11話 迷宮行
テフランは組合長の依頼を受けることにして、ファルマヒデリアと迷宮を進んでいた。
あの噂は浸透しきっていないため、出入り口付近はまだまだ渡界者の数が多い。
もしくは噂を知っていても、例の告死の乙女は少し奥の区域で活動しているという情報を掴み、そこまで行かなければ大丈夫と考えている。
そんな人たちの間を通り抜けつつ、テフランは出会った魔物――大ネズミに剣を振り下ろす。
「たああああああああ!」
気合一閃。大ネズミは頭を両断されて息絶えた。
その光景に、ファルマヒデリアは拍手して喜ぶ。
「お見事です。それに剣に施した魔法紋は、ちゃんと機能しているようですね」
ニコニコ笑顔での言葉の通りに、テフランが握る剣の剣身には魔法紋が輝いている。
「切れ味を増すのと、折れにくくする魔法紋なんだっけ?」
テフランが言いながら剣に意識を集中させることを止めると、剣身の魔法紋の輝きが消える。
そして、いましがた倒したばかりの大ネズミに顔を向けた。
「魔法紋を起動したら、いままでとは威力が全く違うことに驚くよ。流石は『魔剣』だってね」
「私手ずから刻んだ魔法紋です。人間が使う既存のものより、効果は何割も上ですから当然です」
自慢げに語るファルマヒデリアに、テフランは苦笑いしながら、つい思ったことを口に出してしまう。
「こんなにすごい魔法紋を刻むことができるならさ、剣と鎧だけじゃなくて、俺の体にも入れてくれたって――」
「私にテフランの体を傷つけろなんて、なんて惨いことを言うのです」
じわりと涙を浮かべての抗議に、テフランはすぐに前言を撤回する。
「ごめんなさい。俺が悪かったから、泣かないでよ」
「もう二度と、魔法紋を体に刻むなんてこと言わないですね?」
「言わないって約束する」
「これから先、永遠に魔法紋を体に入れたりしませんね?」
「うぐっ……」
ファルマヒデリアがやってくれないのなら、別の人に頼めばいいという思いがあったため、テフランは口ごもった。
その瞬間、ファルマヒデリアの目尻に大粒の涙が現れ、もう少しで落ちそうになる。
「分かったよ。これから先も、体には魔法紋は入れないって!」
「ふふっ。テフランの聞き分けが良くて、私は嬉しいです」
目に浮かぶ涙を指で拭い取りながら、ファルマヒデリアは悲しみが少し残ったまま微笑む。
珍しい表情に、テフランは見惚れて身動きを止め、自然と顔が赤くなってくる。
(まったく。泣かれたり、そんな顔をされたら、意見を引っ込めるしかないじゃないか……)
テフランは心の中で毒づくことで思考を取り戻す。
「ほら、早く先に行こう。この間にも、告死の乙女が暴れ回っているんだから」
「なにも人間だけを狙って殺しまわっているわけではないのですから、そう急がなくても平気ですよ」
のんびりとしたファルマヒデリアの言葉に、テフランは疑問を抱いた。
「告死の乙女って、人間だけを襲うんじゃないの?」
「違いますよ。人間と魔物、どちらも滅する対象です。狙う順番から言えば、強い人間、強い魔物、弱い魔物、弱い人間の順ですね」
「あれ? 弱い人間、弱い魔物の順番じゃないんだ?」
「脅威度が違います。魔物は素手でも生命体を殺せますが、人間は難しいでしょう?」
なるほどとテフランが頷いたところで、周囲の景色が少し違う区域に侵入した。
出入り口から続いていた洞窟然とした通路の中に、ちらほらと坑道のように整地された部分がある。
(ここからは、魔物がより強くなるんだ。気を引き締めていかないと)
ファルマヒデリアお手製の魔剣と魔鎧があれど、テフランの実力的にはまだ侵入するには早い場所だ。
気を抜いていたら、告死の乙女に出会う前に、魔物の餌食になりかねない。
気合を入れて進もうとすると、その肩をファルマヒデリアに掴まれた。
「どうかしたの?」
「これは提案なのですが。ここからは、私も戦闘に参加したく思うのです」
「ずいぶん前に、戦闘に手出ししないでって怒ったんだっけ」
「私が手助けすると、戦闘力の向上につながらないからと」
前に結んだ約束を思い出し、テフランは少し悩む。
(告死の乙女に会いに行くだけながら、ファルマヒデリアの力を頼る方が安全だよな。でも、いざというときのためにも、この装備でどこまでやれるかも知っておきたいし……)
テフランは様々な事柄を考えて、ファルマヒデリアに要望を一つすることにした。
「分かった、ここからの戦闘は手伝って。でも、手前勝手な願いだけど、俺が危なくなるまで手出ししないで欲しい」
真っすぐに見つめながらの言葉に、ファルマヒデリアは困った。
「もう、仕方がありませんね。テフランは言い出したら頑固な面がありますから、そのお願いを聞き届けるしかないじゃないですか」
「むっ。頑固なのはファルリアお母さんもそうでしょ」
「テフランのためにならないことは許す気はないので、たしかに頑固といえますね。そう考えると、私たち二人、似たもの同士ってことですね」
嬉しそうな笑顔で語るファルマヒデリアを見て、テフランは顔を赤くして視線を逸らす。
「……偽装でも義理の母子なんだから、似てないより似ていたほうがいいし」
「ああ、もう、テフランたら恥ずかしがっちゃって。とても可愛らしいです」
つっけんどんに言うテフランを、ファルマヒデリアは抱き寄せた。
柔らかくも温かく包み込んでくる乳房の感触に、テフランの顔はさらに赤くなる。
しかしファルマヒデリアとの共同生活も長くなり、なんども同じ感触を経験してきたため、この程度で気絶しないぐらいには耐性がついていた。
テフランは顔を引き抜くべく、ファルマヒデリアの腹と肋骨の境を手で押す。
「ぷはっ。だ、だから、いきなり抱き着いてこないでよ。それに、ここ迷宮だから、顔を覆われると危険への対処に困るから」
「ふふっ、心配はいりません。親子の団欒に水を指すような輩は、ああしてやりますから」
ファルマヒデリアが指す先を見ると、猿を人間大にしたような魔物が転がっていた。
胴体には大穴が空いていて、その縁は焼け燻っている。
(いつの間に倒したんだ。というより、この魔物が来たこと、気づかなかったんだけど)
テフランは背筋に冷たさを感じ、より一層気持ちを引き締めて、迷宮を進んでいくことに決めたのだった。
告死の乙女がいるという、組合長から貰った情報の場所に行くには、一日では無理である。
そのため、テフランとファルマヒデリアは迷宮内で野営をすることにした。
新米の渡界者にとって関門の一つに数えられる野営だが、二人は迷宮の奥から脱出する際に体験しているため、特に緊張感はない。
しかし、テフランは当時のことを思い出して、少しげんなりとした表情を浮かべる。
(魔物を単に丸焼きにしたものが食事だっだよなぁ……)
あのときは生死の瀬戸際だったため、塩すら振っていない食べ物に、苦情を入れる暇はなかった。
しかし、今回は準備期間があったというのに、ファルマヒデリアの提案で保存食を買うことを止められていた。
(料理はちゃんと作るからって言っていたけど……)
不安そうに見るテフランの先にあるのは、彼自身がついさっき仕留めた獣型の魔物の死体と、塩や香草などの調味料。
またもや丸焼きなのかと戦々恐々とするテフランに、ファルマヒデリアは木皿を用意しながら笑顔を向ける。
「それでは作っていきますからね。すぅ――Ruruaaaaaa-」
ファルマヒデリアは胸元に手を当てると、急に歌い始めた。
さしずめ、魔物の死体に鎮魂歌を捧げているようだが、実際はそうではない。
歌声が伸びやかになるにつれて、ファルマヒデリアの全身に魔法紋が浮かび、段々と強く光り始める。
幻想的に見える姿にテフランが見惚れている横で、獣型の魔物の死体に変化が現れた。
まず服を脱ぐように毛皮が剥がれ、血潮が蛇に変わったかのように傷口から体外へひとりでに流れでていく。そうして現れたピンク色の肉の塊が、今度は流体化したように形を失う。その中に香辛料が混ぜ込まれた後に、ファルマヒデリアが差し出した木皿へ、粘液魔物のように入っていく。
奇妙で喜色悪い光景に、テフランは思わず顔を背ける。
(ピンク色の粘液なんていう、丸焼きよりもキツイ食べ物が出てくるなんて)
どう断ろうかと必死に悩むテフランの目の前に、木皿が差し出される。
「どうぞ、テフラン。美味しくできたと思いますよ」
にっこりと笑うファルマヒデリアに、テフランは引きつった笑みを返す。
(と、とりあえず、食べるふりでもして、不味いから食べられないって言おう)
そうテフランが心に決めて木皿と対峙し、その中身を見て首を傾げる。
「あれ? なんかまともな料理になっている??」
目を離す前はピンク色の粘液だったそれが、今現在は美味しそうにローストされた肉の分厚いスライスと、パリッと焼けた腸詰めに変化していたのだ。
キョトンとしてから、テフランは困惑した目でファルマヒデリアを見る。
「えっと、これ、どうやって作ったの?」
「近所の奥さまたちから聞いたレシピを、色々な魔法を使って再現したものです。これぞ万能型の強みです」
どうだと胸を張るファルマヒデリアだが、テフランの脳内にはピンク色の粘液の光景がこびりついて離れない。
「これって、食べても大丈夫なんだよね?」
「ちゃんと毒抜きもしましたし、食べられない部分は、ああして残しています」
ファルマヒデリアが指す場所――魔物の死体があった場所には、排泄物が混ざった液体が残っていた。
理解が追いつかずにいるテフランに、ファルマヒデリアはもう一度微笑みを向ける。
「ですので、安心してご賞味くださいね」
「ああ、うん。じゃあ、食べるよ」
混乱は残るものの、ファルマヒデリアが害することはないと信じて、テフランは謎調理で出来た料理を口に運んだ。
「んぅ?! 美味しい!!」
テフランが思わず叫び声を上げてしまうほどに、極上の味だった。
ローストされた肉を噛めば、塩気や香草の匂いを含む肉汁があふれ出し、口の中を幸せな味でいっぱいにする。
何本もある腸詰めは、それぞれが違う肉の部位で作ってあるらしく、歯ごたえや味に変化があり楽しい。
夢中で食べるテフランにとって、もうファルマヒデリアの謎調理など気にする価値がなくなっていた。
そして青年期という食に太い時期ということも手伝って、テフランは一心不乱に食べ進めて木皿を空にする。
(こんだけ美味しいと、まだまだ食べたくなるな)
食べつくしたのに物足りなさを感じるテフランに、ファルマヒデリアが持っていた皿を差し出す。
「テフラン、良かったら食べてください」
「えっ、いいの?! あ、でも、ファルリアお母さんの食べる分が……」
「平気です。まだ材料は残っているので、いくらでもお代わりは作れますからね」
ファルマヒデリアの視線の先には、一抱えはあるピンク色の塊。
(ピンク色の粘液が固まったものかな。あれだけ材料があるなら――)
遠慮する必要はないと、有り難くファルマヒデリアの手から皿を受け取り、その中にある料理を食べ進めていく。
ファルマヒデリアはテフランが食べ終えた皿を回収し、そこに新たな料理を魔法で創造した。
しかし、テフランはまだ食べるだろうと考えて、その料理に手を着けることはしていない。
そのファルマヒデリアの予想通りに、テフランはまたお代わりをしたのだった。




