1話 組合にて事情報告
渡界迷宮で手に入れた鎧や武器を、馴染みの鍛冶屋に仕立て直しで預けた後、テフランは渡界者組合に告死の乙女を連れていくことにした。
その道中、正体を知らなければ絶世の美女を連れているため、方々から様々な視線を向けられる。
テフランと彼女の関係を邪推する目。単純に美女を連れていることへのやっかみ。声をかけるチャンスを狙う瞳。
告死の乙女の美しさに見惚れる人。その美しさに嫉妬する者。恋人の目を自分に戻す女性。
そんな様々な目にさらされていることを理解しながらも、テフランは自覚していないような調子かつ、努めて平然とした歩みで組合の中へと入っていった。
ここでも、歳若い青年と年上の美女との組み合わせは、たまたま建物内にいた人たちの目を引き付けた。
だが、その青年が何日か前に罠にかかって消息不明な新米だと分かった者は、テフランの生還を喜ぶ顔つきに変わる。
「よう、このマヌケ! よくぞ生きていやがったな!」
「テメエが跳ばされたっていう転移罠の調査で、手練れの奴らも跳んでいったんだが、出くわさなかったか?」
「戻ってきてそうそうなんだが、そっちの美女は誰だ。初めて見る顔なんだがよ?」
父親の代から知り合いな世話好きの熟練者連中に詰め寄られて、テフランはたじたじになる。
「その色々なことを、まず親方――じゃなかった、組合長に報告しないといけないんだ。だから、答えるのはちょっと待っててくれよ」
「あー、そういやそうか。転移罠がどこに通じているのかは、最初に親方に伝えないといけないんだったな」
「危険なら閉鎖で、有用なら近道に使うってんで、その判断のためにまず親方に報告するのがルールなんだったな」
「今晩は生還祝いしてやるから、そっちの美女も連れて来いよ!」
「酒を飲む口実と、この人と近づきたい方便なくせに、祝いだなんてよく言うよ!」
「おう、その通りよ。がはははははっ」
笑顔の渡界者たちに見送られて、テフランはまず受付の職員に組合長との面会を求めた。
「テフランさんが帰ってきたら、すぐに呼ぶようにと言われていましたので、このまま奥の組合長室までお進みくださって構いませんよ」
受付嬢の顔に浮かぶ仕事上の笑みと興味の視線に見送られて、テフランは告死の乙女と組合の奥へ進む。
組合のトップがいるにしては、穴が開いていたりと粗末な作りの扉の前で、テフランは一呼吸置く。
そして意を決した顔つきになると、ノックを三回した。
「組合長、テフランです。転移罠から戻ってきました」
「おおー、戻ってきたか。早く入れ」
低重音で響く声に導かれて、テフランは扉を開ける。
部屋は、組合長が現役の頃に使っていた武具一式が等身大人形にかけられている以外、整理整頓された事務所的な印象がある。
その中に、人物は二人だけ。
片方は、しっかりとした作りの机の向こうに座っている組合長。
名前をアヴァンクヌギといい、白髪交じりな髪を精油で後ろに撫でつけた五十代の男性で、多少の衰えは見えるものの頑健そうな肉体を、仕立てのいい事務服に包んでいる。顔の左半分に色とりどりかつ鮮やかな魔術紋を刻んでいて、精悍な顔つきもあって威圧感が強い。
もう一方は、その隣で書類の束を手に持っている、三十代頃の女性。
眼鏡状の魔道具をつけた組合長の秘書であるが、私生活でもいい仲だと渡界者たちに噂されている人物だ。
アヴァンクヌギは書きかけの書類を仕上げると、顔をテフランに向けた。
「それじゃあ、転移罠に跳ばされてからいままでのことを、出来るだけ細かく教えてくれ。特に、あの転移罠がどこに繋がっているかは、より詳しく言うように」
アヴァンクヌギの求めに従い、テフランは迷宮に入ってから出るまでの数日間のことを語っていく。
一通り報告が終わると、アヴァンクヌギは頭痛を堪えるように、自分の頭に手を乗せる。
「あの転移罠が、壁に長方形の石が混ざる場所まで飛ぶってんなら、迷宮の奥を活動場所にする連中には朗報だな。だがな、そっちの美女が『告死の乙女』で、お前を主に認め、迷宮の手強い魔物を蹴散らして外まで送ってくれたってのは、冗談にすらならないんだがよお」
テフラン自身、他者から伝えられたら信じたりはしない体験だろう。
例え組合長という恐ろしい相手に睨み据えられたとしても、事実であることは曲げようがなかった。
威圧に怯まないテフランを見て、アヴァンクヌギは面白くなさそうに鼻息を吐く。
「ふんっー。じゃあ、その美女さんが告死の乙女って証明してみろ」
「だから、この瞳を見ればわかるじゃないですか。人間じゃあり得ない紫色ですよ!」
「あのなぁ。長い組合の歴史の中にゃ、適当な女の目に薬品流し込んで瞳を紫にして「告死の乙女でござい。仲間料金を払えば、おこぼれに預からせもいい」って、詐欺を働いた話もあんだ。おいそれと信じてやることなんざできねえんだよ」
「組合長、素が出てます。長らしい口調に戻してください」
「大事な話をしてんだ、アスルタリアは黙ってろ!」
怒る組合長に、テフランは困ってしまった。
「瞳以外で、告死の乙女の証明たって」
どうすればいいのか知恵を捻ろうとする彼の肩に、告死の乙女が手を触れる。
「簡単なことですよ。こうすればよいのですから」
彼女は語りながら片手を上げると、その腕に魔法紋が浮かんで輝き始めた。
人間が刺青で体に刻む者とは違う、肌の下から浮かび上がった模様は、水面に乗せた絵具のように形を変化している。
刻一刻と形を変える魔法紋を見て、テフランは魔物の群れを焼き払った炎を思い出して、頬をひきつらせた。
一方、アヴァンクヌギも顔に冷や汗を出している。
「待った! ここで魔法を使うんじゃねえぞ!」
肝が太いはずのアヴァンクヌギが取り乱す姿に、アスルタリアが驚愕の瞳を向ける。
「いったいどうしたのですか?」
「スルタリアは渡界者上がりじゃないから知らねえだろうが。ああいう、模様が変化する魔法紋を持つヤツは、例外なく強力な魔物や魔獣と相場が決まってんだ。告死の乙女かは確定じゃねえが、クソ危ない魔物ってのが証明されちまったんだよ」
アヴァンクヌギは瞳を人形に立てかけてある武器に向けている。
告死の乙女が暴れようものなら、あれで攻撃するという意図が見えた。
テフランはそんな組合長の考えを察知して、告死の乙女の輝く腕を掴んだ。
「証明はできたみたいだから、もうコレは必要ない」
「そうですか。テフランが嘘つき呼ばわりされないのでしたら、それで構いませんね」
テフランの一言で、腕の輝きが嘘のように消え去った。
胸をなでおろしたアヴァンクヌギは、緊張からの疲労を目に滲ませる。
「そのクソ危ない美女が、お前の命令を聞くってのも本当のようだな。でもな、あー、どうするべきか……」
危険物を新米に預けたままにすることに、アヴァンクヌギは危うさを感じていた。
そこに、告死の乙女から言葉の釘が飛んできた。
「テフランと私を離れ離れにしようとお考えなら、止めたほうがよろしいですよ。暴れますよ?」
「だー! そう言うと思ったから、どうするべきか考えてるんじゃねえか! つーか、テメエがテフランに向ける瞳は、子を見守る母親に似てるって分かってたんだ。野生熊から子供を取り上げる様なまねなんぞするかよ!」
「あらあら、親子のようだなんて、嬉しいことを言ってくださいますね」
言葉が通じているようで通じていない様子に、アヴァンクヌギは天井を見上げた。
「なあ、スルタリア。どうしたらいいと思うよ」
「この問題を解決するなら、いくつか質問すればいいだけだと思いますが?」
「自信ありげだな。じゃあ、その質問とやらは任せる」
アヴァンクヌギの許しを得て、スルタリアは告死の乙女に瞳を向ける。
「質問します。あなたは危険が迫ったら、力を使うことに躊躇しますか?」
「危険の排除は大事なことです。テフランを守るためにもです」
「なら、危険がないとき暴れる気はありますか?」
「テフランが望むのでしたら、そのようにします」
「では、テフランさんが止めるように言えば、全ての攻撃を停止しますか?」
「テフランの身の安全が確実であれば、そのようにします」
なるほどと頷き、スルタリアは質問する相手をテフランに変えた。
「最強の従魔を手に入れて、あなたはなにをしますか。率直に言ってください」
「なにをって、渡界者として迷宮に挑むけど、この人の力をあてにする気はいまのところないけど?」
「彼女の力があれば、国一つを攻め落とすことも、力づくで金銀財宝を得ることや女性を侍らすことも可能なのにですか?」
「他人の力を当てにして、なにが楽しいんだよ。金銀財宝を得るのも、恋する女性を手に入れるのも、自分の力で成し遂げてこそだろ。少なくとも、俺は父親からそう教わったぞ」
「従魔の力は、飼い主の力とは考えないんですか?」
「あー、そういう考えもあるのか……。でも、他人の手で渡されるものなんて、虚しいもののようにしか思えないんだよなぁ」
「なんとも、善良というか、真の渡界者らしいことを言いますね」
「……いま、馬鹿にしたのか?」
「いいえ、褒めているのですよ。強大な力を任せるに相応しいと」
スルタリアはテフランに微笑んでから、アヴァンクヌギに向きを変える。
「自称告死の乙女を預けても、問題はないかと」
「この時分のガキは、身の丈に合わない力を得たら暴走しがちなもんだって知ってて、そう言うのか?」
「彼は自分が手に入れた力で溺れることはあれど、他人の威を借るのを良しとする性格ではなさそうですので」
「そういう評価なら、従魔が人型ってのは幸いだったのかねえ」
アヴァンクヌギは考えをまとめるように目を瞑り、数秒後に目を開いて告死の乙女を見据えた。
「分かった。お前さんとテフランが一緒にいることは認めよう。だが、告死の乙女ってことは、他の誰にも知られないようにしなきゃならねえ。渡界迷宮で一等に危険な相手が町にいると知ったら、危険を感じた住民が襲おうとしてくるとも限らないからな」
いいなと目で問われて、テフランは渋々と、告死の乙女は笑顔で首を縦に振った。
「よし。なら、告死の乙女さんは人間に偽装してもらうとして、お前たちの関係をどうするかだな。恋人ってことするには、ちょっと見た目の年齢が離れているな」
「組合長。年齢差のある恋人がいないわけではないですよ」
「恋人募集中のスルタリアさんの願望は横に置いておくとしてだ。妙齢の女性と歳若い青年の組み合わせってのはな、ナンパ野郎を引き寄せやすいんだよ。「若いガキよりも、俺の方が満足させてやれる」ってバカな考えでな」
「体験がおありな口調ですね?」
「俺じゃなく、昔の仲間の一人がな。そのときの青年がいいとこの商会の跡取りで決闘になってな。あちらさんの代理人が、仲間を一撃でバッサリだったよ。馬鹿な真似で仲間を補充しなきゃいけなくなって、苦労したっけなあ……」
アヴァンクヌギの昔語りに、スルタリアは興味なさそうな様子で、テフランと告死の乙女との偽装関係に話を戻す。
「二人の関係でしたら、親子で良いのではありませんか?」
「母と子――いや、子持ちの年齢にはちょっと無理があるから、義母と子ってことか。たしかテフランの父親は、迷宮に挑んだまま消息不明だったな?」
「その通りですけど」
「なら調度いい。別の国で夫婦になっていたってことにすりゃいい」
「そんな理由が通るんですか?」
「地上に空いた全ての出入り口は、迷宮の奥地で繋がってるんだ。テフランの父親が迷子になって、別の国に出てたって変じゃねえさ。そんで結婚してすぐに、また迷宮で消息不明になって、話に聞いていた義理の息子を尋ねにここに来たってことにするんだ」
「……組合長がそうしたいんなら、それでいいですけど」
いち渡界者である自分の意見は通るはずもないと、テフランは諦めの境地で、アヴァンクヌギに背景の偽装を任せた。
こうして渡界者の青年と告死の乙女の美女は、義理の母子という関係になることがきまった。
テフランは厄介事を押し付けられて辟易とする顔だったが、告死の乙女はすごくうれしそうにしている。
両者の祖の顔を見て、アヴァンクヌギは企みを思いついた笑みを浮かべた。
「母と子――つまり告死の乙女には人間に偽装してもらうんだから、人間らしい名前が必要だな。テフラン、つけてやれ」
「ええー! 名前って、そんな急に……」
チラリと横を窺うと、告死の乙女が期待を込めた瞳を向けてきていた。
名づけから逃れられないと悟り、テフランは知識の箱を空けて、上から下まで引っ掻き回していく。
「えーっと……。じゃあ、父さんが昔に語ってくれた物語に出てきた、神に愛された魔法を使いこなす女傑の名前をモジって――ファルマヒデリアってのはどう?」
「ファルマルヒデリア。はい、私はファルマヒデリアです」
嬉しそうにする告死の乙女ことファルマヒデリアだが、アヴァンクヌギから物言いが入った。
「名前をそのまま読んだんじゃ、母子って感じじゃねえな。愛称をつけて、そのあとに母さんを入れて呼べよ」
「ファルマヒデリアだから――ファルリアお母さんって呼べってことですか?」
「お母さん! なんていい響きでしょう!」
試しに呼んだ言葉に、ファルマヒデリアは大喜びだ。
アヴァンクヌギのどうよという顔に、相手が組合長だと知りつつ可能かどうかも横に置いて、テフランは拳を叩きこんでやりたい気持ちになったのだった。