36.魅了景色
更新送れて申し訳ありません。
36.5話にて登場人物紹介 (ちょっとしたまとめ)を入れる予定。
キャラを忘れた方はそちらをご確認頂ければと思います。
決闘から数ヶ月が経過した。
剣聖と父上はニューギスト公国にしばらく残るらしく、公国とアーリマハットの行く末を見守っている。
父上の言った通り公国は不穏な空気が漂い始めている。
市民達からは放火魔の情報を開示する声が掛けられ、それを長い間隠し通せる訳もなくゼハール商会の名前が浮上し始め大きな波紋を生んでいた。
生活自体は今まで通り変わらなかったがアーリマハット関連では皺を寄せてしまうような物も目立つ。
特に、輸入品関連。
農業大国のネストから輸入される品々は基本的にアーリマハットを経由して届けられるのだが、アーリマハットが関税を重くしたらしく一部輸入品の値が高騰している。
目に映る所で言えば……茶葉、辺りだろうか。
アーリマハットは国内産業の保護なんてこれまでしてきたことがなく、関税も他国と比べてかなり軽い場所であった。
それなのに突然の、無視できない重みのある関税である。
アーリマハットに根を下ろして活動していた商人達は雲行きが怪しくなってきた事を察するとそそくさと移動し始め、今では公国で活動している者も少なくない。
また、治安悪化を見てネストの別荘へと移動した貴族達もいる。
アーリマハットにいた住民達は少しずつ他国へと消えつつあった。
俺の周囲の人間でその問題に立ち向かった者が一人いる。
リセリアちゃんだ。
コルセット王子の動きが鈍く、その要領の悪さから自ら動きだしたのだ。
これに関してはコルセット王子だけが悪かった訳ではないとリセリアちゃん自ら語っていた。
自分達の親であり公国の統治者であるはずの公爵は床に伏しており、コルセット王子は公爵の看病をしているだけなのだと。
無論、公爵が床に伏している話は他言無用の情報である。
公爵は元より病弱でもう長くないらしい。
「臣民が困っているのに動かない訳にはいかない。
看病なんて誰にでも出来る。使用人に任せて問題に当たらないと言うなら、王子も子供も変わらないでしょう」
どれほどの英才教育を受ければあんな巧みに口から物が言えるか分からない。
リセリアちゃんはそう呟いたある日を境にニューギスト公国から姿を消した。
あれだけの言葉を吐いて逃げたというのはあり得ないだろう、だからきっとどこかで今も戦っているに違いない。
大丈夫だ。あの子には時雨さんも付いている。
心配する事など無かった。
いや、もしかすると心配されているのはこちらかもしれない。
そのくらいの心持ちで充分だろう。
俺とフィオナとアキレスは冬のある日、ネストへと向かっていた。
栗色の体毛をした二頭の馬に少し薄い防寒具を着せ、真っ白い雪が降る道無き雪原をザクザクと音を鳴らしながら進んで行く。
馬の足音と荷台が軋む音くらいしか聞こえない雪原の早朝。
ゆっくりと太陽が昇って来ているのが薄らと見えていた。
アキレスはいびきをかきながら大の字になって熟睡しており、俺は軽く荷物を纏めながら荷台の壁に寄り掛かる。
生姜の匂いが漂う豚肉の干し肉を齧り、雑に切られた甘ったるいチョコレートのような物を口の中に放り入れてカロリーを取った。
食事と呼べる量ではないが、少しでも栄養を取れば段々と身体は暖かくなる。
それにどうせもう目的地には到着するはずだ。
「おはよう、フィオナ」
「おはようございますシャロル様。今日もまた一段と冷える朝ですね」
「そうだね。……もう少し時期を見計らって来た方が良かったかな」
御者はバルゲルではなくフィオナだ。
あの決闘の後、フィオナとアキレスには馬車を動かせるように公国で勉強してもらっていた。
夜はアキレスが、朝はフィオナが馬の手綱を握る。
時折馬を休ませたりもするが寝かせるのは昼で、その間は狩りをしたり野草を取ってきたりと妙に冒険者臭い事をしている。
そういう生活も中々楽しいものだ。
俺と二人の関係が主人と従者でなければ俺が夜の見張りとか手綱握りをしなければならなかっただろうから迷惑を掛けていることだろう。
旅行先に車で送ってもらって俺だけ酒を呑んでいるようなものだ。
運転手になって得をするような事はあまりない。
フィオナは金属製の小鍋を手に取り、俺の目の前にある馬車揺れを抑える穴開きの机に嵌めた。
既にフィオナが魔法で温めた物らしく、中には兎肉と野草を煮た物が入っている。
味については……野性的な味だと言っておこう。
風味や苦味を濃い味付けで誤魔化し、強引に美味しくしたような味だ。
強引にでも美味しくなっているのだから良しとしよう、こういう旅路で味の事を云々言ってはいられない。
「フィオナはもう食べたの?」
「はい。干し肉も少し頂きました。
……敬遠してましたが、意外に柔らかくて美味しいのですね」
「牛肉ならもっと硬かっただろうね、私も豚肉の干し肉は食べた事なかった。
特有の臭みも生姜で消せているし、匂いも……葱かな?
香辛料なんかも拘りがあるみたい」
「シャロル様……生で食べられましたか?」
「え、火を通さないといけなかった?」
「牛ではなく豚ですからね。
製造方法によっては大丈夫なのですが、売っていた物ですし…品質が保証されているわけではないので一度火を通した方がよろしいかと。
兎肉のスープに胃腸薬を混ぜてありますから体が温まるまでお飲み下さい」
「はい……フィオナがしっかり者で助かったよ」
口の中にスープを流し込み、溶け切らず底の方に溜まっている苦い胃腸薬の粉も余さず平らげる。
野草や調味料は味よりも消化に良い物や消化改善に役立つ物を使用しているので運が悪くない限り腹を壊すという事は無いだろう。
……無いと思いたい。
「ねえフィオナ、膝に座ってもいい?」
「はい。どうぞ」
「うん……ありがとう、背丈が高くなった分、遠くが少し見えるよ」
ついでにお尻と背中が暖かい。
フィオナの様子を伺って座るが、笑顔だったので嫌々している訳ではないのだろうと一先ず安心した。
朝日は次第に強くなり、降り続いていた雪はゆっくりと衰え始める。
馬車の行く先に下り坂がありフィオナは馬を停止させた、その振動でアキレスは「ふがっ」と妙な声を上げて起床し荷台から顔を出した。
下り坂の先には白い背景に溶け込む様に数十の煙が上がっている。
フィオナは俺に生地が暖かいブーツを用意してくれた、自分もブーツを履きながらアキレスに合図を掛けて馬車から降りれるように支度をさせる。
俺は子供の様に雪原を走り、その景色が見える坂の上に陣取った。
その後をフィオナが歩いて追い、アキレスが剣を腰に付けながら走ってやってくる。
そこから見える景色は真っ白な世界だった。
遠くまで白一色で遠くの山々まで良く見える、坂の下には小さい点のような馬車が煙の上がる街の方角へと向かっていた。
街はそれほど大きくなく雪原がとても目立つ。
その理由は、農業大国と呼ばれるネストの農地全てが雪に覆われてしまっているからだ。
ネストが農業で栄えた理由は他国に比べて温暖地であるからだが、今年は近年稀に見る寒波に見舞われたらしい。
一面雪景色になったネストの事を昔から“魅了景色”と言うようだ。
「とても綺麗ですね」
「……ああ。さっきの訂正、やっぱりこの時期に来て良かったよ」
農業大国ネスト。
時期を変えて、俺達はもう一度この国にやって来ていた。
国の中に列をなして入る旅人や馬車の列に加わって関門をくぐり、宿屋を探して荷を下ろす。
寝不足のアキレスは宿屋に着くなりすぐダウンした。
仕方ないので食べられる物を適当に置いて俺達は宿を出て、俺達はとあるレストランへと足を運ぶ事にした。
そこは俺がノイエラを雇い入れた場所。
安全の為、公国から避難させたノイエラが今働いている場所だ。
店内はどこもかしこも満席で富裕層や冒険者と様々な人達が座っている、店内の張り紙には『雇用勧誘禁止』と書かれていてどこか忙しそうだった。
“魅了景色”の年は農業の半分以上が出来なくなり、仕事を奪われた人達は挙って国内の食事処を回り始める。その上、雪景色見たさに他国からも旅行者がやって来たりするので人手が足りなくなるのだ。
そのため雇用勧誘は禁止、なるべく長居しないのも暗黙のマナーである。
「いらっしゃいませ。おや、いつぞやの…」
「どうも。手早く作れる物で、かつ美味しい物を頼んでもらっていいですか?」
「分かりました。特別席へどうぞ、二階にありますので」
「そんな物があるんですか?」
「当店の店員を採用してくれた人のみお通ししている場所です。
ネストではよくあるサービスなんですよ」
そう言って店長は片側の壁が全てガラス張りになっている場所へと通してくれた。
ここは屋外のバルコニーの席に繋がっているようなのだが、流石に冬場なので屋内で食べる事にした。
大きなガラス窓からは雪景色が見え、アキレスを連れて来るべきだったと後悔。
わざわざ雪が積もった場所にやってくる旅行者がいるのも頷ける。
「お待たせしました。鮭の照り焼きです…久し振り」
「うん、久し振り。無表情なのも、お変わりなく」
「むっ……うるさい。最近仕事が忙しくてちょっとね。
……それで、シャロルは私を助けに来てくれたのかな?」
「ああ。そうだとも」
ネストに来た理由は“魅了景色”を見に来たからではない。
俺はあの決闘の後に自身の弱さを鑑みて留学すると決めたのだ。
「私はコリュードへ留学する。……ノイエラは着いて来てくれる?」
「勿論よ。じゃあ店長と話してくるから、シャロル達はご飯食べて、後でゆっくりお話しましょ?」
「……了解。じゃあ頂きます」
「頂きます」
俺達が食べ始めたのを尻目にノイエラはパタパタと小走りで店長のいる一階へと戻って行った。
わざわざ雇用勧誘禁止と書かれているこんな忙しい時期に店員を一人減らしてしまって申し訳ないとは思うが元々俺達が既に雇っている料理人だ、文句を言われる筋合いはない。
ポン酢醤油とレモンで爽やかに味付けされた鮭の照り焼きは美味しかった。
料理人の料理というよりは家庭的な味だ。
漬けにしなければ作れない料理なのでノイエラの料理というよりはこの店の料理と言った方が良いだろう。
元々この店のメニューにあった料理をノイエラが作っただけだ。
まあそれでも魚料理は内陸の公国では食べにくい料理、こういう料理をコリュードへ行ったら食べられるとなると期待が高まるな。
ノイエラも雇う前は公国よりコリュードが良いとかごねてたっけ。
きっと魚料理も得意なのだろう。
店長と話し終えたノイエラが帰ってくるのは丁度俺達が食事を終えた頃だった。
食器を片付けてからノイエラは店に別れを告げ、俺達が泊まる宿屋へとやってきた。
ノイエラが二人部屋を二つ借りてペアになろうと提案してきたので俺とフィオナは何か意図があるのだろうかと首を傾げる。
アキレスのいびきで寝れないでしょう?と耳打ちでその意図を説明してくれた。
そうすると当然貧乏くじを誰かが引かなければならないのだが、その役はノイエラがやってくれるらしい。
コリュードへ向かうまで馬車を操作できないし剣も抜けないのを気にしていたようだ。
俺も馬車を操れないのだが、短くも長い馬車の移動で疲れていたのも事実なのでノイエラの好意に甘える事にした。
たまにはフィオナと二人っきりでのんびりするのも良いだろう。
これまでの経緯や公国で起こった事、最近のニュース等を四人で話し合い、夕食を頂いてからは各自割り振られたペアの部屋へと戻って行った。
部屋へ遊びに行くのも良いが、アキレスは早朝から御者をする予定なので早く寝てしまうはずだ。
夜に手綱を任される事が多いので寝れる時に寝ておいた方が良い。
「フィオナ。ソファー隣空いてるから、立ってないで座ったらどう?」
「は、はい……それでは、失礼します」
「こうやって隣に座るのも久々かもしれないね。
ずっと一緒にいたのにここ最近は剣ばかりで休む事なんてなかったし、フィオナは進んで隣に座ろうとしないし」
「それはその、恥ずかしいですし……仮にも主人と従者ですから」
「恥ずかしい?」
「はい。それでもこうやってシャロル様を傍に感じる事ができるのはとても嬉しい事です。
馬車の時も…膝に座ってくれた時は内心ドキッとしてしまいました」
「へえ……」
「今だってその……」
フィオナは顔を真っ赤にしてぷいっと窓の方を向いてしまった。
もごもごと会話にならない言葉を呟き、肩を落としてシュンと項垂れる。
こういうフィオナを見るのはとても久々のような気がする。
……そうじゃない。
俺がフィオナをちゃんと意識したのが久々だったんだ。
フィオナの気持ちやフィオナの動作を意識した事はあっても、その内心の奥深くまでは見て来なかった。
剣により熱心になり、友人関係も良くなった。
だからこそフィオナといれる時間は減ったし意識を裂く時間も減った。
かくれんぼしてフィオナを困らせたり、構ってもらって嬉しくなっているだけのあの頃に比べて俺もフィオナも大人になったけど、その分だけ冷淡になってしまっていた。
魔族との混血であるフィオナはまだ幼げが残るが年齢は十八、俺が生まれてから既に八年くらいが過ぎている。
ずっと着いて来てくれたフィオナに俺は応えられているのだろうか。
「……シャロル様がトウヤマキバと戦う前のあの時、幾らでもキスするって言ったのに。
シャロル様は今、アキレスやノイエラの方が好きなのですか?」
「……えっ?」
「最近はアキレスやノイエラばかりに気を掛けているではないですか。
……私だって、シャロル様の事が好きで、大好きなのに……っ!」
何だろう。今日のフィオナはらしくない。
フィオナは身を乗り出して俺の方を向き、押し倒すように俺の左右に手を付いた。
「フィオナ…?んむ、ちゅッ!?」
彼女の唇が近付き、俺の唇と重なった。
俺の頬にフィオナの暖かい手が添えられ、逆側の手は逃げられないように肘を付いた。
唇の間を割って入るように彼女の舌が俺の口の中に入り、口内を余すことなく舐められているようだ。
身体を寄せ、摺り寄せてくる彼女に俺の頭の中は真っ白になっていた。
「ぷあっ……シャロル様、好きです。どうか一晩だけ、お許し下さい」
「ちょ、ちょっと!フィオナ、そっちはだめ!」
ズボンの中に彼女の手がゆっくりと這って進み、白い布の中にその指が入る。
嫌いじゃない、嫌いじゃないけど―――。
「まっ……まって、まっ…待ってッ!」
脚を交差し、股を閉じてフィオナの行為を頑なに拒んだ。
それでも彼女は手で辺りを触り続ける、赤面しながら、艶めかしい吐息をしながら。
だけど。
「したくない、訳…じゃないよ?私だってフィオナの事…好きだよ?」
「……」
「こんなのがフィオナとの初めてだなんて嫌だよ。
こんなの、違う。私は、フィオナとするなら……もっと愛し合ってしたい」
「………ほんとう?」
「私も大好き。だからその…お風呂で、しよ…?」
「せっ誠心誠意持って、応えさせて頂きますっ」
「わああっ、恥ずかしいからそういう事は言わなくてもいいの!」
距離が離れているように見えようが、思っている事はどちらも同じで。
俺とフィオナの心はあの頃から何も変わっていないのだった。
――――――――――
「そちらはもう終わったの?」
「はい。利益分を全て移動手段に回しましたが……これでよろしかったのですか?」
「良いの。コルセット王子を敵に回すという事は現公爵を敵に回しているようなもの。
状況は刻一刻と変わるわ。領地の都市開発を進め、大都市の一つくらい手中に収めておきたいものね」
リセリア・ヴィンランドノートは首を捻って考えていた。
一人ではなく、時雨や、自分を慕う未来の臣下と共にだ。
自分の臣下として認めた者は全て、現公爵とまるで関わりの無い貴族、貴族ですらない者、リセリアに付き従う事自体がおかしい者等様々だ。
リセリアは裏切られる可能性の少ない、心から信じられる仲間を集め終わっていた。
ぬるま湯に浸かっているコルセット王子とは違い彼女の目には闘志がある。
王の座を目指す者は彼女以外にも当然いる、その中で彼女は飛び切り幼く、それ故に優位ではなかったが、候補者の中では一番に大多数からの人望があった。
「万が一に備えて近衛騎士団の士気を上げておきましょう。
私の領地になっている場所は見える所まで全て手入れを。現公爵の庭のようにね」
「構いませんが……それよりも手を回すべき場所があるのでは?」
「無いわ。私の武器はこの口と頭だけ。
……一人でも多くの有力貴族を味方にするならこの武器を使わない手はないでしょう。
戦場もまた然り、ね?」
「……畏まりました」
リセリアは拳を握り締める。
背中を押してくれる者達と、共に歩んでくれる友さえいれば彼女に恐れる物はない。
彼女の脳裏には常にシャロル・アストリッヒが見守ってくれていた。
自分が王女に、彼女が竜を倒し騎士になる夢を成就させるために。
―――彼女は止まる事を知らない。
次話から4章が始まります。




