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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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四日目 その六

「どうしたの?」

 バルコニーの椅子に座ったまますっかり日の落ちた街を見るでもなく眺めていると誰かが声をかけた。イリナだった。

「別に、何でもない」

「何でもないって言葉ほど説得力に欠けるものもないわね」

「どういう意味よ」

「何でもない訳がないでしょ?」

 イリナはモップを柵に立て掛けた。全く以てその通りだった。

 昔から何でもお見通しだった。イリナの前では隠し事は出来ない。今に始まった話ではない。小さい頃からそうだった。

「どうしたの?」

 柱に背中を預けるとイリナは探るように軽く首を傾げた。

「男子に、いじめられた」

「いじめられた? 何されたのよ」

「グズとかノロマとか言われたり散々からかわれたり、それだけなら別にいいんだけど」

「って事は他にも何かしら言われかされた訳ね」

 口が滑った。ここから先は黙っているつもりだったのに。でも一度転がり出た言葉はもう止まらない。

「お前の姉ちゃん、野蛮人とか……」

 イリナは弾けるように笑い出した。思春期の女の子らしからぬ声でしばらく笑うと苦しそうにお腹を抱える。

 笑うところだろうか。むしろ怒るべきだと思うけど。

「不満そうね」

「どうして怒らないのよ」

「怒るも何も、その通りじゃない」

 椅子から落ちそうになった。そんなにあっさり認めないで欲しい。

「男子を素手で叩きのめしてたらそりゃ野蛮人扱いされるでしょ」

 本人の口からそう言われるとカティにも否定出来ない。せめて三人がもう少しおしとやかであってくれればとは思うけど、この頃はそういう女らしさとは本当に無縁だった。

「私はそんな風に言われたくないの。でもイリナ姉が認めたら否定も出来ないじゃない」

「否定しなけりゃいい。事実なんだから受け入れなさいよ」

 どうしてこんなに潔いのか。女の身でそんな事を言われたら普通は傷つく。それもかなり深く。

「イリナ姉は悔しくないの?」

「全く。さっきも言ったけど事実だし。それに、言いたい奴には好きなだけ言わせときゃいいのよ。そんな事いちいち気にしてたらキリがないじゃない」

 反発出来なかったのは単にそれが正論であるだけではなかった。

「だったらまずあなたがそれを本気で否定しなきゃ。その様子じゃ、それも満足に出来なかったみたいね」

 的のど真ん中を射抜くような指摘だった。でも、その通りだった。気持ちは否定しているのにかわかわれた男子にはそれを一言も言葉に変えて伝えていない。一番肝心な事から逃げていじけているだけだった。

 本当はイリナ達にぶちのめして欲しかった。でもそんな事をしたらあいつらの発言を認める事になってしまう。それにイリナが引き受けるとも思えなかった。

 気持ちで否定しようとしているだけで実際は何もしていない。結局は彼らの無神経な言葉を暗に認めていたようなものだった。それに初めて気付い。情けなくて悔しくて、涙が出そうになった。

「まだやれる事が残ってるんでしょ? ならばまずそれをしっかり自分で片付けなさい。でないとあなたのためにならないから」

 やるべき事にも手をつけず泣きそうになっていた自分が馬鹿みたいだった。そんな自分が情けなくて悔しくて堪らなかった。穴があったら入りたかった。

「それと、あと一つ」

 軽く腰を屈めるとイリナは顔の前で人差し指を立てた。

「笑いなさい。辛い時に泣いたら本当に辛くなっちゃうから」

 笑えないよ、とは言えなかった。そんな自分を笑い飛ばして、沈んだ気持ちを蹴飛ばして前に進め、という事なんだろうな。ウジウジして足を止めていたらそれこそ何も変わらない。

 明日、学校で思い切り言ってやろう。私は確かにグズでノロマかも知れないけど、三人はちっとも野蛮じゃない。女の子にそんな事を言うお前の方がずっとに野蛮だ。

「そうそう、そういう顔の方が遥かにいいわ」

 頭に手を置くとイリナは穏やかに笑った。笑うだけでこんなに気持ちが軽くなるなんてちっとも考えなかった。大抵の悩み事は本人が考えている程深刻ではないのかも知れない。

 メソメソしている誰かと違って、姉の三人はいつも気丈だった。単に意地っ張りなだけかも知れないけど。特にイリナはその傾向が顕著だった。風を切るように常に前を向いていた。それが妹三人の拠り所にもなっていた。

 撫でてくれていた髪をいきなり鷲掴みにされた。卵を泡立てるようにグシャグシャにかき混ぜる。途端に髪がクシャクシャになる。

「何するのよ」

 抗議するとイリナは声を上げて笑った。毒気を抜かれる笑顔だった。髪をクシャクシャにするのもいつもの事だった。

自分に対しては勿論だけど妹にも厳しい姉だった。それ以上に優しくもあった。充分に逞しいと思えるミリアムでさえ、イリナを頼っているところがあった。みんな頼りにしているし、本人もそれに気付いていた。だからこそ弱い自分を見せるような真似は出来なかったのかも知れない。泣いているところなど見た事もないし、想像すらつかなかった。風が吹いても倒れず踏まれてもへこたれない。それでいていつも力強く背中を押してくれる。そんなイリナの背中をいつも追い掛けていた。


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