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騎士道プライド  作者: 椎名咲水
2章【新入生編】
12/50

11.お前は何者か

 俺が何者か。

 そんな事が自分で答えられるならそいつは人間じゃない。

 人間は自分の事を人間だと証明する事すら難しいし、この世界が自分の妄想かも知れないなんて冗談めいた話すら完全に否定する事が出来ない。

 俺は俺だ、一つの意志を持つ、一人の人間。


 ……本来ならばそうだ。


 だが今はどうだろう、俺という個はシャロルという別の体を手に入れ別の道を歩み始めている。

 何故そうなったのかなんて知らない。

 気付いたら俺はシャロル・アストリッヒになった。

 ……そういえば俺はその理由を考えた事すらなかった。


 失敗しないように必死だった。

 同じ道を進まないように必死だった。

 余計な事なんて考えている暇が無かった。



『お前は何者だ』

「……分からない、俺は俺……えっと…」


 あれ。

 俺、何かを言おうとした?

 何を言おうとしたのか忘れてしまうくらい言葉に詰まっていた。



「ここはどこですか…?俺の家?」

『いいや、ここは心の在処。魂の帰る場所だ』


 レグナクロックスはそう言うと剣を引き抜いて空を切り裂いた。

 その剣は小さな風を起こし、幻のように存在していた台所は煙になってその風に乗り、どこかへと消えていった。


 幻が全て消え去った時、前に見た光景が眼前に現れる。

 大理石で出来た床、手摺によって下に落ちないように設計された場所。

 常に人魂のような物が漂っていて、手摺の向こうには底無しの闇が存在している。

 遠くには大きな扉があり、頑なに閉ざされていた。



『だがお前の魂は本来ここにあるべき物ではない』

「あるべき物ではない……?」

『お前は一体どこから来た。何をしようとしている』

「………」

『答えろ』


 白銀の鎧は俺に答えを求める。

 俺でさえ分からない答えを求めている。

 答えを出し渋っていると体全身が鈍器で殴られたような感覚に襲われた。

 唐突な衝撃に何も言えず、その場に倒れて意識を失った。


 ……。

 …。



「――――――シャロル様、シャロル様っ」


 ガクンガクンと上半身を揺らされて俺はようやく意識を取り戻した。

 俺の体は全身が冷たくなっていて、右手は誰かに握られて少しだけ暖かくなっていた。

 視界はぼやけて何も見えない。

 でも誰だかはちゃんと分かる。

 フィオナだ。


「ん……朝?」

「それどころではありません……お体がこんなに冷たく…病気かも知れません、今医者をお呼び致しますっ」

「いや、大丈夫だから心配しないで……」


 多分、あの夢のせいだと思うし。

 ちょっと体が寒いと思う以外は自分の体に何か悪い場所があるようには感じない。

“いいや、ここは心の在処。魂の帰る場所だ”

 あの言葉が本当なら、俺は一瞬死んでいたのではないだろうか。

 魂だけ抜けていた。


 前にレグナクロックスと夢の中で対面した時はこんな事はなかったんだけど、前回とは違って今回はあの人の声が聞けた。

 前は聞き取る事が出来なかったのに。

 ……それだけ深く夢の世界に入っていたのだろう。


 しかしまあ…光神とも呼ばれる神様に俺の正体が何なのかと聞かれるとは思わなかった。

 神様にも分からないものがあるんだな。

 変な考え事をしているとも知らずに俺のメイドはずっと俺を心配しながらオロオロとして、俺の右手をぎゅっと握りしめたまま放さなかった。


 力が入らなかったのでフィオナの力を借りて上半身を持ち上げた後、フィオナにもたれ掛かった。

 フィオナは温かく柔らかい、良い匂いもする。



「本当に大丈夫なのですか?確かに顔色はみるみる内に良くなってますけど…」

「お風呂に入れば温まるよ。でも、もう少しだけこのままで」

「少しとはいわず気の済むまでで良いんですよ」

「………ごめんね」


 このまま風呂に入ったら火傷しそうだ。

 人肌で暖めてもらってようやく体温が元に戻って来る。

 フィオナを抱き締めているのにエロい事を一切考えていない辺り、結構真面目に体が大変な状態なのかもしれない。

 ぎゅっとフィオナを抱き締めているとフィオナは急に俺の体を抱き上げて風呂場の方へ歩いてくれた。


 フィオナは自分の服を脱ぎ、その後に俺の服を脱がせる。

 彼女は体を隠す恥じらいもなく少々急ぎ目で服を脱がせ、早くお湯に当たらせようと思っているみたいだった。

 今風呂に入ったら溺れそうだがフィオナがいれば何とかなる。



「失礼を承知で言いますが私、昨日のシャロル様の食事を頂いてショックだったんです」

「……?」

「私の作った事すらない料理なのにレシピも見ないで作っちゃうんですから。私って何なんだろうって思っちゃいました。

 料理だけは自信があったんですが…」

「ご、ごめん」

「……それでも私、シャロル様の傍にいたいです。

 役立たずでも、ずっと傍に……」


 顔を綻ばせながらそういう事を言ってくるのは卑怯だ。

 まあでも、昨日はかなり気落ちしてしまっていたみたいだから立ち直ってくれたのは素直に嬉しい。

 風呂場に入ってからはお任せ下さいとフィオナに言われ、背中から前まで全部洗ってもらった。



 風呂から出てからは快調そのものだったが一応さっきまで調子が悪かったので授業を休むと学校の先生に伝え、フィオナと一緒に外に出て腕が鈍らない程度に剣を振るい、帰りは図書室へ脚を運んで早めに部屋へと戻った。

 ただでさえ授業少ないのにまた休んで……まるで不登校の生徒だ。

 今日の授業は特別講師としてやってくる騎士との模擬戦が出来る日だっただけに残念極まりない。

 これでAAクラスの二人と差が付けられなければいいのだが……。


 図書館に寄ったのには色々理由があり、結構な量の本を借りてきた。

 剣術の本に混じって幾つかAAクラスの面子の事を調べる為の本、後は過去の伝説を取り纏めた物や宗教的な本。

 宗教的な本は白教と省略されて呼ばれている宗教の布教用の本で、その絶対神となる光神についてまとめられている。


 白教の絶対神である光神は言い伝えられている姿形が光神レグナクロックスと酷似していたので恐らく同一の存在だろう。

 やはり神だったのかと確信せざるを得ない内容だ。


 光神はこの世界に存在する真理、絶対的な何かを守っているとされていて、その絶対的な物については明言させていなかった。

 また、光神の力は光…単純に言えば輝きであり、それはどんな物にも宿っていて、人間の心にも宿されていると書かれていた。

 自身に宿る輝きを信じる事が光神を信仰する最初の道で、その光を絶やさず、この世界を輝きで満たす事がこの白教の目的……単純に言えばそんな感じだ。


 誰しもが光を抱いていてソレを守るという事だから隣人を愛せって発想にも繋がる、自分も大切で他人も大切。

 宗教らしくて面白い内容だ。

 しかし夢の中で見た心の在処についての記述は無かった、つまり収穫なし。


 過去の伝説は後回しにして次はAAクラスの面子についての本を覗く。

 レベッカさんの生まれであるセルートライの武術関連、セルートライと隣国コリュードが戦争した時の記録、トウヤマキバの剣聖と呼ばれている父親について記された物、そしてその祖先のお話。

 読めば読むほど話が膨らんでその冒険的なストーリーに興奮したり、急に冷めて馬鹿馬鹿しくなったりの連続だ。


 まずはレベッカさん関連だが、フィオナが教えてくれた通り妙な戦い方をするようだ。

 隠者と呼ばれる事もあり、コリュードの騎士団が乗っていた騎馬の脚を狙って魔術を放ち馬を使えなくさせて戦力を削っていったらしい。

 身を隠しながら攻撃する戦法は正に忍者。


 コリュードではかなり卑怯者として扱われていたらしい。

 逆に平原で騎馬して自分の力を信じて戦うコリュードの戦法をセルートライでは馬鹿にしている節がある。


 ニューグリム・アカデミーでは騎士でも忍者でもなく冒険者として活躍できる剣士を育てているので戦闘スタイルに推奨はあるが基本的には自由だ。

 レベッカさんがAAクラスにやって来れたのは自国で鍛練していたからに違いない。

 今その戦闘スタイルがどれだけニューギスト・アカデミーの教えに感化されているか…。



「シャロル様、先生がお見えですが……」

「ああ。通してくれ」


 問題はレベッカさんではなくやはりトウヤマキバだ。

 感化されていれば他の生徒と戦い方が何となく似ているので戦いやすくなるが、間違いなくトウヤマキバは感化されない。

 その理由はその剣だ。


 アイツの剣は常識外の刀、そして波動、伝説の血族、何もかもが反則だ。

 まるでどこぞの物語の主人公じゃないか。

 何だよ波動が出せるって。

 ……いや魔法があるんだから別に卑怯って訳じゃないと思うんだけど、名称がめちゃめちゃ強そうだしやっぱり卑怯だ。



「……担任が来たというのに座って待っているのはどうかと思うがね」


 あ、そういえばさっきフィオナが言ってたっけ。

 流し返事でオーケーするんじゃなかった。


「すみません先生……考え事してました」

「いいよ、君はそういう事をしないって分かっている。そういう事をするのはトウヤ君くらいだからね」

「トウヤ……」

「……どうやらその事で考えていたみたいだね」


 担任のオズマン先生は机に積んであったマキバの伝説関連の本を見てそう言った。


「実際に戦った方が良いんじゃないかい?」

「いえ、勝てるイメージが見付からないのでまだ遠慮しておきます」

「ふむ……君はよく現実を見ている。

 負けてはならないと思う心は戦場に立つ意思が身に付いているという事だ。

 模擬戦と割り切っているレベッカ君とも、実力と慢心のあるトウヤ君とも違うタイプだ」


 実力と慢心のある……ねえ。

 さっきから先生、トウヤの事を馬鹿にしている気がする。

 恨みでもあるのだろうか。



「しかし六月にちょっとした武闘大会があってね。

 次の模擬戦には必ず参加するようにと校長から伝えるように言われてしまった。

 ……確か模擬戦の相手はトウヤ君だったかな、運が悪い」

「……私の今日の相手はレベッカさんでしたっけ」

「ああ。不機嫌になっていたがね……代わりにトウヤ君が相手をしていたよ」


 模擬戦の戦闘は多くて一日三戦、最低で一日一戦だ。

 模擬戦の最大の目的は敵を見て自分を知る事、少ない実践の中で自分の強みと弱みを見極める事らしい。

 その中で優秀だと見抜かれた数名は武闘大会に向けて特別授業を受ける事が出来る。


 優秀生徒はその特別授業で多くの模擬戦を受ける事ができ、一般生徒は夏休みを終えてからそれと同じような事をする予定になっている。

 しかし明確に自分の進む道が決まっている生徒の意志は尊重してくれるらしく、年々様々な授業が増えているらしい。


 一番人気は冒険者体験、ギルドでクエストを受けてモンスターを退治する授業だ、体験とはいえきちんとした実習なので報酬が出るのが人気の秘密。

 小学生から稼ぐってのも何だか変な感じだな。

 金が欲しくないっていえば嘘になるけどさ。



「明日は優秀生徒を選抜する最後の試合だ。

 今の所、その優秀生徒の名簿欄に君の名前はない」

「今日を含めて二回休んでますからね…」

「不真面目だと思われているのかもしれないね」

「そんな事はありません!シャロル様はいつも真面目です!」

「……フィオナ」

「あ……し、失礼致しました」


 意地悪な先生の言葉に身を乗り出して庇ってくれるフィオナを視線で重圧感を与え少し静かにさせておく。

 短期間で二回も欠席している生徒なんだから不真面目だと思われて仕方がない。

 フィオナには悪いけど自分でも承知しているところだ。



「流石に自室にこれだけ本を並べられていれば私だって分かる。

 だけど他の先生方は見て分かる実力を欲している……違うかな?」

「心配せずとも明日は出席します」

「ふむ、よろしい。君には少し期待をしています」

「………?」

「トウヤ君は全戦全勝、君も不戦敗を抜けば常勝な訳です。

 楽しみにしています」


 先生はそう言って俺に一礼しフィオナにも軽く会釈して部屋から出て行った。

 先生に紅茶を出そうと用意していたフィオナは先生の発言で不機嫌になっている事もあってか表情が一瞬曇り、俺に見えない所で用意した紅茶を一気飲みしていた。

 ……熱そうだった。


 先生の話してくれた事を思い返す。

 トウヤは模擬戦では一日三戦必ず行っている。

 それが全戦全勝なのだから実力はかなりのものだし、ニューギスト・アカデミーで教えられている推奨の剣技は見慣れてしまっているだろう。

 自分の持っている技術の大抵が学校で教わった物だからどうしたものか……。


 父上から教わった技術もあるがアレは基本的に全ての技術の土台となる基礎が殆どで、突出して役に立つスキルがある訳ではない。

 あるとすれば父上が俺の実力を測る為に使った意外性の強い技だ。

 剣戟の隙に左拳を出してくるとか。

 ……。

 使えるかどうかは別物だよなあ。



「シャロル様、お身体に障るようなら明日もお休みになられた方が……」

「大丈夫。今日は早く寝るよ」


 何とかなるさ。

 朝は確かに調子が悪かったけど明日は大丈夫だろう。

 優等生に選ばれなくても良いけど一度トウヤとは戦っておきたいし、アイツが全勝しているのなら最初は俺が負かせてやりたい。

 完膚なきまでに。


 ……その為に自分には何が出来るのか、考えても考えてもやっぱり方法は一つしか思いつかなかった。

 光神レグナクロックス。

 彼の力を借りたい。



 ――――――――――


 翌日。

 早く寝たからか心地良い朝を迎え、朝食やお風呂をゆったりと済ませ纏めておいた情報にもう一度目を通し、女性らしい綺麗な服を着てフィオナと一緒に部屋を出た。

 軽い荷物をフィオナに全て持たせて早い時間から現地入りする。

 現地で紅茶を飲めるくらい余裕を持ちたいものだ。


 試合で使う武器と防具は黒に塗られた物ばかりで当然刃は無い。

 剣は一般的なロングソード。

 トウヤの使うのはどうなんだろう。


 ルールは制限された場所と時間以外は特に指定されていないので魔法も使用可能で、回復魔法や観客を守る障壁の魔法を使える教師も幾人か待機している。

 敗北条件は戦闘が続行不可と判定された場合、実力の差が掛け離れ過ぎていると判断された場合、実践なら死亡しているであろう状況になってしまった場合だ。

 自分から負けを認める事はお互いに無いだろうから判定頼りだ。


 判定は三人の先生が行う、その中には俺の担任のオズマン先生もいる。

 判定が味方してくれるとは思えないな、期待しているとは言っていたけど他の二人の先生は俺の事なんて見ちゃいないだろう。

 ……いや判定なんてどうでもいい、非の打ち所がない勝利を捥ぎ取るんだ。



「シャロル様、紅茶淹れますね」

「うん……ってあれ、お湯ってどこから用意してるの?」

「炎の魔法ならちょっとだけ使えるんです。

 蝋燭に火を燈すとか、水を沸騰させるとか、その程度の範囲でしか使用は出来ませんが」

「……長い付き合いなのに初めて知ったよ」


 そういや父上か母上か忘れたけどファイアって魔法使ってた気がする。

 日常生活で使えるから覚えている人も多いのかもしれない。


 紅茶を頂いてから更衣室で着替えて準備室で待機する。

 緊張して尿意が来ると困るのでトイレにも行っておく。

 出る出ない関係なく尿意って来るから怖い。

 トウヤは性格的に緊張とか無縁そうだなあ。



「ごめんフィオナ、試合まで少し眠ってもいい?」

「試合開始前には起こして差し上げますが鎧を着た状態で苦しくありませんか?」

「そうだね、上だけでも脱いでおこうかな」

「はい。では私は膝枕をさせて頂きます」

「ああ。でもその、私の身体が冷たくなっても試合開始までは起こさないでね」

「……え?」

「夢の中で会いたい人がいるんだ」



 会わねばならないのだ。

 その力を、光を、ものにする為に。


 フィオナの膝に後頭部を乗せる。

 意味深な言葉に不安を覚えたのかフィオナは目を瞑った俺の手を握ってきた、それを優しく握り返して意識を闇の底へと沈めた。

 ……願って会える存在なのかも分からない。

 どこまでも暗い世界、深淵の闇。

 光ある場所には闇があるっていうけど、闇がある場所に光がある保証は無い。



「会いに来た。レグナクロックス」


 自分の体が男の姿になった感覚がした時、夢の世界に入ったのだと判断して声を発する。

 すると頭上から人魂のような光が揺らめきながら落ちてきた。

 空の遠くには夢で見た光る大地と手摺がちょっとだけ見える。


 するとここは……いつもの場所いる場所の遥か下にあった闇の中か。

 でも歩ける場所はある。

 歩いている感覚はないし、進んでいる感覚もないけど。



『青年、答えは用意したか?』


 どこからともなく声が聞こえる。

 どこを見ても闇ばかりだがどこからか光や温もりを感じる。

 どこかに光神レグナクロックスがいるのだろう。


 この世界、心の在処のどこかに。

 或いは自分の胸の中に。

 いや、それはクサ過ぎるかな。

 でも神なんだから人間の目には見えない不可視な状態でいるんだろう。



「青年じゃねえよ、俺は」

『ほう、ではもう一度聞こう。お前は何者だ、どこから来た?』


 コイツが聞いている質問、どう答えてほしいかくらい分かってる。

 でも今の俺は青年ではなくて少女、やりたい事も昔とは違う、今は就職を夢見てる駄目なおっさんじゃなくて剣士を夢見てるファンタジーガールだ。

 ……ファンタジーガールって自分で思ってちょっと笑いそうになったけどさ。

 そんだけこの世界で摩訶不思議な事してるんだよなあ、俺。



「俺はシャロル・アストリッヒ。

 ニューギスト公国から少し離れた集落で生まれた。

 ……ちょっと力を貸してほしいんだ。倒したい相手がいる」

『…どんな敵だ?』

「とんでもなく傲慢な奴。勇者の血を引くんだってさ」

『……勇者、マキバハヤテか』


 流石、神様なら何でも知ってるんだな。


『面白い。我が力で捻じ伏せるに相応しい相手だ』

「いいのか?」

『ああ。しかしお前は本当に面白いな……』

「…?」

『この世界は言わば死人の場所。なのにお前の体は体温(ぬくもり)さえ感じられる』


 フィオナが手を握ってくれているからな。

 ……俺はいつもフィオナに温かみを貰っている気がする。

 紅茶もお風呂も握ってくれる手も。

 胸の奥でさえも。


「まあ、神様に選ばれるだけの事はあるって事じゃない?」

『…程度を弁えないのも面白さの一つとしておこう。

 早く行け、魂が抜け去る前に』

「厨二臭い事言われなくても戻るよ、待ってる人がいるんだから」



 戻る方法なんて知らないけどな。


 ………。

 ……。



 この世界は曖昧だ。

 夢と現実の境界が曖昧というか、現実そのものがまるで夢みたいな世界で、過去の俺が頭の中で浮かべていた理想が非常識とさえ思えてしまう場所。


 収入が安定してて定休日があるとか土日休みなら良いなとかそういう場所じゃなくて、剣握って童心戻って勉強したりして体動かして、魔法があって伝説があって両親は竜を倒した何か凄い冒険者で。

 もしかしたら悪い夢でもずっと見てるんじゃないかって感じだった。


 夢現(ゆめうつつ)がつかない世界。

 そこでずっと俺は俺として生きてきた。

 でも今は私として生きている気がする。

 過去を見ているんじゃなくて未来を見ている。

 シャロル・アストリッヒとして生きている。


 俺は七年この世界で生きてようやくスタートラインに立ったのだろうか。

 ……いや、剣術を習っていた時からこの世界に生きるって決心していただろうがと自分で自分に突っ込みを入れる。

 俺は再確認したんだ。他人を通して……神を通して。

 自分はすっげえ世界に生きているんだなって事を。



「………」


 気が付いた時、全身が冷たくなっていて、その冷たくなっている皮膚の上からほんのりと暖かな体温を感じた。

 膝枕をしていたはずのフィオナは俺の体を持ち上げてぎゅっと抱き締めている。

 なんだこの状況。

 というか俺こんな状況で寝ていたのか。



「お、おはようフィオナ……ちょっと苦しい」

「おはようじゃないです!どんどん体は冷たくなっていくので不安で不安で……今暖かい紅茶を淹れますから待っていて下さい!」


 フィオナは手の届く範囲に置いてあった紅茶のセットを片手だけで自分の近くに寄せて紅茶を淹れ始める。

 片腕は紅茶を、もう片腕は俺の体を抱いていた。

 瞳には薄らと涙が浮かんでいる。


 不安からの涙か安心からの涙かは分からないけれど、それだけの感情を押し殺して起こすなと言ったお願いを律儀に守ったのは凄い事だ。

 俺だって自分の腕の中で人が死ぬなんて考えたくない。

 立場が逆だったら起こしてしまったかもしれない。

 でも、起こされていたらあの神とは対面出来なかった……と思う。



「私は生きてるから泣かないで良いんだよ」

「もうシャロル様なんて知りまぜん……知りませんから」

「アハハ。私はフィオナにそっぽ向かれるのは嫌だなぁ」


 現地入りしてから紅茶は二杯目。

 フィオナに抱かれながらフィオナが持ってくれている紅茶のカップに口をつけてゆっくりと飲み始める。

 体が冷たいせいかとても熱い。

 火傷どころじゃすまされないほど。


「ごめん。ちょっと熱い」

「あっ…焦ってしまって……今淹れ直しますっ」

「……フィオナ、ちょっとこっち向いて」

「何ですか?…んむっ!?」


 暖かくなるのは人肌が一番とかエロ本チックな事を抜かすほど思春期じゃないけど、随分前にフィオナがしてくれた事を思い出して不意に唇を奪った。

 舌も入れて艶めかしい音を立てて、驚いているフィオナの顔を見ながらその舌に絡み付くように舌を合わせる。


 やがて二人とも目を瞑って短いようで長い時間口を重ねた。

 フィオナの吐息が可愛らしくて高揚する。

 俺は満足してから口を離すとフィオナは目を開け、ちょっとだけ眉を動かした。

 感想も出ないほど頭の中が真っ白になってしまったらしい。

 そりゃそうか。


 俺は昔の事を思い出しながらその言葉を思い出した。



「『主人様には内緒ですよ、こ、紅茶淹れてきます』……ふふっ」

「あ……」

「前にフィオナからキスしてくれた時の言葉だよ。

 まあ父上には言っちゃったけどさ」

「い、言ったんですか?!」

「ははは。いたっ、痛いよフィオナ叩かないで!くっ…ははっ!くすぐるのもナシっ!」


 動揺を隠せないフィオナは俺の体を叩いたり揺すったりする。

 それでも立場に準じた冗談めいたもので優しいものだ。


 前はフィオナをからかったりして楽しんでいたのに最近じゃ全然そういう事もなかったからちょっとした気分転換にはなった。

 メイドと主人の境界とかあったもんじゃないがね。



「ねえ、勝ったらもう一回キスしてくれる?」

「……はい。でも無理はなさらないでくださいね?

 体調が悪くなったら棄権しても良いんですからね。

 その後幾らでもキスしてあげるんですから…っ」

「もう心配しすぎ。大体棄権って……そんな事する訳ない」


 試合開始前のコールが鳴り響く、選手入場可能時間……試合開始数分前だ。

 俺はフィオナに最後のキスをして急いで上の鎧を装着し、最後に剣を引き抜いたり防具のフィット感等の武具の確認をする。

 さっきも確認したから大丈夫だと思うけど命を預ける道具なんだから念入りに調べておかないとな。

 深呼吸。

 後はスタジアムへ向かう階段を登って扉を開くだけ……。



「シャロル様、御武運を」

「うん、ありがとう」


 階段を登って扉に手を当てる。

 敗北の文字が頭の中に浮かんでこないほど清々しい気分だ。

 自然と緩む口元を抑えられず、ついつい上機嫌に口が動いた。



「――今の俺は強いぜ、トウヤ」


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