16.心の怪我
武闘大会が終わってから俺は部屋に籠り続けていた。
正確に言えば出る授業には出たし、出なくて良い授業は休み、休日はあまり外出せず、そんな生活を一ヶ月か二ヶ月過ごした。
少しでも向上心のあった頃が懐かしいと思えるほど、俺はどうしようもなくなっていた。
そんな駄目な状態になってしまった理由は武闘大会の結果なのだが、一番心に来ているのは一回戦負けになってしまった自分の成績ではなく、トウヤの成績だった。
……トウヤマキバは武闘大会で優勝した。
二位にクライム学園の生徒、三位にはフィストランド校の生徒の名前があった。
トウヤの成績がとても腹立たしかった。
何故俺が一瞬で蹴散らしたあのトウヤが優勝したのだろうと考えるだけで胸糞悪いし、心が痛い。
……意味が分からなかった。
学校は一学期が終えて夏休みに入っていた。
フィオナは俺の代わりとなって降魔術を上手く扱える方法を必死に探してくれていたみたいだが二ヶ月探しても結局何も得る事はなかったらしい。
俺が呼んでいるのは神だ。
普通に考えれば神を意のままに操れる方がおかしい。
フィオナには降魔術で呼び出している存在について話してはいないが、精霊は神に近しい存在だろうと言っているので、神に纏わる情報も一通り収集してもらっている。
残念ながら一つも実になっていない。
自分が探さず人に探させているので天から罰が与えられているのだろうか。
自分で探そうとは思ってる。
でも実行する気力が無い。
そんなこんなでもう二ヶ月だ……クラス降格の対象生徒にならなかっただけマシだが、やる気が湧かなくてどうしようもない。
いっその事降格すれば変われたかもしれない。
「……シャロル様、おはようございます」
「ああ。おはよう……」
フィオナは俺を叱りつける事もなく、このどうしようもない状況をただひたすら受け入れ続けてくれた。
常人なら二ヶ月もすれば口を出すはずなのに文句を言う事はなかった。
毎日暇を見付けては図書室に向かって降魔術の本を読み漁っている。
読み終える事が出来なかった本は借りてきて俺が寝静まってからいつも読んでいる。
……ここまで気を遣われて平然としていられるほど俺は酷い人間だったのか。
前世では駄目人間だった事もあってなかなか行動に移せていないけれど、これからどうしようか考えてはいるのだ。
降魔術を諦めるか、剣士を諦めるか……。
ネガティブな方向ばかりである。
降魔術を成功させるには召喚する精霊との信頼関係が必要らしく、信頼関係は契約する前に深く結んでおく必要があるようだ。
はて、契約とは一体何ぞや。
降魔術の本を読んだ感想の第一声はそんな感じだった。
本来降魔術は、術者が精霊を見付けてその精霊と契約して初めて使用する事のできる魔法らしく、勝負の最中に導かれたかのように使うものじゃないそうだ。
つまり俺はイレギュラーなのだ。
解決するのは難しい。
召喚出来ないという事は、神が俺を見放したのだろうと暗い気持ちになっていた。
――――――――――
夏休みも半ばに差し掛かった頃、母上から手紙が届いた。
武闘大会を見に行く事はできなかったが試合の結果は耳に入っている、もしかしたら俺が気を落としてしまっているのではないかと気が気でならなかったそうだ。
俺は挫折した事のない人生を六年間過ごした。
故に母上はこの武闘大会の結果で俺が弱っているのではないかと気になって手紙を送ってきたようだ。
疲れたらいつでも家に帰って来てもいいのよとハートマーク付きで書かれた母の字を見て笑う。
それが僅かばかり、自身を動かす動力となった。
……これまでが良い軌道で進んでいただけで誰しも躓く事だってあるのに、俺はいつまで転んでいるつもりなのだろうか。
俺はこの学校に来た当初と来る前の事を思い出す。
あの父上を越えてやりたいとか、竜と対決してみたいとか、魔法覚えてみたいとか、人生は失敗したくないとか色々思っていたあの頃。
脳裏にセイスとルワードが浮かぶ。
特にルワード。
ああ、憎たらしい。
やだなあ。
やだやだ。
頭の中で言葉を並べて、塞ぎ込んでいた気持ちを吐き出す。
全て一からやり直せばいい。
まだ人生は何十年とあるんだから。
「まあ、まずはフィオナの借りてきた本を片付けるか」
フィオナは十冊の本をいつも借りてきて部屋に置いている。
大体は夜の内に三冊か四冊に目を通して次の日に図書室に返しに向かい、また新しい本を返した分だけ借りてくる。
お昼過ぎの今はフィオナが図書室に向かっていて部屋はとても静かになっている。
本を読むには心地良い空間だった。
図書室よりも、図書館よりも静かだろう。
一つ手に取ってパラパラとページを捲る。
召喚魔法に通ずる物があると踏んだのか、そういう系統の本も色々と借りてきているようだ。
……が、実際は降魔術と召喚魔法はかなり違った物だ。
降魔術は魔物、妖怪、化物……この世に存在する異質な存在と契約して呼び出すもので、召喚魔法は異質な存在を“構築”する魔法だ。
つまり降魔術は元々存在する物を呼び出し、召喚魔法は存在しない物を作り上げるのである。
俺は神と契約した覚えはないので召喚魔法のはずだと本来なら断言できるのだが、召喚魔法で呼び出すモノの姿形は自身で考える必要がある。
白銀の鎧を着た巨体の戦士……なんて考えた事もないので俺が構築したというのは多分あり得ないし、大体召喚魔法で呼び出した存在と口で意志疎通なんて出来ない、召喚魔法で呼び出したモノは自身の魔力そのものであるからだ。
頭の中を整理しながら読み進めていく内に頭の中に幾つかのワードが流れてゆく。
心の在処。
夢の世界。
「お前の魔力は多いが我を呼べるほどではない。故に負担の少ない形で戦う……か」
そしてトウヤ戦でレグナクロックスの言い放った言葉。
何にも分からん。
もう捨て去って新しい希望を探した方が良いのかも知れない。
一応別の魔法についても記述されているので取り入れられる物を取り入れておきたいところだ。
魔力を防ぐ防御用の魔法、とか。
魔力が防げれば武闘大会の砲撃槍もどうにか対処できただろう。
レグナクロックスに頼らなくても良いようにならなくてはならない。
これじゃまるで、波動に頼ってるトウヤみたいじゃないか。
……馬鹿に出来ないな。
「……あっ…シャロル様、只今戻りました」
フィオナが図書室から帰ってきた。
俺が自主的に魔法学の本に触れている事に驚きを隠せず、部屋に帰って来たのにオロオロとしていた。
「ん。もう夕食の時間?」
「いえ……まだ、ですが」
「なら私も図書室に向かいたいんだけど、いいかな」
「……ッ!はい!着いて行きますっ!」
彼女の顔に満開の笑顔が輝いた。
俺は彼女に迷惑を掛けていた事を謝ろうと言葉を探したが、図書室へ向かう準備をしている間に思い付く言葉はなく、言わない事にしてしまった。
この二ヶ月何も言わずに自分に尽くしてくれた礼はいずれ絶対にする。
不器用は俺はこういう時にどうお礼をすればいいのか分からないのだ。
前世でも俺に住む場所を提供してくれた叔父にお礼ができなかった、……いや、お礼をしようとも思っていなかった。
他人をどうこう思えるほどの余裕がなく、心が荒んでいたからだ。
今はちゃんと礼をしようと思えている。
これは進歩だ。
人として前に進めた。
……進めているはずだ。
図書室のドアを開けて中に入ると数人の生徒がこちらを見て何か言葉を漏らした。
ここに来る生徒の人数は少ないが、来る生徒は結構な頻度でやってくる。頻度の高い生徒は俺が二か月前、毎日のようにでやって来ていた事を知っているのだ。
言葉を漏らしたとはいえ生徒数は四人程度だ。
その内の一人は顔見知りがいる。
同じAAランクのレベッカさんだ。
彼女と図書室で一緒になった事は今までなかったが読書するのが好きなのだろうか。
夏休みだから暇な時間を潰しにやってきただけかも知れない。
この世界にはテレビゲームもないからな。
「こんにちは、レベッカさん」
「シャロル……。レベッカでいい」
俺が声を掛けると彼女は読んでいた本を閉じて視線をゆっくりと移動させた。
その視線の先は俺ではなくドアの向こうだったので外に出ようという合図だろうか。
確かに話が長くなるなら図書室より廊下の方が好ましいが、俺は単に挨拶だけに留めるつもりだったため眉間に少しシワを寄せた。
まあいいか。
フィオナは図書室の中で待たせて俺とレベッカさんは廊下に出る事にした。
レベッカさんの服装は浴衣みたいな格好をしており、寮内をうろつく服とは言え難いものだった。
俺と同じようなモンブランケーキのような髪は少し短く切られていた。
夏だから短くするというのは分かるが結構印象が変わるものだ。
……髪は女性の命、という言葉がちょっと身に染みて分かった。
彼女はよく分からない性格をしているから気分でバッサリと切ってしまいそうだが。
「怪我は良いの?」
「…怪我?」
「ユーリック・シュラウドと戦った時に怪我したと聞いた。違う?」
「ああ……別に怪我じゃないし…、いや、怪我と言えば怪我かもしれないけどさ」
心の怪我だ。
レベッカさんは意味が分からなそうな顔をしていたが、ハッと思い出したかのような動作をした後、手紙の封筒を二つ胸元から取り出した。
「渡してくれと頼まれた。会ったら渡すと伝えた。
これはレミエル・ウィーニアスから、こっちはユーリック・シュラウドから」
「レミエル……誰?」
「武闘大会に出ていたフィストランド校の魔術師。トウヤに三回戦で負けた」
「……そう」
まずはその魔術師の手紙から封を開ける事にした。
会ってない人から手紙が送られてくるなんて思ってもいなかった、だからこそ内容の想像のしようがない。
どちらかは俺を貶す文章が書かれているような気がする。
まあ見りゃ分かる話だ。
レミエル・ウィーニアスの手紙は要約すると……
武闘大会はお互いに悲しい結果になってしまいました。
私はニューギストグリム・アカデミーの戦い方を見て関心を抱きました。
フィストランド校で教わっている戦闘方法とニューギストグリム・アカデミーの戦闘方法はかなり異なっており、お互いに学ぶべき物があります。
お互いに助力し合い、実力を高め合いませんか。
まずは一度お会いできればと思っています。
恥ずかしい話ですが、異性の多い環境ですので同姓のお友達も欲しいのです。
ユーリック・シュラウドの手紙はこうあった。
自分は貴女が竜を倒した冒険者の娘だと知っていました。
ちょっとした知人から得た話ですが、貴女は武闘大会で優勝したトウヤ・マキバを倒した人だとも聞いていました。
あの試合を終えてから自分はその言葉を思い出し、何度も頭を捻っています。
貴女は何らかの理由で実力を抑えているのだろうと思い、全力を出して再戦してほしいのでお手紙を出しました。
……とまあ、低学年とは思えないくらい随分と丁重な文章だった。
要約してこの文章力である。
「……小学生の書いた手紙とは思えないよ」
「私は字を書くのが苦手だ」
……レベッカさんは、……そうだろうなあって感じだ。
俺が小学一年生の時は文章の最初はちょっと空欄を作るとか、最後は「。」を付けるくらいしか考えてなかったもんだ。
こんな手紙を書く事なんて出来なかっただろう。
育ちの違い、だろうか。
まあ相手が同級生かどうかも分からないので成長の速度によってはこれくらいなら容易いのかもしれない。
レベッカさんが言っていた、レミエル・ウィーニアスがトウヤに負けたって話が正しければレミエルって人も下級生トーナメントに出ている事になる。
しかし、何故この手紙が俺に渡ってくるのだろうか。
ユーリック・シュラウドはともかく、レミエル・ウィーニアスはトウヤに手紙を出すべきだろう。
遠回しに馬鹿にされてるのだろうか。
「これはいつ…誰から貰ったんですか?」
「オズマン先生から、シャロル君は図書室に顔を出すかもしれないからって強引に渡された。
……大体、一ヶ月前くらい」
「随分前ですね」
「会ったら渡してくれと言われていた。会ってないから渡せなかった」
「そうですね……仕方ないですね」
先生は何故俺に渡さなかったのか。
確かにオズマン先生とは武闘大会が終わってからめっきり会ってないけれど、フィオナに渡す事ぐらいできただろうに。
もうどうにでもなーれ。
苦笑しつつ投げやりな受け答えをする。
手紙は放っておいて話を変えよう。
「そういえばレベッカ……は、何で図書室にいたんですか?」
「自習。夏休みとはいえ、気を抜いていたら駄目だ」
「そ……そう?でも普通夏休みって友達とかと遊ぶものじゃない?」
「友達はいない」
レベッカさんは真顔で答えてきた。
「ええ!模擬戦でも相手してくれっていう人沢山いるじゃない…」
「それはシャロルも同じ。自分よりも強い人と手合せしたいのは当然」
「いや、そうかもしれないけど…」
「……寂しいけど仕方ない。私は座学が苦手だ、置いて行かれるのは嫌だ。
ただでさえ武術でもトウヤや他校の生徒に負けている」
レベッカさんは俯きながら拳をぎゅっと握った。
そんな姿を見た俺はレベッカさんにちょっと感情移入して涙が出そうになっていた。
レベッカは不器用だけど人知れず真面目で一見優秀そうに見える……というかAAクラスなので優等生の一人なのだが、彼女は作業の要領はあまり良くない。
授業で取り入れているランニングや素振り等は並の速さだ。
トウヤが天才型なら彼女は努力型だ。
まあ、トウヤも元々天才だった訳ではないだろうが、トウヤの父親は剣聖って呼ばれているくらい強いらしいし普通の家庭ではないだろう。
環境の違いがある中でレベッカはAAクラスに入って来た。
お付き人を雇える俺達とは違う。
登場人物に金持ちが集う漫画によくいる、平民出の優等生ポジションである。
少女漫画だとしたら多分そいつが主人公だ。
俯いているレベッカを抱き締めて背中をポンポンと叩いてあげる。
自分の事で忙しいはずなのだが……この子をどうにかしてあげたい。
自分よりも頑張っているレベッカが報われないのは嫌だ。
「な、なんだ。シャロル」
「私…今から友達になってもいい?
剣術はレベッカより下手だから教えられないけど、座学なら教えられる自信があるよ」
「本当か…ありがとう!じゃ、じゃあ……あの、だな。これを教えてほしい」
妙にテンションを上げ始めたレベッカを見て可愛いなあと思っていたら、目の前に彼女が手書きで書いたノートを突き出された。
少し距離を取ってその内容を見るが何が書いてあるのか分からない。
字が下手だ。
いや、小学生で字が上手い方が珍しいだろうから彼女が悪い訳じゃない。
……剣士を養成する学校スタイルがそれに拍車をかけているんだろう。
字の汚さなんてどうでも良いから知識を積んで剣を振れって感じだ。
「……どこが分からないの?」
「これだ、算数。これは、何だ?」
「…………えっと……これ?」
どれほど字が汚くても数字と記号は何とかわかった。
可哀想な子を見る目をしてから俺は一回溜め息を吐き、テンションの上がってしまったレベッカのワクワク顔にこう答えた。
「+……だよ。明日、足し算教えてあげるね」
思った以上に頭が悪かった。
それからというもの。
夏休みの間、暇な時間は積極的にレベッカと交友関係を構築していった。
物覚えが良い方ではなかったが、反復練習で覚えてしまえば忘れる事は少なかったので物覚えが悪すぎる訳でもなかった。
二ヶ月サボっていた剣術の方にも手を入れ始め、たまにレベッカと試合をしたりして遅れを取り戻している。
体は何となく動きを覚えているが、目が追い付かない状況が非常に多い。
二ヶ月というのは短いようで非常に長い休暇だったようだ、夏休みとはいえ気を抜いたら駄目だというレベッカの言葉は本物だったらしい。
フィオナと共に降魔術の情報収集を行い、レベッカに勉強を教え、代わりに試合の相手をしてもらう日々が続いた。
手紙を送ってくれたレミエル・ウィーニアスとユーリック・シュラウドには返事を返したが手紙は馬車で送られる為時間が掛かるだろう。
車や飛行機はないからな。
まあ、自分は乗り気じゃないのでどうでもいい話だ。
夏休みも終わりに差し掛かろうとしている頃、降魔術の情報に進展があった。
しかもその情報を見付けだしたのは俺でもなくフィオナでもなく、降魔術の調べ物を興味本位で協力してくれたレベッカだった。
“降魔術を知り尽くす賢者が夜砂漠にいる。”
ただそれだけの内容だったが、何もない自分達にとっては大きな情報だった。
「夜砂漠ってのは……フィオナ、分かる?」
「ニューギスト公国からずっと北にある砂漠です。
空が暗く、年中雨が降らず、魔物も自然もない土地だと聞いています。
夏休みの今からでも行ける距離……でしょうか」
途中にはアーリマハットという国があるらしい。
向かうならそこを拠点として動く事になる。
魔物がいないなら俺とフィオナの二人だけでも向かう事が出来る。
フィオナにはゆっくりできる休暇をあげたいとも思っていたし、旅行感覚で外に出れるのなら結構チャンスかもしれない。
「じゃあ向かおう。フィオナは出来るだけ早く準備をして。私も手伝う」
「はい、分かりました」
とはいえあまり準備する事もないのだが。
必要だと思う物、武器や食料を馬車に詰めてから先生に少しの間ニューギスト公国を離れる事を伝え、朝早くに出発する事にした。
ニューギスト公国に帰る頃にはレミエル・ウィーニアス達からの手紙も帰って来ている頃合いだ。
帰ったらすぐにレベッカに手紙が来ているかどうか確認しよう。
また一ヶ月も手紙をレベッカの手元で放置させる訳にはいかないからな。