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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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二日目 その四

 砂が風で流れるような乾いた音を立てて米が布袋の中に吸い込まれて行く。キッチリ三貫目の米が入った事を確認すると、イリナは袋の口を力一杯結んだ。

「これで最後だ」

「ありがと」

 米屋の店主は苦笑いしながら頬を掻いている。思わずイリナもそれに同調したくなった。米が三貫目入った袋を片腕で一袋ずつ抱えて立ち上がる。合計六貫目だが、差して問題はない。むしろ体を鍛えるには少し物足りないくらいだ。かと言ってここで調子に乗ってもう一袋足して中身をぶちまけでもしたらあまり洒落にならない。

 腕だけでなく、腹筋に力を込めて全身を支えながら一歩一歩前に進む。既に馬車の荷台にいた父が手を伸ばして袋を受け取る。

「これで終わりだな」

「ええ」

 荷台には既に酒瓶や野菜、肉や魚などが所狭しと並べれている。スペースに余裕は殆ど残されていない。空いている箇所に無理矢理押し込めるしかない。

「それにしてもまあ、凄まじい量だな」

 荷台を覗き込んだ米屋の店主は感心したように頻りに頷いている。

 一般家庭ならそれこそ数ヶ月分に相当する量だ。それ自体は差して驚くには値しない。まとめて買う時だってある。本当の意味で恐ろしいのは、これが何日持つのか判らない事だ。流石に二、三日で姿を消す事はないだろうが、一週間持つ保証はない。ウォッカがどれだけ滞在する事になるかは判らないが、そのせいで余計に身構えてしまう。考えるまでもなく、もう少し少なめにする事も出来た。勿論理由はある。

「買い出しに行く手間も馬鹿にならないからな」

 八百屋で買った野菜を荷台に積みながら、父はうんざりするように言った。

「少ない回数で澄むならそれに越した事はないだろ」

 昨日、日が暮れる前にも父は買い出しに行っているのだ。まさかまた翌朝来る事になろうなどとはついぞ考えなかったに違いない。口から出た溜め息の重みが違う。

「大は小を兼ねる、ね」

「備えあれば憂いなしとも言えるな」

 この場合は。父は短く言い添えた。それも一理ある。それに一人で団体客並みの量を平気で平らげる程の胃袋の持ち主だけど、客は彼だけではない。当たり前の事だがそれをすっかり失念していた。更に言えば客はウォッカ含めそれ以外にも大勢いるが、ここにある食材を食べるのは何も客だけではない。

 随分陽も高くなって来た。肌を焼く日差しが暑い。体温の上昇に比例するようにして、空腹がゆっくりと、でも確実にその鎌首をもたげて来ていた。ああ、お腹空いた。でも、お昼ご飯を外で済ませてから帰るという選択肢はまずない。今朝方チラッと話にも上ったけど、家では母が一人で待っているのだ。いつまでも油を売っている訳には行かない。

「行くか」

 勘定を済ませた父が手綱を軽く振り上げた。一度高い声で嘶いたラストルは荷台を引いて走り出す。

「やっと終わったわね」

「ああ」

 心なしか、声が少し疲れているように聞こえた。いや、実際イリナも結構疲れている。まさかここまで時間がかかるとは思わなかった。振り返って幌の中を改めて見回す。買ってみて改めて感じた事だが、正直これほどまでの量になるとは思わなかった。それを可能にするだけの予算があった事も驚きだ。その大半がウォッカの懐から供給されている点を考えても、さしずめ出たものが食材と酒に姿を変えて戻って来たと言ったところか。それにしても、どうしてここまでの大金を所持しているのだろう。地味に気になる。

「帰ったら丁度昼飯の支度が出来てる頃かな」

 とは言っても、それも当然客の入り方次第で大きく左右される。団体客に立て続けに来られでもしない限り潰れるような事はまずないと思うけど、いつまでも放っておくような真似も出来ない。手綱を握る手にも力がこもると言うものだ。

 荷台が種々雑多な食材で埋め尽くされているおかげで割れ物を支える必要がなくなった事は細やかながら有り難かった。さっきまでは体を張って抑えていたけど、今は周りを米や野菜が隙間なく埋め尽くしている。だからこうして父の隣でのんびり手綱を引いていられる。正直あの姿勢は結構しんどかった。これから呑む酒が台無しになったらと思うと気が気ではなかった。と言うのは冗談にしても、支える姿勢云々よりも割らないようにと言う精神的なプレッシャーの方が大きかった。やっぱり割りたくなかった、絶対に。隣にいる父を横目で伺う。頬を掌の上に載せたまま、まんじりともせずに正面を睨んでいる。目付きがあまり穏やかではない。出そうな大を懸命に堪えているようにも見える。脂汗が混じれば完璧だが、まだそこまで切羽詰まっていないのだろう。

釣られて前を、いや周囲を見る。畑から一旦自宅に戻って食事をするのか、鍬や鋤を担いで歩く人、平手で顔をパタパタ扇ぎながら買い物袋をぶら下げている婦人もいる。あと三時間もすれば学校帰りの子供達で賑わうだろう。その中で、時折見たくもない顔が混じる。一人や二人ではない。路地裏から顔を覗かせたかと思えばすぐに引っ込む者、不躾に人の家の中を覗く恥知らずもいる。どうしてそんな事をするのか判らない。

 今に始まった訳ではない。こんな状態が今朝からずっと続いている。街中であいつらを見かける事自体は別に珍しくも何ともないが、角を曲がる度に品のない顔を見せつけられたら流石に気分も悪くなる。出来るならば今この瞬間にでも二、三発は殴っておきたいが現実はそれを許してくれない。いつかそんな日が来てくれると信じている。かなり本気で。

 今度はイリナがうんざりと溜め息を吐いた。

「目障りで仕方ないわね」

「何がだ?」

 露骨に顔が歪んだのがハッキリと判った。どうしてそんな判り切った事を聞くのか。眉間にシワを寄せたまま隣を見ると父は相変わらず澄ました顔をして前を見ていた。今度はまた違った意味で眉根が寄った。

「どうして真っ昼間からこんなにあいつらがうろついてんのよ」

「気付いたか」

 顔の角度は変えず、父は目だけで一瞬こちらを見るとすぐ前に視線を戻した。雰囲気こそ普段とさほど変わらないけど、声がいつもより少し硬い。緊張しているのではない。明らかに警戒していた。あいつらが訳もなく昼日中からこんなに大勢でうろつく理由がない。仮にあったとしても、イリナ達外野の人間にはそれが見当たらない。更に言えば、一人ひとりに出歩く用があって互いに偶々居合わせたなんて事はまず有り得ない。自分の意思ではなく誰かの指示を受けて動いていると考える方が自然だった。奴らが組織の中で誰かに命じられる事はあっても指図する事などまず出来ない。そういう立場にないから、こうして外に駆り出されている。要は下っ端だ。

 だとすると、どうしても気になる事がある。

「あいつら、何してるのかしらね」

 明確な目的があるからこそ、こうして真っ昼間から街をうろつく。何故そんな事をする必要があるのか。知っておきたかった。

「イリナの目にはどう映る?」

「何かを、いや誰かを探してるように見える」

「どうして?」

 聞き返した父に、イリナは視界の隅に映ったあいつらを思い切り睨み付けながら言った。

「そうでなきゃ、露骨に他人様の家を覗き込んだりなんかしないでしょ」

「成程、確かにそれはあるかもな」

 父は納得したように何度か頷いた。

「でも、そうだとしたら誰を探してるんだ?」

 返す言葉に詰まる。思い当たる節がない訳ではない。だが積極的に口にするのは憚られた。

「やっぱり、ウォッカかしら」

 名前を吐き出した瞬間、何ともない言えない後味の悪さが口の中に充満した。ウォッカが既にあいつらから目をつけられているのはまず間違いないだろうが、それを認めてしまったようで堪らなく嫌だった。奴らにウォッカを売ってしまったような気がする。

「可能性としてはそれも考えられるな」

含みのある言い方だった。裏を返せば可能性の一つに過ぎない、と言う事か。それとも他の見方があるのか。

「でも、彼が家に宿泊してるのは奴らも既に把握してる。ならばわざわざ人と時間を割いて探したりするのは不自然じゃないかな」

 その通りだった。居所がハッキリしているのだからそもそも探す必要がない。家にいる時に来れば間違いなくに会える。少なくともイリナだったらそうする。それが一番手っ取り早くて確実だから。

「それか、ウォッカが既に家を引き払ったと仮定して探してるのかも」

「居場所が割れてたらいつ奴らに襲われるか判らないからな」

 姿を眩ませば襲われる危険性は減る。この街の何処かにいる事が間違いないならこうした人海戦術で捜索に当たるのも判らないではない。実際はまだ家にいるが。でも、やっぱり釈然としない。仮にそうするならば現状を確認してから行動に移すべきだろう。今やっている事が完全な無駄骨になる。それすら判らなかったら、と思うと心底うんざりする。そんな事にさえ頭が回らない連中に好き勝手やられていたとしたら、悔しいのを通り越して涙すら出ない。

「彼は、今どの辺りにいるんだろうなあ」

 父が思い出したように言った。何処かで会えるかなと思っていたけど、実際は影も形もなかった。見かけたという話すら聞かなかった。ウォッカについてあれこれ聞かれはしたけど、肝心の本人は霧にでも隠れたように綺麗に姿を眩ましていた。街の住人からすれば他所の土地から人が来るなど本当に久し振りだし、あれだけ派手な事をすれば目立たない訳がない。皆一様にウォッカの事を聞いて来た。知りたくて堪らないのだろう。まあ、気持ちは判らなくもない。イリナにしても、ウォッカに聞きたい事はまだまだ沢山ある。

「まだ学校にいるとか」

「流石にそれはないだろ。あるとしたら、学校からこっちに向かってる最中ってところか」

 仮に父の推論が事実だとしたら結構な時間を学校で過ごした事になる。仮定の中で話を進めても全く意味がないが。

 奴らがウォッカの正確な足取りを掴むつもりだったら朝から店を張っていればそれで全て済んだ話だ。探して歩くなど徒労以外の何物でもない。

 だとしたら。あいつらは何を、いや誰を探しているのか。理由が判らないから尚更不気味だった。イリナ達が知らない何処かで何かが確実に蠢き始めている。それがこちらに何の関わりもなければいいが、そうでない保証など何処にもない。昨日のように露骨に因縁を吹っ掛けて来たら。そう思うとあまり穏やかではない。早い話、あいつらが居座り続ける限りこの街に安息はないのだ。

 考えてたら腹が立ってきた。と思ったらすぐ目の前を馬鹿二人が足早に横切った。接触には到らないが、それでもビックリする事は確かだった。怒鳴り付ける代わりに思い切り睨み付けてやった。ホントに邪魔だ、こいつら。

「何をしてるのか、見当はつく?」

「確かにイリナが指摘する通り何かを探してるってのは案外核心を突いてるかもな」

 手綱を握る手に時折力を込めながら父は言った。相変わらず視線は正面に向けたままだ。

「確かに何かを、いや誰かを探してるように見えるな」

「誰かしら」

 父は気の抜けたような顔をして溜め息を吐いた。

「それが判ってたらそもそもこんな事は最初から聞かないだろ」

「そんな身も蓋もない事言わないでよ。最初から判らない事だらけなんだから」

 馬車は街の中心部から徐々に外れつつあった。この分ならあと二十分もすれば家に着く。それまでにこの答えが出せるかはかなり微妙だが。

 でも、別に焦って答えを出す必要など何処にもない。気になるだけだ。でも昨日の今日だけに気になって仕方がない。いや、胸騒ぎがすると言った方が正確だった。どうも落ち着かない。

 奴らは何を、いや誰をどんな目的で探しているのか。誰かが街に忍び込んで隠れているのだとすればその人物を目撃した、或いは匿っている人間を探しているのか。何かか誰かを探しているというのも奴らの挙動からこちらが勝手に推測しただけであって、実際は全く見当外れなのかも知れない。その可能性も大いに有り得るのだ。

考えれば考えるほど判らなくなって来る。こんな事を考える事自体がそもそも間違っているのか。

 取り越し苦労だよ。父がそう言って肩でも叩いてくれれば多少は気も紛れたのかも知れない。父は相変わらず怖い顔をして正面を睨んだままだった。

「少し急ごう」

 父は軽く手綱を振り上げるとラストルの背を叩いた。頬に当たる風が少しだけ強まる。

「ライザも待ち侘びてるだろ」

 上下に揺れ始めた荷台で、父は少し強めに歯を食い縛った。迂闊に口を開くと舌を噛みかねない。イリナもむっつりとしたまま前を向いた。

 時折吹く風が髪を揺らす。雲の隙間から差し込む光はまだ四月だと言うのに結構な強さだった。季節外れと言ってもいいくらいだ。悩み事も考え事もなければ気持ち穏やかに過ごせたと思うと余計に気分が悪くなる。幸い明日は休みだし、せめてその憂さを酒で晴らすか。呑む相手なら父や母以外にもあいつがいる。何を話そうと決めている訳でもないのに、そもそもあいつと呑む約束など交わしてもいないのに、いつの間にかイリナの中では立派な既成事実になっていた。それに気付いてちょっと驚く。こんなに図々しくはなかったはずだ。もっとも勝手に思い込んでいただけだから何の問題もないのだが。それに何の前触れも無しにウォッカを誘ったとしてもあっさり頷かれて終わりだろう。延々と一人で飲み続けるよりかはいくらか退屈も凌げれば有り難い。

 胸の中のモヤモヤが大きくなると、それに比例して夜の酒が余計楽しみになる。もうすっかり呑んべえだった。まだ十九になったばかりなのに。酒を教えた張本人は、さっきから隣で殆ど身動きもせず手綱を握ったまま飽きもせず前を睨んでいる。やっぱり穏やかとは言い難い表情だった。

「腹減ったな」

 父が唐突に言った。それまでずっと黙っていたから驚くを通り越して心臓に悪い。

「ビックリした。突然口開かないでよ」

 一瞬父の目が糸のように細くなった。すぐさま前を向く。不貞腐れているのは一目瞭然だった。言葉が悪かったのは認めるけど、それでももう少しまともな反応は出来ないものか。これではそこらを駆け回っている子供と何ら変わらない。

「帰ったら何か適当に作るわ」

 荷台の中を覗き込みながらイリナは言った。これだけ食材があるのだ、贅沢さえ言わなければ大概のものを用意出来る。身内で食べるものにそこまで予算は回せない。

 手綱が振り上げられた。馬車の速度がまた少し上がった。


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