二日目 その十壱
料理が盛られた皿をテーブルに置きながら店全体をサッと眺める。ウォッカは隅のテーブルで焼いた鶏肉をツマミにしながら一人で酒を呑んでいた。この男が酒も呑まずに床に就くような事はまずない。少なくともここにいる間はそう考えておいた方がいいだろう。その方が助かる。特に今日は。
「お待たせしました」
追加で注文を受けていた酒瓶をテーブルに置いた。
「ああ、ありがと」
待ってましたとでも言うように嬉しそうに笑った。笑顔を見ているだけでこっちも嬉しくなって来る。
「ゆっくり召し上がって下さいね」
とても素直な気持ちで言えた。ウォッカは食事の手を止めてこちらを見た。さっきとはまた違った笑顔を見せている。
「笑ってた方がいいよ」
指摘されて初めて笑っていた事に気付いた。凄く自然に頬が綻んでいた。何だか照れ臭い。
「折角美人なんだから、ムッツリしてたら勿体ないって」
「そんなムッツリなんかしてませんよ」
両手を腰に当てて抗議して見せても動じる様子もない。あれだけの人数を相手にしても全く動揺しないのだ、年下の、それも女相手に動揺する道理なんか絶対にないだろうな。それとも女の扱いに慣れているだけかも知れない。そこまで考えたら眉間にシワが寄った。女を軽くあしらうような、そんな人だったらやだなあ。去り際に振り向いてウォッカの横顔を見る。グラスに注いだ酒で舌先を湿しながら時折つまみを口に運んでいる。見ているこっちがが羨ましくなるくらい嬉しそうな顔をしていた。こんな人なら、絶対にそんな事はしないか。そう考えたら心が軽くなった。
お盆を体の前に抱えて厨房に戻ろうとした時、背後でバラバラと複数の足音が聞こえた。厨房から出て来た父の顔が微妙に強張った。お客さんも食事の手を止めて出入口を見ている。その顔が一様に曇っていた。もう一度振り向いた。腰に物騒なものを差した連中が我が物顔で店に入って来ていた。それも一人や二人じゃない。一人来たと思ったら続けてまた一人、それがしばらく繰り返された。やっと止んだと思った時には立派な人だかりが出来上がっていた。暑苦しい連中がむさ苦しい雁首を揃えて横一列に並ぶ様は異様でもあり、それ以上に間抜けだった。反射的に前ならえ、と言いそうになった。言ったらやってくれるだろうか。想像したら吹き出しそうになった。慌てて口元を押さえる。
「いらっしゃいませ」
いつも通りにこやかに父は言った。平然と言うより泰然としていた。流石だ、と思った。
「その人数ですと今はお席がありませんので店の外でもうしばらくお待ち頂けますか?」
「手前、舐めてんのか?」
「お客様にご挨拶を差し上げただけですよ」
「俺達が飯を食いに来たように見えるのかって聞いてんだよ」
「ここは宿屋兼食堂ですから、その何れかかと」
確かに呑気に晩御飯を食べに来たようにはとても見えない。でも食事以外にここに来る理由もない。だとしたら、何をしに来たのだろう。
「お前に関わってる暇はない。おい、昨日からここに泊まってる男がいるだろ。そいつを出せ」
「ここにいるよ」
ウォッカは顔を上げると本当に鬱陶しそうに眉根を寄せた。
「人の飯の邪魔しに来たのかよ」
ウザいなぁ。眉間に深いシワを刻んだままグラスの酒を口に含む。
「いや、話をしに来ただけだ」
「俺は別に話なんかないから」
だからとっとと帰れ、とでも言うように出口の方へ顎をしゃくった。掴み掛かろうとした兵士の一人をさっきから偉そうに話している男が片手で制した。
「お前にはなくてもこっちにはあるんだよ」
「だったら手短に言え。他のお客さんに迷惑だ」
苛立ちを隠さないところが凄い。話したくない事は勿論だけど、食事の邪魔をされた事が純粋に気に入らないのだろう。それでも周りに配慮するくらいの気遣いが出来る事にちょっと安心した。店の中でさっきみたいな大立ち回りをされたら堪らない。
「さっき、俺らの仲間がお前のところに挨拶に来たろ?」
「挨拶にしちゃ随分物騒だったけどな。もう少し教育しとけよ」
「生憎だが、それは出来ん相談だな」
男の顔から表情が消えた。ウォッカは面倒臭そうに溜め息を吐いただけだった。見ているこっちがハラハラする。
「全員綺麗にくたばってる」
「手加減はしたぜ」
「完全に息の根止めといて加減もクソもねえだろ」
取り巻きの一人が口汚く毒づいた。
一瞬心臓が止まりそうになった。息の根が止まったって事は、全員死んだ、いや殺したって事? 確かにそれだけの力がウォッカにはある。そう思ったら怖くなって来た。助けてくれた事は確かだし命の恩人だけど、人を難なく殺せるだけのものをウォッカは持っている。それが単純に恐ろしかった。そして、本当に殺しているとしたら。歯がぶつかる硬い音が聞こえる。肌がまた粟立ち始めていた。
ウォッカの目が僅かに細くなった。
「で、死因は?」
「どうしてお前にそれを話す必要がある?」
ウォッカが露骨に鼻で笑った。隣にいる父も流石に顔色を無くした。
「死体の検証も現場の検分もしてないのかよ?」
「お前に説明する必要はないと言っただけだが」
「死んだ事と殺された事は違うだろ。死んでたからって即俺が殺した事になるのか?」
グラスに中途半端に残っていた酒を飲み干すと、小馬鹿にするように肩を竦めた。
「短絡的過ぎて話にもならねぇな」
今度は仕切っていた男の顔色が変わった。徐々に赤みが増して来ている。
「仮に俺が殺したとしても、丸腰の人間相手に問答無用で斬りかかって来たのはそっちだからな、正当防衛成立だろ。それを殺そうとした相手にこうしてご丁寧に聞きに来るなんて余程面の皮が厚くなきゃ出来ねえけどなあ」
専門的な法律の知識がなくても、それくらいなら子供でも判る。自分から一方的に喧嘩を吹っ掛けて来ておいてこんな事を言ってくる事自体、既におかしいのだ。気付けば奴らを見るお客さんを含めた全員の視線が針のように細い。それ以上に鋭い。カティだったらこんな針のムシロの中には一秒だっていたくない。いやいられない。全うな感覚があれば。それを、こんな風に真っ正面から堂々と言ってくる神経が信じられない。とっとと帰れよ。ウォッカでなくてもそう言いたくなる。
「で、死んでた事は間違いないんだな」
「ああ、そうだ」
「致命傷は?」
「詳しく調べてみなきゃ判らんが、鈍器で殴られたような傷の他に刀創があった」
「どれも急所にな」
横から一言付け加えた兵士が例によって睨まれた。
「へぇ」
初めてウォッカの顔色が変わった。驚いたと言うより、興味をそそられたような反応だった。背後にいる父を見る。案の定何か考え事でもするように顔をしかめていた。そうだよ、そんなの絶対におかしい。
「十五人は死んで、一人は行方知れずだ。全部手前の仕業なんだろ」
「どうしても俺を犯人にしたいんだな」
やってられないとでも言うようにウォッカは首を横に振った。うんざりと言うより、面倒臭そうに頭を掻く。
「とっとと帰れと言いたいところだが、お前らも手ぶらじゃ無理だよな。でも俺もそっちの要求に従う気はない。だからここは一つ俺と勝負して解決するってのはどうだ?」
仕切っている男は顔をしかめて露骨に舌打ちした。
「勝負?」
「俺が買ったらそちらさんは黙って帰る。負けたらどんな話をいくら聞いてくれてもいい。事実を包み隠さず有りのまま話してやるよ。今話しても何ら問題ないが、どうせあんたら信じないだろ?」
男はしばらく顔をしかめたまま何か考えるようにして黙っていたが、疑り深そうにウォッカを睨み付けるとようやく口を開いた。
「で、具体的に何をする?」
「力は一切使わない。肝臓が強けれりゃ誰にだって出来る」
隣に立っている父とイリナが鼻を歪めて苦笑いしている。どうしてそんな顔をするのか、考えるまでもなかった。
「酒、持って来てもらっていいですか?」




