Ep.44 失っていた記憶
【微かな綻び】
リフォームされた湖畔のお屋敷、セシリアが焼くパンケーキの甘い香り、ガイアスの暑苦しい怒鳴り声、そして僕を「勇者様」と慕うレオンやフローラ、リリィ。
Lv 1の無力な人間として墜落した僕を、この「家族」はあまりにも完璧な愛で迎え入れてくれた。
だが、カイルの高い知力は、幸せを享受すればするほど、静かな、けれど逃れようのない「論理的矛盾」を囁き続けていた。
(……おかしい。何かが、決定的に噛み合っていない)
僕はかつて、自分の喉を石ナイフで裂こうとした場所、あの夜に焚き火の前で過ごした場所へ一人で足を向けた。
森の一角、あの焚き火後も残っていない所にたどり着いた時、僕は首筋の古傷にそっと指を当てた。
あの日、僕は絶望の果てに「終わり」を選んだ。「神」として積み重ねてしまった罪悪感と、かつて「勇者」だった頃の清廉な自分にはもう二度と戻れないという絶望に打ちひしがれ、自分という存在そのものを消し去ろうとした。
血の匂い、遠のく意識。そして、あの時僕を救ったのは、土煙を上げて洞窟へ駆け込んできたガイアスの絶叫だったはずだ。
「……おかしいな。……僕はあの時、一人で死ぬつもりだった。人里離れたこの場所を、どうしてガイアスはあんなに早く見つけられたんだ?」
旅の途中、誰もいない「今」なら誰にも邪魔されず独りになれると思い立ち、衝動的に行為に及んだあの場所。あてもなく彷徨い、行き着いたこの場所を、あの時のガイアスが、息を切らして間に合うほどの速度で見つけ出せるはずがなかった。
「……カイル。テメェ、……こんなところで何してやがる」
洞窟の入り口から、聞き慣れた、けれど今はひどく緊張した足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには真っ青な顔をしたガイアスが立っていた。彼は僕が再び「あの場所」に立っているのを見て、呼吸を忘れたかのように立ち尽くしている。
「……ねぇ、ガイアス。一つ聞いてもいいかな? あの日、君はどうして僕の居場所が分かったんだい?」
僕の問いに、ガイアスは苦しげに顔を歪めた。
【封印されていた「もう一つの終焉」】
「…………気づいちまったか。……カイル」
ガイアスの声から焦りが消え、代わりに底知れない静寂が広がった。
その瞬間、僕の脳裏に「封印されていた記憶」が奔流となって流れ込んできた。
記憶の中のあの日、ガイアスの絶叫は聞こえなかった。必死に僕の名を呼ぶ声も、僕を引き止める大きな手も存在しなかった。
僕は独り、冷たい床で意識を失った。誰にも見つけられず、誰にも惜しまれず、ただ世界から「神」という機能が消滅した……それだけの、無機質で静かな終わり。それが、この世界の真実の記録だった。
「……おかしいな。……じゃあ、今、僕の隣にいる君たちは……誰なんだ……?」
Lv 1の僕の心臓が、恐怖で今にも止まりそうなほど激しく脈打つ。
僕のステータスは【覚醒(絶望)】へと書き換わり、特性『時間軸の迷子』が発動する。今の幸せが、誰かの、あるいは自分自身の「妄執」が作り出した幻影ではないかという疑念が、心を蝕んでいく。
「……ああ、そうだ。テメェの記憶通りだ、カイル。あの日、俺は間に合わなかった。俺がたどり着いた時、テメェはもう……冷たくなってたよ」
ガイアスは、僕に触れようとした手を止め、自嘲気味に笑った。
「……俺は諦めきれなかった。魔王の座も、命も、全部投げ出して……神の残滓に食らいついたんだ。テメェが死ぬ瞬間に零した『寂しい』って一滴の願いを拾い上げて、この世界を……この『記録』を、無理やり再構築したんだよ」
いつの間にかガイアスの背後に立っていたセシリアやレオン、リリィ、フローラたちが、淡い光を放ち始める。
「カイル様。私たちは、ガイアス様の願いと、あなたの『生きたい』という微かな未練が結びついて生まれた、幸福なバグなのです」
「……勇者様。……フローラ、偽物でもいいよ。……勇者様と、一緒にいたいもん……」
ああ、そうか。ここは、死の間際に見ている夢なのか。それとも、ガイアスが僕のために作ってくれた、優しい監獄なのか。
真実を知ってしまった僕の視界から、屋敷の色彩が、温度が、急速に薄れていく。
【崩壊する世界】
「嘘だ……嫌だ。嫌だ……嫌だ!」
僕は首筋に添えた小石を投げ捨て、耳を塞いでその場にうずくまった。Lv 1の小さな身体が、耐えきれない絶望に激しく震える。
僕が愛した家族は、僕の死後に魔王の未練と執念が混ざり合って作り出した砂上の楼閣。
「……カイル、泣くんじゃねぇ! 嘘じゃねぇ、ここにいる俺の体温も、テメェを抱きしめた腕の力も、全部……全部本物にしてやったんだよ!!」
ガイアスが必死に僕を抱き寄せようとするが、彼の腕が僕を通り抜け、実体を失い始めていた。
「……カイル様。……お粥、……冷めてしまいましたね。……ごめんなさい、……最後まで、お側にはいられなくて……」
セシリアが光の粒子となって霧散し、屋敷の壁がひび割れた洞窟の岩肌へと戻っていく。
「……嫌だ、フローラ!! レオン!! どこにいくんだ!! 僕を独りにしないで!!」
掴もうとしたフローラの服は、ただの冷たい夜風へと変わった。
ステータスは【虚無】。特性は『本当の孤独』。
すべてが消えゆく闇の中で、唯一、ガイアスの「瞳の光」だけが、執念深く僕を見つめていた。
「……カイル。もし、テメェがまだ……この『地獄』に戻りたいって願うなら。俺は、何度だってテメェを騙してやる。テメェがこの真実を忘れるまで、俺がずっと、騙し続けてやるから」
カイルはふと思ったことを口にした。
「……ねぇ、ガイアス、僕がいなくなったら、......君はどうなっちゃうんだい?」
その問いに対し、ガイアスは絶望に満ちた歪な笑みを浮かべた。
「……どうなるか、だと? 決まってるだろ。テメェが死んだあの日、俺の時間は止まったんだ。テメェがいねぇ世界に、俺の居場所なんてねぇ。……俺は、テメェのいない未来なんて、一秒だって生きてやるつもりはねぇよ」
彼は、僕という存在の残滓をかき集めて、何万年でもこの「夢」を編み直すと誓った。僕が寂しいと言わなくなるまで、自分の魂を永遠にすり潰し続けるという。
(……ああ。この人は、僕のために、自分の魂を永遠に捧げ続けているんだ)
【神格の再臨】
「……知りたくなかった。こんなこと、知りたくなかったんだ……!」
僕は泥をかきむしり、消えようとしている「偽物の現在」を繋ぎ止めようと抗った。真実なんていらなかった。平凡な顔で、Lv 1で、ガイアスが暑苦しいとか……そんな文句を言いながら笑い転げる欺瞞こそが、僕の唯一の救いだったのに。
だが、目の前で崩れかけているガイアスの姿を見て、僕の心に別の感情が湧き上がった。
この人を、こんな暗い場所で独りにはさせられない。僕が、この人の「夢」の、唯一の主なんだ。
「……嫌だ、こんな終わりは認めない! 過去の僕、神であった僕!! 傲慢でもなんでもいい、もう一度、やり直させろ!!」
それはLv 1のひ弱な家主の叫びではなく、かつて世界の理を編んだ「神」としての絶対的な命令だった。
霧散しかけていたガイアスの体が、僕の意志によって強引に繋ぎ止められた。周囲の闇が「神」の復讐に怯えるように波打ち、白銀の光が洞窟を焼き尽くす。
「魔王が僕のために地獄を編んだというなら。神である僕は、その地獄を『本物の楽園』に書き換えてやる!!」
僕は自分の「神性」のすべてを代償に、過去・現在・未来の糸を掴み取った。
《 石ナイフが首を裂く寸前の過去。ガイアスが荒野を駆け抜け、僕を見つけるあの瞬間。そのすべてを「正解」として上書きし、彼が僕を抱きしめる歴史を、世界の唯一の真実として固定した。 》
ステータスは【創世神(一時的)】。
特性は『運命の裁定者』。
もはや夢ではない。僕が「神」として、これを現実にした。
【嘘のない日常】
「……カイル、……おい、カイル!! 起きろ、この大馬鹿野郎!!」
揺さぶられる肩。鼻をつく、パンケーキの甘い香り。
窓から差し込む、嘘偽りのない黄金色の朝日。
目の前には、夢でも幻でもない、汗の匂いのする、暑苦しくて、生きているガイアスの顔があった。
(……ああ。勝った。僕は、神の力を使って、このマヌケな毎日を、本物の現実に変えてやったんだ……)
「……あら、カイル様。ひどい寝顔でしたわよ? さあ、顔を洗って、みんなで朝食にしましょう」
セシリアが微笑み、レオンやフローラ、リリィ、そして不器用なガイアスが僕を囲む。
知っている。この幸せが、どれほどの奇跡の上に成り立っているか。でも、もう二度と、僕は自分を捨てない。
僕は神の力をすべて使い果たし、今度こそ本当に、ただの「Lv 1の家主」になった。
首筋の古傷は、もう違和感ではない。二度と離さないと誓った彼らとの、唯一無二の勲章だ。
「……さあ、行こうか。お腹が空いたよ」
神の最後の大仕事は、支配でも管理でもなく、大好きな家族との「平凡な今日」を守ることだった。
僕の知略が、これからも世界一幸せな、嘘のない日常を創り続けますように。
やっと、ここまで来ました!
......何かお伝えしたいと思い、いろいろ考えたのですが伝えたいことが多すぎるのと、これは彼らの物語ということもあり・・・
これからも彼らを応援、お楽しみいただければと思います!




