六日目 その拾八
「忌人には帰死人や黄泉人を滅ぼす明確な存在理由がある。でも奴らの殲滅に関して与えられたものはそれだけだ」
ヨハンとトージは首を傾げている。言葉の意味を吟味しているのか、リーゼルとセージは不格好に顔を歪めたまま宙を睨んでいた。イマイチピンと来ない。
「摂理を狂わせた奴らの存在は明らかな誤りだけど、それを滅ぼす忌人にも正義は存在しないって事だよ」
「全然意味が判らないわ」
考えるのも億劫だった。理屈をこねくり回した禅問答より遥かに質が悪い。
「理由はどうあれ、殺している事に変わりはない。そこに正義なんか見出だすべきじゃないし、下手にそんな事をすれば何れ歪みが生じる」
「そういうもの、なんですか?」
アリスが首を捻ったまま頬を掻いている。
反応は素直だけど到底理解するには及んでいない。それ故に素直なだけだ。
「何て言えばいいかな」
音を立てて頭を掻き毟るとウォッカは天井を仰いだ。
「最初の黄泉人は死んだ家族を生き返らせるために生術を負の方向に作用させて摂理を覆した。ここまではいいかな?」
アリスは子供のように頷いた。思わず頭を撫でたくなる。
「そうだな。例えば偶々知り合った子がいて、その子と物凄く仲が良くなって互いにいい友達になりました」
「うんうん」
嬉しそうに笑っている。実際そういう友達は何人もいるし、本人も想像しやすいのだろう。
「でも何年か経ったある日、とんでもない事が判りました」
子供にお伽噺を読み聞かせるように穏やかだった表情と口調が僅かに翳りを帯びた。
「その親友は人の血肉を喰らわなければ生きていけない化け物、いや帰死人でした」
胸にナイフを突き立てられたような錯覚に陥った。冗談抜きで呼吸が止まった。
「そしてその子の両親は黄泉人でした」
ウォッカは飽くまで淡々と言葉を紡ぐ。それが不気味さにより一層拍車をかけていた。
「仮にアリスが忌人だとして、師から彼らを殺すように命令されたら、」
言葉を区切ると射抜くような目でアリスを見る。妹の肩が、全身が強張ったのがハッキリと判った。
「それを行動に移せるかい?」
アリスの顔が一瞬で青褪めた。震え始めた唇を手で覆う。
「黄泉人や帰死人を消し去る力を与えられていたとしても、正義のために親友の家族を殺した、胸を張ってそう言えるかな」
微かに息を呑む音が聞こえた。それはすぐに嗚咽に変わった。
声を上げるまでもなかった。ウォッカが詫びるように顔の前に真っ直ぐ手を立てている。
「ごめんな」
本当に申し訳なさそうに頭を下げる。睨むと降参するように両手を上げた。
「少し例えが悪すぎた」
「少しどころじゃないわよ」
大いに悪い。しかもただでさえ神経質になっている今に聞かせるような話ではない。
でも、言わんとしたい事の輪郭は朧気ながらに見えて来た、気がする。まだモヤがかかっていてハッキリとは見えないけど。
「どんな理由があろうと元々人間だった化け物を殺してる事に変わりはないからな、やってる事はただの人殺しだよ」
「人殺しって……」
でも、人の命を犠牲にしなければ生きられない化け物だ。その化け物を排除する事が忌人の存在意義だと言っていたばかりなのに、どうして忌人自らがそれを反故にするような事を言うのだろう。
「どんな崇高な理想や目的を掲げていたとしても、それが行動を正当化する理由にはならない」
「たとえ化け物を殺すためであっても、か?」
「それは今話した通りだよ。化け物だろうが人間だろうが殺せばそこで終わりだ。殺した事実も覆らない」
今度はヨハンが髪を掻き毟った。顰めっ面でウォッカを睨む。
「言ってる意味がサッパリ判らねえよ」
「世の中に絶対的な誤りや過ちはある。それも正すものもあるけど飽くまで概念だけだ、少なくとも忌人にとってはな」
「それは違うと思うな。忌人は排除するための力を与えられてる」
誰もがヨハンを見た。珍しく的を射た指摘だった。
「忌人が持っているのは目的を果たすための手段であって絶対に正義なんかじゃない。そんなものはそもそも必要ないんだよ」
「どうして?」
納得なんて出来る訳がない。自分自身の力を、存在を否定しているようにしか聞こえない。
「忌人に与えられているのは黄泉人や帰死人を排除するっていう目的だけだ、それ以外はない。正義なんてものは精々内に秘める程度のもので振りかざすべきものではない。忌人は師から最初にそう教わる」
「取り扱い注意、そういう事?」
ウォッカは黙って頷いた。目が笑っていない。
黄泉人、そして帰死人に限らず誰であっても跡形もなく消し去れる力を与えられている。当然、普通の人間を殺す事など何の造作もないハズだ。
「与えられた力をどう使うかは個人の自由、なんて事には絶対にならない」
背筋がゾッとした。傷を癒すだけではない。矛盾しているようにも思えるけど、人を消し去る力も同時に与えられているのだ。それが暴走するような事があったら。そこまでには到らなくてもその力が個人の恣意で行使されたら。
「殺す行為に端から正義なんてものはないし、誤りや過ちと違って絶対的な正義も存在しない。で、場合に依っては目的の数だけ正義が生まれる事になる。都合に応じて便宜的に正義が作られたとしたら、その度に血が流れるような事になったら、」
握り締めた拳をウォッカは半分だけ閉じた目で睨み付けた。
「忌人も、黄泉人や帰死人と同じ化け物に成り下がる」
呟いた言葉が酷く自虐的に聞こえた。
息が詰まっても、首を切り落とされても血が尽きなければ生きていられる。そして摂理を覆した化け物を祓う力こそ与えられているけど、使い方次第では毒にもなる。それも人を一瞬で消し去るような劇薬だ。力ではなく彼らの、忌人の存在そのものが大きな歪みをもたらす事にもなりかねない。そう、ただの化け物だ。
でも、だとしたら。
「ねえ」
テーブルに視線を落としたまま言った。一瞬だけウォッカを見る。潤んだ目が微かに笑っていた。
「じゃ、結局忌人って何なのよ」
確かに人とは言い難い。でも忌人を、ウォッカを化け物を祓うために生み出された化け物、とは思いたくなかった。生み出されるに至った発端から現在までの経緯までは大まかに理解出来たけど、一番肝心な部分が未だに見えていない。
ウォッカは少しだけ尖らせた唇から殊更ゆっくりと息を吐き出した。目尻が窓から差し込んでいる朝日を受けて僅かに光っている。
「さっきの詩、まだ覚えてるよな?」
僅かに潤んだ目がこちらを見た。
ぎこちなく頷く。あんな不気味な詩、忘れたくても忘れられるようなものではない。でも細かな部分は酷く曖昧だった。
「あれがほぼ全てなんだよ」
隣にいた妹三人と顔を見合わせる。おっかなびっくり肩や首を竦めていた。無理もない。
「あれがほぼ全てって……」
内容は漠然と覚えているけどそれが忌人に対して抱いている印象と上手く重ならない。化け物なんかじゃない、判る事と言えば精々それくらいだった。
理解に到っていない事に雰囲気から気付いたのか、ウォッカは伸ばしたと思った背筋を背凭れに押し付けた。吐く息に合わせるようにして全身から力を抜いていく。
「首を切り落とされても生きてるのは判ったから取り敢えず割愛していい」
ヨハンが釘を刺すと今度はウォッカが首を竦めた。積極的に聞きたくなるような類いの話ではない。それにようやく気付いたのかも知れない。
「……首落ちて、尚も昂る影一つ。これは、つまり血沸き肉躍ってて前後不覚の状態に近い、って事かな」
「尋常でないくらいの興奮状態にある、ってところだな。最低限誰が敵か、って事くらいは認識出来るけど……」
どうしてそこで中途半端に言葉が途切れるのか。気になるから止めて欲しい。ウォッカは口ごもるように顎を掻いている。
「未熟だったり無駄に血の気が多かったりするような奴だったら、敵でなくても味方が止めに入ったりしたらそいつも殴るだろうな」
間違いなく。
末尾に余計な言葉を付け加えるな。推測なのか断言しているのか判らない。
でもそうなる、見境なく襲いかかる事も大いに考えられるのだ。そうなると感情の制御が失われていなくても忌み人の存在そのものが諸刃の剣だ。完璧に制御出来ていればこれ以上頼もしい味方もいない。でも一度力の制御が、理性が失われたら一瞬にして崩壊する。
危険すぎて近付きたくない。そうか、だから……。
「ただ、この詩で詠まれている忌人は肉体的な能力はほぼ完璧に近い水準で備えてる。血が暴走するような事はまず起こらない」
みんな一斉に顔を見合わせた。言い切るからには何処かにその根拠があるハズだ。
「どうして?」
「首を切り落とされても生きてるからだよ」
瞬時に背筋が凍りついた。
首を切断されていても尚嗤えるくらいの余裕があるのだ。そして敵を完全に絶命させるために襲いかかる。闘争本能も、そして生命力も完全に常軌を逸している。
「切断された首を瞬時に修復出来る程度の能力も備えてる。そうでなければ戦闘を継続出来る訳がないからな」
アッサリ言わないで欲しい。レンが思い切り口を両手で押さえた。
沸騰した胃液が今にも口から溢れ出しそうだった。
「あなたにも、出来るの?」
「将来的にそこまで出来るようになれば理想だよ。血を継いで高々数年のヒヨッ子には逆立ちしたって不可能な芸当だな」
街一つを跡形もなく消し去る程の力を持っていても、それでもまだ修行中の身なのだ。上には上がいるとは言うけど、キリがないように見える青天井すら容易く突き抜けるくらいの力が忌人にはある。それを以て死を覆した化け物を葬り去る。
それが彼らに課せられた使命だった。
「今のお前でも、一撃で奴らを殺すのは……」
「帰死人も黄泉人もまだ実際に相手にした事がないから何とも言えないけど、相当難しいだろうな」
例の詩に出て来る忌人はそれを容易く実行している。ひょっとしたら多少の誇張くらいならあるかも知れないけど、それでも見習いに近いウォッカとは雲泥の差がある事は疑いようもない。
「攻守共にほぼ完璧に近い。首を落とされたのは余程の不覚を取ったか或いは油断を誘うたもの戦術か、」
ウォッカはそこで言葉を区切った。うんざりしたように溜め息を吐く。尖った髪を乱暴に掻き毟った。
「何れにしても、俺なんかまだ遠く及ばない」
気付けば、真冬の夜明けのように体が芯から冷え切っていた。既に人の理解を、人智を超えている。
「ウォッカ」
「ん?」
「今完璧に近いって言ったよな?」
「ああ」
ヨハンの目が僅かに細くなった。睨んでいるとしか思えない目でウォッカを見る。
「それだけの力や技術を持っていてもまだ足りないものがある、そういう事だよな?」
「俺も気になってた事がある」
弟の後を継ぐようにリーゼルが右腕を直角に曲げた。
出鼻を挫かれた事に対する抗議なのか、ヨハンは今度こそ兄を睨んだ。
「その詩の中の最後の一説で、敵を全滅させた忌人が骸を抱いて涙を落としてるってのがあったよな」
「はい」
懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。内容があまりにぶっ飛んでいたせいで印象には残っていても記憶として明確な形は持っていない。
「兵器としては完璧でも忌人としてはまだ不十分だった、早い話がそういう事です」
「もう少し具体的に話せよ」
ヨハンがウォッカを射抜くような目で見た。
同感だった。この男にしては言い回しが抽象的過ぎる。
ウォッカは親指を立てると胸を何度か突いて見せた。
「肉体的には完璧でも、精神的にはまだ未熟な部分が残ってる」
吐き出そうとした疑問の言葉は抵抗する間もなく喉の奥に吸い込まれた。ある意味で忌人に最も重要なものが明らかに欠けている。
「この戦の中で、彼は恐らく仲間を失っています」
静かだけどよく通る声だった。
誰も、何も口を利かなかった。ホンの僅かな間、静寂が食堂を満たした。
「強靭な肉体を得られても、それを更に鍛え抜く事は出来ても、仲間をなくした哀しみに耐える事は出来なかった」
仲間に死なれた事実を受け入れる事が出来なかった、それ故の涙だった。どんなに強くても鍛えられない部分は厳然とある。それを思い知らされた気がした。
「それだけじゃねえよな」
師匠が重苦しい声で言った。
「なくした仲間を、死体をそのままには出来ない」
「そうです」
氷の塊で胸を押し潰されたような錯覚に陥った。そんな当たり前みたいな顔でアッサリ応えないで欲しい。
「仲間であれ敵であれ、死体を放置するような真似は絶対に許されません」
そうだ。忌人が生み出された最大の理由がそこにあると言っても過言ではない。死体の処理を誤れば確実に敵を増やす事になる。
「仲間だからこそ、確実に灰に変える必要があります。その後、戦場で敵として再会しないようにするためにも」
ただ死なれる事が、別れが辛くて泣いていたとは思えなかった。たとえ仲間であっても、そうではない、仲間だからこそ完全な形を以て別れを告げなければならない。それに耐え切れなかった、それ故の涙ではないのだろうか。
人のままではいられなかった。命を、家族や仲間を守るために敵の力を複製し、自らに取り込まざるを得なかった。そうして少しずつ人から遠ざかっていった。姿形は人とは変わらなくても、中に流れているものは明らかに異質だった。
人と関わる事も、交わる事もあってはならない。誰からも忌み嫌われる人に非ざるもの、それが忌人なのだ。話を聞くだけなら確かに関わりたくはない。
でも、今目の前にいるのは人の三倍は食べて五倍は呑むただの大飯食らいの大酒呑みだ。時折多少暴れる事くらいはするものの飯と酒があれば至って人畜無害な暴れん坊だ。札付きの悪党でも獰猛な獣でもない。況してや絶対に化け物なんかではない。
「ウォッカさん」
父だった。肩の荷を下ろしたような、解放感に満ちた穏やかな顔で笑っている。
「今ここであなたを化け物扱いするような人は一人もいませんよ」
自身を、そして家族を救ってくれた恩人を化け物扱いする事など端から出来る訳がない。実に楽しそうにご飯を食べて、心の底から嬉しそうに酒を呑むちょっと世間ずれしているだけの大男だった。死から甦った化け物を祓う者としての、忌人としての義務を与えられていても、自分の弱さを知りながらも目を背けず向き合おうとしているウォッカは普通の人間以上に人間らしかった。むしろ、イリナ達家族を半殺しにしたあの男やこの街を昨夜まで牛耳っていたあいつらの方が遥かに化け物と呼ぶに相応しかった。あいつらは絶対に人間じゃない。
「有り難うございます」
半分俯けていた顔を上げるとウォッカはぎこちなく笑った。嬉しいには違いない。でもそれを素直に受け容れる事に明らかに抵抗を覚えている、そんな横顔だった。
「ホントにあんたって、無駄に堅苦しいわね」
解れかけていた顔が歪んだ、より正確には剥れた。こういう反応は本当に素直だった。正直年齢を疑う。
「どういう意味だよ」
「言葉の通りよ。もう少し肩の力抜いた方が楽になるんじゃない、って言ってるだけ」
釣り上がりかけていたウォッカの表情から力が抜けた。照れ臭いのとバツが悪いのを足して二で割ったような顔をすると音を立てて後ろ頭を掻いた。
「はいはいおっしゃる通りでございますよ」
仕方がないと言うより観念するように首を竦める。
張り詰めていた食堂の雰囲気がようやく少し解れた。
「飯食って酒呑んでりゃご機嫌なんだから」
「否定しない」
吹き出しそうになる音が、いや声がすぐ隣から聞こえた。カティが懸命に口を両手で押さえたまま肩を震わせている。
「あんまり真面目腐った顔は似合わない、前にもそんな事言わなかったっけ?」
「聞いた気はするな。いや間違いなく聞いてるか」
いつの事なのか咄嗟に思い出せなかったけど別に構わなかった。笑ってくれた方が嬉しい、それをこいつが理解してくれたのだから。
「ま、力は入れるより抜く方が遥かに難しいからな。修行の意味も込めてやってみるだけの価値はあるか」
「その発想が既に真面目腐ってるのよ」
力を抜こうにも元々が硬いからそもそもそこから外れる事が出来ない。それもこの男の硬さなのかも知れない。
「今父が言った事、私からもそのままお渡しするわ」
「ありがとう」
礼だけ言ったものの、まだいくらか戸惑っているようだった。
人とは明らかに異質な存在であり、それは本人も認めている通りだ。でも、本来関わるべきではない外野の人間から見ればウォッカは普通の人間以上に人間だった。人間ではないのではなく、少し特殊な力を備えた人間と言う方が余程相応しかった。
「ウォッカさんの事を化け物扱いするような人がいたら私がぶちのめしてやりますから」
アリスは笑顔で拳を握り締めた。父も母も微かに目尻を僅かに引き攣らせながら苦笑いしている。でも言わんとしたい事は、気持ちは変わらない。
「多少血の気が多いところは否めないけどな」
売られた喧嘩は全て買い、殴る蹴るする事にも差して躊躇いは覚えない。執拗に痛めつけるような真似は滅多にしないけど、必要とあらば骨の数本は顔色一つ変えず粉微塵に粉砕する。
ヨハンに指摘されるまでもなく、明らかに物騒だった。それでもこいつは、ウォッカはただの人間だ。絶対に化け物なんかじゃない。だから、せめて笑って欲しかった。神妙な顔も真面目腐った顔もこいつには似合わない。
腕を組むとふんぞり返るように椅子の背に背中を預けた。
「忌人って、本来は物凄く好戦的なんでしょ?」
「ああ」
「どれくらい?」
「三度の飯といい勝負、かな」
それと酒だ。やる事がなかったら一日中食うか呑むかしていてそれ以外何もしないような気さえする。実際そんな事はないだろうけど。
「でも普段は大人しく猫被ってるのよね?」
「猫は被ってないけど大人しくはしてる」
それもつもり止まりだ。正当防衛が成立する状況でも普通あそこまで見事に骨は折らない。食事を邪魔されて怒る気持ちは判るけど、あんな風に人を蹴り飛ばしたりしない。放物線を描くように放り投げる事なんか絶対に無理だ。それを別段躊躇う事もなく普通にやる。好戦的なのか暴力的なのか判らない。でも、自分から拳を振り上げるような真似は絶対にしない。こいつはそういう男だ。
「血が騒いだら収まりがつくまで暴れないと気が済まないからな」
椅子や机が壊れる程度ならまだしも、こいつらが暴れると普通に地形が変わる。街一つを瓦礫の山に変える事など造作もない。
だからそれを抑え込まなくてはならない。それ故の理性だ。
「確かに普通の人より食べるし呑むし一度火が点いたらそう簡単には消えないけど、だからって別にあなたが化け物なんて事は絶対にないし、誰もそんな風に思わない」
ウォッカは舌を噛んだ痛みを懸命に堪えるような顔で見えない誰かと睨めっこしていた。照れ臭いのかも知れない。見ている方が可笑しくなって来る。
「だから、精々野蛮人ってところじゃない?」
父は驚いたように目を丸くした。隣にいる母は苦笑いを無理矢理ごまかしているのか、目尻を微妙に痙攣させていた。
他にも言い様はあったと思う。でも咄嗟に上手い言葉が出て来なかった。何よりこの言い回しはウォッカにこそ相応しい、何故かそう思えた。
「野蛮人か」
独り言のように呟くと、ウォッカは古い記憶に思いを馳せるように少し遠い目で天井を見た。
「確かに誰がどう見ても穏やかにもおしとやかにも見えねえからなあ」
火にかけたお鍋の蓋が音を立てるようにしてウォッカの肩が震え始めた。程無くして笑い声が上がった。聞いている方が楽しくなるような声で一頻り笑うと目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「気に入ったよ」
悩み事を打ち明けた直後のようにスッキリとした顔をしていた。
「そういう顔の方があんたらしいわよ」
「そうかい」
不意に誰かの視線を感じた。カティが感謝するように笑っている。頭の天辺に手を載せるともっと嬉しそうな顔をした。
良かった、やっと笑ってくれた。沈んだ顔も浮かない表情も見たくはない。笑ってくれたらそれが何よりだった。
気付けばみんな笑っていた。父も母も、ミリアムもアリスもカティも、ヨハンやリーゼルは兎も角普段は不器用な師匠や親方さんまで肩を震わせていた。声を上げて笑うトージを見て、セージと司祭様が苦笑いしている。女将さんやレンもリスがクルミを食むような顔で笑っていた。
テーブルに肘を突いて笑っているウォッカは誰が見ても普通の人間そのものだった。




