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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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六日目 その拾七

「一ついいかな?」

 ウォッカに負けず劣らず真剣な眼差しでリーゼルが言った。明らかに違うのは硬さの中に奇妙な柔らかさがある事だ。

「どうしてもハッキリさせておきたい事がある」

「そんなに改まって聞く事なのかよ」

 リーゼルは横目で弟を窺うと疲れたように溜め息を吐いた。

「お前に言っても判らねえよ」

 ヨハンのこめかみに青筋が立った。挑発以外の何物でもないけど恐らくリーゼル本人にその意思はない。彼の言葉を借りるなら事実を指摘しているだけに過ぎない。

「何でそんな事が言えるんだよ。まだ聞いてもいねえじゃねえか」

「じゃ訊くが、生物が、一つの種が持つ本能って何だ?」

 一見当たり前のように聞こえるけど誰も即答しなかった。答えは判っているけど敢えてそれを口にしないのだ、雰囲気からそれが察せられた。勿論、判っていない人もいるだろうけど。

 ヨハンは腕を組んだ。低く唸り声を上げながら宙を睨む。

「食う事、かな。だから、生存本能か」

「確かに間違ってはいないな。だがそれは単一個体に限られた場合の話だ。俺が聞いてるのはその種全体に関わる問題なんだが、」

 判るか? 顔を覗き込んだ兄に弟は相変わらず唸ったまま首を傾げている。

「だからお前は馬鹿なんだよ」

 兄が無遠慮に吐き捨てると弟のこめかみに立っていた青筋が露骨に痙攣した。身内だけあって容赦がない。気持ちはよく判る、それこそ痛いくらいに。

「動物、植物、人間を問わず絶対に関わってる事だ、勿論忌人もな。唯一例外を挙げるとすれば、帰死人くらいのものかな」

 厳密に言うとそれも少し違う。帰死人は既に摂理から外れている存在だ。今リーゼルが言っている事は摂理に従う生物のみに当て嵌まる。

「花は雌しべが花粉を受粉して実をつける。実の中の種が発芽して新しい草や木が生える。ガキの頃に教わってるハズだけど、もう忘れたか?」

「覚えてるよ」

「だったら後は簡単だろ」

 本当に簡単そうに聞こえてしまうから困る。簡単ではないとまでは言わないけど、ある程度手掛かりになる材料が揃っていなければそこには行き着かない。

「単純な生存本能は備わっている、最低限な。でも忌人にあるのはそこまでだ」

 ウォッカは黙って頷いた。ヨハンに加えてトージも眉間にシワを刻んだまま宙を睨んでいた。

「つまり、忌人には他の生物と違って決定的に欠けているものがある、要はそういう事ですよね?」

 不出来な弟の代弁をするようにセージが殊更丁寧に念を押す。

「で、何が足りないんだ?」

「種の保存だよ」

 匙を投げた弟に、兄はいかにも仕方なさそうな態度で言った。弟は依然として焦点の定まらない目を宙に漂わせている。

 リーゼルは目を閉じると苦悩するように眉間に指を当てた。吐いた溜め息が微妙に重い。

「ここから先は正直話しづらいんだよなぁ……」

 でも忌人に対する興味がそれに勝ったのだろう。気不味そうに頭を掻きながらも何処か未練がましい目でウォッカを見ている。

「どうして話しづらいんですか?」

 ウォッカとリーゼルを見比べながらアリスが無邪気に言った。反応としては実に素直だけど、さっきのミリアムのそれとは意味合いがかなり違う。

「思春期の男はこういう話題で大いに盛り上がるんだけど」

 一般的には。何の衒いも躊躇いもなく言葉を補った。確かに、こういう感覚は見聞きした試しがない。

「ただ、お前は違うんだな?」

 ヨハンが念を押すとウォッカは至って普通に頷いた。

 既にアリスもカティも頬が赤みを帯び始めている。ミリアムに至ってはすっかり火照った顔を俯けてじっと床を見ていた。耳まで真っ赤だ。

「その、ウォッカが思春期真っ盛りの頃って具体的にどんな感じだったんだ?」

「所謂性的な話題に関しては全く興味を示さなかった、色恋沙汰も含めてな。それは基本的に今も変わらないけど」

「それはウォッカだけじゃなく、忌人はそういう性質と言うか傾向がある、そう理解していいんだよな?」

「ああ、全く以てその通りだ」

 ヨハンはウォッカから僅かに視線を外すと飛んでいる蚊を追うような目で視線を宙に這わせる。焦点の定まらない目をしたまま頭を掻いた。

 微妙な空気が食堂を満たしつつある。でもさっきまであった胸が押し潰されるような重苦しさはない。それどころか頬が知らず知らずのうちに震えて来る。気を抜いたらそれこそ弾けたように笑い出しそうだった。

「ウォッカ」

 緩んだ気持ちを引き締めるようにして声をかけた。いつも通りの少し眠そうな目がイリナを見る。さっきよりもいくらか、いや明らかに力が抜けていた。

「基本的に、って事はそれが当て嵌まらない人も中にはいるって事でしょ?」

「ああ」

 大多数は異性と一切関わらない。でもそれ以外の極少数は自分とは違う性と交わる。普通の人間がそうであるように。

「忌人は死ぬまで性欲が発現しないのが殆どだ。大抵が処女か童貞のままで生涯を終える、それが普通だ」

 気恥ずかしさを覚えているような気配は全くない。完全に真顔だった。聞いているこっちの方が恥ずかしくなる。

「つまり、何だその……そういうものに興味は湧かないのか」

「湧かないな」

「何か……見たいと思った事は?」

「一回もない」

 即答だった。全く迷いが、そして躊躇いがない。それを演じているようにも見えない。雑じり気なしの本心に違いなかった。

 ヨハンは目を点にしたまま微動だにしない。置物のように大人しく椅子に座っている。

「あの、突然変な事を言いますけど」

 アリスが遠慮がちに手を上げた。

「もし、もしですよ? 今私が裸になったとしても、やっぱり……」

 突然何を言い出すんだこの馬鹿は。いい年の女が恥じらい欠片もないような事を男の前で言うな。

 可笑しそうにと言うより仕方なさそうにウォッカは笑った。子供を相手にするような目で笑ったまま首を横に振る。

「一般的な男が見せるような反応は一切しないし性的な興奮も覚えない。目を背ける事くらいはするだろうけど」

 予想の範囲内だった返答にも関わらず、石膏で塗り固めたようにアリスの動きが止まった。だったら一体どんな返事を期待していたのだろう。

「自分の考えなり見解なりを勝手に一般化するのは非常に気が引けるけど、」

 こめかみを人差し指で突っつきながら顔をしかめた。そう言えば、言いづらい事を口にする時はいつもこんな顔をしている。

「男って性に対してかなり奔放と言うか開けっ広げと言うか、かなり単純な部分がある、と個人的に考えてるんだが」

 ウォッカはそこで周囲にいる男連中に視線を投げた。

 ミリアムを一瞬だけ盗み見ると、ヨハンは途端に顔を赤くして目を逸らした。全く、本当に見た目以上の純情野郎だ。昔から真面目で一本気なのはよく知っていたけど、胸の中にはそれ以上に硬くて真っ直ぐなものを持っている。融通が利かないのが玉にキズだけど、それがこいつの個性を物語っている。確かに、ヨハンになら安心して妹を預けられる。泣かせるような事があったらタダでは済まさないけど。

 それでもヨハンがセージやトージ、その他大勢の男子共々下ネタで大いに盛り上がっていた事はよく知っている。年頃の男なら真っ当な行動だし否定する気持ちもないから別に構わない。最低限の慎みさえ持ってくれれば別に文句は言わない。それくらいの理解はある。むしろ平然とされたらそちらの方が逆に困る。あの時がそうだったように。顔色も変えず、眉一つ動かさなかった。床に雑然と転がっている本を眺めるような目で見られたら、どういう顔をすればいいのか判らなくなってしまう。

「単純ってどういう意味だよ」

「取り敢えず、見たら勃つだろ?」

 さっきとは全く違う意味で食堂の空気が冷えた。同性同士の会話なら兎も角、異性の目の前で口にするような言葉ではない。ヨハンは両手で股間を押さえ付けると椅子に深々と腰を据えた。

 何で勃つんだ。

「そういう事は絶対にない」

 真夏に雪が降らない事を断言するより遥かに潔く自然な態度だった。当たり前だけど。少なくとも勃起を認めるような雰囲気はない。

 考えるまでもなかった。

 あの時、女の裸体を目にしてもウォッカは一切動じなかった。見えないように顔を背ける事はしていたけど、それもイリナを気遣った上での行動だ。本来男が持つべき性的な情動を抑えるものではない。そもそも興味がないのだ。

 話を振ったリーゼルの顔が僅かに引き攣っている。興味本意の質問だった事に変わりはないだろうけど、この反応は予想していなかったのかも知れない。

「何で?」

 ウォッカは二日酔いから来る頭痛を堪えるように右手で頭を抱えた。

「取り敢えず恋愛感情は抜きにして、そういう動物的な欲求の先には何がある?」

「何って……」

 そこで起こり得る何かを想像した途端、火が点いたように顔が熱くなった。ミリアムもアリスも、そしてカティも真っ赤に染まった顔を俯ける事も出来ずに呆然と宙に視線を泳がせていた。

 誰かが思い切り咳払いした。同じように顔を赤くした親方さんが口元に拳骨を宛がったままそっぽを向いていた。わざとらしいにも程がある。場の空気を変えるにしてももう少し違うやり方もあるだろうに。でも、そうでもしないと恥ずかしくて死にそうだった。その中でウォッカだけが両袖から通した糸で梁から吊るすように宙に浮いていた。

「そういう動物的な欲求、いや本能で交配する事は絶対に許されない」

 そりゃそうだ。流石にここまで来るとわざわざ考えるのも馬鹿らしかった。

「それで自身か相手が身籠るような事があれば、その子に力を授ける義務が生じる訳だからな」

 人を容易く殺める力を、摂理を覆した化け物をこの世から完全に消去する義務を与える事になる。生まれた子供の、そして伴侶の一生を大きく狂わせる事にもなりかねない。

「だから、忌人は遺伝子を介して力を授ける本能が作用する事は極端に稀なんだ。故に生涯伴侶は持たず飽くまで血を介して力を与える。自分とは深い部分で関わらない人間に」

 大切にしたい相手だからこそ、過酷な義務や責任を与える事を良しとはしない。だとすればそれは本能などではなく最早ただの親心だ。

「でもさ、」

 セージが拗ねた子供のような目でウォッカを見た。理解はしている。でも、同時に釈然としないものも感じているのだろう。

「それじゃ自分とは関わりのない誰かに重大な責任を課す事になる訳だろ? 授ける義務があるのは判るけどちょっと無責任な気もするな」

 至極真っ当な指摘だった。

 そこまで重大な責任を託すなら他人ではなく血縁のある者に授けるのが筋だろう。無関係な第三者を巻き込むのは道理に合わない。そう、客観的には。第三者にはそう思える。

「だから授ける相手は慎重に選ぶ。忌人の義務と責任を理解して、尚且つ力を受け継ぐ意思を確認出来ない限り力は授けない」

 ウォッカは肩から力を抜くとゆっくり溜め息を吐いた。

「帰死人や黄泉人の殲滅が俺達の存在意義の第一にあるけど、ある意味で難儀するのが後継者の選定らしい。血を継いだばかりの時はあまり実感が湧かなかったけど、」

 ウォッカは椅子の背に上体を反らすと何処か物憂げな目で天井を仰いだ。

「今になってようやくそれが少し判った気がする」

 単に力を振るい標的を排除するだけでなく、それを受け継いでいかなくてはならない。それが忌人に与えられた義務であり、同時に重大な責任でもある。そこから逃れる事は絶対に許されない。

「なあ」

 ウォッカはテーブルに肘を置くと声の主を見る。頬杖を突いた師匠が哀しそうな翳りのある目でウォッカを見遣った。

「遺伝ではなく血を介した力の伝承に重きが置かれる理由はよく判った。ただ、そうなると俺には酷く侘しく聞こえてならねえんだよな」

 僅かに目を見開いたのがイリナにも判った。アリスは言葉の意味合いを理解しようと努力しているのか、人差し指を眉間に突き立てて固く目を閉じている。

 一体何が侘しいのだろうか。

「忌人の力を繋いでいくだけならそれでもいい。それが責任として非常に大きな比重を占めている事は間違いないんだからな。でもそれだと役目としてはただの橋渡しに過ぎねえ、力を受け渡すだけのな」

「つまり、どういう事ですか?」

 声をかけた弟子に、リーゼルには目もくれず、師匠は射抜くように人差し指で真っ直ぐウォッカを指差した。

「力を渡す側の痕跡は一切残らねえ。だから侘しくねえのかなと思ってよ」

 少し疲れたようにリーゼルが溜め息を吐いた。小刻みに何度か軽く頷く。

「でも忌人の力は受け渡す訳だし、何が侘しいのか俺にはサッパリ……」

「お前は本当に思考力も想像力も乏しいな」

 不出来な弟を兄は横目で睨んだ。せめてもの抵抗なのか、ヨハンはリーゼルを睨み返す。

「それは忌人としての力を繋いでいるだけだろ。力を渡す側はただの器みたいなもんだ」

「だから、力を渡すだけの責任があるのに何でそれがただ器になっちまうんだよ?」

 はぁ、とやけに重苦しい、何よりわざとらしい溜め息が聞こえた。その意味が判りそうで判らない。

「渡す側の遺伝子は一切残らないからだよ」

 思わず息を呑んでいた。そうか、だから……。

「人間も動物も植物も、遺伝子を介してしか子孫を残せない。それが当たり前だし生物はそうやって単細胞生物から多細胞生物に進化して来た。様々な種に枝分かれしても交配に於ける基本的な概念は変わらない」

 ヨハンとトージは仲良く並んで腕を組んでいる。唸り声の音程まで一緒だ。そんな弟二人を兄はやたら疲れた目で見ている。

 誰と誰が兄弟なのか判らない。

「ただ忌人は遺伝とは明らかに違う手段で力だけを受け継いでいる。そういう意味では忌人もまた摂理を覆した存在と言えるのかも知れないな」

 言葉が出なかった。

 人の、生物の摂理を狂わせた化け物を消去する事を目的に生み出されたのが忌人だ。でも、その忌人ですら種の保存に際して生物としての摂理を失っていた。

 一体何の皮肉だろう。何が人と言う一つの種をここまで狂わせたのだろう。

「疑問に感じた事はねえのかい?」

「疑問、ですか」

 侘しいと言っていたのに、師匠の表情は随分と朗らかだった。手元に酒瓶があったら一杯勧めていたかも知れない。

「何故遺伝子を受け継いでいかないのか」

 難解な数学の問題を前にした学生のように顔をしかめると、ウォッカは後ろ頭をコリコリ掻いた。

「血を受け継ぐ事を決めた時、師からこう言われました」

 軽く握った拳に視線を落としたまま、ウォッカは静かに言った。

「執着を捨てろ、と」

「執着?」

 思わず眉を潜めていた。師匠も困ったような顔で眉間を指先で叩いている。

「良しにしろ悪しきにしろ、執着は自身の足枷になる。それを嵌めるも外すもお前次第。ないならそれに越した事はないが嵌めたならば後は上手く手懐けろ」

「つまり、ウォッカ自身の責任に於いて扱え、と」

「そういう事です」

 師匠は苦笑いしながら頭を掻いている。ウォッカも冗談が綺麗に滑った時のような気不味い表情で額に汗を浮かべていた。

「執着を捨てる事自体が既に不可能だな」

「それを前提にした上で釘を刺しているだけです、言うならばただの理想論ですよ。誰しも何かしら固執するものがなければ動けませんし、それが人を動かす原動力にもなります」

「確かにそういう側面もあるかな」

 完全に我を忘れて周りが見えなくなるのは流石にまずいけど、背中を押す起爆剤としての役割は充分に果たす。でもドツボに嵌まる事は許されない。一度ぬかるみに足を取られたら二度と脱け出せない、それがウォッカの言う処の執着なのだろう。

「ただ、そんな判り切った事をわざわざ伝えなくてはならないくらい忌人は精神的に不安定なんです。いや、脆弱と言い換えてもいいかな」

 心が何かに囚われるような事があれば、脆弱故に身動きが取れなくなる。次の一歩が踏み出せなくなる。それでいいハズがない。

「だから、最初にそれを聞かされた時はこれと言って疑問を感じる事はありませんでした。むしろ忌人にとっては至極当然に求められる姿勢だと、そう思っていました」

 ウォッカは半分俯かせていた顔を僅かに上げた。真っ直ぐな目で誰かを見る。

「でもここに、この街に来てそれが必ずしも正しい訳ではない事が初めて判った気がします」

 恥ずかしそうに、何より嬉しそうに頬を綻ばせている。年甲斐もなくこんなに無邪気な笑顔を人前で見せられる素直さが羨ましかった。

 感情を抑える、それが忌人に課せられている大きな義務のハズだ。そんな事などすっかり忘れてしまったかのように朗らかに、そして穏やかに笑っている。感情を抑制する必要がある事に変わりはない。そうでなければ、これだけ嬉しいならば狂喜乱舞していたとしてもそこまでおかしくはない。だから、そうならないように抑えている。でも感情そのものを押し殺すような真似はしない。飽くまで抑えるに留めている。

 忌人に限らず、完全に感情を殺せる人間がいたとしたら、彼は、或いは彼女は人と呼べるのだろうか。一体何が人を人足らしめるのか。

「忌人が恙無く無難に生きる手段として、大きく分けると二つあります」

 師匠は先を促すように右手を差し出した。ヨハンもリーゼルも、誰もが急く気持ちを抑えるようにしてウォッカを見ている。

「一つは感情を完全に殺す事。何が起きようが何をされようが一切関心を示さず目的のみを遂行する、簡単に言えば機械のように生きる、これが一つ。多少感情を表現する事はあってもそれに左右される事はありません」

「……ホントに、そんな奴いるのかよ」

 ヨハンは目尻を露骨に引き攣らせている。

 判ってはいたけど、頭の中で漠然と思い浮かべるのと当事者の口から直接聞くのとでは重みがまるで違う。

「忌人には元々帰死人及び黄泉人を消去する事、そして血を伝承していく事、役割として与えられているのはそれだけだ。それ以外に存在理由を見出だす事はしていない。役割を遂行するためだけに全てを懸けるならそれに越した事はないし、それ以外に目指したいものがあるなり見つけるなりしたら各々が勝手に追えばいい。一つの種として、個人の幸福の追求が目的になるような事は有り得ないとは言わないけどまずないな」

「まずないって……」

 絶句したヨハンの気持ちもよく判る。

「それじゃ、本当にただの渡し舟みたいなものじゃねえかよ!」

「極端な言い方をすればな。でもそれが忌人の存在意義の基本なんだ。力を継いだ本人がどうなろうがそれは別に重要でも何でもない。幸福を得るのは本人の勝手だけど、それをどうこうする前にやるべき事をやれ、それだけだよ」

「それだけなのかよ」

「ああ。それが忌人の目的だからな」

 言葉に一切迷いがない。ひょっとしたらいくらか釈然としないものを感じているかも知れないけど、こいつは忌人の存在意義も目的も綺麗に理解している。その上で忌人の力を利用して何かをしようとしている。理由がなければこんな力を得る必要も、人である事を棄てる意味もない。

「何か、酷く殺伐としてますね」

 言った先からミリアムは顔を俯かせた。

「別に自分自身の存在意義を見出だす事もなく、ただ淡々と力を繋いでいくだけなんて」

「それだけって事はないよ。それより優先される事があるってだけの話さ」

「その義務が重すぎるのよ」

 いつ爆発するかも判らない力を、感情を抑えながら日々鍛練を積み、人ではなくなった化け物を滅ぼす。それのみならず、化け物を打ち倒す力を確実に継いでいかなければならない。

 並大抵の覚悟ではまず務まらない。得るものも大きいけど背負うものも重すぎるし失なうものも多すぎる。何故こんな力を得たのだろう、これを使って何をしようと言うのだろう。


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