全校集会
【チェンソーマン】の作者 藤本 タツキ先生にはこんなエピソードがある。
『頭の中で雑誌を作って、そこに自分の漫画を七本くらい連載していた。頭の中の連載が最終回を迎えた時、自分で感動して涙が出そうになった』
このエピソードを読んで、私はまだマシだなって救われる気分になった。卒業式中に自分の考えていたギャグマンガにニヤニヤ笑っていた。この行為をうちの母親が見ていて、私の事をおかしいと思ったらしい。卒業生のくせに何しているんだろうか、と。
このように私は式典とか全校集会での話しを全く聞いていなかった。
体育館に行くため、廊下に並んでいる時から面倒だなと思っていた。特に冬場なんて、寒いからコートかジャンパーを着て行きたいが悲しいかな、昔の学校では許されなかった。もちろん、エアコン設備なんて皆無だ。
そうして軽いディストピア世界の如く、並んで体育館まで歩いていく。……今考えるとこういった全校集会ってSFの管理社会に見られる光景である。あー、ヤダヤダ。
体育館に着いたら、クラスごとに男女二列に並んで直立で校長の長い話しを聞く。みんなはちゃんと聞いているようだが、私には無理だった。だから頭の中でいろんなことを妄想して時間を潰すに力を入れていた。
まず漫画やアニメの続きを考えたりしていた。特にアニメは最後に予告が入っているので、この映像だけで次の回も考察するのだ。あとは自分が考えている話しを考える、頭の創作活動も行う。それから宇宙人襲撃シミュレーションをしたり、妄想で忍者と剣士を戦わせたり……。
だがネタが無くなってきてしまう。そうなってしまうと暇で暇で仕方がない。貧乏ゆすりしたり、頭をゆらゆらしたくなるが先生に怒られそうだ。かといって深窓の令嬢のように貧血で倒れる事なんて出来ない。私は健康優良児なのだ。
そう言えば、先生も話しを聞いているのだろうか? と思って見てみると……頭をかいている先生がいた。他にも指を見ている女性の先生とか、欠伸している先生とか、つまらなそうに聞いている先生とか見えた。
あ、先生も校長の話しはつまらないって思っているんだ……。先を生きると書いて【先生】であるが、妙な親近感が芽生えた。
高校生になって来ると、さすがに他の人も退屈と思っているのかガラケー〈この時代の最新電子端末〉を袖に隠してポチポチと打っている人もいた。
だが私はガラケーなどで時間を潰さなかった。すでに妄想で全校集会の時間を潰す事が出来るようになったのだ。
そうして私は大人になって多くの人に発表したり話したりする経験をしてきた。その時、意外と聞いている人達の行動が分かる事に気が付いた。俯いて指を弄っている人とか、頭を揺らしている人とか、何か別の事を考えている人とか……。
もしかして校長も妄想していたり別の所を見てぼんやりしていた私に気が付いていたんじゃないか? とちょっと背筋か凍った。