四日目 その拾七
耳の奥に、微かにだけど硬い音が吸い込まれて行く。それが少しずつ、でも間違いなくこちらに近付いて来ている。一歩一歩、踏み締めるような音が徐々に距離を縮めていく。
近付いて来た音は通り過ぎる事もなく目の前で止まった。そこから微動だにしない。極度の恐怖と混乱に晒された体は動く事を執拗に拒んでいた。確かに休まなければ、眠らなければ身が持たない。
また、硬い音が聞こえた。さっきの音とは明らかに違う。金属と金属がぶつかって擦れるような音だ。鉛のように重い瞼を開こうとした時、隙間から差し込んだ光に一瞬目が眩んだ。蝋燭の灯りだ。どうしてそんなものが、こんな牢屋の中にあるのか。視界の右奥には開け放たれた牢屋の戸があった。混乱した。戸が開いている理由が判らない。出られる、咄嗟にそう思った。でも動かそうとした体が反射的に強張った。すぐ目の前にドス黒い塊が立っていた。息を呑んだ瞬間、獣染みた速さで影が飛び掛かって来た。背後から羽交い締めにされると同時に手で口を力一杯塞がれる。悲鳴を上げる暇もない。
「おい、どうしてよりによってこいつだけ目ぇ覚ましてんだよ」
「知るかよ。それよりしっかり押さえてろよ、やりづれえじゃねえか」
「判ってるよ」
訳が判らなかった。カティの知らないところで勝手に事が進んでいる。
羽交い締めと言うより背後から両腕を抱えられているせいで全く動かせない。悲鳴を上げようにも手でピッタリと口を塞がれている。呻き声にすらならない。呼吸するのがやっとだった。
せめてもの抵抗と思ってバタつかせた足もあっという間に絡め取られた。股を開いた状態で固定される。口を押さえている手の隙間から微かに悲鳴が漏れた。
「おい、あんまり騒ぐなよ。お友達が目ぇ覚ましちまうぜ」
「それともお前が晴れて女になる処を間近で拝ませてやってもいいんだぜ。もっとも、朝まで熟睡だろうがな」
唇を歪めて下品に笑った。
どうして朝まで目を覚まさないのか。みんなそこまで疲れているようには見えなかった。思い切り騒げば起きてくれるかも知れない。壁の向こう側から止めてくれるかも知れない。
「んーー!」
腕を背後から抱えられたまま思い切り背中を反らす。足を力一杯引くと腋の間からすっぽ抜けた。すかさず両腕が更に力強く締め上げられる。足首を掴まれたかと思ったらあっという間に床に押さえつけられた。スカートを捲り上げられ、露わになった太股を脂ぎった手が這い回る。背中に怖気が走った。
「往生際の悪い奴だな、全く。抵抗したところで何がどう変わるんだよ」
「お友達も薬でぐっすり眠ってる。起こすのも悪いだろ?」
だから静かにしてようぜ?
腕を抱えていた方が口を塞いでいる手を上にずらした。親指と人差し指で鼻を摘ままれた。
息が出来ない。さっきとはまた違った意味で体をバタつかせた。早く離して、苦しい!
息が詰まりそうになった頃、ようやく鼻から指が離れた。全身を使って大きく息を吸い込む。
「そんなに死にたいのかよ」
それだけは絶対に嫌だ。でも、悔しいけど生殺与奪はこいつらにある。カティを生かすも殺すもこいつら次第だ。
「別に殺してから犯してやってもいいんだぜ?」
慌てて首を横に振った。みんなの所に帰る、さっき誓った事だ。それを自分で反故にするような真似は絶対に出来ない。
「だったら少し大人しくしてろよ」
耳元で囁いた声に全身が震えた。首を竦めるようにして頷くと男の腕から少し力が抜けたような気がした。
既に破かれてボロボロになっていた服の前が思い切りはだけられた。露出した胸を背後にいた男が鷲掴みにした。涙が滲んだ。目尻を伝って腕に落ちる。
お腹を空かせた犬でもこんな荒い息遣いはしない。何よりこいつらには可愛げなんてものは欠片もない。人を取って喰らう獣同然だ。
「おい、足から力抜けよ」
足を抱えていた方が腰から短剣を抜いた。抜き身の刃を脚の根元に近付ける。力を抜く前に短剣の先端が浅く皮膚を裂いていた。
「これ以上抵抗するならこんなもんじゃ済まねえぞ」
皮膚を伝う血を指で掬い取ると舌先で舐めた。獣にしか見えなかった。
恐怖で体が動かなかった。両膝に手を置いた男は一気に脚を左右に割った。そのまま脚の間に顔を埋める。傷口から流れる血を舌で絡め取りながら少しずつ性器に顔を近付けていく。
口を塞がれていなかったら喉が裂けていたかも知れない。溢れた涙が頬を伝った。
「やっぱ若いっていいな」
カティの胸を弄んでいる方が感慨深そうに言った。
「同感だな」
堪らねえや。もう一人は舌先から涎を滴らせながら太股を舐め回している。気色悪くて死にそうだった。
耳元に吐息がかかる。全身に寒気が走った。生きた心地がしなかった。いつまでこの地獄が続くのだろう。何を以てしてこれが終わるかと言う事くらいは流石に把握している。
そうなる前に、何としても食い止めたかった。一人の女になる前に。いや、一人の女であるうちに。獣のような馬鹿共においそれと差し出せるほど安い代物じゃない。
拳を握り締めた。まだ諦める訳にはいかない。投げ出したらそこで終わりだ。希望があるならそれがどんな小さなものでも全力で縋りたかった。
「ふ……う……」
まともに声を出す事すら出来ない。首筋に歯が当たった。歯を突き立てた箇所にネットリとした舌が這い回る。唾液が肌を濡らした。肌が音を立てて粟立つ。
ふと前を見ると男が下半身を露出させていた。股の間でビクビクと脈打ちながら何かが屹立している。体の一部ではなく、そこだけ独立した一つの生物のようだった。喉の奥で悲鳴が爆ぜた。
男は自身の分身とも言えるそれを右手で掴むとゆっくり扱き始めた。後ろの男以上に息遣いが荒い。極度の興奮状態にあるのは明らかだった。
「何やってんだよ、さっさと入れちまえよ」
「あ……ダ、ダメだ……」
男の腰周りが痙攣するように震えた。次の瞬間には股の間から白い液体を滴らせていた。太股の内側に生暖かい液体が垂れた。
「情っけねえ野郎だなあ」
背後にいた男が鼻を鳴らして嘲笑った。
「どうしてもってうるせえから先を譲ってやったのによ」
「す、済まねえ」
済まないと言う事はない。むしろ助かった。男としては相当に情けないだろうけど。
首の皮一枚残して貞操は守れた。でもまだ終わった訳ではない。
「代われよ」
「ああ、そうだな」
下半身を当たり前のように晒したままカティの背後に歩み寄ると同じようにして口を塞いだ。口を塞ぎながら脇を締めるようにして左腕の動きを封じる。余っている右手で胸を弄ぶ。やる事は変わらない。
「にしてもいい体してんな、こいつ」
まだガキのくせによ。掌で乱暴に胸を鷲掴みにしながら指先で乳首を摘まむ。刺すような痛みが走った。でも涙は見せたくなかった。肩越しに後ろを睨み付ける。
「泣き声も上げねえのか。見かけに依らずいい度胸してるな」
首筋に立てられた歯に力がこもった。首に引き裂かれるような激痛が走り抜けた。傷口から溢れた血を吸い取るようにして舌に絡める。
「もっと泣けよ。その方が燃えるからな」
閉じた目から涙が零れた。震える喉から微かに悲鳴が漏れる。でも、無様に涙を晒すのはここまでだ。こんな動物的な欲求を満たす事しか出来ないような奴らに絶対屈したくなかった。だから諦めない。少しでも可能性がある限り全力で抵抗する。
気持ちを鎮めるようにゆっくりと息を吐く。指と言わず腕と言わず、全身から力を抜いた。
「ようやく観念したか」
体を弄ぶ手に遠慮、もとい容赦がなくなった。胸や太股、性器の周辺を不気味な熱さを帯びた指や舌が這い回る。
閉じていた目を開けた。いつまでこの状態が続くのか。体をいいように弄ばれる事にそろそろ限界が見えて来た。諦めるつもりは毛頭ないけど心が折れそうだった。
気持ちの糸が切れかけた時、股間に顔を埋めていた男がズボンを脱いだ。男の股の間を見て改めて背筋が凍る。立ちはだかる塀のように垂直にそそり立っている。あんなものをどうやって入れると言うのだろう。先端は丸みを帯びているけどカティにはナイフより遥かに鋭く見えた。あんなもので突き刺されたら、絶対に助からない。体はもつとしても、心が完全に破壊される。
その前に終わらせる、残された道はそれしかない。
さっきまで脚もガッチリ押さえつけられていたけど、今は脇に投げ出したままだった。無抵抗になったと判断したのだろう、完全に警戒を解いている。男が股間に手を添えたままカティににじり寄る。薄く目を開いたまま慎重に距離を測る。遠すぎるのは絶対に避けなくてはならない。かと言って近すぎるのも上手くない。男が左の膝頭に手をかけた。今だ!
瞬間、立てていた右膝を胸の方へ引き上げた。振り子の要領で勢いをつけると力一杯伸ばした右の踵が音もなく男の股間に吸い込まれた。
体の外側にある内臓みたいなものだから。
護身術の手解きをしていたアリスは淡々と言った。曰く、それだけ繊細、いや大事な部分と言う事らしい。
「だから、本当にヤバい時はそこを狙いなさい」
躊躇う必要なんてないから。アリスだったら絶対に躊躇わない。むしろ嬉々として急所を狙う。間違いない。
「でも、それって状況としては相当ヤバいよね」
その時はそこまで差し迫った状況と言うものが想像出来なかった。男に組み敷かれて襲われる瞬間を想像する女なんて絶対にいない。
「そうよ。だから今言ったでしょ、躊躇う必要なんかないの。思い切りやりなさい。そうしないと女は守れないわよ」
非力な女が男から身を守る手段としては最も実用的かつ効果的だった。確実に動きを止め、戦意を喪失させる。正当防衛が成立する状況ならば尚更だ。
男は愕然とした表情で股間を見下ろしている。
ゆっくりと右の踵を引き抜いた。引っこ抜いた勢いと足の回転を殺す事なく余った左足に載せる。男が手で押さえる前に二発目の踵が股間に入った。
男の動きが完全に止まった。恐らく呼吸も止まっている。腰の捻りを脚の回転に変える。その勢いを右足の甲に載せると思い切り男の横面に叩き込んだ。非力ではあっても武術は全員が習っている。それがこういう処で活きるとはついぞ考えもしなかった。
後ろから羽交い締めにしている方は完全に虚を突かれたようだった。この機を逃したらもう次はない。胸を触っていたせいで完全にお留守になっていた右腕を素早く振り上げた。鋭角に曲げた右肘を勢いをつけて真後ろに突き刺す。鈍いけど確実な手応えがあった。口を押さえていた左手から力が失せた。左手を振り解きながら振り上げた後頭部を顔の真ん中の辺りにぶつける。振り向いて距離を取ると完全に陥没した鼻から血を流した男が今にも倒れそうな体を辛うじて支えていた。焦点が合っていない。叩けば倒れそうだった。
拳を握り締めた。振り被ると拳骨を潰れた鼻に叩きつける。後頭部から壁にぶつかるとそのまま動かなくなった。
気付けば肩で息をしていた。体中が熱い。噴き出した汗が全身を濡らしていた。何が起こったのか未だに理解出来ていなかった。獣のような男二人に犯されそうになった、いや半分以上は犯された。最後の一線は、貞操は辛うじて死守出来たけど。大の男が完全に伸びている。紛れもなくカティが今殴り倒した。それが信じられなかった。ある意味、男に襲われた事以上に信じ難かった。
立っているのがやっとだった。どうして床に座り込もうとしないのか自分でも不思議だった。でも、流石に脚も腰もこれ以上持ちそうもなかった。伸びている男の隣に距離を置いて壁に寄りかかった時、背後で何かを引きずるような音が聞こえた。
男が踞ったまま凄まじい形相でカティを睨み付けていた。
「殺してやる……!」
卒倒しそうなくらい凄まじい殺意だった。気が弱い人ならそれだけで失神しそうなくらいの迫力があった。脚が竦みそうになるくらい怖いけど、ここで怯む訳には行かない。
咄嗟に右に跳んだ。男の足が唸りを上げて飛んで来たのはその直後だった。折り畳んだ両腕の上に足の裏がぶつかった。そのまま背中から壁に叩きつけられる。腕で防いでいなかったら肋が何本かイカれていた。でも息が止まるくらいの衝撃はあった。
男はカティの襟首を掴むと真後ろの壁に叩きつける。背中と後頭部を壁に強打した。息が、体の動きが止まった。男は不様に下半身を晒したままカティを壁に押しつけた。襟首を掴んでいる腕で喉を圧迫する。壁と腕の間に挟まれた喉があっという間に狭まっていく。息が出来ない。
「あ……ぐ……!」
満足に息を吸う事も吐く事も出来ないまま宙吊りにされた。意識が朦朧として来た時、視界の片隅で何かが光った。男の手に握られている抜き身の短剣が蝋燭の灯りを跳ね返していた。
「殺してやる……!」
血走った目で睨み付けると一気に短剣を振り上げた。
一瞬、目を閉じた。とても正視出来なかった。
鋭利な刃物が皮膚を突き刺す瞬間が脳裡に鮮明に映し出された。でもいつになっても痛みは感じなかった。
恐る恐る目を開ける。
男が短剣を握ったまま愕然と目を見開いていた。誰かの太い腕が短剣を握る男の手首を掴んでいた。陰を背負っているせいで顔がよく見えない。ウォッカにひけを取らない巨体だった。でもウォッカじゃない、絶対に違う。暗闇の中で目だけが不気味に光っていた。さっきから醜態を晒している男を睨む。
男の手が戦慄くように震え始めた。同時に顔が歪んだ。手から落ちた短剣が音を立てた。
「お前、誰だ?」
怯えた表情で大男を見た。大男の唇の端が僅かに上がった。
低い姿勢から放たれた拳が露出狂の鳩尾に深々と突き刺さった。両膝を床に着くと前のめりに倒れた。そのまま動かなくなる。
「それをお前に伝える必要があるのか?」
軽く弾みをつけると今度は右の脇腹の辺りを爪先で蹴り上げる。短い悲鳴が上がった。胃の内容物に血が混じった液体を口の端から垂らしたまま完全に動かなくなった。
脚にも腰にも力が入らなかった。もう立つ事は叶わなかった。壁に凭れ掛かると徐々に膝から力が抜けていった。床に座り込んだまま男を見上げる。
男は牢屋の出入口を背中越しに睨み付けると小さく舌打ちした。カティに背を向けると鉄格子を潜る。
待って。無意識に手を伸ばしていた。
誰なのか判らない。見当もつかない。でも、命を救ってくれた事は確かだった。せめて、一言お礼が言いたかった。
「悪いがこれ以上ここに長居は出来ない」
巨大な岩が唸るような低い声だった。
「どの道そう遠からずあの男もここに来る。それまで辛抱してやってくれ」
鉄格子の向こうから目だけでカティを見た。唇の端を上げて笑う。
「そこの馬鹿二人はともかく、君を含めて安易に殺すような真似はしないハズだ。こいつらがそこまで馬鹿でなければな」
でも、こうして無理矢理犯しに来るかも知れない。またそんな目に遭ったら今のように撃退出来る自信はない。
「もうじき全てが終わる。悪いがそれまでもう少しだけ耐えてくれ」
足音が徐々に遠ざかっていく。それが完全に消えると狭い牢屋の中を静寂が支配した。微かに風が流れる音だけが聞こえる。
今にも意識が途切れそうだった。目を閉じたら底の見えない穴に吸い込まれるようにして体が崩れていく。取り敢えず、助かった事は間違いなさそうだった。ただそれも一時的なものに過ぎない。ここにいる限り安息は有り得ない。判り切った事だった。でも例え一時の安息であっても今はそれに身を委ねよう。必ずここから生きて帰る。それを自分から諦める事は絶対にしたくなかった。
さっきの男は何者なのか。そこに血を吐いて転がっている男でなくても大いに気になる。絶対に優しい人間ではないと思う。倒れている男にもう一度目を向ける。一切身動ぎしない。胸や背中の辺りをじっくり観察する。やはり動きもせず、上下する事もない。呼吸もしていないに違いない。あの男が倒れてから大して時間は経っていない。でも、恐らく、いや絶対に死んでいる。人一人を別段躊躇う事もなく殺した。そんな人間がついさっきまで目の前にいた。その事実に気付いて初めて身震いした。
何の理由があって、どんな目的でここに来たのか。当然カティには知る由もない。それでも彼が助けてくれた事は紛れもない事実だった。彼がいなかったら確実に殺されていた。まだ生きてる、帰る事が出来る。心の底からホッとした。またみんなに会える可能性は残っている。それがある限り前を向ける。絶対に生きて帰る。セージやトージ、そしてリーゼルさんと一緒に、みんなが待つ家に帰る。さっきそう決めたではないか。
見ると鉄格子の扉が開いていた。でも体が動かなかった。仮に出られたとしてもカティ一人では意味がない。みんなで一緒にここから出たかった。遠からず全てが終わる、耳の奥でさっきの大男の言葉が蘇った。




