38.“再会”と戦
乱光包との対決は案外早く決着が付いた。
俺も相手も本気を出していなかったように見える。
巨漢の乱光包は俺の実力を軽く見てから頷いて剣をしまい、グッと重苦しい動作で腕を組み始めた。
「其方、何故始めから手を抜こうとした?」
最初に口から出たのは巨漢の純粋な質問だった。
……始めから、分かっていたのか。
「私達は仲間になるのでしょう?なら、本気を出す必要もないでしょう」
「それは、其方の本気を見たら、ワシが怪我をしてしまうという事か?」
「いえ、双方どちら共怪我をする訳にはいかないでしょう。
リセリアちゃんに迷惑は掛けられないし、大体貴方の実力はリセリアちゃんの折り紙付きなのでしょう?」
「……く、ふはは!そうか!我らが君主に対してその様な呼び方、実に面白い」
男は高らかに笑う。
その笑いの一瞬に男から殺気を感じる瞬間があった。
アキレスが何も言わぬよう、また前に出ないように手を添えると乱光包は頷き、俺から視線を外して空の向こうを見始めた。
言葉に表すなら、敵意が無くなったというところだろうか。
完全に気配が消えたかのような感覚。
静と動を理解し、上手く使いこなしている。
「今の一瞬、捉えたか」
「……いえ。私には対処のしようもありませんでした」
「そうワシを立てる必要はない。
確かに、勘付いても反応できるかは別問題だがな」
男は顎髭を片腕で擦りながら俺とアキレスを見続けた。
そして、人受けの良さそうな笑みで俺達の評価を述べる。
「実力は充分じゃのう。そちらの娘も、素質はあるだろうて」
「当然だ。例え無くとも、何度でもシャロル様の盾となる」
「……その忠義、実に見事。その信頼を物にする主君の人格もよく分かるわい」
乱光包は馬に跨ってゆっくりと動き始める。
どうやら本当に俺の実力だけを見に来たらしい。
用が済んだからと、もう帰る気満々だ。
「敢えて言わせてもらうのであれば…赤毛の娘、其方に斧は似合うまいて。
その年齢でその背丈であれば、今後の事を考えて長物を使うのが良かろう」
「……そりゃ、これじゃオレの実力が良くならないって事か?」
アキレスは純粋な問いを乱光包に投げ掛けた。
それに対して乱光包はフルフルと首を横に振る。
「それを決めるのは其方だ、ワシではない。
付き従うだけが主君に仕える事ではない、自身で考えるのだ」
「……分かった。えっと…ありがとうございます」
「うむ、素直に人の意見を呑む良い娘よ。……それでは失礼する。
ワシの下らぬ理由で時間を取らせてしまった詫びは何れ、戦場で返すとしよう」
そう言って乱光包はとっとと去ってしまった。
巨漢に名馬、あのような武人を手中に収めてしまうリセリアちゃんもまた化物だ。
他のメンバーもさぞ実力がある人物に違いない。
その中に俺やシスイが含まれているのは嬉しい事だ。
乱光包と同格とは思えないが、どこかに潜在能力があると期待されているのだろう。
しかしまあ、今の一戦で気になる所はあった。
“今の一瞬、捉えたか”
あの時発された殺意はどこかで感じた事がある。
身体が強張る様な、一瞬で体が恐怖を覚えるような感覚。
……剣聖の放った波動に近しい感覚だった。
それだけ分かれば、あの巨漢がどのような立場にあるのか理解できる。
剣士の中でも相当強い部類だ。
伊達に変な名前している訳ではない。
「シャロル様…オレ、斧似合わないってよ」
「長物の方が良いって言ってたね。
槍の先に斧が付いた斧槍とか試してみれば良いんじゃないかな」
「ハルバード!くうう、良い響きじゃねえか!」
アキレスは自身の武器を似合わないと言われつつも、新しい武器の話をしてあげるとすぐに気分を切り替えていた。
アキレスの武器は吟味したものではない。
俺とアキレスの二人で適当に、その場のノリで決めた物である。
というか彼女が格好良いからという理由で選んだ物だった気がする。
武器は自身の命を預ける物。
“今後の事を考えて”、生存率と殺傷能力の高い武器を選ぶべきなのは当然だ。
だが乱光包と俺達の考える今後は別方向を向いていた。
彼は対人を。
対して俺達は魔物との戦いをだ。
魔物との戦いでは生存率を上げる長物だと致命的な一撃を与える事ができず、より大きい一撃を与えられる対人不向きな武器が好まれる。
奴隷だった彼女を採用した最初の理由は竜討伐だった。
あの頃は斧でも良かったが、今求められるのは致命ではなく力のバランスだ。
対人でも対魔物でも善戦できる力が求められている、乱光包に言われた通り、斧は良い選択肢ではなかった。
言われるまで気付かないのも情けない話だ。
乱光包はそういう部分を含めて俺の評価を脳裏でしたのだろう。
主君として信頼されているか、実力、技量、才能、その全てを。
……召集日時はまだ少し余裕がある。
次に乱光包に会った際に驚かせられるように槍斧へ武器を変更するとしよう。
アキレスは細かな剣技は苦手であるが立ち回りや位置取りは本能的に理解している。
長物の使い方を理解すればすぐに成長の兆しを見せる事だろう。
「そうだ、今日は槍を使ってみる?」
「ああ是非!」
この後、乱光包に会ったアキレスは武器を変えた英断を褒められる事になる。
だがレベッカの影響を受けてか、半端に槍の使い方を覚えている彼女が槍斧に慣れるのは随分後になってからである。
快く鍛練に協力してくれた乱光包も苦笑いであった。
――――――――――
巨漢との出会いに心が高鳴ったのは事実だ。
だが俺はもう一人、胸が高鳴る人物と会う予定を作っていた。
アキレスとフィオナを部屋に残し、ノイエラと一緒に待ち合わせの場所へと向かっていた。
待ち合わせの場所は酒場だ。
未成年だが美人がいると映えると言われてほぼ無料で色々と注文できる。
ノイエラを連れて行く理由は酒場で一番人気があるからだ。
お金さえ出せば厨房に向かい料理を振る舞ってくれる、男だらけの店員と客にとって彼女の存在はとても大きい。
……まあ正直、見られる側のこっちは良い気分ではない。
しかしコリュードの喫茶店はハードルの高い物が多く、貴族や騎士を優遇しているからか一見様お断りという店が少なくない。
選べる選択肢が少ないから酒場を選んでいるのだ。
悲しい話だが、留学が終わるまでの辛抱だ。
他国より出身国の方が居心地が良いなんて誰しも思う事である。
「あのさ、今日は誰と会うの?」
ノイエラは酒場へと向かう道でそう訊ねて来た。
俺は内緒と言ってその道を歩いて行く。
俺達はその相手の姿にゆっくりゆっくりと近付いている。
酒場の前には人だかりが出来ており、その中心には二年前に別れた友達の姿があった。
「あっシャロル!待ってたよ!」
どいてどいてと人だかりを押し分けて彼女は俺の胸に飛び込んできた。
人目が付きそうな服を着ている茶髪の彼女は俺の無い胸に顔を押し付け、そこから顔を摺り寄せながら顔元まで自分の顔を這ってくる。
甘えたがりのような身体の摺り寄せ具合に気が取られつつも、笑顔で彼女の求めている言葉を返した。
「久し振り、シスイ」
シスイ・フィーリングアローン。
別れから二年、世間的には今を時めく人気歌手という位置付けになっていた。
公国ではあまり大きく有名にはなっていなかったがコリュードとアリュースとネストでは比較的有名である。
何故有名な場所が限定的かといえば音楽媒体が無いからである。
それでも三つの国で名が知れている歌手というのは、この世界では成功した部類に値する存在なのだ。
たったの二年で成功を収めた彼女は一体どのような経緯を辿ったのだろう。
今も昔も変わらず優しそうな笑顔を浮かべているが、その成功の裏にどのような努力があったのか聞く由もない。
本人も言葉を濁すような壮大な努力であろう。
当時十歳だった彼女も今や十二歳だ。
俺も成長したが、彼女に比べたらミジンコみたいなものである。
「二年振り、だね」
“告別”の後に“不在”があり、“不在”の後に“再会”がある。
前世のどこぞで聞いた言葉だ。
その意味を、その曲を、知っている者は少ない。
「な、なんで?なんでシャロルがシスイさんと知り合いなの?」
ノイエラは俺の思惑通りの動揺を示してくれた。
アキレスは世間に疎く、フィオナはシスイの存在を知っていた。
もしシスイと友人関係を持っているなんて話で驚かすのであれば、一度ネストへ帰していたノイエラが適任だったのだ。
その同様に俺はクックッと笑う。
シスイは変わらず笑顔のままだ。
こういう事態に慣れているのかも知れない。
「紹介するよ。こちらはノイエラ、うちの料理人だ」
「初めまして、シスイ・フィーリングアローンです」
「あ、はい…!お話できて光栄です」
各国共通なのだが、食事処では人寄せの為にシンガーを雇って歌わせる事が少なくない。
前世では薄らとバックで音楽を流す事が可能だが、こちらの世界ではそうはいかず、食事処では食器の音くらいしか聞こえないのだ。
そういう寂しさを紛らわす意味でシンガーと料理人は繋がりが深い。
有名な歌手を雇う事は食事処のステータスにもなる。
ノイエラにとってはかなり繋がりを持っておきたい人物でもあるだろう、彼女が一人立ちする時に備えて友好関係を築かせてあげるのも主人の心意気というやつだ。
シスイ自体は、俺にしか目がいってないように見える。
こういう事に慣れ切って逆にウンザリしているという感じだ。
リセリアちゃんと協力関係にあるはずだけど、彼女もシスイに求めているのは影響力や人の繋がりだと思う。
決して歌に惹かれて仲間に引き入れた訳ではあるまい。
「ノイエラ、料理を作ってくれる?
今日は酒場に人が沢山来そうだから、厨房にずっと入ってもらってもいいかな」
「え?…うん、任せて」
シスイに色々なアタックを仕掛ける前にノイエラを厨房へと移動させる。
俺とシスイは酒場の端の方に座って取り敢えず一息付く事にした。
シスイは人だかりの中にいたせいか、少し疲れていたように見えたし。
「ってちょっと、向かい側に座ってほしかったけど…」
「うーん、私はシャロルの隣が良かったから」
ふふふと笑いながら彼女は肩に頭を置いてきた。
沢山、辛い事があったのかもしれない。
酒場に呼んだ時に連れてくるかと思ったが、二年前に一緒だった青年と老人の姿は見当たらない。
「案外世界は狭かったよ」
彼女は唐突にそう言った。
世界は狭い、それは自分も頷くところがあった。
俺も前世に比べたらこの世界は遥かに狭いなと思ってしまう。
この世界がというより、この大陸が…と言った方が正しいか。
国の数が十もない大陸なのだ。
そして、さほど領土もない。
「世界を相手に意気込んでみたけど、私の夢はたった二年で終わっちゃった。
シャロルのくれた新しいジャンル、新しい曲調、それら全ては皆に受け入れられて、私は時代の先端を進めた。
そりゃあさ、この二年はずっとずっと……楽しかったんだ」
彼女の才能は完全に開花した。
皆に認められて俺は羨ましいと思っている。
だが、それでも彼女は“今”を楽しそうに生きていない。
「私と一緒に歩いて来てくれたあの二人は別の道に進んじゃった。
それでも構わないって私はずっと今も歌ってるけど、期待が膨らめばそれに応えなきゃいけないって苦労もあるし、曲目当てじゃない人達と会う事も増えた」
「……じゃあ何故リセリア・ヴィンランドノートと?」
疑問だ。
彼女の言葉からは彼女の意志は簡単に読み取れた。
歌を欲している人に歌を届けたい、たったそれだけの思いだ。
だがリセリアちゃんはそれを、それだけを望んでいる訳じゃない。
それは少し考えれば分かる事だ。
「違うよ」
彼女は俺の腕をきゅっと抱き締めながら言う。
「――シャロルと一緒にお仕事したいだけだったんだ」
その言葉は彼女の脆さを纏めた一言だった。
彼女の限界が垣間見える言葉に俺は何も答えず、出された冷水を喉に通していた。
二人で沢山の話をした。
楽しい話、苦しい話、辛い話、重い話。
俺は友人が死んでしまった事を話す。
彼女は、自分から離れてしまった友人の事を話してくれた。
シスイは俺達から離れてから俺の歌を世界に広めようと様々な場所で歌い、そして数え切れないほどの評価を得てきた。
その評価を後ろ盾にして青年は独立。
自分と常に一緒だった老人は、シスイが他人の曲ばかりを歌っているのに我慢できず、いなくなってしまったという。
老人はシスイの歌が好きだったのだ。
決して俺の歌が好きな訳じゃなかった。
そしてようやく、シスイは色々と気付けたという。
気付けたことに関して彼女は言わなかったし、俺も聞こうとはしなかった。
既存のファンを置き去りにするようにして沢山のファンを得た。
それが果たして幸せかどうか、それを決めるのはシスイの心だ。




