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騎士道プライド  作者: 椎名咲水
2章【新入生編】
19/50

18.唄の祭

 夏が過ぎ、新学期が始まった。

 レベッカと一緒に図書室に籠り、その日の俺は机に突っ伏してうとうとと寝ていて、レベッカは読書をしていた。

 俺と友達になる前は剣術中心の勉強ばかりをしていたレベッカだが、最近はそれ以外の学問もしっかり勉強をしているし趣味関連の本も読み始めているようだ。

 趣味関連と言っても戦闘がメインの小説だが大きな進歩だろう。


 レベッカが学校の図書室に向かおうと誘ってくれた時はいつも決まって着いて行っていたのだが、俺が行かない日も常に学を重ねていたのだろう。

 とても真面目で先生に好かれそうな生徒だ。

 この世界に生まれてからは誰からも決まって勉強好きだと思われていた俺だが、きっとレベッカのような人間をそう呼ぶのだろう。

 皆には俺がこう見えていたのだろうか。



「……シャロル。起きてる?」

「お?ああ、起きてるけど」


 レベッカが珍しく読書中にふと気が付いたように本を置いて俺に話し掛けてきた。



「夏収めの祭が今日あるらしくて…その、シャロルは誰かと一緒に行く予定ある?」

「うーん、無いけど。レベッカは行く予定があるの?」

「あ、ああ……えっとその……シャロルと、行こうと思って…」

「うん。メイドを連れて行っても良い?」

「ッ!一緒に行ってくれるか?」


 レベッカは嬉しそうにその場を立ち上がった。

 よほど行きたかったらしく、読んでた本を本棚に戻しに向かった。

 さっきまで本を読んでいたのに一体どういう気の変わり方をしているのだろうかとちょっと疑問を抱く。

 心を落ち着かせる為に読んでいた……とも思えない。


 レベッカは人付き合いが苦手だが、剣の実力はかなり高いのでそれなりの人徳があり、俺一人誘えた程度で本を急いで片付ける程喜ぶとは思えなかった。

 友達という存在はそこまで大きいのか。

 俺も可愛い女の子とお近づきになれて嬉しいよ。



 レベッカとは後で会う約束をしてとりあえず外出の準備をする事にした。

 レベッカは明日の授業に障ると問題だといって帰る時間を決めていたが、俺は先生に前もって授業を休む事を伝えた。

 明日は魔法学の授業。

 先生もシャロル君に教えられる事は少ないだろうと言い、休む事を許可してくれた。

 現在受けている魔法学の授業は実習ではなく座学なので、一年前から予習していた俺が出る必要は特にない。


 魔法学の授業は休む学生が多い。

 剣の学校だから剣以外の授業に出ても無駄と思っている生徒が多く、学校側も必須科目にしていないのが原因である。

 寮に帰ってフィオナに外出する事を伝え、レベッカに言われた祭の事について色々と説明した。



「……夏収め、ですか。多分それはもう終わった祭かと思われます」

「知ってるの?」

「はい、今やってるのは唄の祭りですね。

 木々が薄く紅葉掛かっている風景を楽しみながら音楽と歌を楽しむ魔族の祭です。

 ニューギスト公国では南の外れでやっていると聞いた事があります」


 魔族の祭か。

 レベッカがあの時喜んだのは俺と一緒に行くからではなく、魔族の血が流れたフィオナが来てくれる安心感からきたものだったのだろうか。

 俺を誘ったのも、俺が魔族を毛嫌いする性格ではないと思ったからだろうか。


 フィオナとも仲が良いのは彼女も知っている事だ。

 ……にしても、紅葉掛かった風景を楽しむとは一体どういう事だろうか。

 夏休みが終わったとはいえ紅葉になる時期ではないのだが。



「民族的な楽曲が多く、多種多様な魔族達が歌うのですよ。

 翼を持った人や、人魚、森に住まう者達、勿論私達のような薄い魔族の血を持つ者もそうです。

 場所によっては魔族以外を受け入れない場所もありますが、ニューギスト公国内でそのような事はないかと思います」

「なるほど……歌か、楽しみだな」

「お供致します」

「うん、お願いする」


 ニューギスト公国は広く、南の外れといっても向かうまでに少し時間が掛かるのでフィオナには馬車を止めておくように伝え、俺とレベッカは支度をしてそちらに向かった。

 レベッカは少し重たそうな私服で腰に剣を持ち、俺は普通の私服、薄い上着の裏に薄っぺらいナイフを一つ入れている。


 フィオナは神器の赤弓を二つ折りにして腰の後ろに着けていた。

 でっかいトングみたいだ。

 一応、魔族の祭なので誰からも反感を買わぬように魔族のフィオナに荷物は持たせず自分で持ち金銭の管理も自分で行う。

 馬車に通行費を払うのも俺の財布からにしておこう。

 メイドっぽい仕種を魔族に見られるわけにはいかない気がしたからだ。



 南の外れは水路が多く、木材で出来た小さな橋が多く見られた。

 緑の木々が多い綺麗な場所で、水面に木葉が揺らめいて落ちるのを見ていると、下に大きな魚の影が見えた。

 ぱちゃりと水面から人の顔が現れこちらに手を振り、もう一度ソレは水の中へと戻り入り組んだ水路を進んでいた。

 恐らくフィオナの言っていた人魚だろう。

 水路は人魚の通路なのか、なるほど。



「そこの者、この場所での帯刀は禁じられている」


 レベッカは祭の敷地内で頭に一本角のある魔族に注意を受けた。



「ん……そうか、ごめん。シャロル達は先に行ってて」


 フィオナも帯刀を禁じられている事を知らなかったみたいでレベッカに謝っていたが、気にしないでくれて笑って魔族と一緒に別の場所へ向かってしまった。

 荷物預かり所みたいな場所があるのだろうか。

 俺は邪魔になるだろうと思って持って来なかったんだけど、どうやらそれが正解だったみたいだ。


 とりあえずレベッカに言われた通り俺達は先に奥へと進む事にした。

 入り組んだ水路のせいで陸地が複数に分かれていて、その陸地一つ一つがコンサートエリアのようになっていて歌う魔族が陣取っている。

 場所によっては既に歌っている場所もあるようだ。


 綺麗な声に誘われて足を運ぶと緑の服に身を包んだ女の子が踊りながら歌っているのが見えた。

 笛を吹く男やギターを弾く者、打楽器を鳴らす者もいてミュージシャンとして完成しているように感じる。

 祭で聞く曲というより有名なミュージシャンのゲリラライブといった感じか。

 ボーカルの少女がこちらを見て夢中になっている俺を観客の一人に加えようと手を振って来たが、俺は小さく手を振ってその場を去る事にした。


 観客の中に入ればレベッカと合流するのが難しくなるだろう。

 観客は既に百を越えていて人混みになってしまっている。


「そういえば、人魚の歌を聞いても大丈夫なの?

 人を惑わすとか、そういうのない?」

「伝承だけですよ。

 人魚は温和な者達が多く、それを逆手にとって餌付けして飼おうとする者も多いと聞きます。

 あんまり成功した例はないんですけどね…」

「へえ……餌付けねえ」


 橋を渡って水路の近くへと足を運ぶと、ちゃぷんと水面から音を立てて人魚が顔を出してきた。

 青い髪に色白な肌、胸の辺りは青い模様みたいな胸当てをちゃんと付けていてR15をかじろうとしてキープしている。

 初めて見た人魚なのに懐かしい感覚を抱く。

 何でだろうか。


 フィオナは水路に近付いてポーチから細長いチーズのような物を取り出してその人魚に食べさせてあげた。

 人魚は何の疑いも無くフィオナが渡した物を受け取り、咥えて食す。

 温和というか、危機感がないのが問題なんじゃないだろうか。

 知らない人から食べ物をもらっても食べちゃ駄目って小学校で習わなかったのか。

 餌付けを企む者がいるのも納得できる。


「あ、シャロル様もやりますか?」

「うん。じゃあお言葉に甘えて」


 フィオナから細長い物を受け取って水路へと近づける。

 人魚はその味が気に入ったのか、フィオナの時とは違ってそのまま口を付けてモグモグと食べ始めた。

 兎に餌あげてるみたいだ。


 どこで手を放すか悩んでいると人魚は俺の指まで口を近付け、指をしゃぶり始めた。

 しゃぶってるって事はご飯だとは思ってないみたいなので人魚なりの挨拶とかお礼とか、そういう動作の一つかも知れない。

 人魚は水路から腕を使ってゆっくりと這い上がりこちらまで寄ってくる。


「え?え?…フィオナ?」

「気に入られたのかもしれません。

 人魚は歌が好きなので、歌ってみてはいかがですか?」


 フィオナは小さく笑いながらそう言った。

 フィオナもきっと冗談で言っているのだろう。

 俺はこの世界に生まれてこの声帯で何かを歌おうとした事は一度もない、それはずっと一緒にいたフィオナも知っている事だ。

 知っているのは前世の曲やアカデミーの校歌くらいなものだ。


 でも、もう少しこの人魚と仲良くなってみたい。

 ちょっとした好奇心が俺の心を揺れ動かしている。

 知っている曲の中でもとびっきり幻想的で興味を引きそうな物を探す。

 人魚の耳元で囁くようにゆっくりゆっくりと、この世界に来て初めて前世と関係のある物を口にした。



「キュルル……ラ~♪」


 人魚は俺に抱き付いて歌い始めた。

 魚の下半身が重くて俺は後ろに倒れ込んだが、人魚はそんな事は気にせず歌い続ける。

 気に入ってくれたのか、人魚は後から続いてほしそうに俺の腕を揺すり、顔を擦り付ける。


 冷たい。

 というか抱き付かれた場所全体が濡れている。

 しかもちょっと魚臭い。

 可愛い女の子じゃなかったら許さない、可愛いから許す。

 人魚が歌う事で観客も現れ始めた。


 人魚は俺を下敷きにしながら歌い続け、その間も俺の腕を揺すり続け、観客も煽って一緒に歌っていた。

 どうやら有名な歌だったらしい。

 歌っていないのは俺だけで、それに不服だったのか人魚は手で俺の胸を何回か叩いて変な鳴き声で鳴くと、そのまま水路へと戻って行ってしまった。


 演奏が終わると同時に絶え間ない拍手が起こり、フィオナは自分の上着を俺に渡してくれた。

 観客の中には俺の前に硬貨を投げ渡してくる者もいた。

 結構な観客がいたみたいで、人数は最初に見た緑の服の少女にも劣っていない。



「……そんなに良い曲だったのか?」

「人魚が人前で歌う事自体稀なんです。

 シャロル様と抱き合って歌っていましたし、向こうはかなりシャロル様を好いていたのだと思いますよ?」

「抱き合ってというか、潰されてだけどな」


 人魚は水面から顔だけひょっこりと出してこちらを見ていた。

 笑って手を振ると小さく鳴いてから水の中へと帰って行ってしまった。


「ある場所では人前で人魚が歌うのは愛を囁くときだけと言われてるんですよ」

「ははは……じゃあレベッカは聞けなくて損をしたね」

「そうですね。

 私は人魚の歌を聞いた事より、シャロル様の歌を聞けた事の方が嬉しいです」



 ……恥ずかしいからやめてくれ。


 レベッカと合流してからはお互いに聞きたい曲を歌っている人を見付けては足を止めて音楽鑑賞を続けた。

 やはり、紅葉を楽しむのには早すぎる。

 落葉が多くなると水路に木葉が溜まり、人魚達の気分を害する可能性があるからと祭の時期が変わったらしい。

 祭なのに露店がないのも水路にゴミを捨てる者が多いからだという。


 俺は積極的に色々な魔族と交流して魔族の知識を少し深めた。

 魔族と話す機会があればこの祭の事を話題にも出来るし覚えておいて損はない。


 眠そうに目を擦り始めたレベッカを見て俺とフィオナは顔を合わせ、そろそろ帰ろうと提案した。

 まだ幼い俺達が必要とする睡眠時間は長い。

 フィオナに馬車の手配を頼み、眠気と疲労でぐったりとしたレベッカをおんぶして連れて行ってもらった。


 寮に戻ってからレベッカを部屋へと帰し、俺も自室へと向かう。

 特にやる事もなく俺もレベッカと同じように寝る事にした。

 今日起きた事を思い出して目を瞑る。

 人魚に、緑の服の少女、角の生えた魔族、他にも沢山いて、何で人間が彼等を差別しているのか分からないくらい温厚な者達が多かった。

 あの祭にはそういう温厚な者しか集まらないというのであれば納得だが。



 ……懐かしい感覚を抱いた人魚を思い出して、俺はハッと気付いて目を開けた。

 青い髪の魔族。

 ポワルに似ていたのだ。

 ニューギスト公国にやって来てからもう半年も経ってしまったがポワルは元気にしているだろうか。


 夏休みくらい帰れば良かったかもしれない。

 けれど、帰らなかった事で得られた物は大きかった。

 ……俺が実家に帰っていればイフリートに出会う機会はなかったんだ。

 また半年経てば会える、それまでの辛抱だ。



 ――――――――――


 ちょっとだけ考え事をしながら眠りについたせいか寝汗をかいて嫌な夢を見て、高所から落ちるような感覚が体を突き抜けハッと急に目が覚めた。

 目が覚めた事に気付いたフィオナがこちらに声を掛けてきたので、俺はタオルを持ってきてほしいと頼み、持って来てくれたタオルで体を拭く。


 嫌な夢と分かっているのに起きてから少し経つと夢の内容はすっかり忘れていた。

 嫌な事は覚えていない方が良いし忘れていた方が幸せなのかもしれない。

 現実の事ならともかく妄想染みた物で気分を悪くするのは御免だ。


 フィオナの用意してくれた朝御飯を頂き、嫌な汗を流す為に一度風呂に入る。

 風呂に入っている間にフィオナは部屋の掃除をしていて、俺が部屋に戻る頃には何もかもが綺麗になっていた。

 まあ俺は長風呂が好きなので時間的には難しくなかったかもしれない。

 でも俺が休んでいる間でも働き続けてくれるフィオナを見ると何だかいたたまれない。


 メイドだから、では済まない気がする。

 今やフィオナは十六歳、本来なら女子高生で青春が始まる頃だろう。

 俺という存在が彼女の人生を奪い続けて良いのだろうかと思ってしまう。

 フィオナは気にしないでくれと言うだろうけど、気にしてしまうものは仕方がない。



「シャロル様、何か考え事ですか?」


 少し難しい顔をしているとフィオナは察して声を掛けて来てくれた。


「フィオナは…男性と付き合ってみたいとか思う?」

「あ、ええと、もしかしてシャロル様……いるんですか?」

「いないよ!…でもほらフィオナは色恋に興味を持つ頃なんじゃないかなと思って」

「そうですね……今は特に興味を持ちません。

 男性と接する機会がないのも一つの理由ですが、シャロル様よりも魅力的な方がいないのが大きな理由です」

「私よりも魅力的な人は沢山いると思うけど…」

「魔族相手だと、無意識に非好意的な接し方をする人が多いんです。

 魔族は嫌いじゃないけど出来れば人間の方がいい。そんな感じです」


 なるほど。

 同じ人種の仲間を求めたがるのは理解できる。

 この世界の人間にとって違う人種である事は使用する言語が違うくらい壁に感じるのかもしれない。

 潜在的に、無意識的に壁を作ってしまっているのか。


 難しいな。

 黒人と白人のカップル成立はなかなか難しい、みたいなもんか。



「レベッカ様は自分とは別物と認識していながら好意的に接しようとしています。

 素晴らしいと思いますが、シャロル様のように本当の意味で分け隔てなく接してくれる人なんて滅多にいないんです。

 だからどんな時でも一番はシャロル様ですよ」

「……そうか」

「えっと、シャロル様が期待された答えを返せたでしょうか…?」

「あはは…どうだろう。まあ、色恋で何かあったら私か母上に相談してね」



 返答の最後に俺のご機嫌取りの言葉がくっ付いてるのでちょっと恥ずかしくなり、これ以上何か質問するのはやめる事にした。

 もうフィオナの色恋で考えるのはよそう。

 フィオナがそういう事に興味を持ち始めたら考えれば良い事だ。

 俺はもう知らんぞ。



 午前は読書に時間を割き、レベッカの出ている魔法学の授業で今まさにやっているであろう授業内容の載っているページを適当に眺めたりしていた。

 すまんレベッカ、これ俺四歳の時やった。

 セイスから魔法学の教科書を借りていて良かったとしみじみ思った。


 今セイスは元気にしているだろうか。

 同じ学校に行っているはずなのに武闘大会以降一度も会っていない……寮が違うからといってここまで遭遇率が低いとは思わなかった。

 俺もいずれセイスのような可愛い精霊と契約したいものだ。

 読書を終えてからは武器を持ち、腕が鈍らないように外で素振りをする事にした。


 フィオナも弓術の実力を高めようとイフリートの神器を持ち数回弓を引いた。

 弓道を経験した事がないからフィオナに中身のないアドバイスしか出来ないのが悔しいが、彼女は俺に見えない所で練習していたらしく、矢の精度は格段に上がっていた。

 俺が授業に行っている間の時間に練習をしていたらしい。


 掃除、洗濯、家事、弓道。

 俺には真似出来なそうだ。



「そういえば唄の祭の為に集まった幾人かのアーティストがまだ公国内に残っているみたいで、あちこちで歌が聞こえていると寮で聞きました」

「……あの祭って有名な人まで参加してるの?」

「仕事が入ってなければ足を運んでおこうと思う人も多いのではないでしょうか。

 祭の日と被せてコンサートを開いても客の集まりも悪いでしょうし、人魚の歌を聞けるかもしれないと期待する者も少なくないでしょうから」

「へえ……じゃあ昼は外食にして、少し街を見て回ろうか」


 どうやら人魚の歌は相当珍しいようだ。

 フィオナが人魚の餌を持って来てくれたお陰で非常に良い思いが出来たのか。

 非常に運が良かった。

 出来ればもう一度会って一緒に歌ってみたいものだけど、次会う時までにはこの世界の曲を幾つか覚えておく必要がありそうだ。

 また人魚が不機嫌になってしまったら困るしな。


 とはいってもニューギストグリム・アカデミーには音楽の授業はない。

 というか芸術系の項目がない。

 剣の学校だから体育系の授業ばかりだ。


 このまま時を過ごしてしまえば学校に通っている数年間は芸術に触れない可能性がある。

 そこまで欲しくはないけど、性別的に女子力……あった方が良いよなぁ。

 掃除や料理は前世で居候していた時に死ぬほどやったし、洗濯は水を魔力で動かせば洗濯機っぽく出来るだろうから多分出来るけど、芸術に関してはさっぱりだ。


 子供の時から触れておくと良いと聞くピアノでもやっておこうかな。

 この世界には電子ピアノなんてないだろうからきっと高級品だ、買うとしたら優しい母上やフィオナに相談すべきだろう。

 でも三日坊主でやめるかもしれないし、相談はしない方がよさそうだ。

 父上は買ったのだから最後までやり通せとか言いそうだしなあ。

 はあ。



 授業が終わって昼休みに入る学生達が寮に帰ってくる前に外出の支度をして街へと向かった。

 商店街の方からは揚げ物の良い香りがしてきてついつい足が引き寄せられるが、この世界では匂いが良いからといって味は保証されない。

 この世界の美味はコンビニ弁当と同格なのだ。

 フィオナの料理ですらコンビニ弁当レベルである。


 何といっても格の高い食材が少なく調味料が少ないのが原因だ。

 タンパク質のある肉を求める冒険者や剣士が多いためか野菜に力がいっていない。

 あとなぜか果実が高価だ。

 母上がよく買ってきてくれた果実が随分と高くて驚いたのも記憶に新しい。

 フィオナにはあまり買わないでくれとお願いはしたものの、母上から定期的に食べさせるように言い付けられているそうだ。


 何でも栄養素が高いんだとか。

 野菜の質が低いこの世界ではとても重要な物なのだろう。

 この栄養は身長と胸に行ってくれると良いな。



「シャロル様、この喫茶店から少し歌が聞こえてきます」

「おお。寮の人達が噂していた美味しい店だ」


 高級品が出てきそうな出で立ちの店で、店の前に置かれている看板に書かれたメニューは他より少し高い。

 珈琲等も取り扱っている様で、どうやら喫茶店らしかった。

 蜘蛛の肉使ってる料理もある。


 ……。


 ん?

 蜘蛛に肉なんてあったっけ?



「……不安だけど、入ってみようか」

「はい。……料理の内容も気になります」


 確かに蜘蛛の肉は気になるな、食べたくはないけど。

 フィオナがドアを開けて最初に俺が入る。

 中はログハウスのような落ち着いた感じで壁際には舞台があった。

 舞台は結構広く作られていて、ギリギリ演劇も出来てしまいそうなくらいに大きい。


 既に店の中には数十人が席に座っていて、舞台には練習で演奏の合わせをしている男の二人組とその演奏に小さく歌を添えて色々と指示を出している女の子がいた。

 大の大人が女の子に指示を出されているってどんな感覚なんだろう。

 舞台から少し離れた場所にある席に座り、料理を注文しながら舞台にいる三人の様子を見ていた。


 一人の年老いた男性は女の子の言葉にしっかりと耳を傾けて演奏を合わせるのに対し、もう一人の若い方は緊張していて上手くいっていなかった。

 前世のバイト入りたての俺みたいだったので目を背ける。

 過去の俺を見ている気分だ。


 やがて女の子は年老いた男性に後はお願いと声を掛け、喫茶店に座っている全てのお客さんに挨拶して回っていた。

 良い子だ。

 俺の所に来ても何話したら良いか分からないのでフィオナに任せるとしよう、俺よりも音楽に関して詳しいだろうし。



「あっ!嬉しいわ、貴女が来てくれていたなんて!」


 俺の席の隣に声を掛けようとした少女がこちらの顔を見て急にテンションを上げて近付いてきた。

 目が合ったのは俺、少女の目線の先にいるのはフィオナではない。

 ……どこかで知り合っただろうか。


「ああ……うん、食事をしようと思っていたんだけど、丁度ここで歌が聞こえたから寄ったんだ」

「そう?今日は三曲歌うつもりだから楽しんで聞いてね、人魚のお姫様っ」

「人魚のお姫様?」

「人魚と歌っていたじゃない。知る人ぞ知る有名人よ、貴女」


 時の人状態なのか俺は。

 俺達の会話を聞いて喫茶店にいる幾人かがこちらを見ていた。「ほうあれが…」とか、それっぽい耳打ち話をしながら。

 ……帰りたい。



「『鳳』、『朝日を』、『御心』を歌うわ。皆最後まで楽しんでいってね」


 少女は一礼してから伴奏を流すように合図しステップを踏み始めた。

 ちょっとした踊りしながら綺麗な声で会場にいる者達を虜にする。

 どこかで聞いた事のある声。

 少女を見ていた時、手を振っている幻覚が見えた気がしてようやく思い出した。


 唄の祭の時に見た緑の服を着た少女。

 アーティストとして完成していると感じたけど、本当にアーティストだったようだ。


 『御心』は御者も歌ってくれたから良く知っている。

 最後に歌ってくれた御心はリズムに乗るように聞けたし歌詞も漏れなく聞き取れた。

 三曲全て知っていたフィオナはどれも興奮気味に聞いていた。

 音楽の媒体が無いからアーティストの歌を聞ける機会は滅多に無いのだろう、興奮するのも分かる。


 あと、歌の途中でスパイシースパイダーという唐揚げみたいな衣に包まれた“何か”が店側のサービスで配られたが普通に美味しかった。

 アーリマハットの郷土料理らしい。

 アーリマハットに生まれなくて良かったよ。



「今日はありがとう。私も楽しく歌わせてもらったわ。

 明日もどこかでライブをするから良かったら見に来てくれると嬉しいです」

「どこかで…じゃ宣伝にならないでしょう」


 少女の言葉に舞台にいる年老いた男性がツッコミを入れた。


「あっ…そうね。東南の広場でやるからよろしくね!」



 彼女は頭を下げて盛大な拍手を背に受け、手を振りながら舞台裏に姿を消した。

 観客はマナー良く一人ずつ会計を済ませて席を立ち喫茶店を出て行った。

 店の外で批評しているようだが聞こえる限りでは概ね好評だったようだ。

 俺も帰ろうかと席を立つと舞台端からひょっこりと少女が顔を出した。

 フィオナが立ち上がる前に自分はもう一度着席して水を注文する。


 俺に用がありそうな気配を感じただけだ。

 フィオナには最後のお客が出たら自分達も席を立って帰ろうと言っておく。

 何か用ならその時に声を掛けてきてくれるだろう。


「……他の会計、時間が掛かりそうですから後でお渡ししようと思っていた物を出してもよろしいでしょうか?」

「後で出そうとしてた物?」

「はい。手紙です。返事が書ける場所でお渡しできればと思っていたので少し遅れてしまいましたが……」

「……ユーリック・シュラウドとレミエル・ウィーニアス?」

「いえ、ユーリック・シュラウド様からのみです」

「了解。じゃあ今受け取るよ」


 レミエル・ウィーニアス宛てには会う事を拒む手紙を送り、ユーリック・シュラウドには今も尚不調なので全力は出せないが再戦は応じる事ができると手紙を送った。

 レミエルさんから手紙が来なくなる事くらいは予測できた。


 ユーリック・シュラウドの手紙には公国に向かう旨が書かれており、全力を出せないのであれば剣で打ち合って眠る力を引き出して見せましょうとあった。

 レベッカとオズマン先生以外にも試合の相手をしてくれる人がいれば剣術の模索も行いやすくなるだろう。

 断る理由が無いな。


 手紙の書き方も中々面白く、また自分に自信がある事を匂わせている。

 これが下級生とは驚きだな……きっと良い男性になるのだろう。



「人魚のお姫様、少しお話良いかしら?」


 客が全員帰った所でアーティストの少女は舞台から降りてきた。

 しかし店員は店の外に閉店の看板を出し始めている。

 まだ店内に残っていて良いのだろうか。


「あれは心配要らないよ。

 私達が片付けをするからその間は客が来ないようにって一時閉店にするの。

 今来て歌ってくれって言われても困るから」

「ああ、そういう事か…」


 視線を送っていたのが分かったのか少女は疑問に答えてくれた。

 話をするかしないかの返事を待たずに彼女は隣のテーブルから席を一つ借りて近くに座った。

 手元にあった手紙を一旦片付けてフィオナにしまってもらう。

 こちらを訪れるというのだから返事を書いても届くまい。

 学校に訪れれば人に誘導され、自然と俺の居場所を突き止めてくれる事だろう。


「私の名前はシスイ・フィーリングアローン。

 まだ若いけど、貴女よりは年上ね」


 茶髪、緑色の服調は相変わらず。

 年齢を聞くと四つ年上という事が分かった。つまり十歳だ。

 もう少し若いようにも見えるけどそれは単に身長が足りないだけだ。


 身長で年齢を判断するのは少し難しいな。

 俺は年齢の割に少し背が大きいみたいだけど、レベッカも同じくらいあるし同年代の男子の平均を越えたか越えてないか程度だ。

 運動をしているからそれだけ体が成長するのだろうか。

 それなら剣術よりも芸術を重視しているシスイさんの背が小さいのも納得がいく。


 当然胸もぺったんだ。

 十歳で胸がある方が珍しいか。

 珍しすぎるわ。



「私はシャロル・アストリッヒ。こちらは使用人のフィオナ」

「フィオナ・フィットセットです」

「あら、魔族大陸の出身?」

「……分かるのですか?」

「分かるよ、その性は聞いた事があるから。

 …あ、心配しないで。偏見とかそういうのじゃなくて、貴女と同じで私も人族寄りの魔族なだけ」


 フィオナは魔族と言われて目を細めたが、同じ魔族と気付いて少し安心していた。


「で、その…シスイさんは私に何の話を?」

「呼び捨てで良いわ。

 ……人魚を虜にする唄を歌う人なんて初めて見たんだから、歌手として是非交友関係を築きたいと思ったの」

「あはは…生憎私は剣の学校に行っててね、あんまり歌は知らないんだ」

「そうなの?剣の学校っていうと……ニューギストグリム・アカデミーかな。

 去年仕事で行った事があるから良く知ってるよ」

「仕事で?」

「剣技式で歌わせてもらったの。

 他にも公国の警備部隊を鼓舞した事もあるし、剣を握る場に向かった回数は少なくないわ」


 剣技式は卒業生が卒業式の前に行う儀式みたいなものだ。

 習った剣技を見せる式だが対人戦ではなく、舞う様に剣を振り、それを保護者や公国内に住む人々に見せ付けるらしい。

 見せ付けるというよりは見に来るそうだ。


 卒業式は生徒と学校内の先生方のみで行われるらしく、保護者にとっては剣技式が卒業式みたいな扱いになっているようだ。

 ちなみに剣技式は欠席可である。

 恥を掻きたくない実力の乏しい貴族の一人息子とかは剣技式を休み、後の卒業式に出て卒業していくという。

 それが問題になっているとかいないとか。


「……ふふっ、シャロルちゃんね。覚えたわ。

 引き留めてしまってごめんなさい。

 いずれ貴女の学校にお邪魔しても良い?」

「え?ああ…良いんじゃないかな、多分」


 それは俺に聞かれても困る質問だな。



「うん。じゃあまたその時に会いましょうお姫様。

 片付けがあるからまた今度、ゆっくりとお話しよう?」

「……その時はまた一曲聞かせてもらえますか?」

「ええ、個人相手に歌う機会なんて滅多にないけど、そのくらい構わないわよ」


 それは良かったと笑顔を作る俺と、満面の笑みを浮かべる隣のフィオナ。

 フィオナが喜ぶのならぜひとも客人として部屋に招きたいものだ。

 個人的にはユーリック・シュラウドからの手紙よりも関心が薄いが、考えれば有名人と繋がりが持てるのだから凄い話だ。

 彼女から会いに来てくれるのなら会わせて頂こう。


 シスイさんと別れて店を出ると、黒く巨大な蟹の脚のような物を店前まで運んでいる商人達の姿があった。

 それは何かと聞くと、彼らは蜘蛛の脚だと答えた。

 どうやらスパイシースパイダーは本当に蜘蛛肉だったらしい。

 巨大な蜘蛛って発想は無かったから驚いたが、食べた後に見るものでは無かった。


 戻さなかっただけ良しとして、後は全て忘れるとしよう。


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