五日目 ~夜~ その八
刃と刃がぶつかった瞬間、足が土の中にめり込んだ。間髪入れずに放たれた蹴りを後ろに跳んでかわす。背中が見えたがそれも極僅かな間だった。腰を中心にして体を回転させた勢いを再び突進に変える。
斜めに振り降ろされた短剣を受けずにかわす。勢いが残っている体が前に傾いた。無防備になっている顎に向かって逆手に構えた長剣の柄を叩きつけた。顔が跳ね上がった拍子に右の拳を横面に突き刺す。男の体が傾いた。
だが倒れなかった。
右の膝を曲げて踏み止まる。唇の端から血を滴らせながら笑っていた。
踏み込んだ左足に合わせるようにして放たれた横薙ぎの一撃を凌ぎで受け止めるのと同時に左の肋が軋んだ。肋の上に拳が宛がわれていた。顔のど真ん中に急接近して来た短剣の切っ先を首を捻って遣り過ごす。
「今のは結構効いたなあ」
飛び退いて距離を置くと男が顎を擦りながら笑っていた。顎が砕けている事も歯が折れている様子もない。柄を当てた所を眉間か鼻に変えても結果は変わらないだろう。
普通の人間なら最初の一撃で片が付いている。確実に即死だ。だが実際は死ぬどころか何事もなかったかのように突っ立って笑っている。
聞きしに勝る頑丈さだ。もっともそれは自分も変わらないのだが。肋を擦る。若干痛みこそ感じるものの患部が極端に熱を持っている事もなければ息苦しさも感じない。
柄を握り直した。だが構える事はせず切っ先を垂らしたまま前を睨む。体から少しずつ力が抜いていく。力は入れるよりも抜く方が遥かに難しい。どんな状態であれ、それは変わらない。
体が自然に前傾する流れに乗るようにして足を踏み出した。余計な力は入っていない。
刃と刃が交差した。弾かれた次の瞬間には互いに斬りかかる。踏み込む度に地面が窪む。一撃一撃がそれくらい重い。かと言って速さが殺される訳ではない。むしろ格段に向上している。
振り抜いた長剣が男の背後に立っていた大木を両断した。幹が大人三人で抱えても足りないくらい太いが何の抵抗もない。研いだばかりの包丁で野菜を刻むように鮮やかだった。
垂直にした短剣の真横に長剣が当たった。踏ん張り切れなかった体が音を上げて吹っ飛んでいく。叩きつけられた木が衝撃を受け切れずにそのままへし折れる。
軽く助走すると跳んだ。大上段に構えた剣を一気に振り降ろす。轟音と共に地面が縦に大きく裂けた。局地的な大地震に見舞われたとしてもここまで大きな地割れは出来ない。
「いや~危なかった」
踊るような足取りで落ち葉を蹴飛ばしながら相変わらず楽しそうに笑っていた。背中を木に思い切り叩きつけられているが全く痛そうには見えなかった。骨にも内蔵にも異常や損傷はないのだろう。
「今のを食らってたら流石にやばかったな」
「アッサリかわしといて言える科白か」
嫌味な奴だ。
吹っ飛ばすと同時に斬りかかっているが当たるどころか掠りさえしなかった。速さは相手が上と見るのが妥当だろう。それにしてもよくここまですばしっこく動き回れるものだ。安易に力だけに頼るような真似は一切していない。粗野な見た目に似合わず基礎がしっかり身に付いている。本人の努力もあるだろうが教えた方の腕に依る部分が大きい。
それはこいつに限った話ではない。
柄を握っていた左手を離した。間合いを詰める勢いをそのまま剣に載せた。振り降ろした剣が短剣の凌ぎの上で止まる。男の動きが止まった。そこから更に二歩踏み込む。今だ。
腰の捻りを加えた拳が男の右の頬骨に入った。
こいつは下手に動かすべきではない。固定した上で攻撃を加える。攻めの型の基本だ。
右足で脇腹を蹴り上げた。体を極端に前に曲げたまま後ろに飛び退く。相当深く入ったがまだ倒れない。
振り上げていた柄を左手で握り直した。脳天ががら空きだ。
思わず目を見開いていた。
すぐ足元で男がしゃがみ込むように丸くなっていた。いつ間合いを縮めたのか。腕の内側、近すぎて剣が当たらない距離だ。そして剣を反転させる時間もない。
大砲を打ち出すような勢いで突っ込んで来た頭が顎を貫いた。体が宙に浮き上がる。両手を地面について体を反転させる。胸に目掛けて真っ直ぐ飛んで来た足を重ねた腕で受け止める。だが勢いまでは殺せない。土煙を上げながら後ろに吹っ飛ばされる。背中に硬い何かが当たった。木だった。
剣の向こう側に男が見えた。真っ赤な目がこちらを見て笑っていた。宙に浮いた体が有り得ないような勢いで距離を縮めていく。
身を屈めた瞬間、背後の木が真っ二つに両断された。短剣で切れる厚みではない。明らかに鋭さが増している。
それだけではない。
剣を握っている方の手首を下から掴まれた。意図せず舌打ちしていた。
「捕まえた」
こちらを見る目が爛々と赤く光っている。
土手っ腹に拳が深々と突き刺さった。それが二発、三発と続く。耐久力が向上していても痛みが抜けるまでは体勢を立て直せない。
横面に入った拳の勢いを首を捻って逃がす。やれるとしたら精々この程度だ。首が根元からもげそうだった。だが頚椎は脱臼する事も折れる事もしていない。痛みは相当だがそこに止まっている。
左手で短剣を抜いた。不用意に拳を突き出したところを見計らって短剣を薙いだ。硬い感覚が手に跳ね返る。斜めに交差した短剣の向こう側に男の顔があった。裂けた皮膚から流れ出した血で赤く染められている。目はそれ以上に赤かった。動脈血でもここまで赤くはない。それを更に濃縮したような赤さだった。
「手加減しているつもりか?」
「手加減?」
「何故短剣を使わない?」
至近距離で胴体を斬れば相当な深傷を負わせる事が出来る。致命傷にはならなくても戦況を有利に傾ける事に大きく寄与する事は間違いない。
男の鳩尾目掛けて足を振り上げた。当たればそれに越した事はないがそれが目的ではない。
手首から手が離れた。剣を構え直すと後ろに跳んで距離を取る。
「確かに多少早く片は付くかも知れねえけと、こいつで腹を切り裂いたところですぐにくたばる訳じゃねえだろ」
捌いた腹から腸を引きずり出したとしても死にはしない。ただ当然だが相応の痛みは覚える。痛みにどれだけ慣れているかにも依るが、傷を修復しないとまともには動けない。
「楽しむなら長いに越した事はないか」
「ま、それもあるな」
血の疼きはまだ鎮まる気配を見せない。むしろ熱くなる一方だった。冷ます方法は一つしかない。
完全に排除すべき対象を相手にしているならばこうはいかない。四肢を切り落とすか首を切り離すか心臓を破壊するか、完全に失血させた上で灰に変える。それが基本であり原則だ。その原則から逸脱した相手と本気で殴り合えると言う今の状況は相当に稀有だった。
そして、こいつもそう思っているハズだ。だから楽しみたいのだ、今のこの状況を少しでも長く。
寒気など欠片も感じないのに腕が震えた。沸き上がる興奮を抑えるようにゆっくりと深呼吸する。吠え回る犬を手懐けるのと少し似ている。吠えて誰彼構わず牙を剥くような犬ならば主が仕付けて然るべきだろう。だが、本心はそうではない。血が騒ぐままに全てを解放してあらゆるものを破壊する。
それが俺達の本性だ。そうだろ?
だから断じて血に呑まれるような事は、それだけは絶対にあってはならない。
肩の高さに構えた剣の切っ先を男の胸に向けた。三歩間合いを詰めた瞬間、切っ先を真っ直ぐ男の胸に伸ばした。だがその時には右にかわされていた。
踏み出していた右足に重心を移した。水平に引いた刃が空間を切り裂く。上体を仰け反らせたのだ。後ろに跳んでかわすだけの運動神経も動体視力も間違いなくある。起き上がる瞬間はどう足掻いても避けようがない。どうしてこんな無防備な避け方をするのか。それともそのまま倒れるつもりか。だったら思い切り笑ってやるところだが。
反射的に目を見開いていた。
膝を折った。顔を逸らした。鼻先ギリギリを短剣が掠める。
直角に曲げていた腰を一瞬で起こした直後に大きく踏み込んでいたのだ。それと同時に抜刀した短剣で斬りかかる。成程、後ろに跳ばなかったのはこのためか。間合いを離したくなかったに違いない。相手が派手に上体を仰け反らせた直後に自分が同じよう事をしようとはついぞ想像もしなかった。
男の右手にあったハズの短剣が不自然な姿勢で宙に浮いていた。それを左手で、逆手で掴んだ。切っ先が胸に目掛けて落ちて来た。無論重力に委ねられて自然落下するような呑気な速度ではない。
男の舌打ちが聞こえた。左胸の脇を刃が掠っていた。腰を捻って避けていなかったら今頃は心臓の真上に刃が突き立てられていた事だろう。
地面に完全に背中を預けていた。男も片膝を突いている。剣を左手に持ち変える暇はない。右から左に剣を振り抜いた。何の感触も、抵抗も返って来なかった。男の姿も消えている。少し離れた所に男が降り立った。今度こそ後ろに跳んでかわしたのだ。起き上がると同時に剣を構え直す。伸び切っていたゴムが縮まるような勢いで間合いが詰まった。白い軌跡が夜の闇を無数に引き裂く。それを一つ一つ捌きながら機を窺う。袈裟斬りに振り降ろされた短剣を受け止めるとようやく男の動きも止まった。出来る事なら短剣を抜きたいがそんな事をしていたら回避する時間を相手に与える事になる。
半歩踏み込んだ瞬間、男の顔が弾かれた。血が宙を舞っている。利き手の拳を振り抜いた訳ではない。だが多少は効いているハズだ。
今度こそ短剣を抜いた。男の短剣は長剣の右にある。がら空きになっている左側に逆手に持った短剣で斬りつけた。硬い感覚が手に跳ね返って来た。中太刀の凌ぎの上で短剣が止まっていた。至近距離で睨み合う。
「なかなか当たらねえなあ」
「さっき左胸に当てただろうが」
「ありゃ当たったんじゃねえ、掠ったんだ」
確かにその通りだ。直撃はしていない。
「デカい図体の割りには動きが速えな」
「お前が言えた科白か」
見た目の印象以上に基礎が出来ている。力に傲る事もそれに胡座をかく事もなく日々研鑽に努める。それが出来なかったら血を継ぐ事は可能だとしても長くは維持出来ない。血に呑まれて終わりだ。その意味が良く判っている。
両腕に力を込めると剣を弾き返した。同時に後ろに大きく飛び退く。男も距離を詰める事はせず中太刀を鞘に収めると改めて短剣を構えた。距離が離れても警戒を解かない。いい心掛けだ。
抜いていた剣をそのまま地面に突き立てた。刃に負荷をかけた状態のまま梃子の要領で一気に振り抜いた。亀裂が衝撃を伴いながら地面を割っていく。男のすぐ隣に立っていた木が爆音を上げながら四散した。
「へぇ、初めて見た」
男に向かって一直線に巨大な亀裂が出来ていた。大人一人くらいならスッポリ入れそうなくらいの幅がある。深さはそれ以上だ。
「こんな事も出来るのか」
凄ぇな。感心するように亀裂を眺め回している。子供か。
「これもお前の攻めの型の一つか」
「そうだ」
短剣で真似しようとしても無駄だ。刀身が短すぎるし何より一朝一夕で身に付くようなものではない。
「威力は申し分ないな」
人一人を、いや数十人が束になってかかって来たとしても容易く粉微塵に出来る。今の一撃にしても本気と言うには程遠い。
だがこいつの言わんとしたい事は威力云々ではない。その少し先にある事は確かだ。
「お前、見掛けに依らず……」
尻窄みに言葉が途切れた。口を中途半端に半開きにしたまま餌を取り損ねた鴨のように虚空を見上げる。
「いや、何でもない」
コメカミが引きつった。中途半端に言いかけて止めるな。
「ま、いいや」
やろうぜ。短剣を逆手に構えたまま腰を落とす。互いに臨戦態勢である事に変わりはない。
切っ先を地面に突き刺した。剣を振り上げると同時に発生した衝撃が轟音を伴いながら土を削っていく。木が何本か薙ぎ倒された。地面スレスレを身を低くしたまま滑空するような勢いで男が突っ込んで来る。
剣を地面に刺すや否や、すぐに振り抜いた。衝撃が地面を割る。男が右に跳んでかわした。地面に足がつくとその反動を利用して更に前に跳んだ。あれだけあった間合いがすっかり縮まっている。もう殆ど距離がない。
剣を鞘に収める。鍔を親指で軽く押し上げると一気に振り抜いた。
跳んでいたハズの男が仰向けの姿勢で地面に落ちた。すぐさま跳ね起きると飛び退いて再び距離を取る。
周辺には輪切りにされた木が何本も転がっている。鋭利な刃物で切断されたような断面が月明かりを浴びて微かに光っていた。
「あ~びっくりした」
その割りには表情が驚いていない。ビビって怖じ気づくどころか俄然やる気になっている。
「何だよ、今の」
新しい玩具を与えられた、或いは新しい遊び場を見つけた子供のような声だった。普段は流石にここまで素直ではないだろう。だが今は違う。戦闘に際して生じる興奮を抑えようともしない。否、出来ないのだ。それくらい気持ちが、そして血が昂っている。
「遠当てだ」
あれだけギリギリまで引き付けたのにそれをかわされるとは意外を通り越して驚きだった。何処まで身が軽いのか。
「遠当て?」
「さっき見せたのが地走り、今のが遠当て。地走りは抵抗が強い分威力も増す。だが予備動作が多いせいで連射が利かない」
それはお前が今実証しようとした通りだ、とは言わなかった。
見た瞬間に性質を見抜かれていた。余程距離がない限り二発、或いは三発が限度だ。容易くかわされる上に距離も詰められる。相当なノロマでなければ素直に当たってくれない。少なくとも今の状態のあいつに当てる事は至難の技だ。
「遠当ては鞘走りさせた剣で空間そのものを切り裂く。直接刃が当たらなくても衝撃が届く範囲なら何ら問題はない」
抵抗が少ないせいで威力は遠当てより劣るが木や石柱くらいならば容易く輪切りに出来る。人は言うに及ばずだ。
ただこいつを斬れるかどうかは判らない。完全に未知数だった。
「お前も物理法則を無視するなよ」
あんな無茶苦茶なやり方で避けるとは考えもしなかった。当の本人はあまり自覚がないのか明後日の方を向いたまま顎を掻いていた。
飛び上がった状態で更に上体を反らせて直撃を避けたのだ。伸びていたら髭くらいは切れていたかも知れない。だが肝心の体には掠りもしなかった。剣が届く間合いの外で抜刀しようとしていたのはこいつにも見えていたハズだ。その時点で既に警戒していたとしたら。しかも間合いの外から攻撃する手段を披露した直後だ、二の矢を引く段取りは整っていると見るべきだろう。
軽く舌打ちした。
単純に目がいいだけでなく動体視力が極めて優れている。こいつがいつ人間を辞めたのかは判らない。常人離れした身体能力と運動神経に加え、それを徹底的に鍛え抜く勤勉さを備えている。闘うために造り上げた兵器そのものだった。そうだ、もう既に人ではない。人の姿をした紛い物、いや化け物だ。
全力を出し切った事は、ぶつけた事はまだ数えるほどしかない。だがそれはこいつも変わらないハズだ。ただの人間が相手なら喉笛を掻き切るにしても指一本あれば充分事足りる。全力など出すまでもないのだ。
心臓が脈打つ度に耳の奥で血管がうねる、真っ黒な視界が真っ赤に染まる。吐く息が熱い、血が煮える。鼻筋を流れ落ちる汗はそれこそ沸騰しているようだった。冷めるような兆しは全くない。
まだだ。まだまだ熱くなれる。意識を保てる間に何処まで行けるのか、それを試すには実にいい機会だった。ただ限界を超える事は絶対に許されない。最後の一線を超えてしまったら、恐らくこちらにはまず戻れない。
そうなる前に片を付ける。こいつを完膚なきまでに叩き伏せる。
剣を収めた鞘を握った。親指で鍔を軽く押せばいつでも剣を抜ける。柄に右手を添えると腰を落とした。接近戦ではあちらに軍配が上がる。だがそこまで大きな差がある訳ではない。だがこちらには遠距離でも攻撃出来る手段がある。一方、あいつは近付かなければ話が始まらない。距離を詰めようとするのは明白だった。
そこを迎え撃つ。
先の先を取るか、後の先に徹するか。
吹き抜けた風に枯れ葉が舞った。真横に流れる髪の向こうで男が不気味に笑っていた。




