしれないからな」
ファルマヒデリアとアティミシレイヤの言葉に、テフランは半目を向ける。
「この美味しい料理も、なにか企みがあったんでしょ」
「はい。美味しい料理は、テフランの体を作るのに必須ですから」
「よく食べ、よく休むことは、重要だ」
ファルマヒデリアは普段通りだが、アティミシレイヤの目は横へ泳いでいた。
二人のその様子を見て、テフランはある理由を思いついた。
(なんだか、俺を訓練――いや、戦いから遠ざけようとしているのか?)
テフランはそう考えついたものの、二人がこんな行動を起こそうと考えた切っ掛けが分からなかった。
考え込むテフランに、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは目くばせを行う。
そして、アティミシレイヤがテフランの腕を取り、席から立たせた。
「テフラン。膨れた腹ごなしに、この町を散歩しよう」
「えっ。なんだよ、突然」
「テフランと二人だけで行動することはなかったと、ふと思い至ったのだ。それで、あれだ。で、デートというやつをしよう」
アティミシレイヤは言いながら頬を染め、恥ずかしそうに視線を逸らす。
不意の可愛らしい仕草とデートという言葉に、テフランも思わず胸がときめき、顔を赤くしてしまう。
二人してモジモジとした空気を纏っていると、横からファルマヒデリアが割って入ってきた。
「それはいい考えです。ささ、二人とも、出かける用意をしないといけませんよ。留守番は私に任せてください」
ファルマヒデリアに背中を押されて、テフランは自室にある剣を取りに向かう。
その中で、ちょっとした違和感を感じ取っていた。
(なんか、二人で仕組んでいる気がするんだよなぁ)
どういう理由でデートを申し込んできたかと悩みつつも、テフランは腰に剣を装備する。
そして、頬を染めて玄関で待っていたアティミシレイヤに合流した。
(疑問はあるにせよ、このデートは俺のためってことは間違いないはずだし、楽しもうかな)
考えを切り替えて、テフランはアティミシレイヤに向き直る。
「それじゃあ、行こうか。どこか行きたい場所とかある?」
「いや、テフランに任せる。ファルマヒデリアと違い、周辺地理に明るくない」
「わかった。なら、ぶらぶらと散歩しようか」
テフランはアティミシレイヤと並んで歩きだす。
道行く人の間を進む二人の後ろ姿を、ファルマヒデリアは見送ると、家の中へと戻っていった。




