方士、初代介象
その風貌骨格は、なんとも奇妙だった。
額は異常に突出し、鼻はひしゃげ、反歯である。身の丈は五尺(約百五十㎝)にも満たず、高い声はまるで銅鑼のようだった。それだけではない。どういう訳か右脚が木脚で、藜の杖を突いている。その体軀を纏っていたのは、漆黒の襤褸だった。
この者、介象という名の隠者であり、方士だった。
ふらと山中より出でて、麓の閑散とした邑里へその姿を現したかと思えば、みすぼらしい一軒の草庵の前で歩みを止めていた。
「ほう。これはこれは」
よく見れば、草庵のすぐ横に生えた巨樹、その枝がまるで華蓋のように草庵の屋根を覆っている。
すると、草庵の前で頻りと感心する介象に艶麗な声が掛かった。
しかし、その若々しい声とは裏腹に、頭髪はすっかり白んでいた。その手弱女こそ、莫邪だった。
「何がそんなに珍しいのでありましょう?」
よくぞ聞いてくれたという塩梅で力強く頷首すると、介象は嬉々として銅鑼の声音を放った。
「この草庵で生まれた赤子は、やがて王となるであろうよ」
そう告げると哄笑し、木脚を引き摺って、何処へともなく立ち去った。
介象の後背を見送った莫邪は、訝しげに小首を傾げていた。
ときは紀元前五四八年――。
干将が雌雄二振の宝剣を手に山中を発ったのは、これより十年ほども前のことである。
「呉王は噂に違わぬ雅量高致の王であった。しかし、楚王は良き噂を聞かぬ。もし、半年経てども戻らぬとき、わしを既に亡き者と思い定め、この山中より逃れよ。然もなくば、莫邪、そなたの身にも危険が迫ろう……」
結果、半年が経過しても合肥の山中に干将が帰還することはなかった。
依頼を違えたことにより、楚王の報復があると悟った莫邪は、身重の体を叱咤し、夫の干将と拵えた一振の青鋼剣と、呉王より賜った財貨を携え、山中より逃れた。
「……寿春(現在の中国は安徽省寿県)にある欧冶子さまの草庵がよい。産まれくる我らの子と共に、身を隠すがよかろう」
干将の言葉どおり、逃れたのは合肥の北方、淮河にほど近い寿春の地、その地にある亡き師、欧冶子の草庵だった。ここで莫邪は干将の子を産み、育んでいたのである。
「母者!」
草庵より勢い良く出でたのは、体格の良い男児だった。干将と莫邪の一粒種、干赤である。幼さを宿した面貌に這う臥蚕の眉が、父である干将をより髣髴とさせた。
まだ十を数えるか否かの童でこそあったが、あと数年もすれば、干将にも劣らぬ熊のような軀幹となることは容易に察せられた。既に近隣の童たちに較べ、その膂力は群を抜いていた。
「干赤や、先ほどまで奇妙な隠者がここに居られたが、変事はありませなんだか?」
「はい、母者! 例え変事があれど、この干赤が治めてご覧に入れます」
干赤の闊達な返答に、莫邪は微笑みを返し、母子は草庵へとその身を運んだ。
莫邪は、一振の宝剣を拵えて以来、鍛冶士としての腕を振るうことはなく、全てを干赤に捧げるようにして暮らしていた。
干赤が成長するにつれ、姿のない父のことに言及するや、父がその身に被ったであろう悲劇、楚王に謀殺され亡き者となったであろうことを告げていた。
その頃からであろうか、干赤の眉間には鑿で彫られたような皺が刻まれ始め、幼いながら武芸へ励むようになった。
ともあれ、干赤は丈夫で逞しく育っていた。
その間、楚王の熊招も血眼になって莫邪の行方を追っていた。
楚国近隣の至る関所には、莫邪の人相見が貼り出され、各地には手配書が回っていた。
しかし、楚国の拵えた莫邪の人相見は、長く美しい黒髪をした莫邪の容姿だった。既に白髪と化していた莫邪にとって、これは不幸中の幸いだった。故に、十年来も楚国に捕縛されずに済んでいたのである。