20話 夢へと一歩
迷宮からの帰り道、テフランは考えていた。
(いまの俺一人の力じゃ、いま活動している場所までが限界だよな)
迷宮の奥底にあるという地底世界への遠い道のりに悩み、隣を歩くファルマヒデリアとついて歩くアティミシレイヤに視線を向ける。
(二人の力を借りれば、もっと奥へ進むことが可能だ)
告死の乙女という埒外の強さに攻略を任せれば、迷宮の奥へ進むことなど容易いことだろう。
でもその選択は、テフラン自身、やってはいけないことだと感じていた。
(地下世界に行くのは俺の夢だ。誰かの力をあてにして成し遂げたとして、心の底から喜べるとは思えない)
しかしながら、このままでは手詰まりという、確固たる事実が横たわっている。
このときテフランが思いついた手段は二つ。
(仲間を探せば、単純に戦力は増強できるけど……)
しかし他人を組めば、ファルマヒデリアたちの力を知った瞬間に、迷宮攻略に利用しようと考えるであろうことは容易に想像がついた。
それでは、意味がない。
(あとは、俺が強くなればいいんだろうけど)
仮に告死の乙女と同等に強力な存在に成長できたら、テフランの力だけで地下世界まで行くことができるようになるだろう。
そのためには、多少なりともファルマヒデリアとアティミシレイヤの協力が必要となる。
結局は、どちらの選択肢も二人をあてにするもので、テフランは悩んでしまう。
(一から十まで任せるわけじゃないし、誰かから戦い方を教わるのは悪いことじゃないよな。そうじゃなきゃ、父親が子供に手ほどきするのだって、いけないことになっちゃうし)
そう自分の気持ちに折り合いをつけたテフランは、家の中でファルマヒデリアたちに話を切り出してみた。
二人の反応は、しかしながら渋いものだった。
「私はテフランが迷宮という危険に挑むのは反対なんです。より危険が増す場所に行かせるために、テフランを鍛える気はありません」
ファルマヒデリアはそっぽを向いて、つんとした態度を見せる。
アティミシレイヤも普段ではしない難しい顔をしてまで、難色を示してきた。
「気持ちはわかる。だが、そうも急いがなくてもいいはずだ。ゆっくりと実力を伸ばしていけばいい」
「アティミシレイヤも、俺が迷宮に挑むのは反対なんだ?」
「いや、そうでもない。テフランの夢を応援したい気持ちはあるんだ。立場を悪くしてでも、従魔として受け入れてくれたし」
アティミシレイヤは、言葉の後半部分で頬を染めながら顔を背ける。
その表情がとても初心に見え、テフランの胸をときめかせた。
一方、ファルマヒデリアは二人の様子が面白くなかった。
「アティミシレイヤ。いまのは本気で言っているのですか?」
「そうだとも。テフランの夢を応援するのは、従魔となった告死の乙女としては当然のことのはずだ」
「迷宮に関係しなければ、私だって夢を叶える手伝いをします。ですが、テフランの夢は異世界に行くことなんですよ」
「ファルマヒデリアは分かっていない。我々がどう言ったところで、テフランは夢を追い続ける。そういう頑固さがある」
教育方針について言い争う親のような様相に、テフランは不思議と心が温かくなる。
(これだけ俺のことを考えてくれた人がいただろうか。実の父親だって、好きにしろって言うばかりだったしなぁ)
しかし、二人が自分のことで言い争う姿を長々と見たくはなかった。
「そこまで。改めて言っておくけど、俺は絶対に地下世界にいくからね。たとえ道半ばで死のうともだ」
決意表明したところ、なぜかファルマヒデリアとアティミシレイヤは笑った。
「ふふふ、また面白い冗談ですね。私たちがいて、テフランをむざむざ死なせるわけないじゃないですか」
「そうとも。仮にテフランから不評を買うことになろうと、どんな状況でも命は落とさせない」
息が合った二人に、テフランは苦笑いする。
「俺だって、むざむざ死ぬ気はないよ。だからこそ、力をつけるために二人に助力を頼んでいるんじゃないか」
話題を戻すと、ファルマヒデリアは小難しい顔になる。
「話は分かります。ですが――やっぱり私は、テフランに戦う術を教えるのは反対です。強くなればなるほど、危険なことに足を踏み入れるに決まっています」
やっぱり駄目だったと、テフランが気落ちする。
そこでアティミシレイヤが、テフランの肩に手を当てた。
「テフランの気持ちは分かった。鍛える役目は、任せてもらいたい」
「えっ、いいの?!」
喜ぶテフランがお願いしようとする前に、ファルマヒデリアから一喝が飛んだ。
「アティミシレイヤ!!」
子供を奪われた母熊もかくやという迫力に、テフランは肝を縮み上がらせる。
しかしアティミシレイヤはどこ吹く風という態度を崩さなかった。
「下手に放置すると、テフランが背伸びして格上相手に挑みかねない。なら、我々の手で力をつけさせてやった方が建設的ではないか?」
一理ある理由に、ファルマヒデリアの剣幕が弱まった。
その瞬間を狙っていたかのように、アティミシレイヤは恥ずかしそうに告白する。
「それに戦うしか能のない身だからな。テフランに与えられるものといったら、戦う術以外にはない。万能型で家事などの日々の世話が可能な、ファルマヒデリアとは違ってな」
そんなことはないとテフランは思うが、二人の真剣なやり取りに割って入ることはできない。
しばらくファルマヒデリアはアティミシレイヤを睨んでいたが、不意に諦めたように力を抜いた。
「……もう。そういうことを言うのはズルいですよ。主に奉仕できない辛さは、同じ告死の乙女として分かってしまうんですから」
「小狡い手を使ったことは謝る。だが、主に求められたら、それを可能な限り叶えてあげることこそ、告死の乙女の喜びだしな」
「だから言っているじゃないですか。迷宮に関することじゃなければ、私だって喜んで手伝いますよ」
「ファルマヒデリアは万能型のくせに、少し考え方が固いんじゃないか?」
「アティミシレイヤが、戦闘型なのに思考が柔軟過ぎるんですよ」
「少し変わり者だという自覚はある。ファルマヒデリアの方が、普通の考え方だという認識もな」
「そう思うのなら、こちらの意見を重視してくれても――いえ、堂々巡りになりそうですから止めます」
途中から二人の言っていることが分からなくなったため、テフランはおずおずと手を上げる。
「それで、アティさんが戦い方を教えてくれるってことでいいんだよね?」
「その通り。そこらへんの奴らが太刀打ちできなくなるまで、キッチリ鍛えてやるからな」
「……不本意ですけど、そう決まってしまったからには、私も戦闘の手ほどき以外の手伝いはします」
「信条を曲げてまでお願いを聞いてくれて、ありがとう。アティさん。そしてファルリアお母さんも、俺のことを思ってくれての言葉、嬉しかったよ」
テフランが真心を込めて感謝を伝えると、二人とも照れていた。
「そう真っすぐ言われると、手前勝手な理由で意見を戦わせていたこともあって、気恥ずかしさを感じてしまいますね」
「なんというか、より一層、テフランのために働きたくなってもくるな」
二人は頷き合うと、揃ってテフランへ顔を向けた。
その表情には、なにか気迫めいたものがある。
テフランは危険を察知した小動物のように、二人から距離を取るべく立とうとした。
しかしその前に、無駄に魔法紋を輝かせて高速移動してきたファルマヒデリアに、腕を取られてしまう。
「さあ、テフラン。迷宮から帰ってきたんですから、お風呂に入りましょうね。今日はいつもより念入りに、体を洗ってあげますから」
「え?! ちょっと、だから、一人で入れるって何時も言っているだろ!」
「今日ばかりは、その要望は絶対に聞きません。この歓喜の気持ちを行動で発散させないと、一日中テフランにべったりくっ付き続けてしまいそうなんですから」
「それはそれで困るけど! アティさん、助けて!」
「すまない、テフラン。この気持ちを持て余しているのは同じなんだ。だから、一緒にお風呂に入ってもいいよね?」
「そ、そんなーー!!」
悲鳴を上げるテフランを連れて、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは風呂場へ入っていった。
テフランは美女二人にかわるがわる手で洗われ、全身をいつも以上に綺麗にされただけで、赤面してフラフラな状態になっている。
ファルマヒデリアとアティミシレイヤも自身の体を洗うと、二人してテフランを間に挟む形で湯船に入った。
美しくも柔らかな肢体――特に特異な弾力を誇る両者の乳房を押し付けられて、テフランは顔を真っ赤にして腰を引き気味に湯船から脱出しようとする。
しかし、告死の乙女からは逃げられなかった。
「ほら、テフラン。ちゃんと体の芯から温まらないといけませんよ」
「三人で入ると狭いからな、それでその、テフランが前か後ろに体を寄せると、空間が空いていいと思うんだが」
「アティミシレイヤったら大胆なことを言いますね。でも、湯船でテフランに体重を預けてもらうのは、私の役目ですから」
「むっ。そんなこと誰が決めたんだ」
口論から引き寄せあいに発展し、テフランは二人の体や胸の谷間などを往復する羽目になった。
(な、なんでもいいから、早く湯船から出たいんだけど!)
お湯と二人分の体温に温め続けられて、もうすでにテフランは目を回す一歩手前だ。
しかしここで、ファルマヒデリアとアティミシレイヤはお互いに示し合わせたように、両側からテフランに体を押し付け始めた。
「ほらテフラン。どちらが湯船で体を預けるのに相応しいですか。私の方がアティミシレイヤより柔らかいですよ」
「ファルマヒデリアより体温が温かいからな、よりくつろげると思うのだが、どうだろうか?」
「もう、限界だって――」
絶えらなくなったテフランが力を失ったことで、ようやくファルマヒデリアとアティミシレイヤは言い争っている場合じゃないと気付く。
慌ててテフランを湯船から出して、魔法やタオルで風を送る二人は、嫌われないかという心配とまたやってしまったという後悔に溢れた表情をしていたのだった。




