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報仇の剣  作者: 熊谷 柿
9/10

遭遇と同心

 偉丈夫いじょうぶが漆黒の襤褸ぼろで全身をまとい、腰には宝剣をびた余祭よさいの姿は、既に王たる者とは程遠い、まるで侠客きょうかくのようなそれだった。

 楚国を目指したものの、余祭は熊招ゆうしょうへ近づく手段すべを考えあぐねていた。

 思案の中で旅を続け、合肥がっぴのとある山中、その嶮峻けんしゅんな山道を登ると、夜も更けた頃合に渓川の急潭きゅうたんへと辿り着いた。小高く突き出た岩肌に佇み、ひとり月夜を悲愁の眼差しで見上げていた。


 すると――。

 突如、秋蟲あきむしが止んだ。


 余祭はいぶかしげに辺りを見回すと、捕吏ほりたちに追われたひとりの若者の姿があった。その眉間には、闇夜にもそれとわかるほどの、鑿で彫られたような深い皺が刻まれていた。


 若者はたちまち数十の捕吏たちに包囲されたが、その意気は猛虎さながらだった。

 刹那、月光に切っ先を煌めかせ見せしめたのは、一騎当千の余祭をもきつけるほどの流麗な剣捌きだった。

 辺りには瞬く間に血腥ちなまぐさい臭いと、無数の屍体したいが累々と横たわった。


 不意に、余祭はその猛虎のような若者としばし眼が合った。悲愁の中に強さが宿っていた。

 渓川の急潭、その飛沫しぶきが奏でる音の中に、再び秋蟲の音がはやし立てるように鳴り響いた。

「お主が殺めたのは郡の捕吏。さては罪人と見た。世に蔓延はびこらせてはならぬ類の輩……」

 余祭は宝剣の莫邪ばくやを抜き放った。その刀身は月光に照り返され、寒々しいほどに美麗な漫理まんりが浮かんでいる。

「……故はないがその命、もらい受ける」

 言うなり、余祭は虚空高く跳躍した。

 夜眼にもそれとわかるほどの、眉間へ刻まれた深いしわ面貌めんぼうが眼前に迫った。莫邪の剣を振り上げ、勢いよくその頭上へ振り下ろす。


「チッ」

 若者は舌打ちするや、咄嗟とっさに鞘より剣を抜き、余祭の一撃を受け止めた。

 月光に照らされ、青々と煌く二本の剣が交錯するや、高く悲しげな金属音が木魂こだました。

「――――⁉」

 一撃をね返された余祭が、次に薙ぎの斬撃を繰り出そうとした、そのとき――。

「ま、待て――‼」

 息を荒げ、炬眼きょがんいたその若者は、一息に言い放ったのである。

「確かに見たぞ。汝の剣に刻まれし銘、莫邪。我が母の拵えし宝剣、莫邪ではないのか――⁉」

「な、何と――⁉」

 誘われたように、余祭と若者の二人が出会ったこの場所こそ、奇しくもかつて干将と莫邪が、雌雄一対の宝剣を拵えた山中だった。


 剣を抜き放ったまま対峙した二人は、互いに己が素性を明かしていた。

「貴殿が名工とうたわれた干将かんしょうどのと莫邪どのの子息、干赤かんせきどのであったか」

貴方あなたさまこそ呉王、余祭さまであられましたか」

 聞けば、母、莫邪を刺客に討たれ亡くした後、ひとり逃れた干赤は楚王よりあだとされ、命を狙われる身となっていた。

「どうか、母の拵えし宝剣、莫邪をこの手に拝見させてはもらえませぬか?」

「是非もない」

 莫邪の剣を手にした干赤は、その刀身、そして彫られた母の名に見入った。照り返された月光が眼に沁みたように、干赤の頬には静かに熱いものが伝った。


 囃すような秋蟲の音が弱まり、夜と朝が混じり合う、しらしら明けの頃合だった。

 意を決したように、干赤は炎を宿した瞳でっと首を立てた。

「余祭さま、我らの宿願は楚王熊招の誅殺。我が首を持ち、熊招に近づかれよ」

 余祭が止めるいとまもなく、干赤は母の拵えし宝剣、莫邪で己が首をねたのである。

「――――⁉」

 鮮血が噴き乱れては降り注ぐ、干赤の首なき熊のような軀幹くかんに、渋面の余祭は呟いた。

「……お主の想いに決して背かぬぞ、干赤」

 言い終えるや、まるで想いを遂げたかのように、屍体と化した干赤のからだどうっと倒れた。


 朝陽が、蘇芳すおうに塗れた余祭の顔を照らしていた。



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