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正義とは何か?

作者: 鈴木美脳

 正義とは何か?


 正義とは、「正義」と呼ばれてきたもののことだろう。有史以前から、様々なものが正義と呼ばれてきた。正義はしばしば衝突し、時に少なくない血が流れ、一方が屈するとともにもう一方の支配権が拡大した。

 しかし、「倫理的な正しさ」は、単に利益のことではない。集団の合理性は個人や部分の利益と常に緊張関係にあり、あるべき貢献と報酬の組を「正義」と呼んできたのだとも言える。

 もっと簡単に言えば、正義つまり「倫理的な正しさ」のうち最も手近なものは、「法的な適法性」だ。あるいはむしろ、法律的に明文化されておらず自明ではない通念や慣習の調整について、倫理という論点が持ち出されることもある。

 一言で言えば、「正義」とは、集団的な利益のことだ。集団の利益に沿った個人や部分の行動は善と呼ばれ、集団の利益を害する行いは悪と呼ばれてきた。


 しかし同時に、人間社会における闘争は常に政治的に行われてきたのであり、味方の社会性を強調し敵の反社会性を誇張する情報工作が常に行われてきた。

 それが、有史以来の人間社会において「正義」と呼ばれてきたほとんど全てがひどくいかがわしい理由だ。

 何かが正義とされるとき、何かが悪とされる。しかし情報工作の実力は常に強者が優越するのであってみれば、社会に通用するナラティブは常に強者によって主導されていることになる。

 すなわち、人類史においては、力が政敵を攻撃し、社会全体への支配と搾取を深化させていくために、倫理というナラティブは使われてきた。

 そこにおいて「悪」とは、支配と搾取に挑戦する行為のことだ。そのような挑戦者達を攻撃して弱体化させ苦しめて殺していくこと、その利己的行動に公共性のナラティブを着せたものが「正義」なのだ。


 そこにはもちろん、嘘がある。利己的現象について公共性を誇張し、弱体化されていく敵の公共性が過小に印象操作されているからだ。

 しかし、倫理に関する語り、ナラティブが、一切の嘘を交えず純粋に真実であった時代など、人類史に存在しない。人間は、自分にさえ嘘をつく生き物だからだ。

 古代において武器は石斧程度であり、情報の伝達は声の大きさで制約され今よりずっと平等だった。現在では、国際的な巨大資本を背景とする巨大企業が世界的な情報システムを管理しており、行き交う情報を制御する実力は権力の上層部へと偏りつづけている。

 すなわち、嘘という意味で深化していくこともまた、人類史の技術発展がもたらす必然にすぎない。


 現代において、主流に抗う情報を形成したところで、その情報は消されるし、消されずとも断絶させられて影響力を失う。

 主流に抗う行動を取った人々もそうであり、殺されたり、立場や資産を奪われて影響力を失う。

 支配と搾取の深化に抗う情報や人々は、まるで初めからそこに存在しなかったかのように、情報環境が構築されていくのだ。


 このような状況にあってはもはや、嘘を嘘だと罵り、支配と搾取の深化に抗う意味もないだろう。

 しかしもし、今だ希望はあると言い張り、その構造的な巨悪に立ち向かう人や人々がいたらどうだろう。

 何ら協力せず傍観者であってもいいのだろうか?


 戦って死ぬ選択をせず私的安寧を優先して生きる選択は、この構造問題に実際に勝機がない場合に限って正当化される。

 しかし、世界線の途中を生きている私達は、逆転勝利が起こらなかったと言い切ることができない。

 ましてやこれは、明確な終わりのない戦いであり、どういう状況になった時点で「負け」と呼べるのかもわからない。


 例えば豚は、すでに人間に負けているのだろうか? あるいはそうではなく、養豚場の豚達がいつか反乱を起こして人類を屈伏し支配者となるのか?

 人工知能による支配が確立したところで同様であり、人類について絶望を言い切ることは容易ではない。

 しかし、この比喩から明らかなように、養豚場の豚達が人類に逆転勝利する時代は確かに、将来にわたって訪れそうもない。


 したがってここに、どうやって「負け」を示すのか、という論点が横たわる。

 人類の幸福を願望するとしても、皮肉にも、人類の敗北を証明する知的努力を強いられるのだ。

 あるいは、構造問題への理解が浅薄な子供達に愛着でも感じて、報われない愛情を捧げて倒れていくことを自ら是とするのか?

 であればその「正義」とは、自己満足なのか?


 であればそのようなことに自己満足を感じ優先する性質は、単に現代社会への適応性の低さなのか?

 あるいは単にそうではなく、人類史と文明史の将来に、支配と搾取のためのナラティブの深化ではない、小さくない揺り戻しの時代が訪れるのか?


 世界の超富裕層への資本の集中は止まることがなく、無人機を用いた人間の一方的な虐殺技術はすでに確立している。

 平等や人権は今も建て前として存在はしているが、ナラティブの裏側で世界は急速に露骨な力学へと作り替えられている。

 もはや、誰もそれに逆らうことはできない。そしてナラティブ支配は強化されつづけ、情報流通の構造は徹底して深刻化しつづけている。


 それは、チェスの盤面のようなものだ。しかし、あらゆる一手が無効化されている。

 愛と誠実を実践することは断絶させられ、事実的な情報は必ず孤立する。

 そして、支配と搾取に迎合し調和した範囲において、人類の表層には平和で繁栄した社会が描かれる。

 能力のある者や努力をした者や善良に振る舞った者が正当に報われる社会が、ナラティブによって表層的に描かれ、人類のほとんどは洗脳されて埋没する。

 それなりにいい時代にそれなりにいい国に生まれたと感じ、それなりにいい人生だったと思いながら死んでいく。

 大衆に対してはこの構造問題を知覚させることすら、すでに完全に不可能なのだ。


 「チェックメイト」「...Нет」

 ...チェックメイト...Нет...

 単に往生際が悪いだけじゃないか。

 往生際は悪いさ。生き物だもの。

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― 新着の感想 ―
 ラストの何ともし得ない台詞が沁みますね。  SNSという隣組が蔓延した現世にあって、この国においては権力者が何を言うでもなく先んじ抗う者を潰す自信が体制側に居ると考え安堵する者が多く、反抗勢力の杜…
 突っ込みどころの多さに笑ってしまいましたけど、内容は全くその通りですね。  正直私は正義に憧れど同時に忌み嫌うという歪んだ人間です。まあ、何が正義で悪なのか理解できないが故に、それを掲げる傲慢さを忌…
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