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報仇の剣  作者: 熊谷 柿
5/10

方士、初代介象

 その風貌ふうぼう骨格は、なんとも奇妙だった。

 額は異常に突出し、鼻はひしゃげ、反歯である。身の丈は五尺(約百五十㎝)にも満たず、高い声はまるで銅鑼どらのようだった。それだけではない。どういう訳か右脚が木脚で、あかざの杖を突いている。その体軀たいくまとっていたのは、漆黒の襤褸ぼろだった。


 この者、介象かいしょうという名の隠者であり、方士だった。

 ふらと山中より出でて、麓の閑散とした邑里へその姿を現したかと思えば、みすぼらしい一軒の草庵の前で歩みを止めていた。

「ほう。これはこれは」

 よく見れば、草庵のすぐ横に生えた巨樹、その枝がまるで華蓋かがいのように草庵の屋根を覆っている。


 すると、草庵の前で頻りと感心する介象に艶麗えんれいな声が掛かった。

 しかし、その若々しい声とは裏腹に、頭髪はすっかり白んでいた。その手弱女たおやめこそ、莫邪ばくやだった。

「何がそんなに珍しいのでありましょう?」


 よくぞ聞いてくれたという塩梅あんばいで力強く頷首すると、介象は嬉々として銅鑼の声音を放った。

「この草庵で生まれた赤子は、やがて王となるであろうよ」

 そう告げると哄笑し、木脚を引きって、何処へともなく立ち去った。


 介象の後背を見送った莫邪は、いぶかしげに小首を傾げていた。


 ときは紀元前五四八年――。

 干将かんしょうが雌雄二振の宝剣を手に山中を発ったのは、これより十年ほども前のことである。

「呉王は噂に違わぬ雅量高致がりょうこうちの王であった。しかし、楚王は良き噂を聞かぬ。もし、半年経てども戻らぬとき、わしを既に亡き者と思い定め、この山中より逃れよ。然もなくば、莫邪、そなたの身にも危険が迫ろう……」

 結果、半年が経過しても合肥がっぴの山中に干将が帰還することはなかった。


 依頼を違えたことにより、楚王の報復があると悟った莫邪は、身重の体を叱咤しったし、夫の干将と拵えた一振の青鋼剣と、呉王より賜った財貨を携え、山中より逃れた。

「……寿春じゅしゅん(現在の中国は安徽あんき省寿県)にある欧冶子おうじしさまの草庵がよい。産まれくる我らの子と共に、身を隠すがよかろう」

 干将の言葉どおり、逃れたのは合肥の北方、淮河にほど近い寿春の地、その地にある亡き師、欧冶子の草庵だった。ここで莫邪は干将の子を産み、育んでいたのである。


「母者!」

 草庵より勢い良く出でたのは、体格の良い男児だった。干将と莫邪の一粒種、干赤かんせきである。幼さを宿した面貌めんぼう臥蚕がさんの眉が、父である干将をより髣髴ほうふつとさせた。

 まだ十を数えるか否かの童でこそあったが、あと数年もすれば、干将にも劣らぬ熊のような軀幹くかんとなることは容易に察せられた。既に近隣の童たちに較べ、その膂力りょりょくは群を抜いていた。


「干赤や、先ほどまで奇妙な隠者がここに居られたが、変事はありませなんだか?」

「はい、母者! 例え変事があれど、この干赤が治めてご覧に入れます」

 干赤の闊達かったつな返答に、莫邪は微笑みを返し、母子は草庵へとその身を運んだ。


 莫邪は、一振の宝剣を拵えて以来、鍛冶士としての腕を振るうことはなく、全てを干赤に捧げるようにして暮らしていた。

 干赤が成長するにつれ、姿のない父のことに言及するや、父がその身に被ったであろう悲劇、楚王に謀殺され亡き者となったであろうことを告げていた。

 その頃からであろうか、干赤の眉間にはのみで彫られたような皺が刻まれ始め、幼いながら武芸へ励むようになった。

 ともあれ、干赤は丈夫でたくましく育っていた。


 その間、楚王の熊招ゆうしょうも血眼になって莫邪の行方を追っていた。

 楚国近隣の至る関所には、莫邪の人相見が貼り出され、各地には手配書が回っていた。

 しかし、楚国の拵えた莫邪の人相見は、長く美しい黒髪をした莫邪の容姿だった。既に白髪と化していた莫邪にとって、これは不幸中の幸いだった。故に、十年来も楚国に捕縛されずに済んでいたのである。



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