06.ポワル
ポワルと友達になってから毎日が輝かしいほど楽しくなった。
剣術指導を朝済ませてからフィオナと共に集落の方に向かいポワルと遊び、家に帰ってからは決められた勉強時間を守って部屋に籠る。
魔法を学ぶ時間は極端に減ってしまったけど有意義な生活が続き、ゆっくりと季節は流れていく。
春から夏へ。
ポワルと一緒にいられるのは後六か月。
それは長いようで短い期間だ。
楽しいなら楽しいだけその期間は短く感じる。
蒸し暑い季節が過ぎてからポワルは私の家に訪れるようになった。
いつもは集落の方へと向かっていたのだが、最近はほぼ毎日ポワルが家まで遊びに来てくれる。
ポワルの家よりも俺の家の方が門限が早いため集落に俺が向かう場合は門限が来る前に早め早めに帰らなくてはならないが、俺の家の近くで遊べばそれだけ俺の帰宅時間が短縮できる。
ポワルは俺と長く遊びたいようだ。
言葉ではなく行動で示してくれるから本当の気持ちなんだろうなと感じさせてくれる。
素直に嬉しい。
可愛い奴め。
「シャロル。残り十回で終えていいぞ」
腕立て伏せ中に父上が珍しく少ない回数を口に出した。
いつもなら終了時間を大幅にオーバーするのに、今日は二十分も早い。
「良いのですか?」
「……私も恨まれたくはないのでな」
父上は苦笑しながら庭の端っこにいるポワルの姿を見た。
父上を睨んでいる。
超睨んでいる。
前々から剣術指導中に顔を出す事は多かったのだけれど、最近は父上に対して敵意剥き出しで指導を覗いている。
ルワードと俺とで扱いの差があるのが許せないのだろう。
イジメを受けていた個人として。
いやーいい友達を持ったなーあはは。
腕立て伏せを終わらせてからフィオナを手招きしてタオルをもらい、汗を拭きながらポワルの方へ歩いて向かう。
彼女は耳を立てながら尻尾を振って小走りしてやってきた。
尻尾まであると何だか犬みたいだ。
わふわふ呟きながら俺に抱き付いて匂いを嗅いだりしてくる。
犬みたいというか、犬なのかもしれない。
季節も夏だし体を動かした後なので汗臭いと思うのだが、ポワルはまるで気にせずに寄って来てくれる。
女の子としてはどうなのだろうか……。
俺は出来ればシャワーを浴びてから遊びたいんだけど、わざわざ遊びに来てくれている女の子を待たせる訳にもいかないかな。
ポワルは気にしてないみたいだし。
「シャロル~!シャロル~!!」
「いつも来てくれてありがとうね、ポワル」
尻尾を振って笑顔を振り撒く姿はとても可愛い。
いつもなら隠すはずの犬耳や尻尾をわたわたと動かして興奮している。
いつも…と言っても、俺と会う時は大体わたわたしているな。
「ねえねえシャロル!ぎゅってしてもいい?」
「嫌だよー……熱いし、私今臭うから」
「うー……シャロル~!」
健気で可愛いのは良いんだけど、ポワルに対して特別何か強い感情は持っていなかった。
やはり年齢の問題だろうか。
フィオナは中学生か高校生くらいの年齢だし、中身おっさんの俺でも恋愛対象に入ってしまうくらいの可愛さと気品を持っている。
それに対してポワルは若い。
若すぎる。
なんたって四歳である。
外見的にはほぼ同年代だが、中身おっさんの俺からしたら娘みたいなものだ。
ポワルの可愛さは娘として見た時の可愛さであって恋愛とかそういう方向ではない。
いずれは胸がドキッとする女の子になるかもしれないが最低でも後数年は掛かる。
数年経っても性別的に恋愛できないんだけどね。
元気出せ俺。
「ねえねえ!今日も早く向こうに行こうよ!」
「うん。じゃあ行こうか」
俺達は遊ぶ場所がいつも決まっている。
家から見えない場所にある木々に囲まれた小さな空間で、ポワルのしたい事を中心にしながら遊んでいる。
ポワルは俺に何か提案してほしいみたいだが俺自身は特にやりたい事がないのだ。
鬼ごっこやかくれんぼをしても楽しいと思える精神年齢じゃないし、人数もフィオナを合わせて三人だからやりたい事が限られている。
でもポワルが提案するのはかくれんぼが多い。
隠れている間は魔力を使う練習をしているので悪くない時間だ。
中々俺が見付からないと寂しくなって泣きべそかくのだけは勘弁してほしい。
剣術指導で消耗した体力に余力があれば剣術や魔法をポワルに教えたりしている。
剣術は教えている側も体力を消耗してしまうため魔法を教える方が主だ。
俺が自分で学習してきた魔法をちょっとずつ教えて毎日使うようにさせている。
やはりポワルも俺が最初に魔法を使い始めた始めの頃のように魔力総量が増え続けているようだ。
最初は実感していなかったようだが、今では毎日のように感じるという。
ポワルも俺と同じくらい魔法が使えるようになるかもしれない。
才能はある。
いくつかの魔法は無詠唱で発動できるそうだ。
無詠唱で発動できる魔術師なんて滅多にいないと母上から聞いていたのだが、ポワルは例外という事なのだろうか。
俺も簡単に出来たので誰でも出来るイメージが頭の中にこびりついている。
ポワルもきっとそんなイメージが定着してしまうんだろうなあ。
詠唱とは何だったのか。
無詠唱自体は元々その人が持ち合わせる天性の才能によって左右されるそうなのでポワルは運が良かったという事になる。
その事を教えてあげると非常に喜んで魔法の勉強を始めていた。
褒めて伸ばしてあげよう。
「シャロルは色々知ってるし何でもできるけど…できない事ってあるの?」
「唐突だなあ」
「だってお父さんよりも詳しいんだもん!」
「あはは……私にだって出来ない事はあるよ。例え得意な魔法でもね」
回復魔法とかな。
魔法には火や水、風等の属性がある。
俺はその内の幾つかの魔法が上手く扱えない。
あるいはその逆。幾つか得意な属性がある。
自身の才能やどれほど学を積んだかで属性魔法には差が出てくるようだ。
風魔法は特に学ばなくても発動出来たので風属性は結構得意である。
使えなくて特に痛いのが回復魔法。
これからもずっと使用する事が出来ないと思うと怖い。
父上の教えによれば回復魔法は剣士を目指す者にとっては必須の魔法なのだと聞いているので不安を隠せない。
回復魔法の良し悪しが戦いを分けるとも教えられた。
その言葉を聞く毎に胸が抉られるからもう言わないでほしい。
「ねえシャロル。今度シャロルの家に泊まっても良い?」
「……あー、どうだろ。ウチは厳しいから難しいかもしれないね」
「そっか……残念……でも、毎日遊んでるから寂しくないよ!」
最初に会った頃とは比べ物にならないくらい元気になったもんだ。
これが全部俺と出会ったからなのだとしたら俺の影響力はかなり大きかった事が伺える。
しかしこの楽しい時間は残り六ヶ月だ。
その事をポワルに話すべきなのか話さないべきなのか迷っていた。
話すとしたらどのタイミングで言えばいいのかさえ分からないし、ポワルにどんな顔をすればいいかも分からない。
友達になってくれてありがとうとは言いたい。
でも別れの言葉は言いたくなかった。
ニューギスト公国からこの集落までは遠くはないが日帰りで帰れる距離かと問われればいささか疑問だ。
地図を見た限りではそう感じた。
この世界で最速の乗り物は馬や馬車なので馬の休憩が必要になる。
休憩をしていたら日帰りは不可能になるだろう。
彼女に話すのはまだ当分後で良いと思う。
きっとあの時のように泣いてしまうのではないかと思うとどうにかしてやりたい気持ちになる。
でもどうか強くなってほしい。
俺がいなくても大丈夫なくらい、強く。
そのための剣術指導、そのための魔法指導。
心を強くするための指導なのだ。
日が暮れるまで遊んでクタクタになった後はポワルと一緒に我が家の前まで戻り、手を振って別れる。
別れる前にポワルは俺をぎゅっと抱きしめてくんくんする。
俺も同じように抱きしめて寂しがる彼女に元気を与える。
パタパタと尻尾を振るのでポワルがどう思ってくれているかはすぐに分かる。
だからこそ、俺への依存が高まっている気がして心配だ。
「シャロル!また明日~!」
「うん。またね~」
ポワルの後ろ姿が見えなくなるまで手を振って、後ろ姿が見えなくなってから家の中へと入った。
勉強時間に間に合うように部屋の中に入って少し休憩する。
若い分体力があるかと思いきや、まだ若すぎるので全然体力が無い。
夜の八時くらいには瞼が自力で開かないくらい眠くなってしまうのだから不思議だ。
「……先程のお話ですが、ポワル様が家に泊まられても良いか聞いてきましょうか?」
「いやいいよ。ポワルがいたら眠れないだろうし、朝の剣術指導に支障を来たすから」
「そう…ですか。失礼しました」
嫌いな訳じゃないしどちらかといえば大好きだけど、特に夜まで遊びたいとは思わない。
五歳にとって夜は短いからだ。
泊まってもすぐに寝てしまって、朝少し会話したら父上の剣術指導があるのでお別れになってしまう。
いずれ大きくなった時に遊ぶ機会があればお泊りもしてみたいな。
……ポワルの大きくなった姿か。見てみたい。
きっと可愛いんだろうなあ。
「シャロル様はポワル様と出会ってから笑顔が増えましたね」
「ああ当然だ。良い友達を持ったと思ってるよ」
「そう思って頂けるポワル様もきっと幸せでしょうね…」
「……もしかしてフィオナ、やきもち?」
「いえ!そんなんじゃありませんよ!」
慌てて手を横に振るフィオナ。
あ、これはやきもちだなと確信した俺はポワルがいつも俺にしてきているように前からぎゅっと抱きしめてあげる。
フィオナは恥ずかしそうに顔を横に逸らした。
しかし声のトーンは緊張したものではなく落ち着いていた。
やきもちでは無かったらしい。
「私も魔族の血が流れる者としてポワル様に同情していたんです。シャロル様のお陰で元気になった姿を見ていると私も幸せな気分になります」
「ポワルも随分明るくなったからね」
「……ニューギスト公国に向かう時にどう説明したものか考えてしまいますね」
どうやらフィオナも俺と同じような悩みを持っていたようだった。
ポワルと遊べるのは残り半年。
やはり一年は短い。
ポワルにはいずれ言わなくてはならない事だけど、思えば思うほど彼女に酷で言いにくいものになってしまう。
フィオナと一緒にポワルにどう伝えるべきか考えなくてはならない。
そう思っていた。
――――――――――
ポワルの家は豊かではなく貧しくもない普通の家だった。
魔族の血が流れているからという理由で差別されていたが他の魔族よりも平穏な暮らしを送れている。
父は狩りと畑作を行っていてポワルの相手をしていられない事が多かったが、ポワルは母親から沢山の優しさを受けていて、極端に不幸ではなかった。
そして魔族は差別されている事を教えられていた。
ポワルの家は平均的な魔族の家庭と言っても差支えないだろう。
「ただいま!」
「あらお帰りなさいポワル。今日も友達のところへ?」
「うん!シャロルと遊んできたの!」
母親から見れば娘が差別されるのは心苦しい事だったが、気付けばポワルにも友達が出来て、今ではとても仲良く遊んでいるのだとポワルは笑顔で話していた。
そのお友達は女の子なのに、ポワルを虐めていた子供達を追っ払ったのだという。
「……シャロルって、アストリッヒ家の?」
いつも忙しくて家にいない父親が珍しくポワルに聞いた。
母親も父親もポワルがいじめっ子達を追っ払ったと言ったのは、ただの冗談、或いは間違えてそう見えたのだろうと思っていた。
しかしその時父親は何かに気付いた。
アストリッヒ家の末っ子シャロル。
一部では魔女とも噂されているくらい子供離れした才能があり、天才と呼ばれた長男セイスが目標としていたとさえ言われていた。
魔法使いの母親を持ち、剣士の父親を持つ彼女ならイジメを喰い止めるくらい容易い事なのかもしれない。
だが身分が違いすぎる。
なぜ助けてくれたのか疑問を抱くほど不自然な話だった。
こちらは魔族の血が流れる差別の対象であり、向こうは純血な人間で、しかも竜を倒したといわれる有名な冒険者の娘だ。
ポワル達が住んでいる集落を安全な場所にしたのもアストリッヒ家のお陰で、集落への物流を良くしてくれたのもアストリッヒ家のお陰だ。
頭を下げなくてはならない高貴な人達という印象を持っていただけに、ポワルの父親はどういう顔をしていいか分からなかった。
ただ一つ、これだけは言えた。
「良い友達を持ったな、ポワル」
ポワルとシャロルがどのくらい仲が良いかは分からない。
だがアストリッヒ家との繋がりがあれば、ポワルが窮地に陥った時に何らかの形で救ってくださるかもしれない。
そういう考えは親としてどうなのだろうとは思ってしまうけれど、魔族の血が流れている父親として我が子の未来の事を考えずにはいられなかった。
……しかし、父親は知っている。
アストリッヒ家の長男はニューギスト公国に向かい、剣士を育成する名門校に通っている事を。
ポワルの父親が狩りを教わったのもニューギスト公国の学校出身の狩人からだったし、その者もニューギスト公国内では大した手柄も取れない未熟者だったと謙遜していた。
尊敬の念すら抱いていた狩人が自身を未熟者だと言ってしまうような国。
父親はそのように認識していた。
もしもシャロル・アストリッヒが長男を追ってその学校に入ったなら、ポワルとの関係は断ち切られてしまうだろう。
ニューギスト公国から集落まで、日帰りでは帰れない。
長期休みの時に遊べるかどうかといったところだ。
「……ポワル、もしかしたらそのシャロルという子は剣士になるのかもしれない。
恐らく、後一年もしない内にこの集落から離れて学校に向かう事だろう。
だから今を大切に思って過ごしなさい」
「……学校?」
ポワルには分からない単語だった。
今を生きるのに必死だったポワルに、自分の未来について考える能力はまだなかったのだ。
「剣術や魔術を勉強する場所だよ。ポワルの嫌いな算数や国語といったものも徹底的に教え込ませる、自由の少ない場所だ」
「わ……私も行く!シャロルが行くなら私も!」
「そうは言ってもな……入学試験がある。その場で剣の腕を確かめられるが、ポワルは剣なんて触れた事すらないだろう?」
「あるよ!沢山ある!いつもシャロルに教えてもらってるもん!魔法だって!」
娘の言葉に父親は少し驚いた。
ポワルは必死になって自分の実力をアピールしようと、短い棒を振り回したり小さな魔法を使ったりした。
魔法を見た時、父親も母親も目を疑った。
子供が魔法を使う事は稀だが前例がない訳ではない。
大事なのは、問題なのはその方法である。
ポワルが詠唱を唱えずに魔法を発動したことが一番重要だった。
両親は目を合わせてお互いの意志を確認する。
父親も母親も答えは出ていた。
「……お前の好きなようにしてみなさい」
我が子を思う親ならばその選択が最善だと二人は感じていた。
ポワルの才能を信じて疑う事は決してない。
後は全て娘の決めることだ。
――――――――――
「ルワード、今日は終わりだ。シャロルは残り十周、良いか?」
「聞く必要なんて、ない、でしょう?」
「……当然だ」
父上の指導は相変わらず厳しい。
母上からも厳しすぎるのではないかと指摘されていたが、あの頑固親父は聞く耳を持たないし、ポワルから睨まれても動じなくなった。
むしろ睨み返しているような。
ポワルも怖くなったのか、父上に対して反抗的な態度を取る事が少なくなった。
俺はこの状況を仕方ないと割り切って父上と接しているのでフィオナも次第にそう思うようになっていた。
息継ぎが辛かったり吐き気を催すことだってあるけれど、一年以上続けているとどうでもいいやとさえ思ってしまう。
元々、吐き気に慣れていたというのもある。
前世はコンビニ飯ばっかり食べていた時があって、サラダとか買ってくると毎回消化不良で腹壊していたからなあ。
嫌な慣れだ。
まあそのお陰でコンビニ弁当をやめて料理ができるようになった。
良くはないが悪くもないだろう。
「シャロル」
走っている途中に父上が珍しく声を掛けてくる。
「……何で、…しょう、か?」
「お前ももう少しでニューギスト公国に向かう身だ。セイスには一度、真剣な試合を私と行ってからアカデミーへと向かわせた。
お前もルワードも同じように試合をするつもりでいる」
試合という言葉に体が反応する。
父上と戦うチャンスがあるらしい。
この恨み辛みを力に父上にぶつけるチャンスを得たという事だ。
「ルワードは来週末、お前は今週末だ。それまでの剣術指導は休んでも良い、本番の日に全力で動けるように調整しておけ」
「分かりました、でも大丈夫です父上」
「……何がだ?」
「私は指導、全部出ますから」
人生最大の屈辱をこの親父に与える為に、疲れ切ったハンデの上で父上を叩きのめす。
隠していた魔法も使って全力で叩きのめす。
それが今俺が一瞬で思い付いた目標だ。
俺は一瞬でこんな事を思い付いてしまうほど父上の事を嫌っていたらしい。
父上は私の意志を確認して頷き、その後俺に言葉を振ってくる事はなかった。
しかしまあ……遂に憎き父上との対決。
初めての試合か。
―――面白くなってきた。




