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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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五日目 その七

 無神経な振動が絶えず体を小刻みに揺すっている。体の末端にまで神経が行き渡らない。何処かを少しでも動かそうとするだけで全身を激しい痛みが走り抜ける。

 でも、このままでいい訳がない。身の周りで何が起こっているのかすら正確に把握出来てないのだ。もっとも、それに関しては昨日から全く変わっていないけど。どうして、みんなあんな酷い目に遭わなければいけないのか、何故今ここにいるのか。そして、あの女の人はカティの、いや父の何をここまで憎んでいるのだろうか。人の好みはそれぞれあるのはまだ判る。でも憎むとなると話は全く違う。しかもあそこまで執拗に。父がここまで誰かから憎まれるなんて考えたくもなかった。厳しい事も多いけど、最後にはいつも頭に手を置いて笑ってくれる。最近でこそ気恥ずかしくなってしていなかったけど、少し前までは平気で抱きついていた。それを控えるようにした事を、今この瞬間心の底から後悔した。次に父と、みんなと会えるのは一体いつなのか。カティには見当もつかなかった。無事に帰れるのかさえも、全ては濃い霧の中にあった。

 半開きになった唇の端から垂れた涎が床に落ちた。頬にピッタリと床がくっついている。無理矢理こじ開けた瞼の隙間から光が差し込んだ。眩しさに一度は閉じた目を再び開ける。目を開けなければ何が起こっているのか絶対に把握出来ない。それが判らなければ生きるも何もない。好き勝手にされるがままだ。

 目が開いた。

 視界が、体が小刻みに揺れている。さっきから聞こえているのは馬の蹄の音だった。起こそうとした体がやけに重たかった。あれだけいいようにいたぶられたのだ、無理もないか。でも体が動かないのはもっと単純な理由だった。

 手首か、或いは腕を少しでも動かそうとすると硬い木が肌に当たる。若干の遊びこそあるものの、手首が抜けるような余裕など何処にもなかった。でも手首から先は何とか動く。体を起こすと両手の指先で上半身を支えた。そのまま縁に背中を預けた。案の定、手首は手枷で完全に動きを封じられている。唯一の救いは後ろ手ではない事くらいだ。手を後ろに回されていたら抵抗も出来ない。

 周囲を見回す。やっぱり幌馬車の荷台だった。一体何処に連れて行こうと言うのだろう。不意に体が強張った。荷台の隅で見覚えのある顔がカティを見て笑っていた。

「目は覚めた?」

 意識は覚醒しているけど寝覚めは最悪だった。体の至る所がズキズキと痛む。あの女の顔を見たら痛みまで一緒に蘇ったようだった。

 女が立ち上がった。実に悠然とした雰囲気で歩み寄るとカティの目の前で膝を折った。手を伸ばすとカティの顎を掴む。

「怖い?」

 素直に頷いた。さっきから、この女の顔を見た時から震えが止まらない。堪え切れなくなった涙が目尻から溢れ出した。頬を伝って脚に落ちる。

「それにしても、可愛らしい顔立ちしてるわね」

 それまで穏やかに笑っていた女の表情が歪んだ。顎を掴んでいた手が首に触れた。そのまま片手で締め上げていく。余っていた手で手枷を上から押さえつけられた。息が出来ない。口を開けて空気を貪るようにして吸い込む。でも喉を塞がれているせいで肺まで酸素が届かない。脚が、全身が激しく戦慄いた。視界の隅か少しずつ白くボヤけていき、それが徐々に広がっていく。私、このまま死ぬのかな。初めて、死を意識した。

 空気が喉を通った。肩を上下させて息を肺に送る。そのまま床に倒れた。半開きになった口から唾液が溢れた。でもそれを拭う事も出来ない。目尻に浮かんだ涙越しにあの女の顔が見えた。唇の端を吊り上げて不気味に笑っている。

「息が出来るんだから少しは楽になったでしょ」

 良かったわね。手の甲で頬を撫でる。カティの首根っこを掴むと無理矢理体を起こした。目の前に女の顔があった。年齢がいくつなのか判らない。でも充分美人で通用する顔立ちをしている。ただ笑っていようが黙っていようが表情に嗜虐的な残酷さが常に付きまとっているせいで近寄り難い印象しかない。理由があろうがなかろうが、絶対積極的に関わりたい相手ではない。今この瞬間ですら、どんな理由があってこんな事をするかも判らないのだ。

 女が顔を更に近付けた。昨夜の出来事も本当に怖かったけど、今もそれに勝るとも劣らないくらいに怖い。何をされるのか全く判らない。すぐ目の前にまで女の顔が近付いた。咄嗟に顔を背けた。硬く閉じた目尻から雫が溢れた。女の吐息が頬にかかった。生暖かい何かが頬に触れる。零れ落ちそうになった涙をそれが拭き取った、いや舐め取った。涙が溢れる度に舌が下から上に頬を撫でる。涙が途切れるとようやく女の顔が離れた。何かに取り憑かれたような不気味な笑みだった。

 裸の胸に何かが触れた。女の手だった。労るように胸全体を丁寧に揉み解す。さっきまでとは雰囲気がまるで違う。これまで経験した事もないようなおかしな感覚が全身に拡がっていく。女の指先が乳首の先端を捉えた。挟むでもなくつねるでもなく、微妙な、いや程よい力加減で敏感な部分を刺激する。危うく声が出そうになった。喉元で懸命に堪えると荒く息を吐いた。女の顔が今度は胸に近付いた。荷台の縁に背中を押し付けられているせいで逃げる事も出来ない。首を締めた時とは逆に手枷を真上に持ち上げられた。そのまま動かないように押さえつける。胸を完全に露出する格好になった。荷台にいる兵士のほぼ全員が食い入るように見詰めている。頬が、体中が熱くなった。それを隠す事も出来ない。

 胸に女の吐息がかかった。反射的に体が強張った、大きく震えた。無意識に顔を背けていた。温かい何かが胸に触れた。手でそうしていたように、胸全体を丁寧に刺激する。次第に呼吸が荒く乱れていく。顔も体も、さっきから激しく火照っている。冷める兆しもない。周囲にいる男は皆一様にニヤニヤ笑っているだけで何もしようとしない。

 殴る蹴るして痛めつけられるのは絶対にイヤだった。でも、こんな事をされるのもそれと同じくらい、いやそれ以上に耐え難かった。しかも、こんな人の目に晒された状態で。恥ずかしくて死にそうだった。

 女の舌が乳首の先に触れた。そのまま唇で乳首をスッポリ包み込む。ゆっくりと、無駄な力を加えずに息を吸い込む。赤ん坊が母親の母乳を吸う時もこんな感じなのだろうか。当然の事ながらそんな記憶は欠片もない。消え失せる以前に記憶に残る事すらしていない。これまで経験した事もない感覚がゆっくりと全身を覆っていく。

「もう……やめて……」

 喉の奥から絞り出したような声だった。

「お願い……」

 正確な意図は判らない。ただ目的が痛めつけるから辱しめるに代わっただけだった。或いはこの女に本当に同性愛の気があるかだ。仮にそうだとしてもそれを受け入れるつもりは一切ないし、断じてそういう気もない。

 カティが苦しめばそれでいいのだ。だから執拗に痛めつけ、辱しめる。

 女が口に含んでいた乳首を外した。乳首がこれまでにないくらいに、見てハッキリそうと判るほど隆起している。すっかり朱に染まっている頬が、顔が熱い。

「どうして、こんな事するの……?」

 涙が溢れた。哀しくて、恥ずかしくて、そしてこんな目に遭わされていながら満足に抵抗も出来ない自分が情けなくて堪らなかった。

「どうして、って」

 女は顔を上げるとさっきそうしたように舌先で涙を舐めた。今度は首筋に舌を這わせる。

「昨日も言ったでしょ。恨むならあなたの父親を恨みなさい」

 首筋の延長線上に上がった舌を耳に伸ばす。耳元に息が吹きかかった瞬間、全身に怖気が走った。僅かに口を開くと耳たぶを甘噛みする。胸もそうだけど、耳の周りも唾液ですっかり濡れている。体の奥から不気味な熱さが少しずつ沸き上がって来ていた。

「どうして、そんなに父を憎むの?」

 それが判らない。この街に来てからこの女が店に来た事など一度もない。仮に来たとしても父が人から恨みを買うような真似なんてするハズがない。命を懸けたっていい。絶対に有り得ない。

 ならば、この女は父の何をここまで執拗に恨むのか。

「本当に綺麗な体してるわね」

 女が体を起こした。まさぐった懐から何か取り出した。懐剣だった。

「憎たらしいくらいに」

 鞘を抜くとカティの目の前に突きつけた。それを殊更時間をかけてゆっくりと顔に近付けていく。

「お願い、やめて!」

 前髪が何本か落ちた。懐剣の切っ先が頬に刺さった。それを別段躊躇う事もなく横に引く。

 裂けた皮膚から溢れた血が頬を赤く染める。恐怖で、そこから生まれる興奮で痛覚が麻痺しているのか痛みは感じなかった。

「ここも切り裂いてあげようか?」

 抜き身の刃を首筋に宛がった。息が止まった、声が出なかった。下手に動いたらそれこそ本当に首が切れる。

 不意に乳首に激痛が走った。切られたのではない。指先で力一杯つねられているのだ。堪らず悲鳴が上がった。

「それともここがいい?」

 突き立てた爪に更に力がこもる。懐剣がいつの間にか胸に触れていた。パンでも切るように引っ張った乳首の根元に刃を宛がう。

「切り落としちゃおうか」

 悲鳴が狭い幌の中に響き渡った。もう、何が起こっているのか、自分が何をしているかも判らなかった。ひたすらに首を横に振り、喉が裂けるくらいに叫び続けた。恐怖で頭がまともに動かない。一刻も早くこの場から逃れたい、考えられるのはそれだけだった。

 いつ女が懐剣をしまったのか。気付けばついさっきまで刃を晒していた懐剣がいつの間にか姿を消していた。女もいない。少なくとも、見える範囲には。

「もういいわ」

 女は愛想の尽きた相手に三下り半を突き付けるように言った。

「あなた飽きたから、もう返してあげる」

 喜ぶ余裕もなかった。言葉の真偽を確かめる事など尚更だ。そのまま意識が綺麗に消え失せた。

 どれくらいの間意識をなくしていたのか。動いていたはずの馬車が止まっていた。入口の向こうに外の景色が見える。見覚えのある場所だったけど咄嗟に頭に浮かばなかった。少なくとも家ではない。それは確かだった。

「立ちなさい」

 立つだけの体力も気力も残されていなかった。兵士二人に両脇を抱えられた。引きずられるようにして馬車から下ろされる。

 街の中心にある広場だった。この時間帯ならみんな一休みしたり昼食を取ったりして一息吐いてる頃合いだった。ただ、普段と明らかに違うのは広場の真ん中に大きな台が置かれている事だった。誰がこんなものを用意したのだろう。

 何気なく見上げた。目を大きく見開いたまま、しばらくそれを凝然と見詰めていた。


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