六日目 その壱参
一瞥した限りでは真っ黒な霧か煙のように見えた。でも焔のように微かに揺らめいていた。それが本当に焔だとしても腑に落ちない事がある。
「あの時も、出ていましたね」
父が半ば呆然と呟いた。それにしても、あの時とは一体いつの事なのだろう。
「カティを助けた時、ですよね」
父が頷くと、ウォッカはバツが悪そうに僅かに顔をしかめた。どうしてそんな顔をするのか。
「あの時あいつも言っていたように、感情に左右されて発現するような事だけは絶対にあってはいけないんです」
「どうして、ですか?」
素直に首を傾げるアリスに、ウォッカは厳かに頭を振った。
「触れればどんなものでも消えてなくなる。と言っても手品みたいに一時的に消す訳でも異次元に放り込む訳でもない。焔である以上燃やしてる事に変わりはないけど、燃える暇も蒸発する間もなく完全にこの世から消滅する。それくらい高温なんだよ」
ただの火でも当たるだけで大いに熱い。それが触れるだけで全てが消え去るくらいの高温だったら、制御出来ずに暴走するような事があったら。確かに危険極まりない。
でも全てを消し去る、無に還す役割を担うに相応しい能力だった。四肢を切り落とし首を跳ねて行動不能にするだけでなく、その上で存在そのものを跡形もなく消去する。ここまでやって初めて忌人の闘いは終わりを迎える。逆説的に言うと黄泉人も含めて死体を完全に消滅させない限り終わりは来ない。飽くまで必然の流れの中で生み出されている。
「今でこそ俺みたいな若造が黒炎を操れるようになりましたが、昔はそう上手く事は運ばなかった」
「どういう事?」
「肉体そのものは大いに強化されていたけど、それでも黒炎を移植するのが非常に困難だった。力が余りに強すぎて体が持たなかったんだよ。それに、俺も黒炎を完全に制御出来てる訳じゃない」
感情が昂ったせいで力が暴発しているようでは味方や自分自身にも甚大な害が及ぶ。人間と比較すれば確かに忌人は充分過ぎるくらいに強大な力を備えている事になる。でも忌人としてはまだまだ半人前、ひょっとしたらそれ以下なのかも知れない。
「肉体を強化した上で体術に加えて短剣と中太刀の扱いを修得して実戦経験を積む。そこまで出来てようやく忌人としての下地が整う。まだまだ始まりに過ぎないんだよ」
「そんなに、大変なの?」
「大変と言うか何と言うか、力を受け継ぐにはそれが出来なきゃ話が始まらない、それだけなんだけど」
それだけも何も相当に険しい道のりだ。やらなければならない事が多すぎるし内容がとんでもなく過酷だ。
「なあ、その中太刀はどういう風に扱うんだ?」
ヨハンは興味津々と言うように体を前に乗り出した。砥を頼まれてから気になって仕方がなかったのだろう。
「短剣と素手で戦うのが攻めの型であるのに対して中太刀を扱う場合は守りの型になる。元々防御力に優れている事に加えて距離を置いて闘える分安全だからな」
距離があるとは言っても極僅かだ。でもその極僅かな差が結果を大きく左右するならば。紙一重のように見えて非常に大きく際どい差に違いなかった。
本当に、気が遠くなりそうな話だ。
「最初は体術と中太刀の扱いを徹底的に叩き込まれる。攻撃も大事だけど死んだら意味がないからな」
「忌人に向けての第一歩みたいなもんか」
「ああ、入門編って処かな」
入門なのにびっしり茨で埋め尽くされているように思えてならない。普通の人間ならば裸足で逃げ出す。そして二度と挑戦しようなどとは思わない。足が茨で傷だらけになるからだ。
ついさっきまで身を乗り出していたヨハンが敬遠するようにウォッカと距離を取っている。それを意気地無しと罵る事も出来ない。
「それが馴染んだら短剣に持ち換える」
より短い距離で、より接近して確実に敵を葬る。短剣と中太刀ならそこまで大袈裟に長さが変わる訳ではない。でも、その僅かな距離を埋めるためにどれだけの鍛練を積まなければならないのか、想像しただけで気が遠くなった。距離が近付いた分、確実に自身の命を削る事になる。懐に飛び込んで来る事が判っているならそれに対処する手立てを考えない訳がない。しかも純粋な攻撃力は相手の方が上だ。勇気と、それ以上の覚悟がなければ成し得ない。
「ウォッカ」
ヨハンが頻りに頭を叩きながら言った。雰囲気に落ち着きがない。もどかしいのを懸命に堪えているようだった。
「あの、一番小さい剣は何に使うんだ?」
カティとアリスの二人は目を見合わせると首を横に振る。イリナもそんなものは見た記憶もない。ミリアムだけが少し誇らしげな顔をして笑っていた。
「何? その一番小さい剣って?」
「掌に収まるくらいの大きさしかないんだけど、丁度懐に仕舞えるような感じか。所謂懐剣って奴かな」
話を聞く限り、そんな小さな武器が役に立つとは到底思えなかった。短剣としてはかなり大きい方だけど、それでも剣と比べると遥かに劣る。況してやそれより更に短いのだ。武器としての用は成さない、と思う。自害するために携えるような事もまずない。断言してもいい。
「あれは暗殺用の武器だよ」
「暗殺?」
「誰にも気付かれずに始末出来るならそれに越した事はない」
敵陣に忍び込んで誰にも知られずに標的を排除出来れば。それが結果としては最も理想に近い。臨戦態勢か無警戒か、敵として対峙する場合どちらが楽かなど考えるまでもない。
「背後から忍び寄って、首をバッサリ?」
「ああ。頸動脈を切断する」
アッサリ言わないで欲しい。殺す事が前提になっている。既に承知はしていても背筋が凍る思いがする。
「誤解を招いてるかも知れないけど、忌人の本来の任務は暗殺だからな」
目を剥いていた。思い切り誤解していた。兵士か、或いは軍人のように考えていたけど、暗殺者とは想像もしなかった。
「勿論戦闘もするけどそういう場合でも気取られず気付かれず、一人ずつ完全に、確実に消去していく。それが形としては一番理想的なんだけど」
「あなた自身はどうなの? その域には近付けてる?」
「まさか。まだまだ程遠い」
こんな人間離れした力を持っていてもまだ修行中の身なのだ。一朝一夕で得られるものなんて何処にもないけど、それは彼らも変わらない。そして更に厳しい。
「一人殺したら黒炎で完全に消去する。それをひたすら繰り返して少しずつ数を減らしていった」
殺すだけでは意味がない。帰死人として甦生するなら当て身を食らって気絶しているのと何一つ変わらない。完全に消し去る事が忌人に与えられた最大の役割だ。
「でも、あなたは黒炎を扱えるんだからその問題はもう解決してるんでしょ?」
「力の扱いに関してはな。偉大なる始祖がそれを確立させた」
「始祖?」
「忌人の礎を築いた方だよ」
「名前は?」
「血を全て受け継ぐ時に知らされる。忌人としての力を授かる事で初めて黒炎が扱えるようになる。でも受け継いだ力の割合は本来の五割にも満たない。だから俺達の間では部分継承、或いは半継承と呼ばれてる」
半分に満たない状態でこれだけ人より抜きん出た力を発揮しているのに、全てを受け継いだら一体どうなってしまうのか。
「力を、血を繋ぐ上で継承は非常に大きな問題を抱えていた」
「力の純度を維持する事と、」
「後継者の選出か」
ウォッカはパチパチ音を立てて手を叩いた。
「流石、判ってらっしゃる」
「別に忌人に限った話じゃねえ。何処で何してようが必ず関わる問題だ」
口を歪める親方さんの隣で師匠が楽しそうに肩を揺すっている。普段教える、いや授ける立場で弟子に接している二人にはさして珍しい話ではないのかも知れない。
ただ、力の継承が個人の生死のみならず国家の、世界の存亡を左右するのだ。重圧や緊張感はその比ではない。
「生術と黒炎、それと体術と剣術、それを一定以上の水準を維持しつつ血を伝え受け継ぐ、そうしなければ黄泉人は排除出来ません」
「うかうかしてたら奴らに殺されるだろうな」
「そうです。生き残るためには殺すしかなかった。そして殺すための力を繋いでいく事が絶対でした」
生きていれば否応なしに殺され、操り人形のように散々弄ばれ死ぬ事も出来ない。だから選択肢は殺す事以外にない。
たとえ一瞬たりとも待ったはない。刺すか刺されるか、刺さなければ刺される。そのどちらかしかない。どちらを取るかなど推して知るべしだった。
「ただ唯一幸いだったのが黄泉人が甦生で使う血の量が多ければそれに比例して奴の動きの止まる時間も長くなった事です。ですから敵軍の大将、つまり黄泉人本人でなくてもその傍にいる帰死人を殺せばかなり時間を稼げました」
「どうして、血を多く使うと動けなくなるの?」
首を傾げるアリスに、ウォッカはおかしそうに笑いながら頭を掻いた。
「俺達も腹が減ったら食うし、疲れれば寝るだろ? 昨日も夜は多少控え目だったけど朝と昼はかなりガッツリ食ったし。それと同じ」
昨日の朝食はみんなが食べ切れなかった分を綺麗に平らげた。昼にどれだけ食べたのかはイリナには判らない。ただここから街の中心にある広場まで相当な速さで突っ走っている。戻った後は恐らく傷を癒すために血を使っているハズだ。血を造るには食べて寝るしかない。
況してや黄泉人は死者を甦生させるのだ。疲労もその反動もウォッカの、治癒の比ではないハズだ。
「だったら、その隙に黄泉人を始末すれば万事解決じゃねえかよ」
「ところがどっこい、敵もそこまで馬鹿じゃない。自分が動けない間の護衛くらいはしっかり用立ててるよ」
「用立てるって、一体何を……」
腕を組んだ弟の後頭部を兄が拳骨で掌を叩いた。
「成程」
頻りに納得したように頷いている。頼むから置いていかないで欲しい。
「そのための帰死人か」
「どのためだよ」
リーゼルは殊更わざとらしく溜め息を吐くとうんざりしたように首を左右に振った。
「その護衛が帰死人なんだよ」
言葉を吐き出しかけた喉が石につんのめるようにして強張った。
強制的に甦生された時点で黄泉人の傀儡でしかないとは思っていたけど、これでは奴隷も同然だった。生き返ったのに、全くと言っていいくらいに一欠片の希望もない。
「で、でも、黄泉人にしても血を使った後はしばらく動けねえんだろ? 帰死人もその間に黄泉人を殺す事だって……」
「それは全く意味がない」
弟の意見は言下に否定された。取りつく島もないとは言うけどまともに聞くだけの価値もなさそうだった。少なくともウォッカには。
「帰死人の体には生き返した黄泉人の血が流れてる。その黄泉人を殺せば帰死人も死ぬ。帰死人は一度甦生されたら黄泉人と死ぬまで一蓮托生なんだよ」
「そんな、そんな理不尽な事……!」
「あるんだよ。黄泉人の血がなければ帰死人は生きられない。主に先に死なれたらその下僕には生きられる道理がない」
忌人がここまで躍起にやって黄泉人や帰死人を殺そうとするのか、ようやくそれが判った気がした。
黄泉人は摂理を覆し世界に混沌をもたらした。引っ繰り返した摂理の向こう側に希望があるならまだしも、生き返したハズの命には地獄の底にまで引きずり下ろされる首輪が付けられている。生きていようが死んでいようが一度黄泉人に魅入られたらもう終わりだ。希望の光は差し込まない。
その無限に続く地獄から帰死人を救い出せるのは忌人だけだ。無限に続く負の螺旋に終止符を打つには彼ら帰死人を消すしかない。そしてその元凶が黄泉人だ。殺されるから殺す。それだけではなく、死ぬ権利すら奪われた人達を殺す事も彼ら忌人に与えられた役割に違いなかった。
そして一体誰が帰死人になったのか。そんな素朴な疑問が頭に浮かんだ瞬間、足元が音を立てて崩れ落ちそうになった。そんな錯覚に襲われた。黄泉人を野放しにする事は絶対に出来ない。ならば黄泉人を打ち倒しに赴いた誰かが必ずいたハズだ。それは一体誰なのか。黄泉人に付き従う事を余儀なくされたのが帰死人だとしたら、かつての彼らの仲間だとしたら。
悲鳴を上げそうになった。
ならば、せめて全てを終わらせるしかない。無に還す、それが忌人が出来る帰死人へのせめてもの供養なのかも知れない。
「殴る蹴るか斬るかして体がズタボロになる前に全てを焼き尽くせるならそれに越した事はないだろ」
それだけではないハズだ。
かつての仲間を、同胞の体を切り刻むような真似を進んでしようと思う人などいる訳がない。せめて苦しまずに逝かせてやりたい、それが情けと言うものだ。
「だが扱いが非常に難しかった、昔はな。俺も聞いただけだから具体的には判らないけど」
「どうして?」
「何千年も前の事だからな」
流れて来た時間の重みが違う。ウォッカな祖先は、忌人達は本当に人知れず化け物共と刃か拳を交えていたのだ。
でも、これだけの力を持ちながら何故人の目に触れなかったのだろう。
「黒炎は扱える者がそもそも少なかった。で、使うにしても非常に難儀した」
「何がどう難儀したんだよ」
ウォッカは真っ直ぐ立てた人差し指の先端に火を灯した。それが少しずつ渦巻きながら赤から黒へと色を変えていく。
食い入るように見詰めるヨハンに視線を送ると指先の焔を吹き消した。
「暴れ馬みたいなもんだよ。技術や経験が浅い者は絶対に扱えなかった。暴走して周囲に害が及ぶか最悪自分自身が燃え尽きて死んじまう。効果は高いけど常に自滅する危険性を孕んでいた。言うならば諸刃の剣ってところだな」
「それじゃ、とても武器とは言い難いわね」
力を手懐ける事が出来なければ自身がそれに飲み込まれる。扱うには明らかに危険過ぎる。
「黒炎も他の術と同様に血縁で継ぐ事は出来た。裏を返せば血縁でしか伝承出来なかった。それに黒炎を扱う術を受け継いだとしても使いこなせるのは極一部の限られた者だけだった」
「武器として扱うにはそれだけ敷居が高かった、と」
素手や短剣に依る攻撃が連撃必倒なら黒炎は一撃必殺だ。有無を言わさず完全に敵を消去出来るだけの力がある。でも、使いこなすにはそれ相応の修練が求められる。ただで得られるものなど何処にもない。
「力を継ぐ上でもやらなきゃならない事は山ほどあった。身体能力の向上は勿論、あらゆる攻撃に耐えうる頑強な肉体も欠かせない。殺すための技術は言うに及ばずだ。ま、それに関しては今も変わらないけどな。
ただ誰にでも扱えるように性質を変化させた事は俺ら忌人には非常に画期的だった」
「誰にでもって、ひょっとして普通の人間にも、って事か?」
「勿論」
当たり前のように頷いて見せたウォッカに、ヨハンは子供のように目を白黒させた。人とは異なる力を得たいのか、それとも今のままでいたいのか。そのどちらとも取れる表情だった。
「力を、血を受け継ぐとは言ってもいきなり全てを継承する事は流石にな。血を受け容れるだけの器は不可欠だけど少しずつ慣らしていく事も出来た。多少時間はかかっても一番大事なものは確実に引き継げたんだ」
「慣らすって、そんなに上手くいくものなのかよ」
「現に俺も全体の半分にも満たない量しか血は継いでない。今は血を体に馴染ませてる最中なんだよ」
「それも含めて、修行中なんだな」
ヨハンは腕を組んだまま納得したように頷いている。
技術や身体能力のみならず、敵を確実に葬り去る術を完全に身に付けるにはそれなりに、いや膨大な時間がかかる。やっぱり、一朝一夕で得られるものなんて何処にもない。
「それに、血を受け継ぐ事で生命力や身体能力も飛躍的に向上する。血を、黒炎を扱うには最低限それだけの器が不可欠って事なんだけど」
「じゃ、受け継ぐ時点でその最低限に達していなかった場合は……」
誰もが声の主を、ミリアムをギョッとしたような目で見た。指摘は確かに間違っていない、と言うよりむしろ的確かも知れないけど、どうしてそんな縁起でもない事を言うのか。
「肉体が崩壊して死に到る。もっとも、そんな状態で伝承しようとするような奴はまずいないけどな」
ウォッカはおもむろに湯呑みを手に取ると口元にそれを宛がった。
「大人と違って、子供は酒は呑めないだろ」
「あんたは呑んでたんでしょ?」
「俺はな。一般的には、って話だよ」
イリナ自身もたまに家の酒を失敬していたのだから人の事は言えないけど。何より、こいつの場合は年齢的にも大いにマズいハズだ。
一体いくつから呑んでいたのか非常に気になるけど今大事なのはそんな事ではない。
「ある程度体を成長させて血を受け継げるだけの肉体を作っておく必要はある。だから何もない状態で血は渡せないし受け継ぐ事も出来ない」
安心したようなうんざりしたような複雑な気分だった。忌人になるには血が滲むような修練を積まなければならない事に変わりはない。そして人である事を棄てなければならない以上中途半端な覚悟では絶対に臨めない。
「あなたはいくつで血を継いだの?」
「十六になる年の春先だよ。高等部に進学する少し前だったな」
体が成長が止まるには少し早い。個人差はあるけど本格的に体が大きくなり始めるのはその頃からだろう。
「どうして、そんな中途半端な時期にするの? 体を成長させておく必要があるならもう何年か後の方が……」
「成長期の頃によく立ち眩みした、って経験はないかな?」
思い当たる節があるのか、男性陣は互いに目を合わせると頷いたり肩を竦めたりしている。その頃に立ち眩みがなかった訳ではないけどそこまで頻繁にあった記憶はない。
「あれは体の成長に対して血が足りなくなって起こるんだよ。体の成長に血の生成が追いつかない。その性質を逆手に取った、ってところかな」
「つまり、どういう事ですか?」
アリスは目をグルグル回しながら頭を掻いている。理由が全く思い浮かばない。
「血を受け継ぐ事で生成と体の成長を促進させる。忌人の血を体に馴染ませるには自然な形で血を増やせる環境を与えた方が何かと都合がいい」
「体に負担をかけずに血を増やしていく、って事か」
更に体の成長を促す作用があるなら血を扱うに相応しい器を作ると言う見方も出来る。時間をかけて少しずつ人とは違うものに姿を変えていく。その過程にあるウォッカを、ヨハンはどんな思いで見ているのだろうか。
「血を受け継いだ時点で黒炎を使う事は出来る。でも上手く扱うには黒炎と言うより血そのものの扱いに慣れないといけない。そういう意味では昨夜の殴り合いは非常に都合のいい肥やしになった」
殺し合いの間違いでしょ、と言いたくなった。少なくとも一般的にはそうに違いない。胴に風穴を空けられても尚生きていられるのは忌人をおいて他にない。
「それまで血縁でしか受け継げなかったものが血を介して誰にでも継承出来るものになった。元々がただの人間であったとしても適切な指導の元で基礎を造り上げてから血を受ければ立派な戦力になる」
「つまり、その始祖はいい意味では忌人の敷居を下げたんだな」
ウォッカは力強く頷いた。リーゼルは困ったような、仕方無いような顔で頬を掻いている。
有り難いのか迷惑なのか判らない。
タダで手に入るような安い代物ではない。人の限界を超える修練を絶えず積まなければならないのだからむしろ苦労する事の方が遥かに多い。無論そこで終わりではない。血を受け継げばその責務を全うしなければならない。
つまり黄泉人、そして帰死人を完全に無に還す事が忌人に課される重大な責務に他ならない。敗北は死を、そして黄泉人の傀儡になる事を意味する。故に敗ける事は断じて許されないハズだ。もしそんな事になれば……。
「その力を以て、黄泉人達と闘い続けてるんだな」
「そうです」
師匠は息子か、或いは孫の労を労うような目でウォッカを見た。物心がついた頃には道場にいた。でも家族の姿は見た事も、話に聞いた事もない。疑問に感じた事もある。いてもおかしくない、むしろその方が自然に思えた。でも口にはしなかった。
今、一体どんな思いでウォッカを見ているのだろう。
「最初の黄泉人は、その後どうなったんだ?」
もし彼が今でも生きていたら、きっと世界は大混乱に陥っている。何百年も生きている化け物の話など怪談でも聞いた事がない。それを始末するのが忌人に与えられた使命のハズだ。
どうしてこんな聞き方をするのだろう。
「彼は古代種や人間を次々に帰死人へ変えながら勢力を拡大していきました。ですが、当時の忌人には彼に抵抗出来るだけの力がなかった、逃げ回るだけで精一杯だったんです」
攻撃面では端から相手にならず、死体の数だけ敵が増えていく。その敵すらかつての仲間か、あるいは家族だった可能性も捨て切れないのだ。
「生き延びる過程で必死に己を鍛え上げ技を磨きました。抵抗するにしても精々軽くいなす程度でした。攻勢に転じる事が出来るようになったのは身体能力の向上と殺すための技術が養われるようになってからです」
そうなるまでにどれだけの時間を要したのか、聞いてみるのも気の毒に思えた。それまでにどれだけの命が失われたのか、どれだけの仲間を斬り捨てて来たのか。
「彼が死んだ、消滅した事を示す明確な証拠は残されていません。口伝も含めて」
「それじゃ、まだ生きて……」
ミリアムの顔がさっと青褪めた。ウォッカが頷くと両手で口を塞ぐ。
「帰死人と黄泉人を生み出した代償として長い眠りに就いている、忌人の間ではそう考えられてる。事実それだけ大量の血液を消費していた事は間違いないからな」
「じゃ、厄介なオマケもついてるのね」
苦笑いしたウォッカの表情がやけに子供っぽく見えた。
「帰死人としても最高位の力を持ってるだろうな。並の忌人じゃまず相手にもならない」
並の忌人なら。まだ修行の最中にあるウォッカなど言うに及ばずだ。最早ただの人間が立ち入る余地など残されていない。摂理を覆した異形の者達の闘いだ。
「彼以外にも黄泉人はいる。その全てが眠りに就いているかどうかに関してもハッキリとは判っていない。その残りを探し出して始末する事は勿論だけど、その系譜を受け継いでいる国が一つある」




