返信のない日々
アプリを消してから、スマホが軽くなった気がした。
実際には何も変わっていない。
ただ、画面を開く回数がかなり減った。
最初の数日、真衣からの連絡を待っていた。
待っていた、と気づいたのは三日後だった。
来なかった。
来なくてよかった。
そう思った。
思った次の瞬間に、別のことを思った。
その程度だったのか。
どちらが本当の想いかわからなかった。
両方本当な気もした。
その矛盾が、どこかに引っかかったまま取れなかった。
バーに行くと、純さんがいた。
というか、いることを期待していた。
「もうアプリはやめます」
「そうか」
「どうしたいかわからなくなって」
純さんはチラッとこちらを見ただけで何も言わない。
「でも——」
口が止まった。 純さんはグラスを回しながら、正面を向いていた。
「でも、なんだ」
「ひとりじゃわからないこともいっぱい経験しました」
「成功も失敗も」
純さんは何も言わなかった。
しばらく沈黙があった。
氷が溶ける音だけがした。
グラスを口に運んだ。
「失敗はない。経験だ。」
喉の奥が、少し収縮した。
胸だけが動いた。
そこだけが先に反応した。
一週間後、またバーに来た。
「純さんの言ってた意味、まだわかってないんですけど」
「わかってないなら言うな」
「僕が自分のことを知って欲しいと思っていたのは、自分が知らなかったからだって」
純さんは少し間を置いた。
「そうか」
窓の外で誰かが通り過ぎた。
足音だけが聞こえた。
「遅いな」
僕は笑いそうになって、喉の奥で止めた。
理由はわからなかった。
「はい」
純さんがグラスを置いた。
その音のほうが、言葉より残った。
日常は戻っていた。
仕事をして、帰って、飯を食う。
ひとりでいることは慣れた、それは悪くなかった。
ただ、それが本心なのか強がりなのかわからない時がある。
僕はどうしたいんだろう。
またバーに来た夜。
「純さんは、結婚してるんですか」
純さんの手が、一瞬止まった。
「考えてみたら、知らないなって」
純さんはグラスを置いた。
カウンターの上で、指がグラスの縁に触れたまま、動かなかった。
正面を向いたまま、間があった。
「している」
「バーに行くこと、奥さんは何も言いませんか」
純さんはすぐに答えなかった。
グラスを少し回した。
「あいつのやりたいことを尊重してる」
それだけ言った。
続きを待ったが、来なかった。
「寂しがりませんか」
純さんがこちらを見た。
正面からじゃなく、少し斜めから。
「お前は誰かに、いなくて寂しいと思われたいのか」
答えが出なかった。
純さんはもう正面を向いていた。
「お前の想いは大切にしろ、でも押し付けるな」
それ以上何も言わなかった。
僕も聞かなかった。
カウンターの端の造花が、照明の外れで光っていた。
ひとりになって時間もできたのでジムに行くようになった。
ちょうど家の近くに24時間ジムがオープンしたのに合わせて。
いくつかのマシンを使って、汗をかいて、それだけだった。
頭が静かになる時間が、悪くなかった。
ある夜、知っている女性を見かけた。
名前が思い出せない、大学の友人と付き合っていた子だ。
目が合いそうになって、負荷を一段上げた。
床を見ながら、回数を数えた。




