勇者パーティを外された荷物持ちは自分の本当のスキルを知らなかった
「――ユアン。今日で、お前にはパーティを抜けてもらう」
その言葉を聞いたとき、ユアンは何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
王都の中央広場から一本裏へ入ったところにある冒険者酒場《銀樹亭》。
その二階にある小さな個室には、五人の男女が集まっていた。
窓の外では雨が降っていて、古い硝子を細かな雨粒が叩いている。
階下から聞こえてくる酔客たちの笑い声が、今だけは妙に遠く感じられた。
テーブルの上には、手をつけられていない五つの木杯が並んでいる。
いつもなら、この席で次の旅について話すのだ。
どの道を使うか、食料は何日分必要か、誰が最初の見張りをするか、途中で寄れる村はあるか。
ユアンはそのつもりで、魔王領までに必要な物資の一覧まで作ってきていた。
その話を始める前に、カイルからパーティを抜けてほしいと言われた。
「……抜ける?」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど間の抜けたものだった。
向かいに座る金髪の青年、カイル・レーヴェンがわずかに眉を寄せる。
今では勇者と呼ばれているが、五年前はユアンと同じ駆け出し冒険者だった男だ。
「悪く思わないでくれ。俺たちは明日、魔王領へ入る」
「知ってる」
「これまでとは違う。魔王領にいるのは、最低でも上位種の魔物だと言われている。俺たちだって、自分の身を守るだけで精一杯になるかもしれない。そこで、戦えない人間を守りながら進むのは難しい」
カイルが言葉を選んでいることは分かった。
ユアンを傷つけたいわけではないのだろう。それが分かるからこそ、余計につらかった。
「つまり、俺が足手まといになるってことか」
カイルはすぐには答えなかった。
その沈黙が、何より明確な答えだった。
「そっか」
隣に座っていたフィアナが身じろぎした。
栗色の髪を肩まで伸ばした神官で、五人の中では一番よくユアンに小言を言う。
その向かいでは赤髪の魔術師ルーチェが唇を結び、壁際に立つ大柄な剣士バルトも、腕を組んだまま何も言わなかった。
五人が出会ったのは五年前だ。そのころのカイルはまだ勇者ではなく、バルトも名の知れた剣士ではなかった。
ルーチェは火球一つまともに飛ばせず、フィアナも小さな傷を治しただけで顔を真っ青にしていた。
ユアンも同じ駆け出しだったが、一つだけ違うことがあった。
四人はそこから強くなったのに、ユアンだけはほとんど変わらなかった。
剣の腕は人並み以下で、魔術は使えず、神聖術の才能もない。
持っているスキルは、触れた物を異空間へしまっておける《収納》だけだった。
珍しくもない生活系スキルだったため、ユアンは自然と仲間たちの荷物を引き受けるようになった。
食料や水はもちろん、鍋やテント、薬、着替え、予備の武器、替えの靴、野営用の毛布まで、旅に必要な物はほとんどユアンの《収納》に入っている。
必要になりそうな物を覚え、足りなくなる前に補充する。
それが五年間続けてきたユアンの役割だった。
「まあ……そうだよな」
ユアンは笑った。
「俺、自分でも思ってたんだ」
「何を?」
フィアナが尋ねる。
「みんな、強くなったなって。最初はカイルなんて、ゴブリン一匹に追い回されてたのにな」
「今その話をするか?」
カイルが顔をしかめたので、ユアンは少しだけ気持ちが軽くなった。
「フィアナは擦り傷を治しただけで倒れてた」
「昔の話でしょう」
「ルーチェは初めて火球を使ったとき、自分の前髪を燃やした」
「ユアン」
「はい」
「それ以上言ったら、今度はあなたの髪を燃やすわよ」
「今は上手に燃やせるようになったな」
「そういう問題じゃない」
ほんの少しだけ、部屋の空気が緩んだ。
ユアンは最後にバルトを見る。
「バルトは……」
「俺の失敗談はない」
「初めての野営で泣いた」
「黙れ」
全員が笑った。
ほんの一瞬だけ、いつもの五人に戻ったような気がしたからこそ、そのあとの沈黙が重かった。
「でも、俺だけなんだよ。五年前から、何も変わってないの」
誰もすぐには否定できなかった。
それが何よりの答えだった。
ユアンは椅子から立ち上がった。
「分かった」
「ユアン」
「抜けるよ」
カイルは苦しそうに目を伏せた。
「……すまない」
「謝るなよ」
笑ったつもりだったが、上手く笑えていたかは分からない。
五年間、毎日のように顔を合わせてきた。
喧嘩もしたし、笑ったし、死にかけたこともある。
酒を飲みながら朝までくだらない話をしたことも、一度や二度ではない。家族より長く一緒にいた時期さえあった。
だからユアンは、最後に一言だけ伝えた。
「今までありがとう。楽しかったよ」
それ以上何かを言えば、本当に離れたくなくなる気がした。ユアンは四人の返事を待たずに、部屋を出た。
一階へ降りると、酒杯を打ち合わせる音や酔客の笑い声、給仕を呼ぶ声が入り混じっていた。
誰もユアンを見ていない。
ここにいる人間たちにとって、勇者パーティといえばカイルたち四人のことで、その荷物を運んでいる男の顔まで知っている者はほとんどいない。
普段なら少し寂しく感じることもあったが、今日はむしろありがたかった。
酒場の扉を開けると、まだ雨が降っていた。
軒先から落ちる雫が石畳を叩き、冷たい雨粒が頬に当たる。
傘なら《収納》の中に入っている。それでも取り出す気にはならず、ユアンはそのまま雨の中へ踏み出した。
「ユアン!」
背後から声がした。
振り返ると、フィアナが酒場から飛び出してくるところだった。
彼女も傘を持っていないため、栗色の髪がたちまち雨に濡れていく。
「風邪ひくぞ」
「そんなことどうでもいい」
「よくないだろ」
「本当にいいの?」
「何が?」
「パーティを抜けること」
ユアンは一瞬黙った。
「……俺が決めたわけじゃないけどな」
「そういう意味じゃなくて。あんなふうに言われて、本当に何も言わなくていいの?」
フィアナは怒っているようだったが、その怒りが誰に向けられているのか、ユアンにはよく分からなかった。
カイルなのか、黙っていたルーチェやバルトなのか、それとも、あっさり受け入れてしまったユアン本人なのか。
「何を言えばいいんだよ」
「分からないけど……あるでしょう」
「例えば?」
「悔しいとか、納得できないとか。一緒に行きたいとか」
「言ったら、何か変わる?」
フィアナが言葉に詰まった。
ユアンは雨の向こうに霞む王都の通りを見た。
「俺だって、よくはないよ。寂しいし、腹も立ってる。明日から何したらいいのかも分からない。五年もずっと一緒だったのに、急に『今日で終わり』って言われても、そりゃ困るよ」
「だったら――」
「でも、カイルの言ってることも分かるんだ」
ユアンは自分の手を見た。剣士のような硬い剣だこもなければ、魔術師のように魔力を扱い続けた痕跡もない。
「魔王領で俺を守ろうとして、誰かが死んだら嫌だ」
「そんなの、分からないでしょう」
「分からないよ。でも、俺がみんなを守れないのは分かる。俺、戦えないから」
「それだけが役に立つってことじゃないでしょう」
「分かってる。荷物は持てる」
「そういう意味じゃない!」
思った以上に大きな声だった。通りを歩いていた男がこちらを振り返ったが、フィアナは構わなかった。
「あなた、自分が何もしてこなかったと思ってるでしょう」
「何も、とは思ってないよ」
「じゃあ何をしてきたと思ってるの?」
「荷物を持ってたし、飯も作った。野営の準備もしたし……そういえば、靴が破れたときに直したこともあったな」
「そうじゃなくて!」
「じゃあ何だよ」
フィアナは口を開いたが、そこで言葉が止まった。
五年間、彼女たちは何度もユアンに助けられてきた。
傷ついて野営地へ戻れば温かい食事があり、夜になれば誰かが言う前に毛布が出てきた。
薬が足りなくなる前に補充され、雨が降れば外套が出てきて、武器が欠ければ予備が差し出された。
けれど、それらはあまりにも当たり前になっていた。
だからフィアナ自身、一つ一つを言葉にして「だからあなたは必要なのだ」と説明することができなかった。
「……ほら。フィアナだって分からないだろ」
「違う。分からないんじゃない。うまく言えないだけ」
「同じじゃない?」
「違う!」
また怒られて、ユアンは苦笑した。《収納》から傘を一つ取り出してフィアナへ差し出す。
「使えよ」
「あなたは?」
「もう濡れてる」
「私だって濡れてる」
「じゃあ二人ともいらないな」
「そういうところよ」
「何が?」
「……もういい」
フィアナは傘を受け取ったが、開こうとはしなかった。
「ユアン」
「ん?」
「私は、嫌だから」
「何が?」
「あなたがいなくなるの」
ユアンは少しだけ目を見開いた。
フィアナはそれ以上言わなかった。言葉にすれば泣いてしまいそうだったのかもしれない。
「……馬鹿」
「なんでだよ」
「知らない」
「理不尽だな」
ユアンは笑って歩き出した。
十歩ほど進んでから振り返ると、フィアナはまだ同じ場所に立っていた。
しかも、せっかく渡した傘をまだ差していない。
「傘、使えよ!」
「うるさい!」
それが、勇者パーティの一員としてユアンが仲間と交わした最後の会話になった。
翌朝、カイルたちは魔王領へ向かい、ユアンは王都に残った。
昼過ぎになって冒険者ギルドへ行ったものの、依頼掲示板の前で途方に暮れることになった。
五年間も勇者と旅をしていたというのに、討伐実績がほとんどないユアンの冒険者等級は低い。
掲示板にはオーガ討伐や盗賊団討伐、遺跡探索、商隊護衛などの依頼が並んでいるが、どれも一人では難しかった。
掲示板の端に、小さな依頼書が貼られている。
《薬草採取。一本につき銅貨二枚》
「五年冒険して、薬草採取か」
少し情けなくなって笑ったが、それでも腹は減るし、宿代も必要だ。
今の自分にできる仕事を選ぶしかない。
「やるしかないな」
ユアンは依頼書を剥がした。
王都から半日ほど歩いた森で、ユアンは一人で薬草を摘んだ。
いつもなら前をカイルとバルトが歩き、少し後ろでルーチェとフィアナが話している。
今は木々を渡る風と鳥の声しか聞こえない。
変な茸を見つけたときにはルーチェに見せようと思い、少し道を間違えたときにはカイルへ声をかけそうになった。
大きな虫を見つけたときなど、「フィアナが見たら嫌がるだろうな」と考えてから、もう誰もいないことを思い出した。
「……静かだな」
もちろん、返事はない。
ユアンは小さく息を吐いて薬草採取を続けた。
見つけた薬草はその都度《収納》へ入れていき、五十一本目をしまったところで、森の奥から悲鳴が聞こえた。
「誰かっ!」
考えるより先に身体が動いた。
木々の間を抜けていくと、少し開けた場所に一人の少女が倒れていた。
その前にいるのは、鉄のように黒い毛皮と太い牙を持つ巨大な猪型の魔物、アイアンボアだった。
新人冒険者なら四、五人で相手をする魔物である。
少女は足から血を流しており、とても逃げられそうにない。
「……くそ」
ユアンは腰の剣を抜いた。
カイルから最低限の扱い方は教えてもらったが、実戦で魔物を斬った経験などほとんどない。
怖くないわけがなかったし、自分が勝てる可能性が低いことくらい分かっている。
それでも、少女の「助けて」という声を聞いてしまった。
「俺、こういう役じゃないんだけどな」
そう呟いてから、ユアンは走った。
「おい!」
アイアンボアが振り向き、赤い目がユアンを捉える。次の瞬間には地面を蹴り、巨体が一直線に迫ってきた。
避けなければ死ぬ。
そう思った瞬間、ユアンは奇妙な感覚を覚えた。
アイアンボアの動きが、妙に遅く見える。
実際に魔物が遅くなったわけではない。自分の身体が、普段とは比べものにならないほど軽かった。
これなら避けられる。
身体を捻って突進をかわし、すれ違いざま、反射的にアイアンボアの牙を掴んだ。
「え?」
自分でも何をしているのか分からなかった。
それでも身体は自然に腰を落とし、突進の勢いを利用するように巨体を持ち上げた。
「うおっ!」
数百キロはあるはずのアイアンボアが宙を舞い、そのまま大木へ激突した。轟音が森に響き、驚いた鳥たちが一斉に飛び立っていく。
アイアンボアは動かなくなった。
ユアンはしばらく自分の手と倒れた魔物を交互に見た。
少女も呆然としている。
「……すごい」
「待って。今の、俺?」
「ほかに誰がいるんですか?」
「だよな」
ユアンはもう一度、自分の手を見る。
「俺、こんなに強かったっけ?」
「私に聞かれても……」
少女の名はエリナといった。駆け出しの冒険者で、一人で薬草を探しているうちにアイアンボアと遭遇したらしい。
足を捻挫していたので、ユアンは彼女を背負って王都まで戻った。
「ユアンさんって、高位冒険者なんですよね?」
「違う」
「でもアイアンボアを投げましたよ?」
「事故だと思う」
「魔物を投げる事故って何ですか?」
「俺が知りたい」
そんな会話をしながら夕方には冒険者ギルドへ着いた。
受付嬢のマリエは、背負われたエリナを見るなり驚いて駆け寄ってきた。
「エリナさん!? その足、どうしたんですか?」
「魔物に襲われて……ユアンさんに助けてもらいました」
「ユアンさんが?」
「なんで驚くんです?」
「い、いえ。それより薬草は?」
「今、話を逸らしましたよね?」
ユアンはため息をつきながら《収納》を開き、採取した薬草を取り出す。
まとめて薬草を受付台に置いた、その瞬間だった。
突然、身体が重くなった。
「うわっ」
思わず受付台に手をつく。
「どうしました!?」
「いや、急に身体が……」
そこまで言って、ユアンは気づいた。
身体が重くなったのではない。
元に戻ったのだ。
ユアンは試しに薬草を一本《収納》へ戻してみた。すると、ごくわずかだが身体が軽くなった気がする。
二本、三本と増やすほど、その感覚は少しずつ強くなった。
「……まさか」
「ユアンさん?」
「マリエさん、倉庫に重いものあります?」
「重いもの?」
「できれば、ものすごく重いやつ」
マリエは明らかに警戒した。
「……何をする気ですか?」
倉庫には鉄塊が置かれていた。
重さは五百十キロある。
ユアンが両手で持ち上げようとしても、当然びくともしない。
「やっぱり無理か」
「当然ですよ」
「ですよね」
そこでユアンは鉄塊に触れ、《収納》を使った。
鉄塊が異空間へ消えた瞬間、身体の奥で何かが変わった。
血が熱くなり、筋肉の一本一本に力が満ちていくような感覚がある。
「……何だ、これ」
近くに置かれていた別の鉄塊へ手を伸ばし、何気なく持ち上げる。
片手で持ち上がった。
マリエが口を開けたまま固まる。
ユアンも鉄塊を持ったまま固まった。
「……え?」
「……え?」
二人の声が重なった。
翌日、冒険者ギルドにオルフェンという鑑定士が呼ばれた。
齢七十を超える白髭の老人で、王都でも有数の《鑑定》スキルの使い手だという。
彼はユアンを椅子に座らせると、長い時間をかけて何度もスキルを調べた。
調べれば調べるほど眉間の皺が深くなっていくので、ユアンは次第に不安になってきた。
「……妙じゃな」
「悪い意味ですか?」
「いや。珍しいという意味じゃ。若いの、誰がおぬしのスキルを《収納》と鑑定した?」
「村の神官です。十二歳のときに」
「正式な鑑定士ではないのじゃな?」
「村にはいなかったので」
オルフェンは納得したように頷いた。
「簡易鑑定か。それなら間違えても不思議ではない。おぬしのスキルには確かに物を収納する能力があるが、《収納》そのものではない」
「じゃあ、何なんです?」
「《蓄積》じゃ。それがおぬしのスキル名らしい」
初めて聞く名前だった。
オルフェン自身も実物を見るのは初めてらしく、古い記録に一度だけ似た名を見たことがあるという。
彼が棚から持ってきた分厚い本には、確かに《蓄積》というスキルについて短い記述が残されていた。
――収納せし物、その性質を己が糧とする。
説明は、それだけだった。
「……これだけ?」
「これだけじゃ」
「全然分からないじゃないですか」
「だから珍しいと言ったじゃろう。昨日の鉄塊の件を考えれば、収納した物の性質がおぬし自身へ何らかの形で還元されると考えるのが自然じゃな」
「鉄塊を入れたら力が強くなりました。薬草を入れていたときも、身体が軽かった気がします」
「ならば薬草が持つ生命力、あるいは身体を活性化させる性質が影響したのかもしれん」
「かもしれない?」
「わしは鑑定士であって神ではない」
オルフェンはむしろ楽しそうに笑った。
「記録がないなら、試してみればよい。おぬし自身でな」
「人を実験材料みたいに言わないでくださいよ」
「自分で自分を実験するだけじゃ」
「もっと嫌なんですけど」
それから三日間、ユアンはギルドの訓練場を借りて、自分のスキルを一つずつ確かめた。
鉄塊を収納すると力が増し、取り出せば元に戻る。
薬草の場合は一本や二本ではほとんど変化がなく、数十本収納してようやく疲労の抜け方に違いを感じる程度だった。
小さな魔石を入れてみると、測定器に表示されるユアン自身の魔力量がわずかに増えた。
何でも一つ入れれば劇的に強くなるわけではないらしい。それを知って、ユアンは少し安心した。
最後に試したのは、ギルドの倉庫に眠っていた古い長剣だった。刃こぼれだらけだが、かつて高位冒険者が長年愛用していた物だという。
《蓄積》へ収めた瞬間、ユアンは奇妙な感覚を覚えた。
「……変だ」
「どうした?」
オルフェンが尋ねる。
「剣の握り方が分かる気がする」
訓練用の木剣を手に取って構えると、昨日までとは明らかに違った。
どこに足を置き、どう重心を移せば剣を振りやすいのかが、理屈ではなく感覚として伝わってくる。
踏み込み、木剣を振る。
風を切る音がした。
見学していた剣士が目を丸くする。
「お前、本当に剣の素人か?」
「昨日までは」
「昨日まで?」
「俺もよく分からない」
オルフェンは髭を撫でながら考え込んだ。
「物そのものの性質だけではなく、長く刻まれた何かまで取り込むのかもしれんな。技そのものなのか、使い手の癖なのか、それはまだ分からんが」
つまり、剣を収納しただけで突然達人になれるわけではない。ただ、昨日まで分からなかったことが少しだけ分かるようになる。
それでも、ユアンには十分すぎる変化だった。
「俺のスキル、こんなことができたのか……」
十二歳から十年以上、ずっと《収納》だと思って使ってきた。
オルフェンが尋ねる。
「ところで、勇者一行と旅をしていた五年間、おぬしは何を収納していたんじゃ?」
ユアンは指を折りながら思い出した。
「食料、水、テント、鍋、着替え、毛布、靴、干し肉、塩、火打石……あとカイルの下着」
「もうよい」
「まだありますけど」
「もうよい」
オルフェンは深いため息をつき、天井を仰いだ。
「おぬしは恐ろしく珍しい固有スキルを使って、五年間、鍋と下着を運んでおったのか」
「……そうなります」
「才能とは残酷じゃな」
ユアンも、それには反論できなかった。
――そのころ、魔王領では別の問題が起きていた。
「なあ」
大きな荷物を背負ったカイルが、荒れた道を歩きながら振り返る。
「テントって、こんなに重かったか?」
「三十四キロ」
同じように荷物を背負ったバルトが答えた。
「なんで知ってる」
「昨日量った」
「知りたくなかった」
ルーチェは返事をする気力もないらしく、杖を支えにして歩いている。
フィアナも疲れた顔で、その後ろをついていた。
これまでテントや食料、水、薬、着替え、予備装備といった旅の荷物は、ほとんどユアンの《収納》に入っていた。
それがなくなった今、四人は初めて、自分たちがどれほどの量をユアンに任せていたのかを知った。
さらに一時間ほど歩いたところで、ルーチェが水を求めた。
カイルが革袋を振ったが、中身はほとんど残っていない。
「予備は?」
そう言ったあとで、四人は揃って黙った。
「いつもユアンが持っていた」
バルトの一言に、誰も反論できない。
薬も、魔物除けの香も、地図も、予備の革紐も、必要なときにはいつもユアンが取り出していた。
四人はそれを便利だと思うことさえなく、旅とはそういうものだと思っていた。
その夜には、食事の問題まで発覚した。
ルーチェが作ったスープは、なぜか紫色だった。
「これは何だ?」
カイルが鍋を覗き込む。
「スープよ」
「紫色だぞ」
「薬草を入れたから」
「食べられる薬草なのか?」
「身体にはいいわ」
「味を聞いてるんだが」
フィアナが一口飲み、しばらく無言で考えたあと、静かに器を置いた。
「どうだ?」
「神に祈りたくなる味」
「神官が言うと怖いな」
バルトも一口飲んだ。そして険しい顔でしばらく咀嚼したあと、ぽつりと言った。
「……ユアンの飯が食いたい」
誰も反論しなかった。
翌朝にはカイルの剣の柄紐が切れ、昼にはフィアナの靴底が剥がれた。
夕方には魔物除けの香が尽き、その夜は三度も魔物に襲われた。
四人とも戦えば強い。
襲ってくる魔物そのものは倒せる。
しかし、戦うたびに眠る時間が削られ、傷が増え、薬と食料が減っていく。
疲労が抜けなければ翌日の進行速度も落ちる。
これまでならユアンが用意していた予備の装備も、補修道具もない。
三日目の朝には、四人とも目の下に隈を作っていた。
戦いに勝てることと、旅を続けられることは同じではない。
カイルはようやく、その当たり前のことを理解した。
「……戻るか」
誰も反対しなかった。
王都へ戻った四人は、その足で冒険者ギルドへ向かった。
扉を開けるなりカイルはユアンの名を呼んだが、目に飛び込んできたのは予想していたものとはまるで違う光景だった。
ギルドの中央に大勢の冒険者が集まり、その中心にユアンがいる。
カイルはしばらく呆然と眺めてから、受付のマリエに尋ねた。
「……何してるんだ、あいつ」
「あら、勇者様。ご存じないんですか?」
「何を?」
「昨日、ユアンさんがワイバーンを倒しましたよ」
四人が揃って固まった。
「……どうやって?」
「殴って」
「殴って?」
「はい」
バルトがしばらくユアンを観察したあと、真面目な顔で言った。
「俺より強いかもしれない」
「やめろ。聞きたくない」
カイルは頭を抱えた。
やがてユアンも四人に気づいた。
「久しぶり」
カイルが声をかける。
「十二日ぶり」
「数えてたのか?」
「暇だったから」
少しだけ気まずい沈黙が落ちた。
カイルはしばらく迷ったあと、ユアンに向かって頭を下げた。
「戻ってきてくれ」
「え?」
「お前が必要だ」
「荷物?」
「……それもある」
「それも?」
ルーチェが横から口を挟む。
「料理も」
バルトも続いた。
「野営も」
フィアナはため息をついた。
「この人たち、あなたがいないと三日で生活が崩壊したの」
「勇者パーティだよね?」
「戦闘以外は壊滅的だったみたい」
「お前もだろ!」
カイルに言われ、フィアナは少し目を逸らした。
「私は靴底が剥がれただけ」
「十分困ってただろ!」
思わず笑いが起きたが、カイルはすぐに表情を改めた。
「それだけじゃない。俺は、お前を役立たずだと思った。戦えないって、それだけを見てたんだ」
ユアンは黙って聞いた。
「でも、魔王領に入って分かった。俺たちは戦える。でも、戦う場所まで無事に辿り着くことも、戦ったあと次の日まで生き延びることも、勝手にできてたわけじゃなかった。お前がやってたんだな」
十二日前、自分でも説明できなかった。フィアナも上手く説明できなかった。
自分が五年間、何をしてきたのか。
カイルの言葉を聞いて、ユアンにもようやく少しだけ分かった気がした。
「それに……」
カイルが周囲に積まれた魔石を見回す。
「なんか普通に強くなってないか?」
「スキルが《収納》じゃなかったんだ」
「何?」
「《蓄積》っていうらしい」
ユアンは簡単に能力について説明した。
カイルは最後まで聞いてから、額を押さえた。
「つまり俺は、珍しい固有スキルを持ってる奴を戦えないと思ってパーティから外したのか?」
「そうなるな」
「否定してくれよ」
「事実だろ」
カイルは盛大にため息をついた。
そのやり取りを見ていたフィアナが、ユアンに尋ねる。
「戻りたい?」
ユアンはすぐには答えなかった。
十二日前なら迷わなかっただろう。戻ってこいと言われれば、すぐに戻ったはずだ。
けれど、一人になったことで自分のスキルを知り、自分にもできることがあると分かった。
その上で四人を見る。
やはり、一緒にいたいと思った。
「一つ条件がある」
「何だ?」
「荷物は自分で持つ」
「それだけは困る!」
あまりにも早い返事に、ユアンは思わず笑った。
「テント三十四キロだぞ!」
「バルトに持たせろよ」
「断る」
「お前まで!」
「私は魔術師だから重い物は無理よ」
「関係ある?」
「あるわ」
フィアナは横で笑っている。
ユアンは呆れながら《蓄積》を使い、四人の荷物を次々と異空間へ収めた。
すると身体の奥に、以前なら気づかなかった程度の小さな力が満ちていく。
「ただし、今度は俺も戦う。それから飯は交代制」
「……飯については」
「交代制」
「善処する」
「交代制」
「はい」
ユアンは少しだけ迷ってから、もう一つ付け加えた。
「あと、もう俺を役立たず扱いするな」
今度はカイルも笑わなかった。
「ああ。絶対にしない」
その返事を聞いて、ユアンは頷いた。
「なら、戻るよ」
カイルが手を差し出す。
「おかえり」
ユアンはその手を握った。
「ただいま」
その横からフィアナが口を挟んだ。
「私は最初から役立たずだなんて思ってなかったけど」
「そうなの?」
「そうよ」
「じゃあ、あの日に言ってくれればよかったのに」
フィアナが固まった。
「言おうとしたわよ」
「言えてなかったじゃん」
「……あのときは、うまく言葉にできなかったの!」
「やっぱり分かってなかったんじゃ」
「違うって言ってるでしょう!」
十二日ぶりに、五人の笑い声が揃った。
魔王領へ戻ってから、五人の旅は以前とは大きく変わった。
ユアンは倒した魔物の魔石を《蓄積》へ収め、そのたびに自分の身体に起こる変化を記録した。
魔石を増やせば魔力が増し、質のいい薬草を大量に収納しておけば疲労や小さな傷からの回復が早くなる。
優れた武器を収納すれば、その武器を扱うための感覚が少しだけ身体に残った。
ただし、《蓄積》はユアンを一瞬で万能にしてくれるスキルではなかった。
剣を一本収納したからといって達人にはなれず、魔石をいくら集めても、知らない魔術を突然使えるようにはならない。
《蓄積》が与えてくれるのは、あくまで力と可能性だった。
それを自分のものにするには、結局ユアン自身が学ばなければならなかった。
だから朝にはバルトから剣を習った。
「腰が高い」
「こう?」
「まだ高い」
「これ以上下げたら座るぞ」
「なら座れ」
「剣術ってそういうもの?」
昼にはルーチェから魔力の扱い方を教わった。
「集中して」
「してる」
「全然してない」
「してるって」
「今、晩飯のこと考えたでしょう」
「……なんで分かった?」
「顔」
夜にはフィアナが身体の状態を診てくれる。
「無茶しすぎ」
「今日はそんなにしてない」
「ワイバーンに殴りかかる人間が言う台詞じゃない」
「勝ったよ」
「勝てば無茶じゃないと思ってる?」
「……違うの?」
「そこに座りなさい」
「はい」
そしてカイルは、しばらく考えてから尋ねた。
「俺は何を教えればいい?」
「料理?」
「なぜ俺が教える側なんだ」
「じゃあ習って」
「……はい」
旅の仕方そのものも変わった。
以前ならユアンが一人で済ませていた野営の準備を、今は全員で分担している。
カイルが薪を集め、バルトがテントを張り、ルーチェが水を用意し、フィアナが食材を切る。
ユアンもその中に混じりながら、足りないものだけを《蓄積》から取り出した。
荷物を持つことが嫌だったわけではない。
料理も、野営の準備も、仲間の装備を直すことも嫌いではなかった。
ただ、それしかできないと思っていた。
仲間たちも、それをユアン一人に任せるのが当たり前だと思っていた。
今は違う。
「カイル、焦げてる」
「え?」
「鍋!」
「うわっ!」
「だから火を弱くしろって言っただろ」
「ルーチェ! 火!」
「私のせいにしないでよ!」
慌てるカイルの横で、バルトが無言で鍋を火から下ろす。フィアナは呆れながら皿を並べている。
ユアンはそんな四人を見て笑った。
《蓄積》が珍しいスキルだったことよりも、以前より強くなれたことよりも、またこの場所にいて、今度は同じ冒険者として四人と歩いていけることの方が嬉しかった。
それから一年後、魔王は討たれた。
世界を救った五人は、それぞれ英雄として名を残した。勇者カイル、神官フィアナ、炎術師ルーチェ、剛剣バルト、そして《蓄積》のユアン。
もう誰も、彼をただの荷物持ちとは呼ばなかった。
魔王討伐から数日後、王都の宿で五人は長い旅の荷物を整理していた。
「ユアン」
カイルが呼ぶ。
「何?」
「俺の着替え、まだ入ってる?」
「たぶん」
ユアンが《蓄積》を開くと、シャツやズボン、靴下、古い外套などが次々と床へ現れた。
その中に大量の下着が混じっているのを見て、カイルの動きが止まった。
「……ユアン」
「何?」
「これ、何年前のだ?」
ユアンは一枚つまみ上げ、少し考えた。
「五年前くらい?」
「なんでまだ持ってる!?」
「お前が預けたから」
「捨てろよ!」
「人の物を勝手に捨てられないだろ!」
「五年前のパンツだぞ!」
「俺に言うな!」
ルーチェが腹を抱えて笑い、フィアナは顔を覆った。
バルトだけは何も言わず、見てはいけないものを見たような顔で静かに部屋を出ていく。
「待てバルト! その反応が一番傷つく!」
「俺は何も見ていない」
「見ただろ!」
世界を救って英雄になっても、五年間預かった荷物の整理だけは、まだしばらく終わりそうになかった。




