9話 危険な事態
魔物の換金素材を集めて、テフランはファルマヒデリアと出入り口へと向かう。
その際、ファルマヒデリアにやってくる視線が、いつもより少し多い気がしていた。
それは迷宮の外に出ても同じで、テフランは少し不思議に感じた。
(好機の視線とは違うものがあるような?)
人々が視線に乗せた感情を推し量ろうとするが、その前に渡界者組合の建物についてしまった。
いったん問題を棚上げして、受付で素材の換金を済ませる。
立ち去ろうとすると、職員に呼び止められた。
「組合長が部屋でお待ちです」
呼び出される覚えがないため、テフランは小首を傾げつつも、ファルマヒデリアと共に組合長室へ入った。
すると、空気が変であることに気付く。
(なにか、厄介事の臭いがする)
テフランはそう察知はしたものの、呼び出された用向きを尋ねないわけにはいかなかった。
「組合長、俺に用があるってきいたんですけど」
「ああ、ある。だがその前に、ここ最近、町での噂は耳にしているか?」
「噂、ですか? 渡界者がらみのことは、何も聞いてませんけど」
素直に答えたテフランに、アヴァンクヌギは小難しい顔になる。
「耳ざといヤツ以外には、まだ浸透していないらしいな。いや、テフランが美女を連れているから、噂を流さなかっただけか……」
小声でつぶやくアヴァンクヌギを、テフランは不審に思っていると、組合長秘書であるスルタリアが間に入ってくれた。
「組合長。一人で納得していないで、呼びつけたんですから、テフラン君と会話をしてください」
「ああ、そうだな。さて、その噂というのはだ――迷宮にいる飛び切りの美女が、渡界者を殺して回っている。ってものなんだ」
その噂を聞いて、テフランは思わず隣に立つファルマヒデリアに顔を向けた。
するとアヴァンクヌギが、我が意を得たりとばかりに話を続ける。
「そう、新しい告死の乙女が、渡界者を付け狙っている。幸い、と言っていうと語弊があるが、真っ先に逃げを打った熟練者に口止めしたし、その他はことごとく全滅しているから、この事実は町に広がっていない。まあ、帰還者が減っていることで、なんらかの事態が迷宮で起きているって噂が出ているらしいがな」
知らなかった事実に、テフランは驚愕した。
「それって、大変な事態じゃ?」
「その通りだ。しかも過去にあった告死の乙女の事例に比べて、迷宮の出入り口に近づいているらしくてな。成長を楽しみにしていた若年者たちも刈られ始めている。このままじゃ、迷宮に入った瞬間に件の告死の乙女に渡界者が殺されることになっちまいそうだ」
もしそうなったら、迷宮から得られる物品で経済が成り立っているこの町は終わりだ。
加えて、渡界者組合の長であるアヴァンクヌギは、責任を取らされて処刑される。
予想以上の大事に、テフランは理解を追いつかせるので精一杯だ。
「そ、そんな重大なことを俺に知らせたってことは……」
新米であるテフランに、こんな事態の解決は無理だ。
となれば自然と話を向ける先は、テフランの従魔であるファルマヒデリアになる。
「凶悪な告死の乙女に同じ存在をぶつけることで、収束を図りたい。引き受けてくれるな」
有無を言わせない迫力を出すアヴァンクヌギに、テフランは口内が渇いて即答が出来なかった。
その代わりのように、ファルマヒデリアが口を開く。
「断固、お断りします」
微笑みと共に放たれた力強い言葉に、アヴァンクヌギは少しだけ言葉をなくしていた。
「……悪いが、これは強制だ。断る気なら、テフランの渡界者資格をはく奪した上で、他の地域や国にも手を回して、金輪際活動できないようにするぞ」
地底世界に行きたいテフランには、それは夢の断念をも意味していた。
しかしそれはテフランにとってだけで、ファルマヒデリアにとっては別の意味がある。
「あら、組合長直々に、テフランを渡界者ではなくしてくれるのなら、願ったり叶ったりです。これでテフランが危ない迷宮に入ることはなくなるのですから、お礼を言いたくなります。ほらテフラン、もう渡界者ではなくなったのですから、お暇しましょう」
「え、ちょっと、待って」
ファルマヒデリアは嬉々とした表情で、テフランの腕を取って部屋から出ていこうとする。
それを危うく見送りそうになって、アヴァンクヌギとスルタリアは慌てて呼び止めた。
「ちょっと待て、なりふり構っていられる状況じゃないから、こっちは本気だぞ!」
「テフラン君のためにも、もう少し考えて返事をしたほうがよいのではありませんか?」
二人の言葉を聞き入れる気がない態度のファルマヒデリア。
だが、テフランが懸命に踏ん張って抵抗するので、肩をすくめてアヴァンクヌギに向き直る。
「私にとって、テフラン以外の人間が何十何百と死のうと知ったことではありません。そもそも『噂の彼女』が迷宮の出入り口に向かっているという事実が本当なら、組合長がなにかしらの失敗をしたに違いありません。そうでなければ、あり得ないことですから」
「……なにか知っているようだな」
「告死の乙女に関することを、あなたに教える気はありません。ただ、身から出たサビなのですから、ご自分でどうにかしてくださいとだけ言っておきますね」
取りつく島のない様子に、アヴァンクヌギはいら立ちを見せる。
「こちらの頼みを断ったら、テフランは渡界者でなくなるんだぞ。どうやって生きていく気だ」
「この町で暮らしてみて、人間の生活は理解しました。料理も覚えましたし、仕事なら『魔道具師』になることが私には十分にできますので、テフランを食うに困らせません」
「なら、ご執心のテフランを捕まえて、お前に言うことを聞かせるという手だって――」
「そんな真似をしたら、いま迷宮で暴れている方とは別の告死の乙女が現れて、この町を灰塵と化すことをお約束しますよ」
ファルマヒデリアの口元は笑みの形のままだが、目は冷たく無感情なものに変わっている。
その姿を見たアヴァンクヌギは、剥き身の剣を首に当てられているような気がして、凍った背筋に震えが走った。
一触即発の雰囲気に、スルタリアが服に仕込んだ暗器を取り出そうとするが、それより一瞬早く向けられたファルマヒデリアの視線に制されて身動きが取れなくなる。
生きた心地がしない空気の中、テフランだけは別世界にいるかのように、気軽にファルマヒデリアの腕を引っ張ってみせた
「ファルリアお母さん。組合長もスルタリアさんも、俺を人質にすることを考えるほど困っているんだから、ちょっとは話を聞いてあげようよ」
「むぅー。もう、テフランは性根が優しいんですから」
ファルマヒデリアは威圧感が消し去ると、子供の我がままに弱い母親のように、あっさりと態度を変える。
窮地を脱したアヴァンクヌギとスルタリアは安堵しながら、テフランの機転に感謝の念を覚えた。
アヴァンクヌギは椅子に深く腰掛け直すと、改めてテフランに頼み事する。
「俺から言いたいのは、迷宮にいる告死の乙女をどうにかしてほしいってことだ」
「どうにかって、具体的にはどうしろと?」
「倒すなり、手足をもいで無力化するなり、痛手を負わせて追い払うなり、新しい従魔にするなりだ。要は、渡界者にとって害にならない存在にしてくれりゃいい」
軽く言うが、それができないからこそ、アヴァンクヌギはテフラン――ひいてはファルマヒデリアに頼んでいるのである。
「まあ、無茶を頼んでいるのは分かっているからな。成功したら、報酬は俺が差し出せるものなら何でもくれてやる」
破格な報酬の提示に、テフランは目を丸くする。
しかしファルマヒデリアが興味なさそうにする姿に、アヴァンクヌギはスルタリアに視線で指示を出した。
「ファルマヒデリアさん。報酬については余人に聞かせるべきことではありませんので、少し外でお待ちください」
スルタリアに促されるが、ファルマヒデリアは露骨に不満そうにする。
だがテフランに「頼む」と言われると、不承不承ながら従ってくれた。
「なにかされそうになったら、「ファルリアお母さん、助けて!」って叫ぶんですよ」
「言わないよ、そんなこと!」
「むぅー。なら、大声で助けを呼ぶだけでいいですから」
スルタリアと共にファルマヒデリアが部屋の外に出ると、アヴァンクヌギは肩に入っていた力を抜きつつテフランに顔を向ける。
「さんざん脅すようなことを言っておいて、今さら虫が良いが。本当に頼るあてが、テフランしかないんだ。どうにかファルマヒデリアを説得してくれないか」
予想外の連続に心身が参り始めているアヴァンクヌギは、新米渡界者にすぎないテフランに、素の自分で頼み込む。
ここまでのやりとりで反感がないというと嘘だが、テフランはいま置かれている状況が最悪だと理解していて、その解決のために力になりたい気持ちでいた。
しかし、出来ることと出来ないことの区別もついてた。
「説得はしてみますが、期待しないでください。ファルリアお母さんは、大抵のことは俺のいうことを聞いてくれますけど、譲らないことは決して譲らないんです」
「どんなことは融通してくれないんだ?」
「例えば、一緒にお風呂に入りたがることとか、ベッドに忍び込んできて抱き枕にしてくることとか、町中を歩くとき腕を組みたがるとかですね」
ともに生活をする中で、ことあるごとに止めてと要望しても、ファルマヒデリアはこれらの事柄は一向に止めようとはしない。
このことは、青い感性のテフランには悩みの種なのだが、アヴァンクヌギにとっては違ったようだ。
「ケッ、惚気やがって。むしろ自分からやってやって、ご機嫌取りすりゃいいじゃねえか」
「いやいや。いくら俺に母親がいないからって、この行動は親子としちゃ異常だってことは分かってるし!」
「なんだよ、本当に親子の気でいるのかよ。つーか、血が繋がってねえんだから、やることやっちまえばいいのによぉ」
「……やるって、なにを?」
「そりゃあ、魔物の一種とはいえ肉体的には人間と変わらないっていう、告死の乙女だぜ。夜の相手に決まっているだろう」
下卑た笑みをわざとうかべながらの言葉に、テフランは思考停止してしまう。
その反応に、アヴァンクヌギは面白そうに唇をさらにゆがめる。
「お前だって年頃の男子だ。誘惑に負けてイタしても、誰も文句は言わねえさ。それにファルマヒデリアにとってみたら、そんな関係になった方が、願ったり叶ったりなんじゃねえか?」
悪魔のささやきのような言葉に、テフランは口ごもりながら言い返そうとする。
しかし言葉が結実する前に、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
そこにいたのは、予想通りファルマヒデリア。その後ろに、押し留めらなかったことを申し訳なさそうにしている、スルタリアがいる。
「もう内緒話には十分な時間が経ちました。テフラン、お暇しましょう」
「え、ちょ、まだ話は終わって――」
「こっちが言うべきことは全部いった。テフラン、後は任せたぜ」
「事情はよくわかりませんが、テフラン君の奮闘を期待しています」
「そんなーーー!」
理不尽さに悲鳴を上げるテフランだが、ファルマヒデリアは二度目の機会を与える気はないようで、そのまま帰路へとつかざるをえなかったのだった。
最近、StoryEditaがよくフリーズして、何度か原稿を書き直す羽目になります。
そこでプログラムを入れなおそうとしたのですが、ずいぶん前に公開終了していたのですね。知りませんでした。




