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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
102/139

六日目 その拾四

「カースラッドか」

「そうです」

 ほぼ即答に近い勢いだった。一切迷いがない。

 師匠はうんざりしたように唇を歪めるとゆっくり溜め息を吐いた。思い出したくもない、そんな顔をしていた。ひょっとしたら口にする事すらイヤなのかも知れない。

 見ると父も露骨に顔をしかめていた。親方さんは苦虫を噛み潰すと言うより思い切り舌を噛んだような顔で宙を睨んでいた。

 名前くらいならこれまで何度も聞いた事がある。でもいい評判を耳にした事は一度もない。

 半世紀前に近隣諸国に突如として宣戦布告し、世界を混乱の坩堝(るつぼ)に叩き落とした。全土統一戦争の震源地と言われているような国だ。カースラッドが敗戦国として終焉を迎えたのが今から二十年前、イリナはその翌年に生まれた。父は復員して真っ先に母を抱いたのだろう。母もそれを望んでいた。それに気恥ずかしさを覚えたのはもう随分前の事だ。でも恥ずかしがる必要なんて何処にもない。恐怖に抑圧された状態からようやく解放されたのだ、故郷で帰りを待っていた誰かの手を取る事も、その胸にそっと寄り掛かる事も、そして子を孕む事も全て自然な営みの中で育まれるものだ。だからイリナが、ミリアムが、アリスやカティがいる。寂しかったから。いつだったか母に四人子供を生んだ理由を聞くと嬉しそうに、でも何処か恥ずかしそうにそう答えた。父は出征してから十年以上戦地にいた。その間、母はたった一人で父の帰りをこの家で待っていた。戦争さえなかったらもっと早くから、もっと長い間同じ時間を過ごせただろうに。

 でもイリナ達はまだいい方だ。こうして父が無事に帰って来られたのだから。それが叶わなかった人も大勢いる。

 大勢の人達の自由を、そして命を奪ったのが件のカースラッドだった。広大な国土と豊富な資源、他国と交流する中で得た知識や情報を必要な用途に応じて繋ぎ合わせ、人目に触れず少しずつ、でも確実に軍備を増強していった。その果ての軍国主義であり宣戦布告だった、と聞いている。それが事実かどうかを確かめる術はない。教科書に書かれている事全てが正しいと言う保証など何処にもない。ただ概ね間違ってはいないと思う。

 世界を相手にたった一国で喧嘩を売り、終始圧倒し続けた。その戦況がどのように引っ繰り返ったのかは具体的に聞かされていない。攻撃と守備の中枢を破壊された事が大きく響いたと言う話は聞いた事があるけど、そもそもその中枢自体が曖昧模糊としていて掴み所がなかった。所詮はただの噂話に過ぎない。

 世界に喧嘩を吹っ掛けた傍迷惑で無駄に好戦的な国、どちらかと言うとそんな偏った印象しかなかった。

 その国が黄泉人や帰死人の系譜を、いやそれだけでなく血を受け継いでいたとしたら。

 背筋を毛虫が大急ぎで這うようにして悪寒が走り抜けた。

「統一戦争にも黄泉人や帰死人が絡んでいた、と」

「ええ。噂話や怪談の類いでも何でもなく、紛れもない事実です」

 誰も驚かなかった。少なくとも従軍した経験のある三人は。ひょっとしたら心当たりがあるのかも知れない。

「以前別の戦場で殺したハズの男が目の前にいた」

 昔話でもするような口調で師匠は言った。おどろおどろしく言ったらもっと盛り上がったかも知れないけど、今はそれを許す雰囲気ではない。

「何度かそんな話を聞いた事がある。腹を串刺しにして首を切り落としたのに当たり前みたいな顔で違う戦場にいた。最初に聞いた時は大して気にも留めなかった。お互いまともな精神状態とは言い難いからな」

 生死をかけて刃を交える。ほんのつい一昨日、生まれて初めて経験した事だった。でも、戦時中はそんな命のやり取りすら有り触れた出来事に過ぎなかったのだ。師匠だけではない。父も、そして親方さんもかつてはそんな毎日が日常だったのだ。

「同時に連合軍側で決して死なない兵士の噂も耳にした。全身を切り刻まれても銃弾で穴だらけにされても、息絶えるどころかまるで狂ったように襲いかかっていった、ってな。とても信じられるような類いの話じゃなかったが、」

 師匠はそこで言葉を区切るとからかうような、或いは困ったような目でウォッカを見た。

「こうして実物にお目にかかれる日が来ようとはなあ」

「誰だって驚きますよ」

 溜め息混じりに父が言った。

「確かに聞いたとしても噂話か怪談くらいのものでしたよ。人を驚かすならせめてもう少しそれっぽいものを考えろよなんて内心思ってましたけど」

 頬を掻く父の横顔がやたら子供っぽく見えた。子供騙しにしてやられた事に憤慨するのではなく、予想外の結果に茫然自失としているような雰囲気だった。

 かつて命を懸けて戦った戦場に死から甦った化け物がいた事も、それを完全に消去するために造られた人間とそうとは知らず共に闘っていた事も、その血を引く人間が目の前にいる事も、全てが信じ難かった。

「じゃ、何か? カースラッドはその時既に死人を甦らせる手段を確立させていた、つまり黄泉人がいた、そういう事なんだな?」

「その通りです」

 父と師匠、そして親方さんの顔から一気に血の気が引いた。普段から滅多な事では感情を露にしない師匠が微かに震える指先で頬を撫でている。

 退けた敵の全てが帰死人と言う訳ではないだろう。でも相手にしていた敵の中に人とは決して相容れない化け物が紛れ込んでいたのだ。何より、今まで話にしか聞いていなかった人を甦らせる手段が厳然と存在していた事を知らされたら、顔が白くなる程度ではとても済まされない。

「ちょっと待てよ」

 ヨハンが席を立った。殆ど喧嘩を売っているとしか思えないような目でウォッカを睨む。

「って事は黄泉人も既に存在していたって事だよな? 一体何処から出て来たんだよ?」

 帰死人がいる以上、黄泉人も既に存在している事になる。

 だとしたら、一体何処から涌いて出たのか。

「いくつか可能性はある」

 ウォッカの目が糸のように細くなった。宙を睨んだまま頭を振る。

「でもそれはそこまで重要じゃない」

「重要じゃない、って……!」

 ヨハンは今にも食って掛かりそうな勢いでウォッカのいるテーブルに手を突いた。帰死人がいるならばそれを生み出す黄泉人が必ずいる。死を繰り返す無限の螺旋を終わらせるにはその根っこを絶つしかない。

 何故、それが重要ではないのか。

「経緯はどうあれ、奴らを始末する事に変わりはないからな。原因を探るのはその後だ」

 どうでもいいとまでは言わない。ただ忌人の存在意義は黄泉人と帰死人を消滅させる事にある。因果関係の究明よりもそちらが優先される。確かに、そこで下手に二の足を踏んでいたら奴らにつけ入る隙を与える事にもなりかねない。

 だからまず真っ先に始末する。誰に対しても等しく死を与える。狂った摂理を正すには一旦全てを終わらせるしかない。

「散発的に発生する帰死人を始末して来た事はそれまで何度もあった、と言うよりそれが普通だったらしいが一国家が起こした争い事の中に兵器として姿を現したのはこれが初めてだった、って話だ」

 もぐら叩きのようにこの世界の何処かに現れた黄泉人や帰死人を退治して来てはいたけど、国と言う母体から蜘蛛が子を散らすように一気に溢れ出して来たら。さぞかし面食らったと言うか度肝を抜かれた事だろう。これまでとは規模が違う。

「何故カースラッドが黄泉人や帰死人を従えていたか。いやそれは正確な言い方じゃないな、黄泉人とカースラッドが何らかの関係を結んでいた可能性も考えられる訳だし。ヨハンにも言った通り、ハッキリしてるのは統一戦争の戦場にカースラッドの兵士として帰死人がいた事、それを甦らせていた黄泉人がいた事、それだけなんだ」

「それ以外には、何か判った事はないのかよ?」

 ウォッカは竦めた首を左右に振ってみせた。

「鋭意継続調査中だ。それ以上は守りが堅くて思ったように手が届かない」

 そうなのだろうか。想像がまるで追いつかないせいでそれがどれだけ大変なのかも判らない。

 ただ。

 甦った化け物の話も甦らせる人間の話も今初めて聞いた。それがかつて世界に混乱と混沌をもたらした戦争に兵士として戦場にいた。当然の事ながら公に出来るような話ではない。絶対に極秘扱いだ、考えるまでもない。

「確かに一度の戦闘で相手にする人数としては多かったけど、兵士全体の割合としては一部に過ぎなかった」

「もしわんさといたら、私達も戦場で出くわしていたかも知れませんからね」

 苦笑いしている父の横顔が僅かに引きつっているように見えた。その可能性もなくはないのだ、考えただけでゾッとする。

「ただ戦争が長引く事で確実に数を増やしていった」

「少し違うと思います」

 父が遠慮がちに手を上げた。師匠と親方さんも苦虫を噛み潰したような顔をして頷いている。

「或いは逆、と申しますか」

「どうぞ」

 ウォッカは促すように手を差し出した。

「帰死人を生み出す事に習熟していった、そういう事ですよね?」

「おっしゃる通りです」

「ちょっと待って」

 頷くウォッカを牽制するように睨んだ。気付けば立ち上がっていた。

「要は慣れてなかった、って事でしょ?」

「ああ」

「そりゃ、どんな事でも最初から上手く出来る訳じゃないし慣れが必要なのは判るんだけど、黄泉人が帰死人を生み出す上でもやっぱり慣れって大事なの?」

「どうしてそう思う?」

「黄泉人から血を与えられる事で帰死人として生まれ変わる、そう言ったわよね?」

 応えなかった。でも否定している雰囲気もない。そもそもさっきこの男が言った事だ、否定のしようがない。

「となると生き返す能力を与えられた、そう解釈する事も出来るわよね? 効能自体は物凄いけど手段は単純でしょ、血を与えるだけでいいんだから」

「つまり、どういう事だ?」

 コメカミを人差し指でトントン叩いているヨハンを無視してウォッカを見据える。

「そういう単純な作業でも慣れは必要なのかな、と思ってね」

「全く必要ないって事はないと思う。俺は黄泉人じゃないから判らないけど」

 ウォッカは肩を竦める。一見馬鹿にしているように見えるけどさっきまでとは微妙に雰囲気が違う。

「それに、帰死人を生み出したら眠りに就かなきゃならないんでしょ? 実際最初の黄泉人は何百年、何千年も眠っていて何処にいるかも判ってない。兵士として闘わせるなら相当な数が必要になるわよね? 統一戦争も確かに長かったけど、黄泉人が眠りに就くには不充分じゃないかしら?」

 誰もがウォッカを見た。

 指摘として的は射ていると思う。或いはウォッカの話に誤りがあるかのどちらかだ。

「統一戦争の時に駆り出されていたのは量産型の帰死人なんだよ。俺達は死人兵と呼んでるけど、本家でもそんな呼び名らしい」

 本家がカースラッドを指している事は間違いない。

 死人を強制的に甦生させて闘わせる事が出来れば兵力の減少を抑えられる事は間違いない。肉体が朽ち果てるまで闘いを強いられ、満足に死ぬ事も出来ない。一体どれほどの無念だったのだろう。

「あれだけの長期間戦争を続けられた最大の要因は死人兵がいたから、と言うかその手段を得た事にある」

 戦闘で確実に減少する兵力を常に維持出来たとすれば戦争の継続に大きく寄与する。むしろ長引けばそれだけ有利になる。使い捨てが利く上に死体がある限り減る事はないからだ。

 全く以て恐ろしい話だ。さっきから寒気しかしない。

「それだけの数の帰死人を生み出せるようになったんだろ。つまり甦生させる力が進化したって事か?」

 興奮しているのか、ヨハンが前に身を乗り出した。でも顔は紙のように白い。

「まだハッキリした事は判ってないけど、恐らくそれとは少し違うかな。必要に応じて甦生させる術を作り替えただけだと思う。だから術者にかかる負担も軽減されるしそれだけ量産出来るんだよ」

 過去形ではなく現在形なのが怖い。戦争が終わっても未だに帰死人を造り続けているのだとしたら。正気の沙汰ではない。国全体が狂気に駆られているとしか思えない。

「帰死人を、死人兵を量産した事で戦果に大きく貢献する事になった。その中で最強の死人兵と言われているのがバスターク騎士団だ」

「バスターク?」

 素直に首を傾げるアリスがこの時ばかりは堪らなく愛おしく思えた。知らずに済むならそれに越した事はない。当の本人は必死に思い出そうとしているのか懸命に頭を抱えて唸っている。

「神話に出て来る想像上の獣、いえ魔獣の事よ」

 妹の肩にミリアムが静かに手を置いた。

「増えすぎたばかりか災厄をもたらすようになった人類を死滅させるために神が生み出した魔獣、と言われています。諸説ありますが」

「ほぼその通りですよ。カースラッドも名目は違ってもやろうとしていた事はそれですから」

 司祭様の注釈にウォッカが言葉を添えた。

「数多の戦場を血で染めた最強の兵団だった、と言われている。実際戦闘で敗けた事は一度もなかったみたいだからな」

「俺がいた部隊も奴らにやられたよ」

 両膝に肘を突いたまま、師匠が疲れたように言った。

「逃げるのがやっとだった」

 汗の浮かんだ顔をずるりと撫でる。思い出したくもないに違いない。

 初めて聞いた話だった。

「だから奴らが敗けたと聞いた時は本当に驚いたよ。しかも奴らの十分の一に満たない数で壊滅させたとあってはビックリ仰天を通り越して驚きだったな」

 今度は清々するように笑っている。顔も知らない誰かが戦友の無念を晴らしてくれたのだ、嬉しくない訳がない。

「それが忌人なんだな」

 聞くまでも、そして応えるまでもない。

 ウォッカは力強く頷いた。

「最強と謳われてはいても重ねて来た歴史も敵も俺らとは違います。敗ける事なんか絶対に許されませんよ」

 何より敗ける道理がない。忌人はその遥か昔から人を超えた化け物を相手にしていたのだ。力を伝え、受け継いだ者は日々研鑽を重ね来るべき日に備える。そして忌人が敗ければ世界は死ぬ事すら許されない化け物で溢れ返る事になる。

 敗ける事は絶対に許されない。そんな決意が滲み出ていた。

「因みに、奴も今バスターク騎士団に所属しています。平和なご時世とは言え隊長を任されるくらいですから腕はそれ相応のものを持っているようですが」

「彼ですね」

 ウォッカが頷くと父は重苦しく溜め息を吐いた。二人の間だけで話が成立している。

「奴って?」

「俺を利用したあの男だよ」

この街で何人もの人間を惨殺し、カティを二度に渡って助けてくれた、そしてウォッカの胴に風穴を開けた男の事だった。ハッキリと顔を見ているのはウォッカと父だけだ。ミリアムとヨハンは互いに顔を見合わて首を傾げる。

それ相応も何も、まだ修行中とは言え化け物を消滅させる忌人のウォッカと腕は互角に渡り合うのだ、相応どころか相当だ。

「って、ちょっと待ってよ」

「何だよ」

 ウォッカは面倒臭そうに言葉を投げた。どうしてそんな顔をするのか。

「その、目付きの悪い彼も忌人なんでしょ?」

「ああ」

 普通に頷くな。もっと驚いてくれた方が話しやすいのに。

「どうしてその彼がカースラッドで、寄りによって斬り込み部隊で隊長やってるのよ」

「知るかよ」

 統一戦争の際には死闘を演じ、未だにキナ臭い噂が絶えない危険な国だ。それに、詳しい経緯は不明だけど帰死人を造り出し独自に改良するような、或いはそれに近い技術まで備えている。今後カースラッドからどれだけ帰死人が生み出されるかは全くの未知数だけど、忌人にとって彼らが殲滅の対象である事は間違いない。

「敵の懐に飛び込んで何してんだか」

「奴には奴の事情がある。俺には預かり知らぬ話だよ」

 疑問を投げ掛けるヨハンにも素っ気ない。

 事情も素性も都合も、どれを取ってもウォッカには知りようもないしその術もない。何故忌人の血を継ぎながらかつて敵として剣を交えた国に潜り込んでいるのか、この街を根城にした首謀者二人を惨殺した理由は何なのか、どうしてカティを二度も助けてくれたのか、全ては濃い霧の中にある。

 非常に危険な男である事は確かだ。でも会いたかった。せめて一言お礼が言いたかった。

「忌人が力を貸してくれなかったら、今頃こんな風に呑気に過ごせなかっただろうな」

 師匠の言葉が重く胸にのし掛かる。咄嗟にカティの手を握っていた。ウォッカがいなかったら、今一体何をしていただろう。

「世界の覇権をカースラッドが握っていたら、俺達はここに戻れなかった」

 顔を上げていた。目を見開いて父を、母を見る。

 もし父が戦場で命を落としていたら、この街が戦禍に見舞われていたら、イリナ達は存在する事すら叶わなかった。それか、生まれていたとしても今のように安穏とした時間は過ごせなかったかも知れない。

 師匠が戦地で何度か殺されかけた話はこれまでいくらか聞いた事がある。別段珍しい話ではない。父も左手の小指と薬指を切り落とされている。でもその理由を聞かされたのは本当につい最近になってから、高等部を卒業した時だった。母もイリナも友達も、みんな当たり前のように五本指が揃っているのに父の左手には指が三本しかない。随分幼い頃に聞いた事がある。幼さ故の無邪気さと言うより、無神経な残酷さだった。

 世の中には知らなくていい事もゴマンとある。つい最近、誰かがそんな事を言っていた気がする。下手に知るより知らずにいる方が心穏やかに過ごせるなら、そんな残酷な現実は誰の目にも触れさせない方がいい。だから父はそれまで決して話さなかった。

 仲間から造反の容疑をかけられて投獄された父は嘘の自白を強要された。それを拒んだために指を切り落とされた。父の胸には負け戦に無理矢理駆り出されて命を落とした仲間に対する懺悔の気持ちはあっても、無理な要求を拒み続けた事への後悔は全くなかった。あそこで事実をねじ曲げていたら、恐らくここへは戻れなかった。父は静かにそう言った。何より、それは守ろうとして守れなかった仲間への重大な裏切りに他ならない。だから絶対に譲れなかったに違いない。

 ここへ戻って来られて良かった。穏やかに笑いながら、父は言った。二本の指が欠けた手を、母は静かに涙を流しながら擦っていた。

 どうして父がそんな事を話す気になったのか、その時は判らなかった。奴らに家族を殺され、無理矢理引き離された人達を目の当たりにする中で父は一体何を思ったのか。誰がその憂き目に遭ってもおかしくなかった。実際イリナやカティは奴らに殺されかけ、家族も瀕死の重傷を負った。

 ひょっとしたら、父はずっと後ろめたいものを感じながら生きているのかも知れない。死にたくなかった、生き残りたかった。でも心の何処かでは死ぬべきだったと思っていたとしたら。生と死の狭間で板挟みに合いながら、それでも生きる理由を懸命に探していたのだとしたら。心の内に抱えていた矛盾を初めて血を分けた娘に晒したのだ、一体どれほどの覚悟だったのだろうか。

 父がこれまで蓋をしていた気持ちも、それを今になって開けた気持ちも判る。知らなくていい事もある。そして誰の目にも触れさせてはならないものも、人の目を忍ぶ事もなく当たり前のように転がっている。

 生に執着し死を拒絶した。それが故に取り憑かれた狂気だった。それを決定付けたのは神から与えられた生きるための術に他ならない。人を生かす事を目的として与えたハズの力が、やがては欲望の渦に呑まれ摂理を覆してしまった。薬として与えた力がいつしか毒に姿を変えていた。一体何の皮肉だろうか。だから忌人が生まれた。毒をもって毒を制す、そうしなければ狂った摂理は正せない。完全に人の領域を超えている。

 だから陰に徹していた。姿そのものを隠す必要はない。見た目は人と何ら変わりはないからだ。でも術を晒すような真似は絶対にしなかったハズだ。知らぬが仏とはよく言ったものだ。確かに全く知る必要のない事だし知りたくもない。

 目の前にある椅子に腰を下ろしている男を改めて見る。怒っているのか不貞腐れているのか判らないような目で宙を睨んでいた。さっきから真面目腐った顔をしているけど全然似合わない。必死に便意を堪えているようにしか見えない。それを指摘しても怒るような狭量な男でもない。笑ってよ、そんな言葉が喉から飛び出しそうになった。でも絶対に今は笑ってくれない。

 表に現れた彼らが術を惜し気もなく行使し混乱に呑まれようとした世を救った。それが全土統一戦争だった。

「ただ、奴らも単純に帰死人を生み出しただけじゃなかったからな。生きていた頃の力を引き継ぎながら更にそれを増幅させていた。最終的に勝ちを収める事は出来たけどそれなりに痛みは被った」

 人を超えた者同士が真っ正面からぶつかり合ったのだ、いくら忌人が人を消し去る術に長けていたとは言え無傷で済むとは思えない。

「ですがあなた方が、忌人がいてくれたからこそこうして私達は生き残る事が出来た。役目は充分に果たされていると思いますよ」

 微かに赤らんだように見える鼻の頭を掻きながら、ウォッカは照れ臭そうに笑った。その時その場にはいなくても、自分と同じ血を受け継いでいる仲間はしっかりとその責務を全うしたのだ。その中にはウォッカに力を授けた者も絶対にいたに違いない。胸を張ってもいいくらいなのに、そんな気配は欠片もない。

「敵味方含めて当時最強と謳われていたバスターク騎士団をほぼ全滅させた、それが忌人だからな」

 殺されかけた相手を完膚なきまでにぶちのめしてくれたのだ、師匠も胸のすく思いだろう。

「それだけじゃない。忌人は絶対に必要な力を確実に引き継ぐ事が出来る、そうですよね?」

 父が誇らしげにウォッカを見る。

 ただ死んだだけでは黄泉人が生き返してしまう。忌人なら生きていようが死んでいようが完全に消去出来る。そしてその力を次の世代に繋いでいけるのだ。こんなに心強い事はない。

「始祖は本当に偉大な方です」

 声からいい案配に力が抜けている。ここに来てようやく緊張が解れたのかも知れない。声だけでなく、表情も我が子を抱く親のように穏やかそのものだった。

「生まれながらにして非常に強い力を持っていたそうです」

「具体的に、どんな事が出来たの?」

「消術は言うに及ばず、」

 掌から上がった焔がゆっくりと渦を巻いていく。渦の速度が速まると今度は焔が氷に変わった。凍りついた空気が飛沫のように散る。

「生術に関しても、死にさえしていなければ問題ないとまで言われていたようです」

「息があれば、瀕死に近い状態でも甦生は可能だった、そういう事?」

 でもそれならばウォッカにも、もう一人の彼にも出来る事なのではないか。反射的に貫かれた鎖骨に掌を当てる。

「物心がつく頃にはその程度の事は容易く出来たって話だ」

 ヨハンが大袈裟に目を剥いた。

 いや、決して大袈裟ではない。あの瞬間、間違いなく死を意識した。目が開いた時、生きているとは思わなかった。自然に死を受け容れていた。だから生きていると聞かされても、素直に信じる事が出来なかった。

「忌人の血を受け継いで生まれたら、すぐにそれくらいの事は出来るのか?」

「まさか、無理だよ」

 そう、最初から出来れば何の苦労もない。全ては膨大な量の訓練や稽古の上に成り立っている。その積み重ねがあったからこそ、ウォッカはみんなを救う事が出来たに違いない。

「だから幼少の頃から既に戦場にいた。戦闘に参加はしなかったけど後方支援として」

「後方支援?」

「傷付いた仲間の回復役だよ」

 今度は父や師匠、そして親方さんが目を剥いた。戦闘には参加させないまでも、子供を戦場に連れていくと言う感覚が既に有り得ない。裏を返せばそれだけ彼の力が優れていた、そして重用されていた事の顕れでもある。

「もっとも、十歳に満たない頃から戦闘にも加わっていたらしいから攻撃面に関しても非凡なものを持っていた事に変わりはないみたいだけど」

 非凡も何も、尋常でないくらいの才能だ。そんな有り触れた言葉では片付けられないくらいの力を持っていた事にただ愕然とした。

「それじゃ、短剣の扱いも……?」

「短剣だけじゃない。剣も槍も、そして格闘術も教わってすぐに習熟した。持って生まれた才能と言うより持っているものが他の水準を遥かに凌駕していた」

「本当に、天才だったのね」

「ああ、それは間違いない」

 何十年、いや何百年に一人の逸材だった事は最早疑いようもない。

「肉弾戦は忌人に軍配が上がるけど接近戦に持ち込めない限り真価は発揮出来ない。でも始祖は距離があっても全く問題なく戦闘を有利に進められた」

「どういう事、なんでしょうか?」

 ミリアムが眉間にシワを寄せた。

 膂力に応じた攻撃力も接近して初めて陽の目を見る。いくら物理的な攻撃力に優れていても自分の間合いで勝負が出来なければ死を待つだけだ。

 剣や槍でもそれは変わらない。懐に潜り込めなければ勝機はない。打ち込む事は出来なかったけど、それは手合わせしたミリアムもよく判っているハズだ。

「術の扱いも帰死人や黄泉人を遥かに凌いでいた、そう聞いてる。消術を逆転させて冷気や氷を生成するのは通常血を授かった上で稽古を積まなければまず出来ない。でも始祖はそれを呼吸する感覚でやってのけた、それこそ本当に幼い頃にな。幼児の段階で黒炎を操れたのは後にも先にも始祖だけだ」

 大の大人でも制御出来ない力を年端もいかない子供が自在に操れたとしたら。天賦の才とは言うけれど、そんな在り来たりな言葉では片付けられないくらいの力を生まれながらにして持っていた。周囲の大人はさぞかし驚いた事だろう。ようやく読み書きを覚え始めるような子供が自分達を遥かに超える力を備えていたのだから。

「当時の忌人や古代種、そして人間を実質的に救ったのも始祖だったと言われている」

「その時も、戦争してたのかよ?」

「四六時中戦争してるようなもんだよ。何処かで誰かが死んで、戦場で敵として対峙する。その繰り返しだった」

 出口の見えない迷路に迷い込んだような気分だった。ヨハンは汚れた食器の山を前にした時のような陰鬱な目でウォッカを見ている。

「始祖は闘いながら自身の力を後世に遺す手段を研究しました。そしてついに伝承法を完成させました。遺伝だけでなく、血を介して確実に力を引き継げる方法を確立させたんです」

「それが、忌人の力の伝承に於いて主流を占める方法なんだな」

「そうです」

 溜め息を吐く親方さんの横顔がやたらと子供っぽく見えた。憎たらしいのか羨ましいのか判らない、そんな顔をしていた。

「それがあったからこそ、統一戦争で帰死人共を打ち負かす事が出来た。逆にそれがなかったら今頃こんな風に過ごす事は叶わなかった」

 冷静になって考えるまでもなくゾッとする。もっと多くの命が失われていたかも知れないのだ。実際師匠も帰死人、死兵と一戦交えて九死に一生を得ている。

「全く以て有り難い話だな」

 摂理を覆した化け物達を人知れず無に還していたのだ。誰の目にも触れず、完全に陰に徹して。

「ただ、始祖の生み出した伝承法には一つ重大な欠点があります」

 これまでとはまた違った意味で空気が張り詰めた。

 いくら彼が天才だったとは言っても完璧ではなかったと言う事だろうか。でも、それを否定したい思いは間違いなくある。だからこいつがいる。今いる忌人の全てがその証拠だ。

「同時に忌人の最大の弱点でもある」

 金槌で思い切り頭を殴られたような気がした。

 攻撃面で言えば黄泉人や帰死人には劣るものの、耐久力に優れた不死身に近い肉体に、人を遥かに凌ぐ圧倒的な膂力を備えている忌人に弱点が存在すると言う事が既に受け容れ難かった。

「人が生み出すものに、人のする事に完璧は存在しない」

 詩を朗読するようにウォッカは言った。

「陳腐な科白だけど的は射てる。始祖は確かに天才ではあったけど、それが故に完璧な形で血を伝承する事は出来なかった」

「イマイチ意味が判らないな」

 リーゼルがもどかしそうに、或いは苛々を押し殺すようにして頭を掻き毟った。セージとトージも頻りに頷いている。

「君ならもう少し噛み砕いて話せるだろ?」

「失礼しました」

 ウォッカは目礼すると姿勢を正した。

 表情が哀しくなるくらいに真面目腐っている。やっぱり全然似合っていなかった。


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