19.鍛冶師ロイセン
ユーリック・シュラウドが俺の部屋を訪ねたのは紅葉が始まった頃だった。
その日は元々用事があったため何もする事はなかったが、次に会う日や彼の望んでいる試合の日程を決定した。
授業は届け出をして休む事を申告しておき、オズマン先生を通して公欠のような扱いにしてもらった。
試合をするために休むのだからそれは授業の一環のようなものだろうという彼の心優しい配慮だ。
武闘大会に出た相手なら実力も確かだろうと、ユーリック・シュラウドの存在もあって校長を上手く説得してくれたらしい。
AAクラスだからと特別に許可してくれたそうだ。
AAクラス最高。
まあトウヤも結構休んでいるらしいから俺の申告を無視できなかったんだろう。
トウヤは今、自身の父親に稽古を付けてもらっているようだ。
トウヤの父親は剣聖と呼ばれる猛者なので校長も首を縦に振るしかない。
剣聖以上の実力を持つ教師は残念ながらニューギストグリム・アカデミーには一人もいないのである。
頼りない話だ。
まあこれは学校側に問題があるわけではなくてトウヤの父親が強すぎるだけだ。
この世界で最強と謳われる『剣聖』の息子。
英雄マキバハヤテといい、あの家は本当に何でもアリだな。
彼と自分の都合が合う日が少ないのでそれまでは授業に出つつ、実習なども積み重ねていくようになった。
生徒に人気の実習、冒険者体験である。
まずは冒険者ギルド本部へ申請を出して登録を行い、その後はその人の実力を示すランクに相応しいクエストを受注しモンスターの討伐を行う。
最初のEランクからのスタートだ。
授業に出た扱いにもなるので都合が良く、フィオナを連れていけるのでフィオナの弓術の実力も上げやすい。
討伐する敵は基本的に獣、小型の狼だ。
モンスターというよりは街に害を成しかねない動物の駆除って感じだろう。
ニューギスト公国はわりかし平和なのである。
モンスター討伐が無い訳ではないがその数は少なく、Eランクにまでクエストが回ってくる事は少ない。
でもフィオナと一緒に狩れれば構わない。
狩りゲームは友達がいれば採取クエストでも苦じゃないのだ。多分。
クエストを済ませて帰る頃にはフィオナの体力がかなり擦り減ってしまっているので、最近はシスイが歌っていた喫茶店で夕食を済ませている。
スパイシスパイダーも慣れれば好物になっていった。
揚げ物って元の姿を連想させないから凄いな。
まあちょっと、禍々しい形はしてるけど。
「今日も来てくれたのねシャロル!」
三日行けば二日くらいはシスイに会えた。
アーティストなのにこんな高確率で会えるものなのか。
一応ゲリラライブらしい。
固定客とか出来ちゃってるけど。
「夕食を済ませたくてね。席は……、おっいつもの場所空いてる」
「ウチは固定客が多いですからね。お客さんはいつもの席に座りたがるんですよ。
あと皆さん、あの場所は人魚のお姫様が座るからって意識してるみたいですし」
「……そのアダ名で呼ばれるの恥ずかしいんでやめてください」
「とは言われてもねえ。シスイさんは君が来るからライブしてるようなものだし、お客さんにとっては貴女がいるからライブが聞けるって感じなんですよ」
「ちょっと店長!恥ずかしい事言わないでよ!」
店長と俺の会話途中にシスイが体を挟んで妨害してくる。
シスイは俺が店に来るからライブをしているのか……。
“人魚を虜にする唄を歌う人なんて初めて見たから歌手として是非交友関係を築きたいと思った”……それは、俺に対して彼女が言った言葉だ。
人魚を虜にしたってのは歌手にとって凄まじい事なんだろう。
彼女の目に映っている俺は将来大成する人間のように見えているのかもしれない。
歌手に歌の才能評価してもらって満点頂いたもんだからなあ。
まあいずれ声帯も変わってしまうのだろうから歌手になるつもりはない、男ばかりのファンを付けてアイドル活動みたいなのも嫌だ。
今は剣士になりたいからアイドルなんて眼中にない。
シスイは勿体無いと言うだろうが人生そんなもんだろう、どの道を進んだって何らかの可能性を捨てて生きなきゃならない。
成し遂げようとした者を全部成し遂げられるわけがない。
歌いながら戦うなんて事ができれば話が別かもしれないけどな。
そんな世界があったら戦い自体が存在しないだろう。
シスイの歌を聞きながら夕食を頂いた後は寮に戻って特に何もせずにゆっくりと時間を過ごす。
最近はシスイが寮まで着いて来て夜中までガールズトークをする事が多い。
俺は当然ガールズトークに慣れていないのだが何とかして相手に合わせている。
とはいっても男性との恋話は少なく、シスイの歌の話が殆どだろうか。
俺は男性に興味が無く、フィオナは恋話に耐性が無く、シスイは男性をあまり気にしていない。
バランスが取れているんだかいないんだか。
「そういえばシャロル。モンスター討伐するようになったの?」
「うん、小型の狼みたいな奴を狩ったりしているよ」
「へえ……武器とか防具は大丈夫なの?
学校から提供された剣は刃無しの剣だったでしょ?」
「……」
「もしかして刃無しの剣で倒してるの……?」
「…まあ、私が弱めてフィオナが弓でトドメを刺すって感じかな」
明言は避けたが、シスイは信じられないと大きく声を上げた。
確かにいずれどうにかしなければならないなとは思っていたが、どうせ俺が受ける討伐クエストはザコ相手ばっかりだ。
今は刃無しの剣でも充分やっていける。
俺には自身の肉体能力を若干上昇させる魔法と、風に質量を与えた光風と命名した魔法、その他にも様々な属性の初級魔法なら放つことができる。
中級以上の魔法だと威力や照準がイマイチだが、出来なくはない。
予想外な事があっても対応できる自信はあった。
逆に言えば討伐クエストの質を上げても自分的には全然問題ないんだけど、ギルドの決まりでEランクはEランクのクエストしか受けられない。
無視して高いランクのクエストを受けても報酬はないし、登録情報を抹消されてしまう可能性もある。
死の危険を冒してまで高いランクのクエストをやって金を稼ごうとする新規の人達を守る為に決められたルールなのだろう。
ランクを上げるには条件があるそうだが詳細は不明だ。
受付の人曰く、取り敢えず適当なクエストをバンバン受け取ると良いですよとの事。
クエストをこなした数が多くなればいずれランクアップするって事なのかな。
期待しておこう。
「刃無しじゃ危ないし、明日休みだから鍛冶屋紹介してあげるよ!」
「え、でも明日午後からゲリラライブやるって告知してたよね…」
「良いの!友人の危険な行動を見て見ぬ振りする訳にはいかないでしょ?」
俺にとっては嬉しい話なんだけど、シスイは老人と青年を合わせた三人グループで行動しているから迷惑を掛ける訳にはいかない。
一人で行くよと答え、場所だけ案内してほしいとお願いした。
手持ちの金がどのくらいあるか分からないがフィオナが何とかしてくれるだろう。
謎の信頼を視線に込めてフィオナに突き付ける。
フィオナはシスイの言葉にうんうんと頷いていた。
購入費用は問題なさそうだ。
翌日、早速シスイの紹介してくれた鍛冶屋に向かう事にした。
こういう世界では冒険者が多いせいか鍛冶は栄えていると思われがちだが、実際の鍛冶師というのはあまり儲かっていない場合が多いという。
刀鍛冶は基本的に儲けが少ないのだ。
商売人に都合良く買い取られたりする上に、燃料費も馬鹿にならない。
名工でも苦労しているのだろうか。
店内に入ると店番には頭に手拭いを巻いた渋いおっさんが一人いた。
やはりこういう場所は男の世界なんだろうか。
異世界だからってどこにも女の子がいるって訳じゃないもんな。
「……おい、ここはガキの来る所じゃねえぞ」
「シスイ・フィーリングアローンの紹介で来た。剣を一つ見繕ってほしい」
「ああ、お前が刃無しの剣で戦ってる命知らずか」
シスイはそこまで話したのか。
おっさんは店のカウンターから出てきて自分の剣が並んでいる棚から幾つか剣を持ってきた。
小型の剣を持って来てくれたので、俺が使えそうな剣を適当に持って来てくれたのだろう。
「使える物を選ぶと良い。売れ残りだが質は悪くない」
「売れ残りなんですか」
「小型の剣なんて人気無いからな。子供用か背の小さい魔族用ってとこだ」
背の小さい魔族なんてのもいるのか、世界は広いな。
手に馴染む物を適当に選んで購入し鞘にしまい、早々に店を離れようとすると鍛冶のおっさんから声で止められた。
俺の為に剣を打ってくれる、って訳じゃなさそうだ。
左手には剣を持っている。
「剣を買ったんだ。少し手合せしてもらおうかと思ってな」
「……別に良いですけど、私は結構強いですよ?」
「鎧を着て防備すっから別に構わねえよ。
俺は木刀を使うからアンタは店にある適当な軽装を使ってくれ」
「木刀と剣で戦うんですか…?」
「俺も冒険者の端くれだ、子供にゃ負けねえよ」
言ってくれるな。
返事をせず軽装の準備を始める俺を見ておっさんは高笑いして店の裏に向かった。
準備は防備を固めるおっさんの方が長いだろう。
準備を終えるまでは新しい剣を引き抜いて何回か振っておく。
いつも使っている刃無しの剣よりも少し軽いようだ。
元の剣はフィオナに持ってもらうようにお願いし先に外で待機する事にした、店の敷地には庭のような場所があるのでそこで戦うつもりなのだろう。
庭の端には薪割りの跡が見えた。
……あれって、本当の割り方って凄い地味なんだよなあ。
その癖にコツ掴むまで難しいし面倒くさい。
漫画みたいに振りかぶってパコーンと薪割り出来たら良いのにと本当に思う。
庭の足場の感覚を目で何となく確認していると店から小走りでおっさんがやって来た。
いや、おっさんと呼ぶよりその姿は剣士そのものだ。
全身フル防備で剣の刺さる場所なんてどこもない。
関節を狙えば刺さるのかも知れないが、そんな箇所を狙う技術は持ち合わせていない。
「回復魔法は使えるから多少の無茶をしても良いぞ。
そこのメイドも使えるか?」
「ええ…初級程度なら」
「なら俺が気絶しても問題ないな」
安全確認が手馴れている。
こうやってお客と手合せした事が何度かある、という事だろうか。
「ルールは適当、相手に負けたと思わせれば勝ち。
魔法もアリだが上級魔法はナシだ。
とはいえ、アンタには関係なさそうだがな」
「確かに上級魔法は使えませんね……」
そう言ってワザとらしく風の魔法を周囲に吹かせて魔法を使える事をアピールすると、彼の頬がピクリと動いた。
だが何かを言ってくる事は無い。
「じゃあやるぞ。お前が右脚を動かしたら試合開始だ」
「……それって俺が有利じゃないですか?」
「そうだ。先手はやるよ」
子供だからって手加減してくれるのだろうか。
まあこちらは手加減するつもりなんてない、大の大人と戦って勝った事は一度もないのだからここで一度くらい勝っておきたいのだ。
父上にも僅差で負けたんだ、この程度の相手なら倒せるはずだ。
使用する魔法はこれまで練習してきた魔法の中でも特に気に入って数を重ねてきた風の魔法と光の魔法を軸にする。
切り札は風に質量を与える光風。
この低い背からは想像も出来ない筋力……魔法で強化された筋力で真正面から戦い、相手がその筋量に驚き動揺した所を突く。
素晴らしい未来予想図に思わずニヤリと笑ってから試合開始に備えて魔法の準備をする。
風の魔法、風槍。
小型で棒状の風を作り出し敵に射出する使い勝手の良い魔法だ、初級魔法と中級魔法の境目ぐらいに存在するポピュラーな魔法である。
本当は中級魔法とか使いたいんだけど、上手く発動できるか分からないから今回は風槍に頼る事にする。
右脚を一歩前に出し、風槍を放ってから試合を開始する。
風で出来ているとはいえ風槍は魔力を宿した別物であるため可視の物だ、避けようと思って簡単に避けられるほど遅くはないが対処する事ができる。
だが目の前の剣士は突っ込んできた。
風槍を喰らいながらなお、仰け反る事も怯む事もない。
風槍の特徴は非殺傷能力が強いところである。
相手に当たると魔力で抑えられていた暴風のようなエネルギーが一気に相手にブチ辺り、並の人間であれば大きく吹き飛ばされる。
だが目の前の相手は暴風を受けてなお変化が無い。
肉体強化だけで地面に踏ん張れるはずがないのにと自身に焦りが生まれる。
踏ん張る魔法とか使っているんだろうか。
分からない。
足場を泥にする魔法とかあったのにどうして俺は使わなかったんだろう。
もう間に合わない。
「ッ!オラァッ!どしたァ!」
右からの攻撃、回避。左、剣で受け流し持ち上げる。
その隙を……いや、隙なんて無い。
彼の腕は確かなようだ。見事だなと感心しつつ次の手を用意する。
新しい攻撃の手を加えてくる彼の一振りを敢えて無視し、自分の剣は相手を薙ぎ倒すように振り切ろうとした。
こちらの方が初動が遅く相手の剣がこちらに当たる方が早いと感覚では分かっていたがそれも計算の内だ。
彼の剣は俺の体に当たるすんでのところで止まった。
何かに当たったのだ。
それは、俺が使った光風による質量を持った風の壁。
今頃マズいと思っても遅い、俺の剣は既に剣士の体を捉えている。
「でぇええええいッ!」
俺は叫び、剣を振った。
一瞬の高揚感、勝利の感覚、そして安心感を抱く。
しかし剣の手ごたえは妙な感覚であり勝利に疑問を覚える衝撃だった。
確認しようと思った時にはもう遅く、頭部に衝撃が走り、俺の体はシャロルの立っていた右側に吹き飛ばされた。
視界が揺らぎ、歪んだ視界にフィオナの心配そうな顔が映る。
……やべえ、俺、倒れているのか。
頭部をやられたせいか、体がどうなっているのかよく分からない。
「驚いたな、ここまで強いとは」
おっさんの声だけが聞こえていた。
その声には若干の疲れと心の余裕がある。
どうやら負けたようだ。
「…今、どうなった…ん、ですか?」
「俺がお前に一振りを当てた後、剣を手放して籠手で防御したんだ。
片腕が空いてたからそれでアンタの頬を殴った。
刹那の出来事だっただろうがな」
「……お強いですね、完敗です」
「そう思ったのなら引き分けだ。
ルールは相手に負けだと思わせたら勝ちだからな。
ルールが相手の体に剣当てたら勝ち…だったなら俺の一人負けだった」
「…どうも」
大の大人には勝てないな。
経験の差が大きいんだろうか、そこまで技術や実力の差はないと思うんだけど、やっぱりどうしても勝てない。
実戦はやはり大切だな。
分からない事を教えてくれる。
「あの…お名前聞いても良いですか」
「おう。俺はロイセン、お前は何だ?」
「……シャロルです。いずれ名を上げるので覚えておいてください」
はぁ、と溜め息を付いて落ち込みながら失礼な挨拶をすると彼は高笑いしてから籠手を外して握手を求めてきた。
汚い手だったが不思議と嫌な気はしなかったので手を差し伸べる。
おっさんは勝って上機嫌になったのか笑顔で別れを告げ店の中へと戻って行った。
少ししてから彼は店から顔だけ出して、付けた防具はサービスでくれてやると言ってきた。
別に防具は学校から戴いた物の方が扱いやすくて好きなんだけど、好意を無下にする訳にはいかないので有難そうに受け取る事にした。
フィオナの防具は安物なのでこの防具の方が良さそうだが、フィオナの防具サイズと俺の防具サイズが一致する訳が無い。
この防具はクローゼットの中に永久就職する事だろう。
いずれ役に立つ時が来れば良いのだが……しばらくはないだろうな。
シスイが剣に目覚めたらプレゼントできるようにでもしておこう。
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数日後、討伐クエストを受注してからいつものように小さな狼を狩った。
良い武器に変わったせいで殺傷能力が上がり、いつもならトドメを刺す役になっているフィオナが弓を構えたまま立っているだけになってしまった。
……なので最近は剣を抜く事を控え、魔法で戦う事を優先している。
風槍を発動して敵を散らし、動きを止め、フィオナに弓を射ってもらう。
フィオナの弓も着実に上手くなっており、日々の練習をどれだけ頑張っているかが伺える。
本人は弓矢が意思を持って敵に向かっている気がするという。
神器だから何らかの補正でも付いているのだろうか。
別に付いていてもおかしくはない、矢なんて主成分は魔力だからな。
もう今更驚かない。
「さて、今日はこのへんにしておこうか」
いつも受けている討伐クエストは成果報酬である。
狩れば狩るほど報酬は増す。
狩った事を証明するためにいちいち尻尾を切って集めるのだが、多く狩り過ぎると尻尾を集めるのが面倒臭くなったりする。
気分の良い行為でもないし金が早急に欲しい訳でもない、だから数匹狩ったら引き上げる事が殆どだ。
フィオナに教えて貰いながら尻尾を切って袋に詰めてニューギスト公国へと帰る。
ギルド本部行って報酬を受け取ってからは相変わらずの喫茶店。
シスイの歌を聞いて、食事を取って、話をして。
オズマン先生からは新入生っぽい生活ではないと言われたがそれなりに幸せな生活を送っていた。
不満は何もない。
鍛冶師に勝負で負けたのは悔しいけど、体格的にも勝てる相手じゃないからな。
時には諦めも必要だ。
「シャロル、夜遅いけどまだ時間ある?」
十時頃、シスイがゲリラライブの片付けをしている仲間を背にして俺に声を掛けてきた。
いつもなら片付けを手伝っているのに珍しいなと疑問に思う。
彼女は手で舞台の方向を差し、俺に笑顔を振り撒く。
「私。あの時の貴女の歌あんまり聞けなかったら…もし良かったら歌ってくれないかしら」
「あの時って人魚の時の?」
「うん。残念ながら私の知人は貴女の歌誰も知らないから伴奏はできないけど…」
「申し訳ありませんな」
舞台にいた老人が謝ってきた。
シスイが歌っているといつも背には老人と青年のペアがあった、青年よりずば抜けて演奏が上手い老人である。
流石に異世界の歌までは知り得ないだろうが知識には自信があったのだろう。
「…別に良いけど、曲調激しい物でも良い?」
「もしかして新曲!?」
「うーん…まあそんな感じかな。お兄さん伴奏頼んでも良い?」
簡単に歌えるものじゃないが真似しにくい物を考える。
シスイに曲をそのまんま真似されるのが何となく嫌だったからだ、彼女には彼女にしか進めない道を進んでほしい。
折角異世界に来てるんだし、俺が知っている歌よりも知らない歌の方が聞きたい。
色々なジャンルがあるって事を示すくらいにしておこう。
青年に頼む伴奏は単調なもので凝った物じゃない、俺が今から歌おうとしている物は好き嫌いが分かれやすいラップだ。
引かれない程度の、明るい曲。
ヒップホップと言うべきか。
口が開くと歌詞なんて自然と思い出せた、声質が違うから納得いかない感じもしたけど歌えただけで嬉しかった。
二十歳になる前はそういう曲調にハマって色々と歌ったものだ。
夢を追うような歌詞ばっか歌って満足していただけだったけど、今はゆっくりと踏み出せている実感がある。
……バイトしていた頃に懐いてくれた後輩と一緒によく聴いていたなあ。
可愛い後輩だった。
何でバイト辞めたんだろうと来世に突入してから後悔している、そんな自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
でも今はもう後悔してないからどうだって良い。
今が楽しければ過去なんてどうだって良いじゃないか。
そういうものだと思う。
少なくとも、今の俺はそう思っている。
言葉を吐き出すようなラップを歌い終えると呆然とした表情を浮かべたシスイの姿が瞳に映った。
歌っている最中は周りを気にする余力はない。
カラオケで歌っていたとはいえもう何年と前の話だ、歌詞を覚えていただけでも充分凄いと自分は思う。
ラップには即興で歌詞を作る物もあるけど流石にそこまで技術力は無い。
「…驚きましたな。長年音楽を生業としていますが、このような物があるとは」
老人は感嘆の声を上げてくれた。
フィオナもシスイのリアクションにコメントを残す事なく拍手してくれている。
「私は…その。今のは、どうかと思うけど」
「お嬢のは歌詞よりもメロディが主体ですからな。
今のはリズミカルに喋るようなもので、お嬢には難しいものでしょう」
「…おっ俺は!今の好きです!」
老人と同調して青年も評価してくれた。
まあこういうのは感性の違いだろう、シスイに分かってもらえなくても予想範囲内である。
フィオナが拍手してくれただけでもう充分だ。
「さあ、次はシスイも一緒に舞台に上がろう?」
「私は今の歌えないわよ!?」
「知ってるよ。ようやく『御心』の歌詞を覚えたからさ、一緒に歌ってくれない?」
「……ふう、分かったわ。二人も用意して」
「分かりました。
しかし、お嬢は随分とシャロル様を好かれているのですね」
「楽しいんだから別に良いじゃない……ね?」
「ふふっ…そうですな」
老人は大きな楽器ケースから笛を取り出してフィオナが腰掛けている近くの席に座り、その場所から青年を手招きして青年を舞台から下ろした。
青年もまた適当な場所に座って楽器を構える。
舞台には俺とシスイの二人しかいない。
俺達がメインだからっていう彼等なりの気遣いだろうか。
店はもう閉店になっているので他のお客の迷惑にはならないが、アーティストと二人で歌うというのはちょっと気恥ずかしい。
だから俺はフィオナを手招きする。
「わ、私ですか!?」
「……そうね、皆で歌った方が楽しいわよ。ほら店長も歌いましょ?」
夜の街に歌声が響く。
有名ではない喫茶店に有名ではないシンガーの声が響く、その声は透き通るように綺麗で夜の道を歩く人達の注目を集めた。
いずれこの注目は集客へと繋がり、喫茶店もシンガーも後に大成する事になる。
―――音楽の秋。
それは異世界であっても不変だったようだ。
更新状況は活動報告に記載しています。




