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40話 ある日の朝

 テフランが目を覚ますと、隣に寝ているファルマヒデリアの姿が目に入った。

 絶世の美人のあどけない寝顔が間近にあることに、テフランの心臓が高鳴りを起こす。

 しかし、何十日も共に暮らせば、その美人っぷりにも慣れてしまうものだ。

 テフランの鼓動はすぐに平静を取り戻す。

 そして、抱き着いてきているファルマヒデリアの腕から、脱出を試みる。

 この際、ファルマヒデリアの腕の滑らかかつ女性らしい柔らかさや、体に押し当てられている豊かな乳房の感触を極力気にしないようにすることが、テフランにとってのコツだった。

 大抵このとき、ファルマヒデリアは気付いて起き、朝の素振りに向かうテフランを腕の中から逃してくれる。

 だが、今日に限って、テフランを抱く腕の拘束が外れない。

 

「あれ、おかしいな……よっ、っと」


 小声で呟きつつ、テフランはほんの少し力を込めて、ファルマヒデリアの腕を手で押しのけようとする。

 しかし、拘束は外れない。

 二度、三度と試すが、外れる気配がまったくない。

 テフランは困り、次の手段に移った。

 体にかかっている毛布の中で、テフランの手が移動し、ファルマヒデリアの肩を掴んだ。

 その際、ファルマヒデリアの豊かな乳房の感触が、移動した手のひらの上、そして腕に感じられる。

 テフランは顔が赤くなっていることを自覚しながら、ファルマヒデリアの肩をゆする。


「ファルリアお母さん。ちょっと、起きて」


 揺するたびにファルマヒデリアの体が揺れ、それと共にテフランの腕に感じる乳房の感触が強まったり弱まったりする。

 テフランは意識しないようにしながら、さらに体をゆすっていく。

 揺すられる体の影響で、テフランたちにかかっている毛布がずれると、ファルマヒデリアの首元が覗いた。

 薄布の寝間着から透けて見える体の輪郭と、胸の谷間。

 青少年の劣情をかき乱すその艶姿を、テフランは極力目にしないように視線を逸らす。


「ファルリアお母さん、起きてって」


 揺さぶられた感情の分だけ、テフランの揺する手つきが強くなる。

 すると、ファルマヒデリアの目が薄っすらと開いた。


「うーん……おはようございます、テフラン」


 ぽやぽやっとした眠気交じりの声に、テフランは少し安心した。


「腕を退かしてよ。これじゃあ、朝の訓練に出られない」

「くんれん? あー、アティミシレイヤとの朝のお遊びのことですね~」


 間延びした声で言われた内容に、テフランはムッとした。


「遊びじゃないから。真剣にやっているからね」

「わかってますよー。でも、もう少しだけ、抱き着きさせてください」


 ファルマヒデリアは、テフランをさらに腕の中に抱き寄せる。

 テフランの胸板に押し付けられて、ファルマヒデリアの乳房が柔らかく形を変える。

 二人を隔てる衣服越しに、乳房が包み込もうとしてくる柔らかさと、その頂点にある硬い部分の感触が伝わってきた。

 テフランの血圧が一気に上昇し、ここ最近で一番に赤面してしまう。


「ちょっと、止めってって!」

「うるさいですー。えいっ」

「むぐぅう!?」


 暴れて逃げようとしたテフランの頭を、ファルマヒデリアは優しく掴み、そして自分の谷間へ押し付けた。

 柔肉に埋まった鼻先から、柑橘類のような香りが入ってくる。

 良い匂いと呼べるものだったが、それはテフランの脳を直撃し、潜む獣性に揺れ動かす働きを起こした。

 普通の男性ならば、巻き起こった男性本能に支配され、目の前の美女に襲い掛かることだろう。

 しかし、テフランは女性に免疫が薄いこともあり、そこまでの境地には至れない。

 それどころか、自身の生命が危機であるかのように、男性なら埋まりたいと望むはずの柔肉の檻から脱出しようとすらしている。


「むうううう~~!」


 渾身の力で押し返すことで、テフランはどうにか乳房の谷間から顔を上げることに成功した。


「ファルリアお母さん。いい加減にしてよ!」

「……むぅ~~。怒らなくてもいいじゃないですかー」


 甘える口調で唇を尖らし、ファルマヒデリアは不満を訴えた。

 世の男性なら誰もが許してしまいそうな表情だが、テフランは赤ら顔ながらもジト目を向けている。


「そういうのは良いから。ほら、放してって」

「ダメですー。テフランはもうちょっとだけ、わたくしと一緒に寝てるんですー」


 いつになくワガママな様子に、テフランは腹を立てそうになり、続いて心配になった。


「ファルリアお母さん。もしかして、風邪ひいてたりする?」


 テフランは毛布の中から手を伸ばして、ファルマヒデリアの額に手を当てる。

 その行為に、ファルマヒデリアは驚いた顔をして、そして微笑んだ。


「告死の乙女は、特に私のような万能型は、毒にも病気にもなりません。安心してください」

「そうなんだ。それじゃあなんで、今日はそんなに甘えん坊なのさ」

「それはその……」


 ファルマヒデリアは理由を話したくないようで、テフランの真っ直ぐな視線から目を逸らした。

 ここで強気に追求することもできたはずだが、テフランはため息を吐き出す。


「理由を話したくないならいいよ。でも、俺とまだ一緒に寝ていたいなら、後でアティさんに一緒に謝ってよ。ぜったい、朝の訓練をすっぽかされたって怒るはずだからさ」


 テフランが妥協してくれたことに、ファルマヒデリアは満面の笑みを浮かべた。


「それはもちろんです。でも、きっと怒らないと思いますから、気にしなくてもいいですよ」


 その言葉は、きっとテフランの気持ちを軽くしようとしてのものだったのだろう。

 しかし、不用意な発言でもあった。


「それって、ファルリアお母さんが俺にこうすることを、アティさんは知っていたってことだよね?」

「え、えっとー」

「……いいよ、もう。二人が示し合わせているってことは、ベッドに寝ている方が俺のためになるってことなんでしょ」


 テフランの二人を信頼しての言葉に、ファルマヒデリアは罪悪感を抱いた顔つきになる。

 しかしそれは一瞬だけのことで、すぐに微笑みで上書きされた。


「その通りです。あの『もどき』たちとの戦闘は、テフランに心の傷として残っている様子なので、気持ちの整理をつける時間が必要だと判断したんです」

「俺自身では、折り合いはちゃんとついていると思っているんだけど」

「意外と、心の傷は外から見ている人の方が分かることもあるんです」

「そういうものかなぁ」


 テフランは少し納得がいかない気分はありつつも、でも指摘を受けて、どこか『人間を殺した罪悪感』が残っているような気持ちにもなった。


(人造勇者たちを倒して、すぐに迷宮に入ったのは、無意識的にその自覚をしないようにしてたとかかな……)


 自分の行動を振り返りつつ、テフランは完全にベッドに体重を預けた。

 ベッドから出ようとする素振りがなくなったことが嬉しいのか、ファルマヒデリアはテフランの首筋に鼻先を押し付けて甘えてくる。


「こうして、朝のんびりするのも、たまにはいいですよね」

「それは同意するけど、あまり遅くまで寝ているのもなー」

「なにか、問題がありますか?」

「そりゃあるよ。だって、朝ごはん食べられないと、お腹が空いたままでしょ」


 テフランの発言を後押しするように、彼のお腹が「くぅ~」っと鳴った。

 その可愛らしい主張が微笑ましいのか、ファルマヒデリアは笑う。


「ふふっ。たしかにその通りですね。でも、今日はそのままお腹を空かせたまま、ベッドに一緒にいてください」

「分かっているけど、我慢の限界がきたら、その限りじゃないよ」

「もちろんです。テフランのお腹がぐーぐー鳴きやまないようなら、私だってこうしてワガママは言っていませんよ」

「本当かなあ。なんだか、今日のファルリアお母さんは、いつもと違う感じだし」

「違っていると思うなら、普段の私と、いまの私、どちらがテフランの好みですか?」

「ファルリアお母さんは、どっちだってファルリアお母さんだから、どっちが良いかなんて考えるの意味がないんじゃないかな」


 玉虫色のような答えだが、テフランは本心から言っていた。

 そのことが通じたようで、ファルマヒデリアは嫌そうな顔をするどころか、自分の全てが受け入れられたことに感動したような表情になる。

 そして、さらにテフランに甘えるように、抱き着いてきた。


「もう、テフランは嬉しいことしか言ってくれませんね」


 腕で抱き寄せ、体を押し付け、さらには足まで絡みつかせてくる。

 全身でファルマヒデリアの体温を感じる羽目になり、テフランは赤面して身をよじる。


「ちょっと、あんまりくっついてこないでって。その、落ち着かないからさ」

「これでも十分に我慢しているんです。テフランも我慢してください」

「……興味本位で聞くけど。我慢しなかったら、どんなことをする気?」

「そうですねえ。まずは、テフランにこの体の全てを知ってもらえるように、覆いかぶさりますね」


 ついテフランは、ファルマヒデリアに圧し掛かられる想像をしてしまい、不意に強まった性欲から生唾を飲み込んでしまう。

 しかし、実行に移して欲しいとは、決して思わなかった。

 女性への免疫の低さから、そんなことを実際にされたら、気絶してしまうと悟ったからだ。


「分かっているとは思うけど、それは止めてよ」

「やりませんよ。だって、女性から覆いかぶさるなんて、はしたないにもほどがあります」

「……それって、俺からやって欲しいって言葉に聞こえるんだけど」

「ふふっ。テフランがしてくれるのでしたら、喜んで受け入れますよ」


 ファルマヒデリアの余裕の笑み。

 ここまでの一連の出来事で、テフランは気疲れしてしまい、返事をするのも億劫になってしまった。

 ベッドの上で目を瞑り、二度寝に入ろうとする。

 しかし、ファルマヒデリアが押し付けてくる体の感触と体温に、眠れる気は一切しないのであった。

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