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3話 食堂と装備と

 気絶から復帰したテフランは、遅い朝の時間帯に外を歩きつつ、赤い頬をした顔に不機嫌な表情を張り付けていた。

 女性の胸の内に収まったという経験のない刺激で気絶したことと、いま後ろをついて歩いているファルマルヒデリアが微笑ましそうにしているからだった。


「……なんで笑ってんだよ」

「いえ。可愛らしいなって、感じてしまいまして」

「男に可愛らしいは、誉め言葉じゃないからな!」


 少し語気を荒げるが、ファルマヒデリアはどこ吹く風で微笑んだままだ。

 テフランはやり難そうに頭を搔いてから、一件の食堂へ入っていく。


「ここで朝飯を食ったら、あんたの――」

「ファルリアお母さんですよ」


 間髪入れない訂正に、テフランは言い直す。


「――ファルリアお母さんの服を買いに行くから」

「あら? これでいいのではありませんか?」


 体にトーガ状に巻き付けた青い布を指で軽く引っ張る姿に、テフランは呆れた。


「そんなゆったりした、隙の多い服を着ていたら、娼婦と勘違いされるって」

「娼婦――金品でお客さんを喜ばせる仕事の人に、わたくしが間違われるのですか?」

「そう見えるかどうかじゃなくて、娼婦に見えるって理由で声をかけてくるヤツがでてくるってこと」


 受け答えしながら席に着くと、すかさず店員――赤髪を後頭部でひとまとめにした、顔にソバカスのある女性が近寄ってくる。

 テフランと同年代っぽい彼女は、人好きのする笑みを浮かべた。


「いらっしゃい、テフラン。今日は仲間とじゃなくて、美人さんと一緒だなんて、どうしたのよ」

「色々と複雑な事情があるんだよ。詮索すんなよ、キレナ」

「はいはい。渡界者さまは、秘密が多いことで。それで、何にする?」

「いつもの通りに、労働者定食」

「馬鹿ねえ。いつもそれしか頼まない、あんたの注文なんて聞いてないわよ。初めてのお客さんである、そちらの美人さんに聞いているの」

「私ですか?」


 ファルマヒデリアは驚いた表情をした後で、困ったように眉を寄せる。


「申し訳ありませんが、どのように注文すればよいのかわからないのです」

「なるほど。お客さん、いいところの生まれっぽいから、渡界者専門に近いこんな食堂には来たことないんでしょ」


 渡界者(荒くれ者)が束でかかっても、告死の乙女であるファルマヒデリアが楽に勝つ。

 そのことを知るテフランは、複雑そうな表情で頬杖をつく。


「どんなものが食いたいか言えば、キレナの親父さんが上手い料理だしてくれるよ」

「そうなのですか。ですが、食べたいものと言われましても……」


 ファルマヒデリアが本気で困っている様子を見て、テフランは思い付きで注文する。


「女性にウケそうな料理を出してくれ。遅い朝食ってことも加味してくれ」

「わかったわ。そうね。新鮮な野菜があるから、サラダをドレッシング別添えで。あとは、白スープかしら。それでいい?」

「それでいい。もし食べなくても、俺が食べるから持ってきてくれ」

「値段が、このぐらい、だけどいいの?」


 キレナは人差し指から中指までの三指を、親指にそれぞれ何度かくっ付ける仕草をした。

 この界隈で使われる、支払金額を伝える動作である。

 示された値段に、テフランは片方の眉を大きく上げた。


「定食より、倍近く高いじゃねえか」

「当たり前でしょ。生で食べられるほど新鮮な野菜なんて高級品、労働者定食に使われる保存食と比べ物になるもんじゃないわ」


 注文するのかと視線で問われて、テフランは予定外の出費に悩んだが、最終的にはそのまま料理を頼んだ。

 元来ケチなテフランが高額な料理を他人のために頼むなど、滅多にあることではない。

 だが、昨日組合から多量の報酬を得て懐が温かいことと、ファルマヒデリアに迷宮の帰路で命を助けられたことが、彼に普段とは違う行動をとらせた。

 程なくしてやってきた料理を、テフランとファルマヒデリアは食べていく。

 テフランが頼んだ労働者定食は、傷む寸前の保存食を香辛料で濃い味付けにした料理と、硬い上にボソボソとする食感の灰色パンが、大量にさらに乗せられた一品だ。

 一方ファルマヒデリアの側には、水気の多いサラダに新鮮な油で作られたドレッシング。粉にした穀物をバターで炒めて、出汁で伸ばしたスープも添えられている。

 テーブル上の取り合わせとしては不似合いだが、食事する二人の表情はとても美味しそうである。

 半量食べ終えたところで、二人はお互いの料理に興味を示した。


「ちょっとその白いスープ、飲ましてくれないか?」

「では私も、その料理を一口頂きたいです」


 交換が成立し、テフランが皿の縁を掴むと同時に、彼の目の前に木匙スプーンが差し出された。

 もちろん握っているのはファルマヒデリアであり。匙の中に入っているのは、白いスープだ。


「も、もしかして――」

「はい、どーぞ」


 口元に匙が近づき、テフランの脳内は大混乱になった。


(拒否するか。いや、ファルマヒデリアは呼び方一つで拘るから、結局は押し通されてしまうに違いない。ああ、悩む時間をかければ、周囲に見られる可能性が高くなる……)


 瞬間的ながらも深刻に葛藤した後で、テフランは匙を口の中に入れた。

 本来なら美味さに驚くであろう白スープなのだが、混乱の極みであるテフランには紙を食べたかのように味がしなかった。

 しかし、対面に座るファルマヒデリアは、手ずからの餌付けに成功したことが嬉しいのか、慈母のごとき微笑みを浮かべている。

 テフランの試練は、誰に知られることもなく終わったかと思いきや、まだ続きがあった。


「では、お返しをくださいね」


 言い終わるや、ファルマヒデリアは「あーん」と自分の口を開ける。

 なにを要求しているのか、テフランは素早く悟った。

 そして真っ赤な顔になりながら、労働者定食を小さな一口分だけ木のフォークで刺すと、人と全く変わらない――それどころか唾液に濡れる造形すら美しいと思わせる口内へ、ゆっくりと入れる。

 ファルマヒデリアの口が閉じられ、その歯が料理をフォークから抜き取る感触がしてから、テフランは手をゆっくりと引き戻す。

 自分のではない唾液に濡れるフォークに人知れず目を向けるテフランの前で、ファルマヒデリアは労働者定食の味を確かめる。


「私には味が複雑かつ濃すぎますね。少量で、気分が悪くなってしまいそうです」

「そ、そう、なんだ。サラダや白スープは大丈夫、なんだよね?」

「はい。これらの淡いながらも美味な料理は、とても美味しく感じられます」

「それはよかった。食べられないものを、無理に食べることはないし」


 フォークの位置をさ迷わせながら、テフランはしどろもどろになりながら受け答えをしている。

 そのとき、二人の机にキレナが近寄り、新しいフォークを差し出した。

 テフランがハッとして顔を向けると、訳知り顔での頷きが返ってくる。

 内心で面白くない物を感じながらも、テフランはキレナに使用済みのフォークを渡し、新しいフォークを受け取ったのだった。




 食事を済ませると、テフランとファルマヒデリアはまず鍛冶屋に向かった。

 そこで、迷宮で入手して調整をお願いしていた鎧と剣を受け取る。

 軽装鎧と片手剣に調整されたそれらは、テフランのために一から設えたかのようにピッタリである。

 支払いは、この剣と鎧の元である『動く甲冑』が使用していた、馬上長剣ロングソードや盾で行った。

 差し引きで売却益が上回ったので、その分の代金おつりを受け取る。

 鍛冶屋を去り、次は服飾品店へ向かった。

 ついた場所は、テフランには縁遠いはずの、高級品のみが並ぶ受注生産型の店だった。

 テフランは扉に手をかけると、ぐっと下腹に力を入れてから一気に開き、勇ましい歩調で店内に入る。

 店員たちは、新米と丸わかりなテフランに冷ややかな視線を向けたが、続いて入ってきたファルマヒデリアを見て態度を一変させた。


「ようこそいらっしゃいました。当店は様々な職人と繋がりがありまして、渡界者さまの装備も整えることもできますよ」


 鎧姿のテフランを渡界者と見抜いての売り文句だが、それ遮ってテフランが革袋を差し出す。


「これで、この人――ファルリアお母さんに似合う服と装備を買いたいんだ」

「え、ええ、はい。かしこまりました」


 母親という部分を不思議に感じながらも、店員は革袋の中身を検めた。

 入っていたのは、金貨交じりの銀貨たち――組合長が渡した支度金と転移罠がどこに通じるか報告した報酬の大半、そして先ほど鍛冶屋で受け取ったおつりの全てだった。

 それを渡された店員は一瞬だけ驚きの感情を顔に表したが、すぐに表情を整えると、にこやかな顔つきに変わる。


「ご用命、承りました。普段着と迷宮に耐えるものということで、よろしいですね?」

「それ全部使っていいから、ファルリアお母さんと相談して決めて。任せるから」

「承知いたしました。では、お母様をお預かりいたしますね」


 店員に誘われて、ファルマヒデリアは店の奥へと連れて行かれた。

 ここが杭詰め者が集まる一画なら、店員に人を預けるなんて危険だろうが、高級店なら見張る心配は要らない。


(むしろ、変なことをしでもしたら、この店ごと吹っ飛ぶんじゃないかな)


 ファルマヒデリアの戦闘力を迷宮で知っているため、テフランは落ち着いた様子で、他の店員が給したお茶とお菓子を口にする。

 そして、この対応は一時的なものと重々承知しながら金持ち気分を味わい、店員が他にもと売り込んでくる言葉を聞き流していく。

 そうこうしているうちに、ファルマヒデリアが戻ってきた。

 肩だしの白いシャツに肘まである白い長手袋。下にはいているのは、着ていた布を仕立て直したと思わしき青い長スカートと丈夫そうな黒い靴。


「テフラン、どうでしょうか?」


 ファルマヒデリアがくるりと回ると、肩甲骨周りの生地がなくて素肌が覗いていた。

 テフランは目を見開くと、お茶のお代わりを注いでくれている店員に顔を向ける。


「代金が足りなかったわけじゃないよな?」

「あれは、ああいうデザインなのです。あの上に肩掛けをして、他者の目に肌を晒さないようにするのですよ」

「……女性の服って、なんでこうわけが分からないかな」


 テフランは難しい顔で考え込みそうになるも、ファルマヒデリアの不満そうな表情を見て、思考を素早く切り替えた。


「すごくよく似合ってる。思わず、この人に確認を取っちゃったぐらいだよ」

「まあ、テフランったら。お世辞が上手なんですから」


 言葉一つで、ファルマヒデリアの表情が喜色に変わる。

 隣の店員が「よくやりました」と褒めてきたことに、テフランは「ほっとけ」と小さく返す。

 そんなことをしていると、ファルマヒデリアを奥へ連れて行った店員が戻ってきた。


「あの、お坊ちゃま――」

「俺の名前はテフランだ。坊ちゃんってガラじゃない」

「――失礼しました、テフランさま。それでお連れの方の要望で、渡界者らしい装備を整えようとしたのですが」

「何か問題が起きたとか?」

「はい。鎧や武器などは不必要だと仰られてまして。その分の代金を、貴方さまが喜びそうな服飾を買うのにあてたいと」


 店員の言葉に、テフランは思考を巡らす。


「魔法使いの場合、どんな服装をするんだか知っている?」

「魔法使い、ですか。あのお方は、真っ新な肌でございましたが?」


 人間とは違って、告死の乙女の魔法紋は使用するときだけ浮き上がってくることを、テフランは思い出した。

 どう言い訳したものか頭を悩ませる。


「つまり、魔法使いになる予定なんだ。だから、鎧や武器は要らないって言っているんだろうな」

「そういうことでしたら、魔法使いの方々は鎖帷子の上に、普段使いができる服装を被せていることが多いです。目の細かい物をご用意いたしましょうか?」

「いや、鎖帷子なら当てがある。今日は渡した代金分、ファルリアお母さんが気に入る服を渡してくれればいい」

「そうですか。では、なにがご入用の際は、再び当店をご利用くださいませ」


 店員は何処か怪しみながらも、テフランの要求通りにファルマヒデリアに似合う普段着の選定に入っていった。

 このあと、ファルマヒデリアがテフランを店の奥に引っ張って行き、どの下着が似合うか選ばせたがり、テフランが顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら何着か選ぶ羽目になったのは余談である。


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