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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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六日目 その七

「これは、昨日ヨハンが奴らの兵隊から聞き出した砦の見取り図だ」

「見せて頂いてよろしいですか?」

 ウォッカは立ち上がると親方さんの手から見取り図を受け取った。宝の地図を見るような目でじっくりと観察する。

「そうですね、大体こんな感じかな」

「何で砦の内部の様子を把握してたんだ? 何処で知ったんだよ」

 ヨハンが食い入るような目でウォッカを見ている。その様子をミリアムが少し心配そうな表情で見詰めていた。

 ウォッカは椅子に腰を下ろすとまだ温かそうに湯気を上げている肉じゃがとご飯を一口ずつ口に含んだ。ゆっくり咀嚼すると静かに飲み込む。

「順を追うしかないか」

 独り言のように呟くと箸でご飯と肉じゃがを交互に掬った。やっぱり相当空腹だったのだろう。こうして元気に食べている横顔を見ているとそれだけでホッとする。

「昨日カティを助けた時、手首と手枷の間に砦の見取り図が挟んであった」

「ちょっと待って下さい」

 何かを引き摺るような音がした。父が突然椅子から立ち上がったのだ。

「それって、一体どういう事ですか?」

 父の顔が明らかに気色ばんでいる。何処に感情を刺激する要素があるのか。端から聞いている分には全く判らない。

「それは一体何処から湧いて……」

 そこまで呟いたところで父の顔が目に見えて強張った。愕然と両目を見開いたまま右手で顔を覆う。

「あいつがそこに挟んでおいたんです」

「なあ、そのあいつってのは一体誰なんだ?」

 話を振ったのはヨハンなのに完全に置いていかれている。さっきから全く話が見えていない。ちょっと可哀想に思えて来た。

「絞首台から落ちたカティを受け止めてくれた奴なんだけど、そっか、実際に見たのは俺とご主人だけか」

 あの時周囲で何が起こっていたのか。絞首台の天辺で当事者の一人として関わっていた。でも実情を全く把握出来ていなかった。目隠しをされていたのだから当たり前と言えば当たり前かも知れないけど。

「その、あいつってのは一体何者……」

 そこまで呟いたところでお師匠さんが椅子から立ち上がった。

「あいつか!」

「そうです」

 頷いたのはウォッカだけだった。それ以外は完全に取り残されている。話の流れはおろか、輪郭すら掴めていない。

「そのあいつって誰なのよ」

 イリナが目尻の辺りを小刻みに痙攣させながらウォッカやお師匠さんを睨んでいる。確かにイラつく気持ちもよく判る。

「まだ判らねえかい?」

 ウォッカが試すような目でイリナを見た。挑発しているようにも思える。

 イリナは右手で頭を抱えたままもう一度ウォッカを睨んだ。腕を組んだまま低く唸っているミリアムの隣で、アリスは記憶を整理するように人差し指と中指の先っぽでコメカミを叩いていた。

「ここに来た翌日に俺を襲って来た連中を返り討ちにしたのは覚えてるだろ。でも痛めつけただけのハズの連中がいつの間にか死体に変わっていた」

 ウォッカはそこで言葉を切ると食堂にいるみんなを眺め回す。うんざりしたような溜め息が聞こえた。イリナがいかにも忌々しそうに唇を歪めたままウォッカを睨んでいた。

「そいつが下手人と言うか、下手人がそいつと言うか」

「平たく言えばそういう事だな」

「どういう事だよ?」

 ヨハンが突っ込んだ。目元が目に見えてピクピクしている。

「そっか、あの時ヨハンと、その……親方さんはここにいなかったから事情に通じてないか」

 詫びるように頭を叩くウォッカを見てようやく溜飲が下がったのか、ヨハンは腕を組み直すと椅子にふんぞり返った。

「で、何者なんだ、そいつは?」

「暗殺者だよ」

 別段躊躇う様子もなくアッサリ返答した。食堂の温度が一気に下がる。酒屋で奉公している友人を紹介するように気安く言わないで欲しい。

「暗殺って、一体誰を殺しにこんな……」

 動揺が尾を引いているのか語尾がしどろもどろになった。別にヨハンでなくても、誰でも動揺する。それもかなり激しく。こんな辺鄙な田舎街に誰を殺しに来たと言うのか。

 そこまで考えて初めてハッとした。殺されるだけの理由がある人物なら確かにいる。

「ウォッカ、済まねえが順を追って話してもらえるか」

 お師匠さんが神妙な表情でウォッカを見据えた。この街の住民として、関わった人間の一人として事態を正確に把握しておきたいのだろう。それはみんなも変わらない。

「俺がここに来た日の早朝に奴らの見張りが一人殺された、って話は覚えてるか?」

 首を傾げるカティに対してイリナは力強く頷いた。自信と言うより確信を窺わせる態度だった。

「で、翌日散歩の最中に死体を見つけたろ?」

「散歩じゃなくて最初から死体を探す事が目的だったじゃない」

 反発するイリナの言葉に思い切り肝が冷えた。知らないところでかなりとんでもない事が起こっている。

「そんな事があったの?」

「あれ? 言わなかったっけ?」

「初耳よ!」

 隣にいる父と母も完全に顔色をなくしている。卒倒しないだけマシなのかも知れない。

「ウォッカとカティを襲った奴らの数が一人減ってたから、翌日にその一人をウォッカと探しに行ったの」

「探しにって、あなた……」

 倒れそうになった母の肩を父が背後から支えた。父は頭を抱えながら苦虫を噛み潰したような顔をしてイリナを見ている。

「別にいいじゃない。危ない目に遭ったって訳じゃ……」

 声が尻窄みに小さくなった。父から微妙に視線を逸らしながら頬を掻く。

「遭ったろうが」

「余計な事言わないでよ」

 青かった母の顔が蒼白になった。

「いいじゃない。こうして無事にここにいるんだから」

 そういう問題じゃないと思う。普通だったら間違いなく死体になっているところだろう、聞かなくても判る。

「すみません。無事事なきを得たんで俺もお伝えするのを忘れてました」

「知らなかった方が良かった気がします」

 冷や汗をかく父を見てお師匠さんが苦笑いしている。愛弟子である事は間違いないけどここまで立派に鍛え上げた事にちょっとした責任を感じているのかも知れない。すぐ後ろにいるミリアムが少し不自然な角度に首を曲げて顔を逸らしていた。

「乗り掛かった船です、聞かせて下さい」

「俺を襲って来た奴らは最初は十六人いました。それが追いかけっこをしている最中に一人姿を眩ました。当初は数え間違えくらいにしか考えていなかったんですけど、その後に奴らが大挙してここに来ましたよね。俺に人殺しの汚名を着せようとして。で、数え間違えではない事を確信した訳です」

 それで消えた一人を探しに行く行動力が凄い。それについて行くイリナもイリナだけど。

「それもそうだけど、よく見つかったな」

「私も驚いたわ」

 イリナでなくてもビックリ仰天だ。あの時偶々見かけた事も驚いたけど、何処に消えたのかも判らない誰かを探し出すなんて普通絶対不可能だ。

「どうやって見つけたんだよ」

「聞いたら腰抜かすわよ」

 イリナが勝ち誇ったように笑った。ヨハンは怪訝そうに眉を潜めた。応えを促すようにウォッカを見る。

「血の匂いを辿ってな」

「血の匂い?」

 みんな一斉に顔を歪めた。でも、一部の人の顔から驚愕が消えた。むしろ納得しているようにすら見える。

「消えた一人が生きているとは最初から考えてなかったんで、他に手掛かりになるようなものがそれしかなかったってだけなんだが」

 そんなもの普通、いや絶対に手掛かりにならない。それが何故彼には手掛かりになり得るのだろう、それにそこまで疑問を抱かない人がいるのだろう。

「そもそも、他の連中は殺されてるのに何故そいつだけ拐われたのかな。結果的には殺された訳だけど」

「お前、少し話の流れを整理してから質問しろよ」

 兄は元気に顎を上下させながらのんびりと弟を嗜めた。気勢を削がれた弟はそんな兄を露骨に睨む。

「そもそも何故その男が砦の内部を把握していたのか、疑問の発端はそこだろ? そいつもウォッカと同様部外者だって事はまず間違いないだろうから、事前に得られる情報があったとしても量も内容も限られる。じゃ、それを補うにはどうすりゃいい?」

「知ってる奴から聞く」

「その正体不明の誰かさんは暗殺するって物騒な用件でこんな片田舎の寂れた街に来たんだぜ? そんな奴が顔を見られた奴を生かしておくと思うか?」

 実に明快な回答だった。疑問が入り込む隙間もない。

「お前はもう少し考えてから言葉を口にした方がいいな」

 親方さんが溜め息混じりに言った。イリナは吹き出しそうになるのを辛うじて堪えている。

「で、血の匂いを辿って行ったって事は、現場は……」

 言ってる先からアリスは口を両手で塞いだ。

 言わなくても、そして聞かなくても想像出来る。だからこそ絶対に言葉には出来ない。何より今は食事中だ。

「でも、何でそんな目立つやり方で殺したのかしら」

 素朴な疑問だった。深く考えた末に出た言葉ではないにしてもかなり核心に近い所を突いている。

「って、誰でも思うわよね」

「やり方なんて他にもあるでしょうに」

腕を組んだまま真剣な眼差しで宙を睨むミリアムの肩にイリナが手を置いた。

「その件だけど、結論から言うとイリナの推理が大正解だった」

イリナは呆けたように目を見開くと自分の顔を指差した。でもすぐさま胸を叩いて笑う。

「ほら、私の言った通りだったじゃない!」

「確かに作為的過ぎたからなあ」

 何がどう作為的だったのか。現場にいなかった人達には全く判らない。

「具体的にどう作為的だったかは判らないけど、少なくともその奴さんはウォッカが血の匂いに敏感な事を把握していた。だから刺し殺したって事だろ?」

「そうです」

「じゃ、その段階で既にウォッカの素性も把握してた、そう考えるべきだよな」

「おっしゃる通りです」

「いつそれを知られたのか心当たりは?」

「あります」

実に淀みなく会話が流れた。リーゼルは満足そうに笑った。まだ頭の中が整理出来ていないカティと違って遅れをかなり取り戻している。

「ここに来た翌日奴らに襲われた話はさっきしたと思いますが、その時軽く切られまして。傷はもう治しましたが」

 仰天するように目を丸くした兄に弟が胸を反り返して勝ち誇っている。その横顔を見る兄の目が細くなった。

「別にお前が何かした訳じゃないだろ」

 威張んな。

 切り返しとしては申し分なかった。いや充分過ぎるくらいだ。

「流石リーゼルさん」

「手厳しいですね」

 「教育的指導ってトコかな」

 合いの手を入れた双子にリーゼルは飽くまで淡々と応える。

「良かったな、ヨハン。兄ちゃんに遊んでもらえて」

「張っ倒すぞ」

 茶化すトージをヨハンは思い切り睨み付けた。その様子を眺めるレンの表情は何処までも穏やかだった。

「君に特殊な力がある、って事は雰囲気だけならカティから聞いてる」

「雰囲気、ですか?」

「君自身も当然口止めはしてただろうし仮に聞いたとしてもはいそうですか、って素直に信じられる類いの話じゃないからな」

 実際に目の前で切れていた皮膚が一瞬で元に戻ったのを目にした時は何が起こったのか全く理解出来なかった。でも今の今まであった傷が跡形もなく消えているのは紛れもない事実だった。それを誰かに理解させる事なんか絶対に出来ない。そしてみだりに人に話して聞かせるような事でもない。

「具体的に、カティはどんな風に話したんですか?」

「みんな命を危ぶまれるような重傷を負ってるけど、君が間に合えば助かる、ってね。その時はどういう事なのか判らなかったし今の今まですっかり忘れてたけど、」

 リーゼルはそこで言葉を区切るとカティ達家族を順繰りに眺める。

「みなさん、とてもそんな重傷を負っていたようには見えないな」

 折れた骨が皮膚を突き破って飛び出していた父の膝も、真っ二つに叩き折られたアリスの腕も、柄で粉微塵に粉砕されたミリアムの肋も、潰された母の鼻も、そして両断されたイリナの鎖骨も完全に元に戻っている。それを実現させた張本人は照れ臭いような、何処か決まりの悪いような顔をして頬を掻いている。

「約束、守ってくれたんだな」

「約束?」

 イリナが首を傾げた。横からカティの顔を覗き込む。

「絶対に誰にも言わないでくれ、ってな」

「話したところで誰も信じないわよ」

「話だけならな」

 ウォッカは苦笑いした。イリナも首を竦めながら微妙に肩を震わせている。

 確かに話だけならな誰も信じない。でも実際にそれを見たのであるならば話は別だ。

「事態が事態だったんだから、別に話しても構わなかったのに」

「いえ」

 すぐさま首を横に振った。真っ直ぐウォッカを見詰める。

「絶対に誰にも言わない、それが約束でしたから」

 たとえどんな理由があったとしても、それを自ら反故にするような真似は絶対にしたくなかった。何があろうとも人の気持ちは裏切れない。

 ウォッカの頬が綻んだ。

「ありがとう」

 子供のように笑っている。普段は老けているのに、どうして笑うと年相応になるのだろう。どうしてこんなに素直なのだろう。

 頬が、耳が熱い。鏡がないからどんな顔をしているかは判らない。でも、きっと綺麗に赤らんでいるに違いない。それを隠そうとも思わない。

「そこを目撃された、と」

「そこから立ち去る時、イヤな視線を感じました。すぐに消えたんで錯覚かなと思ったんですけど、俺以外に街に侵入した奴がいるって事はその翌日に確信しましたよ」

 な? イリナを見ると同意を示すように笑う。イリナも頷き返した。

「その、拉致された兵隊は、いやその死体は何処にあったんですか?」

「廃屋が建ち並んでる一帯があるでしょ? あの一角」

「あの辺りなら、確かに身を隠すには持ってこいだな」

 まだ小さかった頃、お店の定休日に父や母と何度か遊びに行った事があった。今でこそ足を運ぶ事はなくなったけど、日常に近い場所でそんな凄惨な事が行われていたなんて考えただけでゾッとする。父が顔を歪めるのも無理からぬ話だ。

「そこで拷問が行われた訳ですね」

 ウォッカとイリナは同時に頷いた。二人とも具体的にどんな事が起こったのかと言う事については一向に語ろうとはしなかった。

 それぞれのテーブルには各々が食べる料理が置かれているけど、順調に箸が進んでいるのはその一部に限られていた。

「で、その正体不明の輩はそうやって砦の内情を把握した」

「俺も最初はそうかと思ってたんだけど、あいつ曰く最後の仕上げが残ってたらしい」

「仕上げ?」

「人から得た情報なんてものはそこまで信用出来るものじゃない。だから最後は自分の目で確かめる必要があった、そう言ってたな」

 ヨハンだけではない。一瞬ではあったけどリーゼルも目を剥いた。

「侵入したのかよ!」

「そうらしい。飽くまであいつの証言だけだから何処まで事実かは判らないけど」

 すんなり信じられるような話ではない。誰かに目撃される危険を犯してまで侵入する理由があるとは思えない。

 そこまで考えた時、脳裡で稲妻のように何かが閃いた。

「ねえウォッカさん。その、その人ってどんな人なの?」

「どんな人? 容姿とか背格好とかかな」

「うん」

 記憶を整理しているのか、ウォッカは腕を組むと宙を睨んだ。そんな僅かな間ですらもどかしかった。

「背丈は、そうだな、俺と大して変わらないか。あいつの方が少し大きい程度だな。体格も俺とほぼ同じくらい。声はやたら低い。それで腰も低けりゃ尚いいけど態度は対照的だよ」

「私には実に慇懃でしたが」

 そうですよね? 父が同意を求めるように軽く首を傾げた。

「彼の事ですよね?」

「そうです」

「ねえ、その彼ってどんな人なの?」

 ウォッカと父の間だけで話が成立している。そこに割り込む気はないけど一刻も早く事実が知りたかった。

「でもって目付きが鋭いと言うか単に悪いだけだな、ありゃ。典型的な三白眼だ」

「やっぱり……!」

意図せず声が漏れていた。彼の事だ、間違いない。

「やっぱりって、あなたそいつの事知ってるの?」

 頷くと、立ち上がっていたイリナは声もなく椅子に腰を落とした。何人もの人間を惨殺するような残酷な輩を知っている事に単純に驚いたのかも知れない。

「拐われた日の夜、牢屋で襲われたの」

 場の空気が一瞬にして凍り付いた。それを肌で感じた。でも別段後悔はなかった。

「でも大丈夫。首の皮一枚で何とか女は死守出来たから」

 振り向いて親指を立てようとした瞬間、誰かが覆い被さるようにして抱き締めた。母だった。間髪入れずイリナとミリアムが続く。

「大丈夫、大丈夫だから」

 母は人目も憚らず声を上げて泣いていた。顔を両手で包み込まれたと思った直後には両腕で抱き竦められる。温かかった。

「その……女は何とか守れたんだけど、撃退したすぐ後にまたそいつに襲われて……」

 鋭い悲鳴が上がった。ミリアムが両腕に満身の力を込めて抱き締めている。雫が頬に落ちた。顔を、頬を包み込まれている。涙でクシャクシャになった顔を晒しているのに、それを厭う事もなくただじっとカティだけを見詰めていた。

 父が、アリスが肩を抱いた。家族が傍にいてくれる、その温もりに包まれている。それだけでこんなにも気持ちが軽くなる。何て温かいのだろう、心地いいのだろう。

 それだけで涙が出そうだった。

「殺されそうになったんだけど、寸でのところでその人が助けてくれたの」

「寸でのところって、どれくらい際どかったのよ」

「その人があいつの手首を掴んでくれなかったら、ここには戻れなかった」

 アリスが音を立てて尻餅を突いた。すぐさま立ち上がると思い切り抱き締められた。

「だから、命の恩人なの」

 何の躊躇いもなく人を殺すような人間だけど、彼がいなかったら絞首台に吊るされる以前に命を絶たれていた。それが半ば信じられなかった。どうして彼は私を助けてくれたのだろう。

「その時だけじゃない。絞首台から落ちた時も、彼が受け止めてくれたんだ」

 顔を上げていた。これ以上ないくらいに目を見開いている。父がゆっくりと頷いた。

 どうして助かったのか、それが今でも判らなかった。夢でも見たように記憶も曖昧だった。死にたくない、頭にあるのはその一念だけだった。それを叶えてくれた人がウォッカ以外にもいる。その事実に純粋に驚いていた。

「カティを助ける事以外にも、明確な目的がありましたが」

「あなたに砦の見取り図を渡す事ですね」

「そうです」

 重苦しいような溜め息が聞こえた。父は右手で顔を覆うと指の隙間からウォッカを見た。

「あなたが砦に侵入するよう仕向けた、その手立てを整えたと言ったところでしょうか」

「おっしゃる通りですよ」

 今度はウォッカが溜め息を吐いた。悔しそうに唇を歪めて舌打ちする。

「ウォッカが砦に侵入するまではいいとして、それがそいつの目的の全てだったって訳じゃないんだろ?」

「ああ、飽くまで暗殺があいつの目的だったからな」

 現在形でも現在進行形でもなく明らかな過去形だった。血の気が引くようにしてヨハンが顔色をなくした。

「この街を根城にしようとした、いやそれを計画して実行した男と連れの女、その二人だよ」

「女の人って、どういう人でしたか?」

 別に深い考えはなかった。無意識に口が動いていた。殺されたのが父を執拗に憎んでいたあの女なら、事の顛末を知っておきたかった。

「俺が見た時には死体になってたからどんな顔だったのかはちょっと……」

「でも、死体でも顔くらいは……」

 言いかけたイリナがハッとしたように口を塞いだ。

「眉間を鉄の棒で串刺しにされて、首も殆ど切れかかってた。およそまともとは言い難い死に顔だったな」

 まともな死に顔がどんなものなのか是非聞きたくなったけど、それが尋常でない事はすぐに判った。

「そいつ、その女に怨みでもあったのかしら」

「ありゃ怨みじゃない、怒りだよ」

「どうして言い切れるのよ」

「本人がそう言ってたからな」

 イリナの顔が紙のように白くなった。指先が微かに震えている。

「失礼ですが」

 席を立つと父が一歩前へ進み出た。

「何に対する怨みなのか、お聞かせ願えますか?」

 口調も物腰も穏やかだけど、見えない意思が体中から、言葉の端々から滲み出ていた。

「皆さん、殺されかけましたよね。それに対する怒りです」

「報いを受けさせた、と」

「あいつの言葉を借りるとそういう事になるのかな。ただ、奴の中でその女を殺す事は最初から決まっていたと思いますよ」

 父の眉間にシワが寄った。顔をしかめたまま頭を抱える父にウォッカが言葉を添えた。

「筋の通らない理由で無辜の人を傷付けた事に対する怒り、でもあります」

 言っている事が全く判らない。みんなと目を合わせても首を横に振るだけだった。

 父だけが、愕然と目を見開いていた。

「それがあいつの筋の通し方です。暴力的を通り越して極めて残酷ですが」

「彼の筋、ですか」

「相当な危険人物ではありますが、悪人かと聞かれたら一概にそうとも言い切れないですね。ただ自分の都合で人を殺す事はありますが」

「平気で人を殺してるのに悪人じゃないって……」

 理解が及ばないのか、ミリアムは頭を抱えて顔を俯かせた。そしてそんな人物に理解を示しているウォッカに苦悩している。

「あいつが殺すのはそれだけの理由がある奴か戦闘員か、その何れかだよ。非戦闘員には、市井の人間には絶対に手を出さない。ただ一度でも刃を向けられたら話は別だけど」

「話は別、って」

「即座に斬り殺す」

 アリスは震え始めた腕を抱えた。 歯と歯がぶつかる硬い音が聞こえる。

「敵である以上容赦はしない、ってだけだよ」

 平たく言えばそういう事になるのか。確実に息の根を止めるならば情けも容赦も欠片もない。入り込む余地すら残されていない。

「でも、カティを助けた時に砦に侵入してる訳だろ。わざわざウォッカを砦に入り込むように仕向ける必要なんて……」

 ヨハンは眉間にシワを寄せると低く唸った。

 そうだ。彼には砦に侵入する事など造作もないのだ。どうしてウォッカを利用したのか、その意図が判らない。

「極力誰にも見られず確実に事を運びたい、要はそういう事だよ」

「顔を見た人は殺してる訳だよね。殺す事に変わりはないならそんな余計な手間をかける必要もないような……」

「そういう事ではないと思うな」

 妹の推測をミリアムはアッサリ否定した。

「顔を見られた相手を一人残らず殺すならば見られた人数が多ければ多いほど余計な手間が増えるでしょ? 彼の目的はその二人を殺す事にあるならそれ以外はただの障害でしかない。それを排除する事が重要だった、って事じゃないかな」

「そういう意味では殺す人数は最小限に抑えてるハズだよ。あいつなりの気遣いかな」

 僅か一週間弱の間に二十人近くの人間を殺していてそれが最小限だとしたら、形振り構わず襲った場合一体何人殺す事になるのだろう。考えただけで寒気がするけどその彼に命を救われた事も確かなのだ。誰彼構わず、見境なく殺すような事はしない。そうだ、あいつとは絶対に違う。

「あいつは俺が砦に行く事も、そこで何をするかも全て把握していた。後はそうなるようにお膳立てを整えればいい」

「整えればいいって……」

 二の句を継ごうにも言葉が見当たらない。それに苛立つ事も出来ずにイリナは頭を抱えている。

「目的がハッキリしてるならそれに付随して必要になるものも自然と見えて来る。あいつに言わせればそれを用意してやった、ってところだろうな」

「それがこれか」

 親方さんはテーブルに置かれていた砦の見取り図をつまみ上げた。

「そいつが用意したものと全く一緒って訳ではないだろうけどな」

「ですが、先程申し上げたようにほぼその通りです。その内容なら侵入するに際して大きな支障はありません」

 セージとトージ、そしてリーゼルの三人は食事の手を止めると食い入るようにして見取り図を観察する。その後ろからイリナとヨハンが覗き込んでいる。

「地下牢の入口が……砦の西側のここか。砦の正面から侵入したとしても結構距離があるな」

更に砦の外側は塀に囲まれている。そこを突破しなければ砦に侵入する事すら叶わない。しかも四方には見張り台が設置されている。当然そこには見張りがいたハズだ。門の前には当たり前のように門番がいる。その監視の目を掻い潜らない限り砦への侵入は実現しない。

 図面を浚う程度に見ただけでもこれだけ問題が山積している。侵入するのに支障がないとはとても思えない。

 みんながみんな、睨むような目でウォッカを見ていた。そのど真ん中にいる当事者は困ったような表情で頭を掻いていた。

「どうやって侵入した?」

 リーゼルはやっぱり睨み付けるような目でウォッカを見た。

ウォッカは真っ直ぐ伸ばした人差し指を塀の外に突き立てた。人差し指の先端が塀を通り越し、そのまま外壁を貫通する。

全員が目を剥いた。それでは塀も壁も何の意味も持たない。素通りするだけなら障害にすらなっていない。

「まず拳大の石ころを二つ用意して、」

 砦の内部にまで及んでいた指が塀の外にまで戻った。

「繁みの中から西側前後の見張り台に投げつけてぶつける」

 簡単に言わないで欲しい。塀の直近の繁みでも見張り台までは結構な距離がある。投擲で見張りを排除するにしても決して容易ではない。少なくともぶっつけ本番で実現出来たらそれこそ一流の狙撃主になれる。

「その後は、どうやったの?」

 微妙に目尻を引き攣らせながらイリナが言った。

「後はそこから一直線だよ。塀と外壁を飛び越えれば地下牢の入口まで最短で到達出来る」

「ねえ」

「ん?」

 イリナがウォッカの襟首を掴んだ。話を聞くと言うより喧嘩を売っているようにしか見えない。

「その塀とか壁の高さはどれくらいなの?」

「そうだな、この店の二階から三階くらいはあったかな」

 ズッコケそうになった。ヨハンはテーブルにしがみついて辛うじて転倒を回避した。

「それだけ高い塀とか壁を飛び越えたの?」

「うん」

この人だから出来ただけだ。子供が馬跳びでもするような感覚で飛び越えたの知れない。考えるまでもなく絶対に無理だ。

「ねえ、その後はどうしたの?」

 アリスがウォッカの腕を引いて先を促す。

「外壁の真下が地下牢の入口だからその前にいた見張り二人を片付ければ後はそこで待ってりゃいい」

 一瞬全員が顔を見合わせた。どうして待つだけでいいのか、咄嗟に理解が及ばなかった。

「地下牢の入口はそこだけ。そこを陣取れば人質を盾にされる事もない」

「且つ、侵入者を排除するためにより集まって来た兵隊共をそこで片付ける、と」

 親方さんとお師匠さんは納得すると言うよりどちらかと言うとうんざりした顔で言った。

「飛んで火に入る夏の虫、って奴だな」

 地下牢への出入口はその一箇所しかない。元々誰かを閉じ込める場所だ、そこに到る出入口が複数あったら逃亡される危険性も上がるし見張りも余計に配置しなければならない。そこを押さえれば人質の身の安全を確保しながら確実に障害を排除出来る。

 でも、この人だからこそ出来る事であって他の人が真似しようとしても絶対に不可能だ。彼もそれを見越した上で見取り図を託したに違いなかった。

「ねえウォッカ」

 イリナが縋るような、怯えるような目でウォッカを見ている。

「その胸の傷は、あいつにやられたの?」

「いや」

 アッサリ否定された。だったら、あいつでなければ誰にやられたと言うのだろう。

「でもあいつとは闘ったんでしょ?」

「闘ったと言うか、遊んでやったと言うか」

 床に尻餅を突いたアリスにミリアムが手を差し出していた。でもその手付きも覚束ない。

 イリナだけが真っ直ぐウォッカを見ていた。

「具体的に聞かせて」

「まず鼻を潰して、その後は左の上腕を叩き折った」

 実験用の動物を解体するように淡々と言葉を紡ぐ。目がいつもの彼ではない。恐らく、いや絶対に怒っている。そしてそれを懸命に抑えていた。下手に感情を剥き出しにするよりこの方が余程怖い。

「で、肋全てを粉々にした上で鎖骨を二本共切断した」

 鼻を潰して上腕を叩き折り、肋骨を粉砕して鎖骨を両断する。各々が致命傷には成り得ないがそれが積み重なれば痛手も相当だろう。

「本当は膝を砕いてやっても良かったんだけど」

「どうしてしなかったの?」

「ある程度身動き出来ないと壊し甲斐がないからな。でも結果的には失敗だった」

糸のように細くなった目が宙を睨む。やっぱり、確実に怒っている。それにしても、失敗ってどういう意味だろう。

 何より、みんながされた事をそのままあいつに返している。意趣返しと言うより復讐と言うべきかも知れない。馬車を追い掛けて来てくれた時もそうだったけど、怒るとここまで激しくなるのか。その凄まじさに体が芯から震えた。

 でもここまで怒りを露にするのはみんなが怪我を負った事が、傷つけられた事が許せなかったからだ。もしイリナが息を吹き返さなかったら、あの時もし間に合わなかったら……。死にたくないし誰にも死んで欲しくなかった。だからここに戻れた時も、イリナと再会出来た時も嬉しくて堪らなかった。涙が止まらなかった。だからこそそれ以外の可能性を考える必要はない。彼がしてくれた事を台無しにするような真似は絶対に出来ない。たとえそれが想像に過ぎないにしても。

「で。ウォッカが盛大に暴れてる間に奴さんは誰にも目撃されず砦に侵入した、と」

「そうです」

「それがウォッカを手駒として扱った本当の理由か」

 ウォッカとお師匠さん、そして親方さんの間だけで話が進んでいる。少しでもいいから引き戻さないと完全に置いて行かれる。

「つまり、どういう事だよ」

「陽動だよ」

 リーゼルが人差し指で弟の頭を弾いた。

「或いは出汁にされたと言うべきか」

「出汁?」

「ウォッカを利用した奴はそいつにとって一番美味しい所だけを持っていった訳だからな」

 頻りに頭を掻く弟にセージは掻い摘んで説明する。

「いいように利用されたと言うか、よくそこまで思惑通りに動かせたな」

「さっきもお伝えしましたけど、あいつには俺がやろうとしていた事が全て判っていました」

「そうだな」

 納得したようにお師匠さんが頷いている。

 ウォッカが砦に侵入してから真っ先にした事は人質の安全の確保だった。その上で襲って来た兵隊全てを片付ける。そこまで済めば目的の大半を達成したようなものだ。最後に人質を解放すればいい。

 たとえ奴らが束になってかかって来たとしても難なく撃退出来るだけの力がウォッカにはある。つまり、地下牢の出入口を確保出来た時点で勝負はついていた事になる。

「ウォッカが暴れてる間に奴さんは自分の用事を済ませていた」

「俺が砦の応接間に着いた時には全て片が付いた後でした」

 親方さんは指先で摘まんでいた見取り図を握り潰した。

「片が付いた後って、どうなってたんだ?」

 ウォッカは静かに首を横に振った。

「聞かない方がいいと思うぞ」

 腰を浮かせていたヨハンは表情を凍り付かせると再び席に着いた。

 不気味な沈黙が食堂を満たした。

 応接間で何があったのか、それを知りたいと思う好奇心は誰しもある。でもそれは決して安易に見聞きしてはいけない事だった。

「応接間にいたのは彼ですね」

 沈黙を破ったのは父だった。

「彼以外に人は?」

「奴だけでしたよ。その直前には何人かいたようですが全て死体になってました」

 血の海になった室内に死体が山のように転がっている光景が生々しく脳裡に映し出された。反射的に込み上げた吐き気を力一杯口を押さえて遣り過ごす。本当に、敵には一片の容赦もない。

「胸の傷は、そいつにやられたの?」

「ああ」

 腰が利かなくなったのか、イリナはそのまま椅子に腰を下ろした。

 特に大きな傷もなく姉三人と両親に重傷を負わせた男を、ウォッカは軽く一蹴した。そのウォッカを相手にここまでの傷を負わせている。考えている以上に世間が広いのか、単に上には上がいるだけなのか。

「あの……」

 アリスが遠慮がちに手を上げる。

「ウォッカさんは、何かその人と闘わないといけない理由があったの?」

「何もない。ただそうしないと騒いだ血が収まらなかった、それだけだよ」

 血が収まらない感覚が一体どんなものなのか、満足に想像する事すら出来ない。でも命懸けで臨まなければならないような事など普通の人は絶対にしない。それだけは確かだった。

「ねえ。その男って一体何者なの?」

 質問と言うより詰問するような声だった。イリナは鬼気迫るような顔でウォッカを睨んでいる。

「俺と同じ力を持った仲間だよ。まさかこんな所で出くわそうなんて考えもしなかったけど」

「あなたと同じ力、ですか」

「そうです」

 念を押した父にウォッカは軽く頷いた。

 再び食堂を沈黙が満たした。

 その正体不明の輩もウォッカと同じ力を持っている。それが事実だとしたら、彼もウォッカと同様に傷付いた人を癒す事が出来るのだろう。でも話を聞く限りではとてもそうとは思えない。むしろ積極的に人を傷付け、殺す事すら厭わない。でも、彼はカティの命を二度も救ってくれた。危険人物ではあるけど悪人ではない、彼をそう評したウォッカの言葉が耳の奥で甦る。

 イリナは下唇に前歯を突き立てたまま上目遣いに彼を見ている。その隣でアリスがもどかしそうに手を動かしながら彼の様子を窺っている。聞きたい気持ちはあるのにそれが言葉にならない、みんなそんな顔をしていた。

 長く、そしてゆっくりと息を吐く音が聞こえた。

「話さない訳にはいかないか」

ここまで関わってるんだからな。

独り言のような声だった。誰かに対して明確に向けられたものではない。

「こんな詩、聞いた事はありますか?」

 返事を待つ事もなく彼の唇が言葉を紡いだ。

戦場(いくさば)に 落ちて転がる 首一つ。

されど男は息絶えず、高らかに嗤う首一つ。


首落ちて 尚も闘う影一つ。

五体全てを切り裂いて、 更に荒ぶる影一つ。


戦場(いくさば)全てを血で染めて、尚も昂る影一つ。

生者を残らず叩き伏せ、黄泉に誘う影一つ。


常世に戻りし化け物を、一太刀で屠る影一つ。

やがて全ては無に還り、戦場(いくさば)に残る敵はなし。

沈む夕陽を背に浴びて、高らかに叫ぶ影一つ。

戦場(いくさば)に、転がる屍灰に変え、谺す叫びは闇に消え、

それでも骸を(いだ)きつつ、涙を落とす影一つ」

 顔が歪んだのがハッキリと判った。

 誰も、何も口を利かなかった。聞いた事など勿論ない。でも一度聞いたら耳から離れない、そんな詩だった。

 ふと顔をあげるとアリスがもどかしそうに右手を左手で握っていた。口元が今にも綻びそうだった。

「その詩、そこで終わりじゃないですよね?」

 イリナが驚いて顔を上げた。真向かいにいたヨハンに視線を送る。彼も首を横に振っただけだった。ミリアムは記憶を整理するように目を閉じたまま眉間に指先を押し当てている。

 アリスが笑った。誰も知らない答えを自分だけが知っている、そんな細やかな優越感が見え隠れしていた。

「これぞ人に非ざる者の姿なり」

誰かが溜め息を吐いた。お師匠さんだった。

「これぞ人がもっとも忌み嫌うべき者の姿なり」

 親方さんは飛んで来た蝿が口に入り込んでしまったように表情を歪めた。

「汝人でありたくば 決して彼らと関わる事なかれ」

 父が真っ直ぐウォッカを見た。ウォッカは僅かに視線を落としたまま横を向いていた。

「汝人の子なら 決して彼らと交わる事なかれ」

 ウォッカは半分俯かせていた顔を上げた。天井を見上げながら鼻の頭を掻く。

「従軍されてた経験のある方なら話くらいは聞いた事がありますかね」

 磁石の同極が反発し合うように三人の視線が散った。誰のものとも合わせようとはしない。

「アリスは、やっぱりガイデルさんか聞いたのかな?」

「昔道場に一人で残って稽古してた時に、偶々師匠から聞かされたんです。普通じゃとても考えられないような人が戦場にはいたって」

ちょっとだけ胸を反らすアリスは照れ臭そうと言うよりやっぱり誇らしげだった。お師匠さんは困ったような顔をして耳の裏を掻いていた。

 いつの間にか空っぽになっていた器の手前にウォッカは箸を揃えた。

「今の詩にもあったように、人と関わっても、交わってもいけない人に非ざる者。それが俺達、忌人(いみびと)です」

 誰に向けられた言葉なのかよく判らなかったけど独り言とは明らかに違う。囁くような、でも耳に残る声だった。


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