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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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三日目 その拾六

 ドアが閉まると足音が部屋から少しずつ遠ざかっていく。完全に聞こえなくなるとダンの肩から少しだけ力が抜けた。

「よろしいでしょうか?」

「そんなに改まらないで下さいよ。座って下さい」

 隣に立っていた妻と一緒に軽く一礼すると椅子に腰を下ろした。ウォッカはベッドに座ったまま姿勢を正した。

「突然おしかけたのはこちらですから。楽になさって下さい」

 グラスに並々と酒を注ぐとツマミを取り皿に移して一緒に進める。

「どうぞ」

 居心地が悪いのか、ウォッカはガリガリ音を立てて頭を掻いた。お盆で逆まだ立ちしていたグラスをすぐさま引っ繰り返すと酒瓶を手に取る。

「お二人も」

 邪気のない笑顔だった。空のグラスにウォッカが酒を注いだ。グラスがそれぞれの手に渡ると軽くぶつける。

「申し訳ありません、突然おしかけてしまって」

「気にしないで下さい。一人で飲むよりこうして誰かと飲んだ方が楽しいですから」

 気を遣っているのではなく、それがウォッカの本心なのだろう。自然体やそれを装うのではなく、彼の素直さが滲み出ていた。

「このお代は結構ですから。遠慮せず呑んで下さい」

「そういう訳にはいきませんよ。そちらにはこれも仕事でしょうし、生活もある」

「それを抜きにしてお願いしたい事がありまして」

 早速空にしたグラスをテーブルに置くウォッカの表情が少し、本当に少しだけ引き締まった。妻が間を置くように酒を継ぎ足す。

「単刀直入に申し上げます」

「どうぞ」

 ウォッカはグラスを傾けながら右手を差し出した。

「あなたのお力を拝借したい」

 唇に宛がっていたグラスが一瞬止まった。仕切り直すように角度が一気に高くなる。あっという間に空になった。

「とおっしゃいますと?」

「今申し上げた通りです。あなたの力を是非我々に貸して頂きたい」

 膝に手を置いたまま頭を下げる。硬い音が聞こえた。見上げると空になったグラスに妻がおかわりを注いでいた。

「顔を上げて下さい。単刀直入と言うより少し唐突過ぎるわ」

 顔が熱くなったのは妻の指摘に頷けるものがあったからだ。前触れも何もあったものではないし、突然押し掛けて言う事でもない。しかも宿泊している客に。

「何事も順序ってものがあるでしょう?」

 二つ目のツマミを皿に取り分けながら妻は言った。

「すみませんねぇ。あなたのご都合も考えずこちらの要件だけ一方的にお伝えして」

「お構い無く。誰しも事情はあるでしょうから」

 だとしたら、ここに偶々折悪しく迷い込んだ彼にも事情はあるハズだ。そんな彼をこちらの一方的な都合に巻き込もうとしている。否、ここに来た時点で彼も既に巻き込まれているのだ。他人事では済まされない。

 溜め息が漏れた。突っ張っていた肩から力が抜ける。隣に座る妻は家族で食卓を囲むような雰囲気で酒瓶を傾けていた。

「今日は色々と有り難うございました。うちの娘達がすっかりお世話になってしまって」

「いえ、こちらこそ。別に何をした訳でもありませんから」

 妻は呑気に笑っているが、何もしていなかったらあの三人を相手にして無傷で済むハズがない。攻撃を捌けるだけの技術も間違いなく備えているのだ。

 一体これまでどんな生活を送っていたのか物凄く気になる。

「うちの娘達の腕前はいかがでした?」

「アリスはまだ荒削りですけど、上の二人は相当なものですね。現役の軍人でも余程鍛えていない限りまず相手にならないでしょう」

「それ本当ですか? お世辞ではなく?」

「冗談は言っても嘘は申しません」

 妻がカラカラと笑った。背中まで伸びた髪が揺れる。昔と変わらない笑顔だった。

「いい感じに力が抜けてて素敵ですね。この人も見習って欲しいくらいだわ」

 おい。声には出さないが胸の中で思い切り突っ込んでいた。

「ご主人、真面目ですもんね」

「ただの石頭ですよ。堅苦しいだけで全然融通が利かないし」

「おい」

 今度は声に出していた。我慢する必要は大いにあるが反射的に口が動いていた。

「今だってそうでしょ? 一介のお客様に突然力を貸して欲しいだなんて礼儀知らずも甚だしいわね。最悪切り出すのは仕方がないにしても踏むべき手順はあるハズでしょう?」

 最近気付いた事だが、感情と理性を状況に応じて使い分ける老獪さをいつの間にか身に付けていた。そして時には情に訴える。その辺りの駆け引きはダンより余程心得ているかも知れない。

「これ、イケますね」

 ウォッカは箸を動かしながら酒で喉を潤す。

「鮭ですか」

「燻製にした鮭を野菜と一緒に炒めただけです、簡単ですよ」

「特に春にはよく食べますよ」

 遡上して来た鮭を燻製して冬場の食糧にする。鮭が上って来る場所は熊が教えてくれる。昔、まだ幼かった頃、冗談半分に母が言っていた。

 この街の住人はそうやって冬を越す。

「昨日の買い出しではどんなものを買われたんですか?」

「こういう乾物が中心でしたね、そう言えば。それと米かな」

 旅人には死活問題のはずだ。特にウォッカには。食べようとしたら腐っていましたでは旅をする資格すらない。

「この街、食糧にしても酒に一通り揃ってるんですね」

 言わんとしたい事は判る。驚かれるのも不思議な感じがするが、外野の人間にはそう見えるのかも知れない。

 この街が食糧の一切合財を自給自足で賄っているのは今に始まった話ではない。陸の孤島のような環境がそうなるよう仕向けただけに過ぎない。そうしなければ人の生活する場として存続出来なかったのだ。木や花が種を残すようにして、ここで生き抜く手段が連綿と受け継がれて来たからこそ今がある。

 しかし、それが今の現実を招いた要因でもあるのだから何とも皮肉な話だった。

「大抵の場合は隣接する街や村落と交易があると思うんですけど」

「ここの場合は距離があり過ぎてそれが叶わなかった。だからこそ自給自足と言う手段が確立されたんです」

「それが奴らにとって好都合に働いたと」

 口調に迷いがなかった。確かにその通りだった。深く考えるまでもない。

「わざわざここに足を運ぶだけの理由があるならまだ話は別でしょうけど」

「幸か不幸かそういう奇特な人は現れませんでした」

「仮にいたとしても拘束されるか足止めされるかして身動きが取れなくなるのが関の山ですね」

 今のあなたがそうであるように、とは言わなかった。そうではなく、この男なら脱する事も容易いとまでは言わないが然程困難とも思えない気がした。少なくとも奴らが束になってかかって来ても彼を止める事は出来ない。そう、ウォッカなら出る事はすぐに出来るハズだ。ただそれは根本的な解決にはならない。

「そこで、ウォッカさんに折り入ってお願いしたい事があります」

「どうぞ」

 遠慮なく。お手洗いならご自由にお使い下さいとでも言うような気軽さだった。

「私達に力を貸して下さい。いえ助けて下さい」

 隣にいる妻も深々と頭を下げた。

「既にご存知でしょうが、この街の住人はここから出る手立てがありません。仮に出る事が出来たとしても人質の命を危険に晒す事にります」

「あなたにはこの街に足枷になるものがない。何より大きな力を持っている。それを是非私達に貸して下さい」

 僅かに沈黙、いや間があった。グラスをテーブルに置く音がした。

「取り敢えず、お二人とも顔上げて下さいよ」

 ね? 折っていた体を起こすと苦笑いしているウォッカがいた。釣られるようにして頬が緩んだ。この男の笑顔はいい意味で力が抜ける。

「奴らをどうにかしたい、要はそういう事ですよね」

「はい」

 頷くと、ウォッカは低く唸って腕を組んだ。いつになく真剣な表情だった。

「ご指摘頂いた通り、確かに俺には足枷になるものはここにありません。かと言って好き勝手出来る訳でもないと思いますが」

「とおっしゃいますと?」

「皆さんと同じですよ。あまり勝手な真似をしたら人質の命はない、一言そう言えば済みます」

 声が出そうになった。その可能性は全く考えなかった。親類縁者はいなくても既にウォッカと関わりを持っている人達は何人もいる。そして一度関係を持った人を袖にするような人間にも見えない。

 ここに来た時点でウォッカも一蓮托生なのだ。掴みかけていた希望が指の隙間から逃げていくようだった。

「なんでまあ、明日以降は奴らを積極的に殴りに行くような真似は慎みますので」

 話がズレている。兵隊が減ればそれに越した事はない。だがこれも根本的な解決にはならない。

「それを抜きにしても、俺みたいな住所不定無職の二十歳で良ければいくらでも協力しますよ」

 ライザが肩を震わせている。確かに世間的にはウォッカが住所不定の無職である事は間違いなかった。そして一般的にはあまり歓迎されない。

 どうして旅をしているのだろう。彼の親は送り出す時どんな言葉をかけたのだろうか。

「これから何をするにしても、これ以上人質を増やさないようにする事と一刻も早く彼らを解放する事が先決ですね」

 裏を返せば、それさえ解決すれば形勢を一気に引っ繰り返せる。当然実行するのは容易ではないが、それを実現出来る可能性を持っているだけでも事態を打開するのに大きく貢献している事になる。

「ウォッカさんには甚だ迷惑でしょうが、今ここにあなたが来た事は天命だと思っています」

 ダン達だけではない。中には家族を殺されたり拐われたりしている人もいるのだ。希望であればどんなものでもすがりたくなるハズだ。ウォッカには申し訳ないが最後の最後まで付き合ってもらうより他ない。

「本当に申し訳ありませんね、旅の途中なのに」

「気にしないで下さい。そこまで急ぐほどのものじゃないんで」

 頭を下げる妻にウォッカは笑いながら右手を軽く左右に振った。

「ご旅行、ではありませんよね?」

「はい」

 内心で妻に突っ込んでいた。旅行する人間がこんな人里離れた街に迷い込む訳がない。普通に考えなくても判りそうなものだが。

 だとすると何の目的で旅をしているのか。

「旅の理由がどうあれ、あなたを足止めしている事に変わりはありません。申し訳ないとしか申し上げられないのが非常に心苦しいですが」

「今更ジタバタしてもどうにかなるようなものでもないんですよ。焦らずじっくりやるしかないんでね」

「差し支えなければ、どんな旅なのかお伺いしてもよろしいですか?」

 耳を疑うと言うほど大袈裟ではないにしても、思わず妻の横顔を見てしまった。客に対してそこまで立ち入った事を聞くぺきではないし、それを充分に心得ているハズの人間が口にした言葉とは思えなかった。

「探し物ですよ。もう何年も前の」

「何か、手掛かりは?」

「殆ど何もありません」

 そんな状態で一体何を探そうと言うのか。それでは急ごうにも急げない。いや、急ぐだけの理由を見出だす事すら出来ない。こんな厄介事に巻き込まれているのに大して動じた様子が見られないが、それも道理だろう。

「大事な旅なんですか?」

 聞くべきではない事は本人も重々承知はしている。だが聞きたくなるのが人情と言うものだ。その一線を本人の興味本意で越えてしまうのは商売人としていかがなものかと思うが。

「そうですね、人生全てを賭けるくらいの価値はあるかな」

 椅子からズリ落ちそうになった。そこまでする必要があるのに何の手掛かりもないなんて、一体どんな旅なのか。皆目見当もつかない。まさか宝探しと言う訳でもあるまい。

 経緯はどうあれ、そんな彼を結果的には無理矢理引き止めるような真似をしている。胃は砂袋を飲み込んだように重いし胸も痛むばかりだ。だが、真綿で首を絞め続けるような現状を打開するにはどうしても彼の力が必要だった。

「ウォッカさんの故郷はどんな所なんですか?」

 暇を持て余していたグラスを妻が酒で満たした。自分のグラスにも酒を注ぐと持ち上げて軽く揺らす。

「ずっと北東に行った山奥の村ですね。夏は暑いし、冬も寒くて山みたいに雪も降る、そんな所ですよ」

「雪はどれくらい積もるんですか?」

「多い時は俺の背丈を優に越えるくらいは」

 妻は子供のように目をまん丸にした。少し大袈裟ではあるが気持ちは判らなくもない。

「ちょっと想像もつかないですね。そんなに雪が降るなんて」

「この辺りはあまり降らないんですか?」

「降らない事もないけど稀ですね。降ったら子供達は大喜びですけど」

 苦笑いする妻にウォッカは笑いながら頭を掻いた。雪による苦労は知っているに違いない。それこそ痛いくらいに。

「お二人は、ここの生まれですか?」

「主人はそうですが、私は」

 手を軽く左右に振った妻に、ウォッカは小さく首を傾げた。

「あなたは私が初めてここに来た時の事、覚えてる?」

「覚えてるよ」

 忘れられるハズがない。それが馴れ初めではないが。

「女将さんは、いつこの街に?」

「七歳の頃に、母と」

 少しだけ首を竦めて妻の横顔を伺った。実に落ち着いていた。本人にとっては決していい思い出ではないハズなのに。

 妻が、ライザがこの街に来たのはダンが十歳の時の事だった。街の入口で人が倒れている。誰かが店に駆け込んで来るなりそう言った。倒れていた二人をダンの母が介抱した。その二人がライザとその母親だった。

 住んでいた村が焼き払われた。数日後に意識を取り戻したライザの母親は力のない声で言った。命からがら逃げ出してようやく辿り着いたのがここだった。娘は次第に体力も戻って行ったが、母親は衰弱が激しくそのまま息を引き取った。

ダンの母の元に身寄りのない子供が一人残された。

「だから、私には義母が二人目の母親なんです」

 それから二人は兄弟同然に育てられた。ダンの母もライザに我が子のように愛情を注いだ。ライザも母を慕った。お母さん。その言葉に母は素直に頬を綻ばせていた。

 ダンにも兄がいたが、物心がつくかつかないかの頃に戦場に駆り出され、その後戻る事はなかった。顔も朧気にしか覚えていない。父に到っては顔を見た記憶すらない。ある程度体が育ってまともに動ける男は強制的に戦場へ放り出される、そんな時代だった。

 ダンもその例に漏れる事はなかった。十八を迎えた冬には召集を知らせる礼状が届き、学業から解放されると同時に戦地に赴く事を命じられた。覚悟は出来ていた。だが死ぬ気は更々なかった。ここに戻る事が前提であり、それ以外はない。出立する前夜、手早く身支度を整えるとライザにそう伝えた。絶対に帰って来るから。笑いながら頭を撫でても一向に頷こうとはしなかった。顔がくしゃくしゃになったかと思うと、ライザは何も言わずに体ごとぶつかって来た。否、抱きつかれた。そのままベッドに倒れ込んだ。

 行かないで欲しい。俺も行きたくない。だったらどうして行くの? 俺だけ行かない訳には行かないだろ? そんなやり取りがしばらく繰り返された後、ライザは声を上げて泣き出した。子供のように泣いているライザを黙って抱き締めていた。この時、初めてライザを異性として意識した。育った環境か、それとも距離が近すぎたのか。何れにしても気付くのが遅すぎた。悔やんでも悔やみ切れなかった。啜り泣くライザを抱き締める事しか出来なかった。

 瞼が重かった。胸の中にライザがいた。抱き締めたまま眠っていた事にその時初めて気付いた。他に出来た事もあったのかも知れない。だが今はこれで充分だったようにも思えた。少なくとも、ここに必ず戻らなければならない理由がもう一つ出来た事は確かだった。

 出征してから五年後の冬、母が死んだ事をライザからの手紙で知らされた。ライザと再会したのはそれから更に七年後の事だった。ここに戻って最初にした事は、妻になったライザと共に母の墓前に花を手向ける事だった。その翌年にはイリナが生まれた。まさか年子で四人も子供を持つ事になるとは思いもしなかったが。妻に何故そんなに子供をせがむのか聞いた事がある。

 寂しかったから。ライザはダンの腕を取るとそっと抱き締めた。母がここからいなくなってから、ひたすら孤独に耐えながらダンの帰りを待っていたのだ。それ以上何も言わなかった。妻の手を取ると指を絡めて強く握った。握り返すライザの指先が温かかった。

 年を追う毎に家族が増え、忙しないながらも賑やかな時間が流れた。戦争を経験した者ならたとえ慌ただしくても当たり前の日常が戻った事にホッとするものを感じていた事だろう。それが今脅かされている。何としてでも取り戻したい。それを実現するにはどうしてもウォッカの力が必要だった。

「ここから出るには奴らをどうにかするしかない、それは変わらない訳ですよね」

「その通りです」

 真っ直ぐウォッカの目を見据えながら頷くと、彼は日向をのんびりと散歩するように穏やかに笑った。

「ならばもう決まってるじゃないですか、やるしかないんですから」

 いくつかある選択肢の中からどれかを選ぶのではなく、既に選択の余地は残されていないのだ。一蓮托生。さっきも考えた事ではないか。

「人質が解放出来ればそれに越した事はありませんけど」

 口で言うのは簡単だがそれを実践するのは非常に困難だ。出来ていたら苦労はない。

 だが、ウォッカがいる状態でそれが実現出来たら戦況を大きく引っ繰り返せる。

「人質を無事解放出来ればそれが何よりでしょうけど、こちらが行動を起こした時に奴らが人質に手出し出来なければ、同義とは言わないまでもこちら側に有利にはなるかな」

 頷こうにも頷けなかった。助けた訳でもないのに奴らが人質に手出し出来ない状況というものが頭に浮かばない。それに、この男でなければ出来ない発言なのは間違いない。それだけは判った。

「砦の見取り図が欲しいところですね。最低限それがないと話が進まない」

「そういう資料も残されていましたが、奴らが全て処分したようです」

「馬鹿でもさすがにそれくらいは気付くか」

 実に失礼な言い方だが彼なりの称賛なのかも知れない。

「別に原本や写しでなくてもいいんですよ。中の正確な間取りを確認出来れば充分です。それを示す図があれば」

「すぐに用意しましょう。遅くとも明日の日暮れまでには」

「お願いします」

 中の様子を記憶している人もいるはずだ。探し出して書いてもらえばいい。人質が何処に捕らわれているのか、要はそこだろう。

 或いはウォッカと一緒に砦に行くのも選択肢の一つではあるまいか。ダンは浮かんだ案をすぐさま否定した。直接関係ない人を危険に晒すような真似は絶対この男が承諾しない。考えなくても判りそうなものだった。

 それとも独りの方が単純に動きやすいのか。流石にそれはないなと思った。だったら外野の連中はもう何もする事がない。最も危険で重要な役目を彼一人に押し付ける事になる。それは頼むこちらが嫌だった。完全におんぶに抱っこではないか。そこまでは頼れない。

「何をするにしてもまずはそこからですよ。どういう形であれ人質をどうにかしない限りこちらには手の打ちようがない」

 奴らに歯向かう事も、この街から抜け出す事が出来ないのも全てそこに源がある。どれだけ大きな力があったとしてもこちらの行動の全てを封じ込めてしまう。全く以て単純で腹立たしい限りだが、戦術としては実に有効だった。安易に殺すよりも余程質が悪い。それに、人を痛めつけ殺す技術もこちらより遥かに秀でている。先手を取られた時点でこちらの完敗なのだ。判ってはいたがそれを改めて思い知らされた気がした。

 同時に疑問も浮かんだ。最初に砦を襲撃して中を片付けた後にこちらの戦力になりそうな者に狙いを定めてかっ浚う。実に用意周到だった。適当に選んだのではなく、狙いを定めていた事は明白だ。大した力の入れようだが、そこにどうにも不可解なものを感じる。そこまでするほどの事なのか。罪人や賞金首、仕官出来なかった軍人崩れのような連中からしてみれば誰にも邪魔されずに身を隠せる場所は確かに得難いものかも知れない。だが、果たして目的はそれだけなのだろうか。

「明日は大人しくしてます」

 別に今日もやんちゃをしていた訳ではないと思う。死体を見つけたところに奴らが来たから返り討ちにしただけだ。ただ行く先々で厄介事を引き起こす何かがあるのかも知れない。そういう星の下に生まれたのだとすれば実に気の毒だった。

「他にも手伝える事があったらいつでも声かけて下さい」

 暇だし。実際ウォッカにはここでする事はもうない。髪を切る順番を待つように暇を持て余すか時間を有効に扱う手立てを講じるか。本人に任せるしかないが、下手に出歩かれるのは避けたかった。

「薪割りでもしましょうか」

 やってくれたら助かるは助かるが、下手に口にしたら本当にやりそうで怖かった。

「ゆっくりなさってて下さい。そこまでお世話にはなれませんよ」

「お世話って、まだ何もしてないですけど。むしろ俺の方が遥かに世話になってるし」

「あなたはお客様ですから」

 頭を掻くウォッカは何処か居心地が悪そうに見えた。客としてもてされるのが苦手なのだろう。誰に対しても対等に接するのが彼の姿勢に違いない。言葉遣いや態度に僅かな違いはあれど、中に通っている芯は揺らがない。

 見れば酒瓶一本が綺麗に空になっていた。その大半を胃袋に納めた本人はグラスの酒を名残惜しそうに傾けていた。

「夕飯をご用意しますのでこちらでお待ち下さい。出来上がりましたらお呼びします」

「片付けたら俺も降りますよ」

 片付ける程散らかっているようには見えない。荷物はあの巨大なリュックに収まっている。

「では、失礼します」

 椅子から立ち上がると妻も腰を浮かせた。去り際に軽く一礼する。

 人質がいる以上下手に動く事は出来ない。全く以てその通りだ。この膠着した状況をどうにかしたくて気ばかり焦っている。下手に抵抗したら人質に手をかける、奴らにしてみてもそういう風に彼を脅迫する事も不可能ではないのだ。だがウォッカにしてみれば何ら無関係な人を殺されたところで胸が痛む訳ではない。彼ならそんな事はまず言わないだろうが戦術として有効かどうか考えた場合、やはり首を捻りたくなってしまう。彼が無関係である事に変わりはないからだ。

その無関係な彼に随分と大層な事を頼んでしまった。だが後悔はなかった。藁にもすがりたい、そういう気持ちが今は理解出来る。溺れかけているところに偶々流れて来たのは藁ではなく大木だった。それもとびきり強くて頑丈だ。

「彼の好物って何かな?」

「嫌いなものが想像出来ないわね」

 彼の嗜好全般を端的に表現するとそうなる、と思う。取り敢えず普通に飲み食い出来るものが目の前にあれば喜んで口に運ぶ。その中で特に好きなものはあるかも知れないが。

「彼の探し物って何かしらね」

「何だろうな」

 考えてみれば思い浮かばない事もないような気もする。だが正解には辿り着けないだろうな。考えたところで推測の域を出ない。

「せめて、一日でも早く旅が再開出来ればな」

 だがそれもウォッカの双肩にかかっているのだ。彼を頼るばかりで何の力にもなれていない。

「美味しいもの、いっぱい作ってあげましょ」

 そんな事はないか。腹が減っては戦が出来ぬ。特にウォッカの場合は。

「オニオンスープ、作れるか?」

「作ってあるわ」

 早い。と言うより完全に先回りされている。思考を読まれていると言った方がいい。

「よく判ったな」

「判る訳ないじゃない。簡単だから作りおきしておいただけよ」

 階段から足を踏み外しそうになった。確かに判る訳がない。

「それに、彼も昨日美味しいっていっぱい食べてくれたし」

 妻は無邪気に頬を綻ばせた。作った側には一番嬉しい言葉だ。

「彼、あまり他人って気がしないのよね」

 何でかしら。子供のように首を傾げる妻に黙って首を横に振った。彼と面識があったらそれこそ驚きだ。

「既視感みたいなものなのかな」

「いえ違う。何処かで見たような明確なものではないんだけど、彼と話してるととても懐かしいような気分になるのよ」

 何でなのかしらね。ダンも首を横にしか振れなかった。べらぼうな力は持ちつつもそれを誇りも傲りもせず、酒と食事をこよなく愛する平和な男とこれまで会ったような記憶など当然ダンにもない。ただ張り詰めたものが緩むような、尖った気持ちが丸くなるような不思議な雰囲気を備えている事も確かだった。良くも悪くも掴み所がない。

 何れにしても呑気に構える暇はない。この街のためにもウォッカの旅のためにも、絶えず生き血を吸われ続けるような現状を打破しなければならない。真っ向勝負は挑めないし、持久戦にしてもいつまで持つか判らない。

「気合い入れて作るか」

 片手で頬を張った。いや、作るまでもないか。四人が暇を持て余しているとは思えない。だが家族六人分ならともかく彼もいるのだ、やはり多めに用意しておいた方が無難だ。

 隣にいる妻は無邪気に頷いた。


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