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野蛮人は北へ行く  作者: サワキ マツリ
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六日目 その拾弐

「ウォッカ」

 返事はなかった。目を向けただけだった。その目もいつもとは雰囲気がまるで違う。怒っている訳ではない。でも冗談を挟めるような余地は全く残されていない。研いだばかりの刃のようだった。

「生命体、って言ったわよね?」

「ああ」

「どういう事?」

 意味がよく判らない。生命体ならば機械のような無機物と言う事は有り得ないけど、言葉に生の温もりを感じさせるものがない。

「黄泉人と帰死人の消去を目的に人為的に生み出された人型兵器、と言い換えてもいいかな」

 眉間にシワが寄ったのがハッキリ判った。全く意味合いが変わっていない。

「別に小難しく考えなくていい。ナリは人と変わらないからな」

「じゃあ、何が違うの?」

 少し考えただけで候補がいくつか頭に浮かぶ。でもそれを本人の口から直接聞きたかった。推測に意味などない。必要なのは明確な事実だ。

「ちょっとやそっとでは壊れない強靭な肉体、それと黄泉人と帰死人を完全に消滅させる手段を備えた人の形をした存在って事だよ」

 思わずウォッカの胸に目が行った。厳密には胸の少し下、鳩尾を中心にして赤黒い染みが波紋のように広がっている。その真ん中の布地は刃物で縦に切り裂かれていた。これだけ激しく出血したところを見ると貫通しているのかも知れない。普通の人間ならば間違いなく即死している。仮に一命は取り留めたとしてもしばらくはまともに動く事も、そして話す事も出来ない。予断を許さない状態が続いている事は想像に難くない。

 でも、目の前にいる当人にはそんな気配など微塵もない。いつもと比べて雰囲気こそ真剣だけど、寝起きに朝食を食べながら世間話をするような気安さも同時に感じる。少なくとも生死を危ぶむような重傷を負ったような気配も、今にも命が尽きるような緊張感もない。

「具体的に、どれくらい頑丈なの?」

「骨も鉄より硬いし骨折程度ならすぐに修復出来る。それに折れる事もまずない」

 鉄より硬い骨とは一体どのくらいの強度なのか。 でも、それで殴られたら骨が粉砕するのは間違いなさそうだった。筋力の問題もあるけどそれくらいの力がなければ釣り合わない。

「じゃ、真剣を骨で受け止める事も可能なの?」

「出来ない訳ではないけどまずやらない。痛覚も強化されてるけど当然痛みは感じるし、防御も回避も身に付いてないならどの道長生きは出来ないからな。少なくとも忌人として戦場には立てない」

「何で?」

「防御も回避も出来ないような奴は血を継承する資格すら与えられない。不合格って事だな」

 強い痛みではなくても、傷をすぐに癒す事が出来ても、それに胡座をかくようでは力を継ぐだけの資格はない。

「質問」

 身を乗り出したアリスが律儀に手を上げた。果たして授業中もこれくらい積極的なのだろうか。

「傷や怪我もすぐに治せちゃうし、細胞とか体組織の再生も出来る訳ですよね? そこまで出来るのにどうして更に頑丈な体を作る必要があるんですか?」

 頭の中に脳細胞の代わりに筋繊維が詰まっているアリスにしては実に的確な指摘だった。出そうになった声を喉元で辛うじて堪える。

「簡単に死なないようにするためだよ」

 頑丈ならばそれに越した事はない。でも首を切り離されても生きているとなるとそれは不死身に近い生命力を得ている事になる。言葉は悪いけど確かにウォッカ本人も認めている通り化け物同然だ。

 そこまで考えてハッとした。そうだ、そう簡単には死ねない。もし死んだら……。

「黄泉人の手先に成り下がる。奴らの操り人形になる訳にはいかないからな」

 敗北は死を、そして甦生は服従を意味する。一度帰死人として甦生すれば死ぬ瞬間まで弄ばれる事になる。

 死にたくはない。でもそんな目に遭うくらいなら死んだ方がマシだ。

「仮に手足が切断されてもくっつけた上で治癒すれば治るまでにそこまで大袈裟に時間はかからない。ただ流石に戦闘中にやられるのはキツいかな」

 いくら時間がかからないとは言え、戦闘の最中に僅かでも隙を作ればそれは死に直結する。況してやウォッカの、いや彼らの敵は普通の人間ではない。

「血が覚醒してる時は多少の傷なら勝手に治る。大量に出血してもすぐさま体内で新しい血液が急速に生成される。ま、それは本当についさっき身を以て知ったばっかりだけど」

「血が生成されるって……」

 またウォッカの胸に視線が移っていた。

黒い布地を更に不吉な色に塗り替えるようにして赤黒く染まっている。こんな傷を負ったら間違いなく即死だ。でも傷を修復するだけでなく失った血液を自分自身で作る事すら出来てしまうなんて。ビックリ仰天を通り越して開いた口が塞がらない。

「じゃあ何か、ウォッカ自身もそれを知らなかったのか?」

「話くらいは聞いてたけど、戦場なら兎も角まさか旅先の田舎街で身を以て体験するなんて事は流石に考えなかったからな」

 ヨハンが顔色をなくした。

 そうだ、奴らの兵隊を何人も惨殺した顔も知らない男もウォッカと同じ忌人なのだ。それが偶々こんな辺鄙な田舎街で顔を合わせる事になろうとは。意外どころの話ではない。そして当然のように剣を交えている。

「ホントに、開いた口が塞がらねえなあ」

 親方さんが口を半開きにして言った。さっきから完全に取り残されているようだった。当たり前だ、常識が通用する類いの話ではない。

「あの、その相手の方はご無事なんですか?」

 一瞬ギョッとしたようにカティを見た。どうしてそんな危険な男の事を気にかけるのか、それが判らなかった。

 視線に気付いたカティは気不味そうに顔を俯けた。非常に危険な人物だ。実際にこの街に来てから何人もの人間を殺している。でもカティにはウォッカと同様命の恩人なのだ、気になるのも無理からぬ話なのかも知れない。

「無事だよ。俺もあいつの胸に風穴開けたけどそれも塞いだし傷も治した」

 胸を撫で下ろすようにしてカティが笑った。誰しも人の死は望まない。危険人物でも命の恩人ならば尚更だ。

「でも、殺そうとした奴の傷を治すなんて人がいいと言うか何と言うか……」

「さっきも言ったと思うけど、別に殺すために闘った訳じゃない。結果的に手駒にされた事に変わりはないけどあいつには、その……カティを二度も助けてもらってるし恨みどころかむしろ恩義の方が強い、かな」

「じゃあ、何でそこまで派手に闘う必要が……」

 吐き出そうとした言葉が中途半端に途切れた。ウォッカが睨むような目でヨハンを見ている。でも断じて本気で睨んでいる訳ではない。目の色に狂気に近い何かが含まれていた。およそ常人には理解し難い何かが。

「そうしないと収まりがつかなかったんだよ、お互いにな」

「収まりがつかないって……」

 言った先からウォッカの肩が、髪が微かに震えた。お湯が急激に沸騰するようにして髪が真っ赤に染まった。見開いた目も血のように赤い。

 赤い目がヨハンを見た。見た目の印象とは裏腹に表情は穏やかだった。

「悪いな、思い出したらまた熱くなっちまった」

 深呼吸するように息を吐くと髪が元の黒に戻った。

「まだまだ修行が足りないな」

「そういう問題なの?」

「そういう問題なんだよ、その一点に尽きる」

 物憂げに溜め息を吐いた。

 確かに闘った記憶が甦っただけで髪や目が赤く染まっていたら、その様を誰かに見られていたら途端に大騒ぎになる。どういう修行が足りないのかは判らないけど、溜め息程度で済むほど軽い問題でない事は確かだった。

「彼も、忌人なのよね?」

「ああ。互いにまだ修行中の身だけどな」

 足技だけで十人以上の人間を蹴散らし、人知れず何人もの人間を惨殺するような真似が出来てもまだ修行を積まなければならない。

 普段道場で重ねている練習とは最早次元が違う。鍛練の意味合いもあるだろうけど、ウォッカ達の修行は純粋に人を、いや黄泉人や帰死人を殺すためのものだ。お遊びで済むような甘い代物ではない。

 それに思い到って改めて身震いがした。

 確かに姿形は人と変わらない。でも身に付けているものは明らかに人とは違うものだった。

「体の頑丈さも必要でしょうけど、それだけじゃありませんよね?」

「勿論。攻めなきゃどんな相手にも勝てないからな」

 守っているだけでは事が進まない。標的を排除するにはそれに足る明確な手段が必要だ。

 アリスは姿勢を正すと真っ直ぐウォッカを見た。授業中もこれくらい気合いが入っているといいんだけど。

「体力や筋力、身体能力全般は普通の人間とは比較にならないくらい高い」

 振り降ろした剣が命中したと思った時には綺麗に空振りしていた。並外れた動体視力と運動神経がなければまず不可能だ。

 大の男を片手で放り投げる腕力も相当だけど、寸止めした正拳突きの風圧で一人を吹っ飛ばすなど到底考えられない。それを可能にする筋力がウォッカにはあるのだ。

「でも、殴る蹴るじゃ奴らは殺せないだろ。普通の人間なら兎も角、黄泉人や帰死人相手じゃ焼け石に水じゃ……」

「だからこいつを使う」

 ウォッカは壁に立て掛けていたものを手に取るとテーブルに置いた。トージが、いやトージに限らずセージもリーゼルも前に身を乗り出してそれを見る。

 真っ黒に染められた鞘が陽の光を跳ね返して鈍く光った。

「短剣にしてはやたらでかいな」

 トージが感心したように言った。

 見るからに刃が分厚い。柄もそれに見合うだけの太さと幅がある。並の腕力ではまず片手では扱えない。剣を振るのではなく剣に振られてしまうのは明らかだ。

「ちょっと、持ってみてもいいかな」

「構わないよ」

 セージはゆっくりと手を伸ばした。持ち上げようとした腕が半ばで止まる。息を呑む音が聞こえた。

「ちょっと貸してみろよ」

 兄を押し退けてトージが短剣を引っ手繰った。目がお皿のように丸くなる。

「こんなに重いのかよ!」

 ヨハンとミリアムは目を合わせるとおかしそうに笑う。気付けばすっかり距離を縮めていた。思えば怒濤のような一週間だった。大変な目にも遭った。危うく死にかけた。大切なものもなくしかけたけど、こうして無事取り戻せた。その過程で二人の間で変化があったのかも知れない。想いを遂げる事が出来たのなら、姉としては素直に応援したかった。ミリアムならば背中を押すまでもなくその一歩を踏み出せる、そう思っていたけど予想に違わず望んでいたものをこうして手にしている。全く、本当に大した妹だ。私も負けてられないな。

 ウォッカはトージに手を差し出した。

「これだけ重けりゃ斬るのも容易だろうな」

「勿論重さだけに頼る訳じゃない。そこに真っ直ぐ力を載せる」

 刀身の厚みと重み、そして切れ味に力と勢いを加える。刃筋が立っていなくても大概のものは斬れるだろうけど下手にそんな事をすれば刃が傷む。そうならない方法を、基礎を確実に身に付ける事を忘れていない。

 そうしなければ障害を排除出来ない。

「でも、何で短剣なんだ? 剣の方が長さもあるし有利に事を運べるんじゃ……」

 剣を扱う者としてはセージの指摘は非常に真っ当に聞こえた。得物が長ければいいと言う訳ではないけど、短いのも少し気掛かりだった。

 そこまで考えて端と思った。剣より遥かに短い武器を得物にしたこの男に終始圧倒され続けたのだ。あの時持っていたものが木製ではなく本物だったら。恐らく、いや間違いなく相手にされる事すらなく一瞬で終わっている。

 だから、それが故に興味が泡のように湧いた。ウォッカは、忌人はどのようにして黄泉人や帰死人を葬るのか。死から帰った者を、死から帰す者をどうやって無に還すのか。

 ウォッカが短剣を水平に構えた。

「まず首を切り落とす」

 短剣をゆっくりと真横に薙いだ。

 血の気が引いた。確実に息の根を止めるならこれ以上有効な手段も他にない。

「別に黄泉人や帰死人に限った事じゃない。こうすれば敵をほぼ無力化出来る」

 首を切り落とされても生きている生物など基本的に何処にも存在しない。爬虫類も両生類も鳥類も、首が胴から切り離されたら生を維持する事は出来ない。哺乳類は言うに及ばずだ。

「肉体を完全に破壊する事が原則であり前提なんだ。最初に首を切断出来ればそれに越した事はないけど、それが無理なら少しずつでもいいから確実に相手を痛めつける」

「具体的に、どんな事をするの?」

「首が難しいなら四肢を切り落とすか直接心臓を狙う。或いは主要な動脈を切断するかな。他には眉間とか喉笛、目も突くし鼻も潰す」

 アリスは咄嗟に口を塞ぐと顔を背けた。

 手加減云々の話ではない、全て急所だ。純粋に殺す事が目的なのだ、それ以外に彼らが黄泉人達と闘う理由がない。稽古でも鍛練でもない。理想や綺麗事が入り込む余地など全く残されていない。

 それを残酷と罵るのは完全に外野の意見だった。殺さなければ殺されるのだ、手加減する必要も理由もない。下手に気を脱げば満足に死ぬ事も叶わない傀儡に成り下がる。

 考えただけで吐き気がした。

「でも、イマイチ釈然としねぇなあ」

 短剣をマジマジと見詰めながらトージは何処か素っ惚けたように言った。

「剣の方が長いし、傷付かずに安全に闘うならやっぱりその方が……」

「より近い距離から確実に仕留める、それが俺達のやり方なんだ」

 安全の確保が二の次とまでは言わない。でも飽くまで優先すべきは黄泉人と帰死人の殲滅なのだろう。それに不死身とまでは言わないけどそれに近い生命力を得たのもそれを目的にしているからかも知れない。多少の痛みなら充分に耐えられる。その分を倍返しにして確実に葬ればいい。

 肉を切らせて骨を絶つ。本当に肉を切られてもすぐに癒えるならば犠牲にもならない。考えるべきは骨を、いや敵の命を完全に絶つ事にある。考え方としては実に乱暴だけどある意味理には叶っている。大切なのはそれを実現、いや実行する事を前提に彼らが生み出されている事だ。

 闘うために、いや殺すために造り出された人の姿をした紛い物、勿論そんな風には思わないけどウォッカ自身はそう考えているのかも知れない。

「体は頑丈だし傷が出来てもすぐに癒える。それだけでも充分に凄いけどそれじゃ奴らは蹴散らせないだろ」

「おっしゃる通りです」

 ただでさえ壊れづらい体の上、それを瞬時に治癒する力を併せ持っている。これ以上磐石な守りもない。

 でも守るだけでは勝てない。

 近距離戦に特化した攻撃手段として短剣を挙げてはいるけどそれだけではどうしても心許ない気がする。死を自在に操る化け物を相手にするには絶対に足りない。

「攻撃手段として基本は短剣に依る至近距離からの破壊がありますが、勿論その礎になるものがあります」

 椅子の背凭れを両手で抱えるとリーゼルが身を前に乗り出した。

「素手に依る破壊です」

「格闘術か」

 そうだ。雨霰のように降り注ぐ拳の連打を折り畳んだ両腕だけで防ぎ切り、寸止めした正拳突きの風圧だけで人一人を吹っ飛ばし、刹那の瞬間に急所を的確に見極めて最小限の動きで最大限の効果を獲得する技術、どれを取っても一朝一夕では得られない。血の滲むような鍛練を積んで初めて形を持つ。

 確実に敵を仕留めるための技術、それがウォッカの礎なのだ。

「黄泉人が人を支配するようになってから、辛うじて生き延びた人達は奴らに対抗し得る力と技術を死に物狂いで研究しました」

 それまで持っていた術では対抗出来なかった。不死の概念に反対するだけの連中に、形こそ歪んではいても懸命に苦労と研究を重ねて来た一人の天才に抗う余地は最初から残されていなかった。

 それが、力を与えられたと勘違いし胡座をかいた人間の末路なのかも知れない。

「唯一幸いだったのは術の研究を重ねた事で、結果的に非常に頑丈な体と長い寿命を得るに到った事です。術の性質が体に馴染む事で体の仕組みそのものが根っこから大幅に強化されたんです」

「彼らもまた、普通の人間ではなくなったのね」

「ああ。さっきも言ったとは思うけど」

摂理に従うのか、摂理に反するのか。そんな議論自体がそもそも間違っている。力を授かった時点で摂理に反しているのだから。

「術を持ち肉体が強化された一部の人間は古代種と呼ばれました。そこから更に枝分かれしたのが忌人です」

「質問」

 起き上がりこぼしのような勢いでアリスが手を上げた。ウォッカは先を促すように手を差し出す。

「どうして分かれたの?」

「同感」

 トージがアリスに倣った。目付きが既に殺気立っている。

「ウォッカの祖先は、忌人は黄泉人達に対抗する力として生み出された訳だろ? じゃ、残ったその連中は指を咥えて殺されるのを待ってた、って事か?」

「別に殺されるのを受け容れたって事はないよ。ただ抵抗はしなかった。人里離れた土地で誰にも知られないようにひっそり暮らした、って話だ」

「そんなの、ただ逃げてるだけじゃん」

 腕を組んだアリスの目が徐々に釣り上がっていく。

「座して待つなんて俺は絶対にごめんだ」

「お前はな」

  拳を握っていきり立つ弟を兄は冷たく牽制する。

「彼らには彼らの事情があった、それだけの話だろ」

 結婚したばかりの人もいたかも知れない。子供が生まれた人もいただろう。そんな人達を死地に赴かせる事など絶対に出来ない。少なくとも強制は無理だ。

「アリス」

 父が宥めるような目でアリスを見た。

「気持ちは判るよ」

 人一倍血気盛んで正義感に溢れる娘の気持ちは痛いくらいに理解している。それでも父はゆっくりと首を横に振った。

「だがもしお前が闘う事を選ぶとしたら、俺は全力で止める」

 静かだけど揺るぎない決意を漲らせた言葉だった。怯むようにアリスの目が震える。

 そんな娘の腕を母が掴んだ。僅かだけど、目尻に涙が滲んでいた。

 アリスは観念するように再び椅子に腰を下ろした。膝の上で握っている拳が小刻みに震えていた。

 誰にも彼らは責められない。守る人がいる。そんな人達の命を無駄に散らせる事は出来ない。

「でも、黄泉人や帰死人に家族や近しい人を殺された人達もいた」

 場の空気が一気に重くなった。

 綺麗事だけでは済まされない。殺された人達は満足に死ぬ事すら出来ず、黄泉人の傀儡として弄ばれるのだ。一思いに死を迎える事も叶わず、かつての仲間や家族を殺す事を強要され操り人形のようにして生き続けなればならない。

 底の見えない真っ暗な穴に突き落とされたような気分だった。一辺の光も差し込まない、あるのは真っ黒な絶望だけだ。

「だから俺達が造られた」

 ウォッカが拳を握り締めた。

「摂理を歪める者を完全な無に還す、それが存在意義の全てだ」

 絶望の中に見出だした光はただのまやかしでしかなく、現実を更に黒く、そして暗く塗り潰す。深い霧の立ち込めた夜空よりくらい世界に光を灯す役割を与えられたのが忌人だとすれば、これほどの適任も他にないだろう。

「忌人も、奴らと同じ血が流れてるんだからな」

 すぐ隣で息を呑む音がした。

 口を両手で覆ったまま、カティが愕然と目を見開いてウォッカを見ていた。


「消術の力を逆転させる作用は彼が生み出した。古代種はその方法論しか持たなかった」

 理屈には何の意味もない、具体性を伴う事で初めて現実味を帯びる。頭の中で考えた事を形にしたのが彼だ。

 でもウォッカは、忌人は消術を逆転させる作用を概念だけでなく手段として確立させている。まさか黄泉人に教えを乞うたとも思えない。

「どうやって、忌人はその力を得たの?」

 模倣するにしても手本となるものは絶対に必要だ。でも彼らは友人でも師弟でもない。かつては仲間だったけど完全に袂を別った敵同士だ。そしてあらゆる面に於いて敵に先を越されている。

「殺した帰死人を幾つも解体して肉体や内臓、血の性質も含めて解析した」

 言っている意味が咄嗟には理解出来なかった。

 無視しているのか最初から反応を考慮していないのか、ウォッカは構わず話を進める。

「古代種の下地に黄泉人と帰死人の力を複製したんだよ」

「あの……」

 授業中にお腹が痛くなって中座を申し入れる学生より遥かに気不味い雰囲気でミリアムが手を上げた。

「それって……」

「そうだよ」

 手品の種明かしをするようにアッサリと、でも重苦しくウォッカは言った。

「忌人の力や性質の礎になっているものが奴らなんだ」

 喉が強張った。考えている事が言葉にならない。

「今も言ったと思うけど、俺らにも奴らと同じ血が流れてる」

「どうして、そんな事をする必要があったんですか?」

「そうしないと生き残れなかった、それだけだよ」

 古代種としての力だけでは対抗出来なかった。少し冷静になれば敢えて考えるまでもない。攻撃も防御も、黄泉人と比較すると余りに貧弱だった。小振りの剣と盾を携えて重火器で武装した軍隊に挑むようなものだ。勝敗は最初から見えている。

 だから盗んだ。戦場に無数に転がっている兵士の死体から武器や防具を剥ぎ取るようにして、使えるものを手当たり次第に盗み、自分のものにした。そうやって武装しないといつ殺されるか、そして操り人形にされるか判らないのだ。呑気に理想や綺麗事を並べる暇はない。

 カティは顔を両手で覆ったまま首を横に振り続けていた。ウォッカは自身を化け物と称した。並大抵の事では息絶えず、首を切り落とされても生きている、そこが化け物の所以だと思っていた。確かに間違いではない。そしてそれは摂理を覆したかつての仲間の力を複製したものだった。

 でも、それでもこの大飯食らいで大酒呑みでボーッとしているのかしっかりしているのか判らないこの男を化け物などとは思わなかった、考えたくもなかった。違う、あなたは化け物なんかじゃない。そう言ったら、果たしてウォッカは笑ってくれるだろうか。

「黄泉人は死体を自分の血で満たす事で帰死人として甦生させて完全に掌握する。古代種か可能だった事は体内及び体外の傷の修復までだった」

 力を写し取る事によってどんな変化がもたらされたのか、その答えが見えそうで見えない。もどかしさに胸を掻き毟りたくなった。

「って所までならさっきも話したけど、血の生成は古代種にも不可能だった。大きな違いはそこだ」

 ウォッカはイリナを、肩の辺りを見た。

 傷口を塞ぐだけでは助からなかった。 失った血液をウォッカが分け与えてくれなかったら、新たに血を生成しなければここにいる事は叶わなかった。

「それと、消術を逆転させて生じる一連の作用も奴らの力を複製させて初めて扱えるようになった。それでも力そのものは黄泉人には遠く及ばなかったらしいが」

 雷雲を発生させ、雨滴全てを瞬時に凍り付かせる。複製しただけでそこまで出来れば何の苦労もない。

「でも、練習すれば、稽古を重ねれば差も少しは埋まりますよね?」

「埋まったとしても極僅かだよ、小指の爪の先くらいのもんさ。元々持ってるものが違い過ぎる、それに彼が必死で研究を続けていた間、他の連中は権力の上に胡座をかいてただけなんだ。そんな怠け者が短期間で力を増幅させようなんて虫が良すぎるだろ」

 拳を握り締めて立ち上がったアリスは意気消沈したように椅子に腰を据える。そこまで歴然とした差があったら、それが埋まる見込みもないならいくら練習の虫のようなアリスでも気持ちが萎えるのも無理はないのかも知れない。

「そこまで圧倒的なのかよ」

「対術に依る勝負なら比較にならない差で黄泉人に軍配が上がる。素手の子供が武装した兵士に挑むようなもんだよ」

 喉元に刃を突き付けられるようにしてヨハンの表情が強張った。複製は飽くまで複製でしかない。どれだけ努力してもそれそのものを超える力は得られない。

「そんなの、殆ど八方塞がりじゃない」

 声が震えていた。

 見渡す限りの絶望だった。希望が差し込む余地などまるで残されていない。

 でも、こうしてウォッカがここにいると言う事はそんな圧倒的に不利な状況を覆した事に他ならない。

「術による攻撃を他の言葉に置き換えると面の破壊力、って事になるんだが」

「面?」

「広範囲に渡る攻撃って事だよ。一人の状態で複数を相手にしても瞬時に敵を始末出来る、それが奴らの攻撃面に於ける最大の強みだ」

 そして死体に変えた敵を傀儡として自在に操る事が出来る。依然として状況が不利である事に変わりはない。

「だからまず体を、肉体を一から作り替える必要があった」

「どうして?」

「簡単にくたばる訳にはいかない、さっきもそう言ったハズだぜ?」

 一度死んだら屈辱に塗れた仮初めの生を強要される事になる。息はあっても、動く事は出来ても生きた心地などしなかったに違いない。これ以上ないくらいの辱しめだ。

「忌人の体が頑丈に出来てるのはそういう理由だよ。敗北は許されない、必ず奴らの息の根を止める。俺らの最大の義務だ」

 ウォッカは握っていた拳から人差し指を真っ直ぐに立てて見せた。

「ただ体が頑丈ってだけじゃ負ける事はないにしても勝つ事は出来ない。故に筋力も大幅に強化する必要があった」

 頑強な、屈強な肉体は伊達でも飾りでもない。戦闘に勝つ事を前提に造り出された兵器そのものだった。強化した筋力を以て至近距離から確実に敵を仕留める、それが忌人の攻撃の型、と言う事だろうか。

 ウォッカは抜いていた短剣を左手に持つと逆手に構えた。握った右の握り拳を脇に添える。

「これが攻めの型の基本だ」

 短剣に依る攻撃だけではない。そこに徒手空拳を織り交ぜる事で攻撃がより複雑になる。何処から何が飛んでくるのか、正直まるで判らなかった。よくかわせたものだ。そうではない、当たらないように手加減してくれていたのだ。全く、武骨な外見に似合わず人がいい。

「相手との距離を限界まで詰めて首を切り落とす。間合いに入れさえすれば後は好きに料理出来る」

「そ、そんな簡単にと言うか、上手くいくのかよ」

 ウォッカが横目でチラリとヨハンを見て笑った。純粋な笑顔とはかなり違う、実に不敵で物騒な表情だった。

「黄泉人は摂理を覆しす力を得はしたけど、黄泉人も帰死人も肉体そのものは普通の人間と何ら変わらない。対して忌人は筋力も身体能力も耐久力も常人のそれを遥かに凌駕する」

「つまり、どういう事?」

 アリスは目を閉じたまま頻りにこめかみを人差し指で叩いていた。判りそうで判らないようなもどかしさと言うか苦渋に満ちた表情で胸を掻き毟っている。

「対術に依る戦闘は圧倒的に不利だけど、駆けっこと腕相撲なら負けないよ、って事なんだけど」

 簡単に言うと。

 簡単過ぎる喩えだった。そして実に判りやすい。

「つまり敵を捕捉出来て懐に飛び込めれば充分に勝機はある、と」

「ま、そういう事だな」

 暗雲が立ち込めていた空に差し込んだ一条の光を見たような気がした。

 そうだ、忌人の血を引いているウォッカが今ここにいるならば、黄泉人を打ち負かした事実が存在する事に他ならない。

 強化した肉体を更に一から徹底的に鍛え上げている。だからこそ一瞬で間合いに侵入し狙い澄ました一撃を的確に急所に撃ち込める。それを可能にする土台が整っている、それが忌人なのだ。

「さっきも話したように黄泉人の攻撃手段として優れているのは面、つまり全体の破壊力なんだ。一人で複数を相手にしても難なく蹴散らせるだけの攻撃力がある」

「忌人は、それにどう対抗したの?」

 ある程度予測はつくけど飽くまで推測の域を出ない。それを本人の口から直接質したかった。

「忌人に求められたのは一人一人、つまり個を確実に破壊する事にある。面よりも点を破壊する事が重要なんだ」

 広く浅くより狭く深く、四肢を切り落とし首を跳ね、確実に敵を葬る。忌人が死を与えるために選択した手段は実に妥当で明快だった。

 そこまで考えた時、思わず息を呑んでいた。

 ダメだ。それだけでは、殺すだけでは足りない。普通の人間が相手ならばそれでいい。忌人の敵は死体を甦らせるような化け物なのだ。単純に殺すだけでは黄泉人が甦生させてしまう。

 殺すだけでなく、完全に消滅させなければこの殺し合いの螺旋は終わらない。

「でも、殺すだけじゃ足りないよな」

「殺しても誰かが生き返すなら完全に無駄骨だろ」

 セージとリーゼルは目を合わせると互いに苦笑いした。二人がこの可能性に気付かないハズがない。甦生を阻止しなければ忌人の闘いが終わりを迎える事はないのだ。蟻地獄に突き落とされた方がまだマシな気がした。

「その通りです」

 ウォッカは二人を交互に見ると僅かに目を伏せた。掌を見詰めていたかと強く拳を握り締める。

「奴らは殺すだけじゃダメなんです。存在そのものを完全に消滅させなければ意味がない」

「でも、消術なら忌人も使えるんですよね」

 ミリアムが縋るような目でウォッカを見た。

「勿論使えるけど、単純に燃すだけじゃ時間がかかるし中途半端に死体が残るような事になれば奴らに甦生される。ただの焔じゃ意味がないんだ」

 さっきから想像が追いつかない。そして黄泉人を完全に消滅させる事は想像以上に困難だった。傷付いた誰かを癒すだけではない。死を覆す化け物を完全に消し去らない限り忌人の闘いは終わらないのだ。

 ウォッカの肩に載っているものの重さが改めて判った気がした。

「黄泉人は生術を極める事で帰死人を生み出し、摂理を覆した」

 テーブルに置かれていた氷を掴むと、ウォッカは軽く指先に力を込めた。

「対して忌人は消術を極めて全てを完全に消し去る手段を確立した」

 不意に眉が上がった、目を見開いていた。

 氷を握っていたハズのウォッカの指がいつの間にか掌に付いていた。あんなに大きかった忽然と姿を消していた。

 残っているもう一つの氷を握ると宙に放った。最高点に達した氷が下降を始めた瞬間、ウォッカの掌から黒い霧のようなものが立ち上った。黒い霧に触れた氷が音もなく消えた。

一体何が起こったのか。あの黒い霧のような、モヤのようなものは何なのだろうか。それが氷を消したのだとしたら。

 掌の上で焔のように揺らめいている黒い霧をウォッカは握り潰した。

「今お見せしたのが忌人が編み出したあらゆるもの完全にを消し去る焔、黒炎(こくえん)です」

 大人の拳大はあった巨大な氷が跡形もなく消えていた。テーブルにはその名残のように雫が滴った痕が残っていた。


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