竜狩り姫と遅すぎた託宣の勇者
「フローラ姫」
私が嫌いなもの。
蒸らしすぎた紅茶――香水と愛想ばかり振りまく淑女――泣きだしたら止まらない子供――私よりも弱い男――出会い頭に震える臆病者――声が大きくて器の小さい大臣――タネも仕掛けもない妖術師。
「それで、いい加減に覚悟はできたの?」
「……あの、もうすこしだけ時間をいただけないかしら」
「なんですって?」
「ごめんなさい! でも、やはり恐ろしくてたまらないのよ」
「この期に及んでなにを言っているの。大人しくしてれば終わるわよ。痛みなんてほんの一瞬。すぐに楽にしてあげる」
「うぅ、でも」
「だいたい、あなたの了承なんていらないのよ。目的を果たせばオサラバなんだから、私は勝手にさせてもらうだけ。わかったら黙って頭差し出しなさい」
私がこの世で一番嫌いなもの。
占い――あるいは予言の類――人様の生をかき乱して高笑いしてそうな神様とその言葉。
「わかったわ……一思いに、お願い」
「無駄なあがきするんじゃないわよ」
いま私がこの世から抹殺したいもの。
「ごッご無事でちゅぐぁ、フローラ姫ぇぇ゛ええぇええまさかの姫様喰われてるなうとか俺死亡!?」
『嫌い』を備えて湧いて出た、いまさらすぎる救助――嗚呼、ほんとうに鬱陶しいくらいどこまでも付きまとってくるのね、予言って。
大口を開けた竜の顎のなかで、私は、うんざりと肩を落とした。竜は竜で固まったまま、なんか目の前で喉仏プルプル振動してるし、ブレスでも吐かれたらたまったもんじゃないと、ひとまず目的そっちのけにして這いだすことにする。
汗と涎で頬に貼りついた金髪をパサリ、と払って、武装が不釣り合いなくらい人畜無害そうな少年を冷ややかに見つめる。
「失礼ね、こんなビビり竜に私がどうこうできるはずないでしょ」
そこで人畜無害の顎が落ち、間抜けヅラに進化した。
「……。ハッ、姫様よくぞご無じゅげぼふ」
「ィイヤァアアア勇者様の馬鹿アタシもうお嫁にいけないッ」
間抜けヅラを尻尾アタックで吹き飛ばし、奇声をあげて身悶える乙女竜を冷ややかに見つめて、姫は神を呪った。
「お呼びじゃないのよ、託宣の勇者なんて」
間抜けヅラの手から離れた剣が、羞恥に絶叫する竜の奥歯にクリーンヒット。さすがは勇者装備、親知らずが粉々に砕け散る。
「いったぁああああぃ!」
あら、目的達成。本願成就おめでとう乙女竜。ここまで予言どおりってのが気に入らないけど、それでは私、国に帰らせていただ――
「姫様! ともに城へ参りましょう」
――やっぱり家出しようかしら。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
昔々あるところに占いが盛んな王国がありました。身体の弱かった王妃様は、姫君のお生まれと入れ替わるようにお亡くなりになり、王様はたいそう嘆き悲しみました。父王の愛情を一心に受けて育ったお姫様は、しかし、3歳の誕生日、城を訪れた預言者から呪いじみた予言を受けてしまいます――『16歳の誕生日を迎えるとき、一頭の竜が娘を攫う。神に祝福されし勇者が姫を救いに旅立つが、その目前で竜は本懐を遂げよう』。
「父は怒り狂ったわ……預言者を不敬罪で牢につなぎ、それから私を厳しく鍛えぬいたの」
「さすが当代唯一の現役ドラゴンスレイヤーよね。愛娘への容赦ないシゴキの数々、そこに痺れる憧れるぅ!」
「え、ちょ、王様、えぇっ!?」
父王ゆずりの武才をめきめきと発揮し、姫様はたいそう逞しく育ちました。「竜が現れたならその手で狩ってしまえ」と言い含められ、『竜狩り』の称号を引き継いだ姫様が16歳を迎えたある夜のこと。いよいよ北の岩山から竜は現れ、城を半壊させながら天蓋ベッドごと姫を攫っていきました。
「大胆すぎて衛兵も呆然よ。おかげで寝る場所には困らなかったけど、信じられないくらい図太いのね」
「あら、到着するまで目覚めなかった姫には負けるわよぉ」
「…………」
竜の根城までたどりつくと、目覚めた姫様は竜を見て、枕の下からサッと取りだしたメリケンサックを構えました。いまこそスパルタ教育の成果を見せるとき、と瞳を燃やした姫様に、竜は言いました。「ああフローラ姫。私が見込んだとおりの勇ましきお姫様。アタシの願いを叶えて頂戴。ひと月前から――」話の途中で姫様は竜の鼻先をぶん殴りました。「態度が悪い」首をだらんと伸ばして平伏した竜は、あらためて言います。「お願い。ひと月前から奥歯が痛くてたまらないのよ。王様直々に鍛えられたあなたの怪力で、どうか助けてください」これを聞いた姫様は吃驚です。驚きのあまり竜の眉間をぶん殴りながら言いました。「それじゃあお父様でもいいんじゃない! どうせそのうち勇者だってくるのよ。どうして私なの」じわじわとムカついてきた姫様は、さらにワンツーを叩き込みますが、竜の鱗は硬くビクともしません。姫様の拳もビクともしません。しかし竜は、そこで初めて身震いしました。「いやぁん無理よぉ、殿方の前で大口を開けて、全身に舌を這わせながら奥歯を抜いてもらうなんて、アタシには無理ィ! まして勇者さまだなんて」姫様は無言で竜の瞳に殴りかかりましたが、恥じらう竜はキュッと目をつむって難を逃れました。
「すみませんそろそろ突っ込んでいいですか」
「おだまり間抜けヅラ」
すっかり呆れた姫様ですが、抜歯さえ済めば解放してくれるという竜の言葉に、渋々メリケンサックを片付けて、ドレスの裾に縫いこんだナイフを取りだしました。「口の中は刃物通るんでしょうね」竜は答えます。「あなたの怪力なら十分よ」これを聞いて姫様は竜の顎に手をかけて口内に入ろうとしますが、どれだけ力を込めても開きません。「ちょっと、もっと口開けなさいよ。牙が邪魔で届かないわ」「いやん待って! やっぱり刃物は怖いの。覚悟が決まるまで待って頂戴」姫様は黙って竜の歯茎にナイフを突き刺しました。ところが竜は、グィンと首を跳ね上げ、頭上の岩肌に向けて悲鳴混じりのブレスを上げてしまうのです。
「だって刃物よ刃物!? 想像してごらんなさいよ勇者様、自分の歯茎にザックリとナイフが刺さるのよ!」
「え、あ、たしかに痛そ――」
「その縮尺じゃ麻酔針以下の細さじゃない」
「注射に泣く餓鬼レベルぅ!?」
竜が満足するまで根城から出ることも許されず、致し方なく姫様は、臆病な竜の覚悟が決まるまで、竜の溜め込んだ果実を齧りながら天蓋ベッドで眠る生活を送ることになったのです。いと、おいたわしや。おいたわしや。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
語り終えた姫様は、無表情に俺を見据えて言った。
「そういうことだから、じゃ」
「待って姫様どちらへ!? 俺は? 俺の事情は!?」
必死の形相で縋りつく俺に、姫様は淡々と答える。
「生まれる。神託受ける。勇者認定。はるばるご苦労。帰れ」
俺の人生が、ここまでの苦労が、さらには未来まで込めて26文字で完結した。なんてこった。
「いやいや、あなたを連れ帰らなきゃ俺の命無いんですけどぉおお」
「あら、お父様ったら相変わらず過激に親バカね。帰れ」
「取りつく島もなさすぎる!」
王様の殺気を思い出してガクガクと震える俺を、姫様は鼻で笑った。
「どうしてくだらない予言大国に帰らなくちゃならないの? ようやく解放されたんだから、もっと自由を満喫していくわ。邪魔しないで」
無理無理無理無理殺される! 王様に殺される! 姫様抜きで帰るなんて無理!
っていうか姫様、ここ一応国境線というか、人里離れた僻地というか、結構サバイバルな環境――なんて生き抜けますよね俺の数倍逞しいですよね勇者の存在意義! 嗚呼なんで俺ここにいるんだろう。
「それじゃあ俺はどうなるんですかぁ」
「帰るか乙女竜に嫁入りするか私の下僕になるかね」
「選択肢がヒドすぎでは」
さっきから全力で無視してるけど、竜から注がれる熱い眼差しが怖い。身の危険をヒシヒシと感じてる。丸呑みされるの? 食われるの? まさか違う意味で食われるの?
「それでは勇者様。御機嫌よう」
姫様が優雅に一礼する。
「姫様待って俺死にたくない――」
「あらそう嫁入り希望なの」
「人外のオスはイヤァアアア」
必死の形相で首を振る俺に、姫様はキョトンと目を丸めて言った。
「……あんたたちきっとお似合いよ?」
背後でキャッと野太い声を上げた竜が身をよじり、巨体にぶつかられた岩壁の一部がガラガラと崩落しだす。
とっさに頭を庇って回避行動をとると、パタパタと軽い足音が遠ざかっていく。
え、待って、姫様?
姫様ぁああああ――――!?
「ウフフ。不束者ですが、よろしくお願いいたしますわ、勇者様」
「うぁああああ、姫様下僕でいいので俺を連れて行ってくださいぃ――!」
情けなく木霊した叫び声は、果たして姫様の耳に届いたのかどうか。
▽ ▲ ▽ ▲ ▽
それは占術が大きな力を持った、とある王国の物語。
託宣に導かれし勇者様は、竜に攫われた美しいお姫様を救ってほしい――さもなければ死ねという副音声つきの――王命を受け、北の岩山へ旅立ちました。厳しい旅路を乗り越えて、いよいよ竜の住処へと足を踏み入れた勇者様――いいえ? その後の物語は、どこにも記されておりません。
もちろん、どんな占いにも。