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ヴォワティール王国

はてさて、私の憂鬱よ〜現人神の子どもに溺愛されたので〜

作者: 川原にゃこ

長編作品「盲目の令嬢にも愛は降り注ぐ」と同じ世界観なので、一部のキャラクターの詳細などについてはそちらをご覧いただくと更に楽しんでいただけるかと思います。

あわせてご覧いただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

「そこのお前、俺の妻になれ」


 王立フロラシオン高等学術院に通う16歳のセリーヌ・ボーヴォワールは、冷ややかな目つきで目の前の男の頭の先から爪先までを見た。

 この国出身の人間でないことが一目でわかる、エキゾチックな小麦色の肌。艶やかな黒髪。紅玉のような瞳は自信に満ちていた。

 しかし、セリーヌはその自信を打ち砕くかのごとく、素っ気ない声で答える。


「おあいにくさま。私には婚約者がいますので、あなたとは結婚出来ません」


 唐突に求婚してくるようなこんな頭のおかしい男に構っていられない、と言わんばかりに踵を返し、その場を後にしようとしたのだが、男はそんなセリーヌを逃すまいと手を取った。


「え、まだなにか?」

「俺の名前はアーズィム・アル=マシュリク。マシュリクの現人神たる偉大な王、ムスタファの四番目の息子だ。マシュリクの名において、叶わぬことなど何もない。アーズィム・アル=マシュリクの名のもとに、その婚約を破棄しろ」


 いきなり現人神だとか、偉大な王だとか、婚約破棄だとか──そんな単語が出てきたので、セリーヌはいっそう冷ややかな目線をアーズィムに向ける。

 他国でこの手の話は最近増えているそうだけど、婚約破棄なんて、そもそもそんなに簡単な話ではない。

 ましてや、両人に瑕疵がない婚約を何故破棄しなければならないのか?

 横恋慕するにしても、王子という立場を利用するなんて言語道断である。


「普通に、嫌です。私はあなたのことなんてこれっぽっちも知らないし、あなただって私のことも、婚約者のこともこれっぽっちも知らないでしょう。王子だかなんだか知らないけど、ヴォワティール王国は人権先進国なんです。そんな馬鹿な命令が聞けるものですか」


 セリーヌはアーズィムの手を振りほどき、「二度と私に構わないで」と捨て台詞を吐いて、その場を颯爽と立ち去った──ものの、内心ひどく動揺していた。

 さすがに、あんな凛々しい顔立ちの男の子に真っすぐ見つめられて、胸をときめかせない乙女はいない。ましてや王子だと言うのだから、正直言ってなびきそうになってしまった。

 セリーヌは建物の陰で手鏡を取り出して、顔が赤くなっていないかチェックする。

 知らない男の子にどきどきしてしまった私を許して、と婚約者に心の中で詫びてから、セリーヌは次の授業を受けるべく教室に向かったのであった。


「ねえねえ、知ってる?アスヴァル様が、今度宮廷の舞踏会に出席されるそうよ!」


 昼休み、お弁当のサンドイッチを食べるセリーヌに、隣の席の学友、イヴェット・リゴが話しかけてきた。ミーハーなイヴェットは近頃ヴォワティール王国の辺境伯、アスヴァル・バルジミールにお熱のようで、ブロマイドまで集めているらしい。

 そんなバルジミール辺境伯が宮廷舞踏会に参加するとのことで、彼女は手帳に挟んだ彼のブロマイドを熱っぽく見つめながら、うっとりとため息を吐く。


「はあ……私、アスヴァル様と踊れたなら、そのまま死んでもいい」

「そんなに?」

「いや、やっぱりまだ死ねない。私、アスヴァル様とダンスをして、アスヴァル様に見つめられて、ロマンチックに求婚されたい。そしてアスヴァル様と私は結ばれるの」

「う、うん……」


 イヴェットが真面目な顔でそう言ったので、セリーヌは顔を引きつらせる。イヴェットはいい子なのだが、時々妙なことを言う。


「アスヴァル様との結婚式、セリーヌも来てね」

「二人が結婚したらね……」


 この状態になったイヴェットには何を言っても無駄なので、セリーヌは適当に話を合わせてサンドイッチをまた食べ始めた。イヴェットはまだ、アスヴァル様との架空の結婚生活について熱く語っている。

 そんなとき、前の席に誰かが座ったので、セリーヌは何の気なしに顔を上げた。


「うわ」

「やあ」


 にこやかな微笑みを浮かべた、朝の妙な男が手をひらひらと振っていた。

 横には妙な女がいるし、前には妙な男がいるし、なんだこの空間は。


「探したぞ、セリーヌ」

「え、なになになに?楽しそうな話。私にも聞かせて」


 ようやく正気を取り戻したイヴェットが、せわしなくセリーヌとアーズィムを見比べていた。セリーヌは苦虫を噛み潰したような顔をして黙り込んだままだ。


「俺はアーズィム・アル=マシュリク。マシュリクの現人神たる偉大な王、ムスタファの四番目の息子。この学術院には留学生として招聘(しょうへい)された」

「ええ!王子様!?どういうこと?セリーヌとどういう関係?」

「今朝、求婚した」


 えええ、とイヴェットが更に大きな声を出したせいで、教室にいた他の学生たちもなんだなんだ何事だ、とこちらに注目する。人に注目されることが苦手なセリーヌは、今すぐこの場から逃げ出したくて仕方なかったが、注目を浴びている今の状況でこの場を去ってあることないことを噂されても敵わないので仕方なくその場で俯いて気配を消すかのように小さくなった。


「でも、セリーヌって婚約者いたよね」

「ああ、聞いた。婚約破棄をしろと言った」


 アーズィムはにっこり笑ってそう言ったので、さすがのイヴェットも口をぽかんと開けて呆けている。しかし、ううんと何かを考えた挙句、「婚約破棄しちゃいなよ。こっちは王子だよ?」とのたまったので、セリーヌはたまらず顔を上げて「何言ってんの?」と真顔で言ってしまった。


「セリーヌ、よく考えなさい。あなたの婚約者は平々凡々、家柄も並。特にあなたに尽くすわけでもなければラブロマンスもののおとぎ話のように熱く愛してくれている感じでもない」

「大きなお世話よ」

「それに比べてアーズィムはなに!?かっこいいし、情熱的だし、エキゾチックな雰囲気が素敵だし、王子様だし。絶対絶対こっちにしたほうがいいよ」

「そうだぞ、セリーヌ」


 イヴェットもアーズィムも、さっきから好きなことばっかり言って本当に腹立たしい。


「お話にならないわ」


 そう言うと、セリーヌはランチボックスをさっさと片付けて席を立つと、学友たちの好奇の目線に晒されながらも教室から急いで立ち去った。

 そんなセリーヌの後ろ姿を少し寂しそうに見送るアーズィムの肩をぽんと叩き、イヴェットは「ごめんね、私があなたと結婚してあげられたらよかったんだけど、私はアスヴァル様と結婚するから……」と慰めたのであった。



 ***



 ──あなたの婚約者は平々凡々、家柄も並。特にあなたに尽くすわけでもなければラブロマンスもののおとぎ話のように熱く愛してくれている感じでもない──……


 先ほどのイヴェットの言葉を思い出してイライラしながら、セリーヌは足音荒く学術院の大きな中庭を歩いていた。中央にある芝生では、カップルたちが仲睦まじく肩を寄せ合いお弁当を食べている姿が多数あり、それが更にセリーヌのイライラを誘う。


 ──ええ、ええ、私はどうせファブリスにランチだって誘われないわよ。


 婚約者のファブリス・ジェランは悔しいけれどイヴェットの言葉通りの人だった。悪い人ではないのだが、特筆して惹かれるところもない。ただ、親が決めた婚約者だからという理由だけで、彼を好きになろうという努力はしていたが、彼も同じように思っているのかセリーヌに取り立てて愛を囁くこともなかったし、そんな彼を好きになるのはなかなかに骨が折れるのだった。


 ──ファブリスが、アーズィムくらい情熱的だったらよかったのに。


 そんなことを思っても仕方のないことなのに、彼にばかり要求をしてしまう──そんな自分本位な考えを持ってしまいがちな自分にも本当に嫌気がさす。


 ──いや、もうアーズィムのことは忘れよう。少しだけ心が揺れた自分を恥じて、反省しよう。私はファブリスを慈しみ、尊重し、彼と尊敬しあえる夫婦になろう。


 そう思って、次の授業のある教室へ行くために、近道である少し奥まった通路に入ったセリーヌは、目の前に件のファブリスが女子生徒の前で跪いていたのを見つけたので驚愕しながらも咄嗟に物陰に身を潜めた。


「……だから、ルイーズ、おねがいだ。ぼくを捨てないでよ」

「捨てるも何も、あなたと付き合ってなんかいないわ。少しデートしてあげただけでしょう?」

「そんな、ルイーズ……ぼくは本当にきみを愛しているというのに!」


 セリーヌは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


 ──ルイーズ?愛している?どういうこと!?


 一瞬だけ見えた、あの見事なピンクブロンドの髪はきっとルイーズ・ディディエだろう。彼女は有力な伯爵家の娘で、その美貌に魅了される男子生徒は後を絶たない。しかし、彼女はそんな男たちなど歯牙にもかけず、多くの男子生徒をもてあそんではぼろきれのように捨ててしまうというのだから女子生徒たちからはすこぶる評判が悪い。

 そんなルイーズの毒牙──というのも語弊があるが──にファブリスもかかっていただなんて。


「きみが思わせぶりな態度をするから……ぼくはきみにプレゼントだって……」

「ああ、あのピンクダイヤモンドの指輪のことかしら?とっても素敵だったわ、ありがとう」


 セリーヌは再び雷に打たれたような衝撃を受ける。ファブリスは、セリーヌに何かを贈ってくれたことなんてない。いや、正確に言えば、町の洋菓子店のチョコレートボンボンを贈ってくれたことはあった。セリーヌはそれでも本当に喜んだものだ。それなのに、ルイーズにはピンクダイヤモンドの指輪ですって。


「婚約者は平々凡々な女なんだ。だから、別に彼女には何もあげたって楽しくないと思っていたのだけど……華やかなきみに似合うと思って、その指輪だってあげたんだ!」

「そんなこと言われたって、私には関係ないわ。平々凡々な女の子って、平々凡々なあなたにお似合いよ。心を入れ替えて彼女に尽くしたらどうかしら?」

「そんな、ルイーズ!ぼくにはきみしかいないんだよお!」


 セリーヌの心の中に、怒りを超えた憎しみが湧き上がるのを感じる。今すぐこの場から飛び出して、「婚約破棄よ!」と叫んでしまいたかった。けれど、そんな度胸は自分にはなく、依然としてルイーズに泣きつくファブリスの情けない声を聞かないように耳をふさいでその場から駆け出すことしか出来なかった。


 ***


 後日開催された宮廷舞踏会に、セリーヌはファブリスと一緒に参加していた。いつもと変わらない様子で自分に接してくるファブリスの横っ面を張り倒したい気持ちを抑えながら、セリーヌははぁ、とため息を吐く。

 婚約破棄なんて、現実的じゃない。

 あの日は、家に帰ったあと大好きなテディベアをしとしとに濡らすほど泣きわめいたのだが、泣いたあとにちょっと冷静になって、ファブリスとは割り切った結婚をしよう、そう思った。

 別に、慈しみ、尊重し、彼と尊敬しあえる相手じゃなくても夫婦にはなれる。それが貴族の宿命であるのだ、とセリーヌは自分に言い聞かせた。


「セリーヌ!大変!」


 そんなことを思っていると、イヴェットが頬を上気させてこちらに小走りで向かってきた。


「どうしよう、どうしよう」

「どうしたの?」

「アスヴァル様がぁ!そこにぃ!」


 興奮で完全に瞳孔が開いているイヴェットが、扇で口元を隠しながら目線を送った先にはこの世の者とは思えないほど麗しい男性がいた。澄んだ冬の夜空のような美しい瞳を縁どる長くて豊かなまつ毛に、東洋的な艶やかな黒髪、怜悧ながらも蠱惑的な麗しい顔。特に興味もなかったセリーヌでさえ、見とれてしまうほどだ。


「どうしよう、どうしよう。私、今夜にでもイヴェット・バルジミールになるかもしれない。どうしよう」

「そんなわけないから、落ち着いて」


 しかし、セリーヌの言葉も耳に届いていない様子のイヴェットは落ち着かない様子でおろおろしていた。周りを見れば、イヴェットと同じようにアスヴァルに熱い視線を送る乙女たちがたくさんいて、その美しさの虜となっていることが見て取れる。


 セリーヌは、アスヴァルの黒髪を見てふと、アーズィムのことを思い出した。アーズィムもアスヴァルと系統は違うが、端正な顔立ちをしていたな、となんとなく思い出す。

 そして、隣にぼんやりと立っているファブリスを見て、こいつはなんて普通の男なんだろう、と思う。

 ピンクダイヤモンドを決死の思いで貢いだくせに、ルイーズに袖にされて情けなくすがったような憐れな男と結婚だなんて、と夢から覚めた気さえした。


 そんなとき、いやああ、とイヴェットが悲痛な声を上げる。何事かと思ってイヴェットの方を向き直ると、イヴェットは大きな目をさらに見開いて絶望の表情で遠くを見据えていた。


「ちょっと待ってえ!アスヴァル様が!アスヴァル様が知らない女の子の手を引いてる!」


 今にも倒れそうなほどの悲痛な表情でイヴェットが小さく悲鳴を上げた。イヴェットはその瞬間、気が遠くなったようでその場にへたりこんだ。セリーヌは慌ててイヴェットを立ち上がらせて、ファブリスに断ってからテラスへ降り、そのまま庭園へとイヴェットを連れて行った。


「どういうことなの、アスヴァル様。私というものがありながらぁ」


 イヴェットは突然の恋の終わりにむせび泣きながら、庭園の薔薇の茂みの葉をぶちぶちとむしっていた。そんな尋常でない様子のイヴェットにかける言葉もなく、セリーヌはその後ろ姿を見守る。


 ──そうよね、恋って、こんなものよね。失恋したら、こんなに苦しいものよね。


 ファブリスがルイーズに心を奪われていたことを知った日、首を絞めてやりたいとは思って憎しみで泣きわめいたけれど、こんなに切ない涙は流さなかった。イヴェットの愛情表現は少々異常ではあったものの、その恋は彼女の中では大切なものだったのであろう。


「ごめん、ちょっと落ちついた」


 依然として薔薇の葉をむしりながらもイヴェットは言った。化粧が落ちて目元が真っ黒になっている。


「ふう、やっぱりだめね。アスヴァル様が好きすぎて、アスヴァル様のことを考えるとちょっとおかしくなっちゃうの」

「……ちょっと?」

「でも、よく考えるとあの子の手をとっていたからってあの子がアスヴァル様と結婚するって決まったわけじゃないわ。まだまだ、イヴェット・バルジミールの可能性は残ってるんだから……元気を出さなきゃ」


 前向きなイヴェットに、つい「イヴェットはすごいなあ」と言葉が漏れる。


「私は全然だめ。ファブリスが浮気してたってわかっても、そんなにも悲しめないもの」


 その言葉を聞いて、イヴェットは持っていた扇を取り落とした。


「なんですって!?」

「なんだって?」


 イヴェットの言葉と重なって、男の声が聞こえてきた。


「アーズィムだ!」


 イヴェットはそう言うと、即座に落とした扇を拾って広げ、顔を隠す。さすがに化粧が落ちた顔を男性に見られるのは恥ずかしかったようだ。


「ファブリスが浮気してたなら、絶好のチャンスじゃない!乗り換えなさいよ!」


 そう言いながら、イヴェットは顔を隠しながら会場の方へ駆けて行ってしまった。薔薇の茂みの向こうからこちらへ来たアーズィムと、イヴェットの背中を交互に見比べたあと、さっきの会話を聞かれていたことにいたたまれなくなってセリーヌも脱兎のごとくその場から逃げ出そうとした。

 が、左手をアーズィムに掴まれて、そのまま引き寄せられて力強く抱きしめられる。

 一瞬、アーズィムから香る麝香(じゃこう)の香りが胸いっぱいに広がって、セリーヌは頭がくらくらした。


「な、な……離して!」

「どうして?婚約者は浮気をしていたんだろう?まだ操を立てる必要があるか?」


 ぐうの音も出ないほど、痛いところをつかれたセリーヌは一瞬大人しくなったが、「そういう問題じゃない!」と再び暴れた。しかし、アーズィムもそのたくましい腕の力を緩めることはなく、セリーヌの耳元で熱っぽく囁く。


「ファブリスはセリーヌに愛を囁いてくれないんだろう?俺は、セリーヌにならいくらでも愛を囁ける」


 そう言ったので、セリーヌはぴたりと暴れるのをやめた。


「私のこと、知らないくせに?」

「誰が知らないなんて言ったんだ?俺はセリーヌのことも、ファブリスのことだって知ってるさ」


 セリーヌは訝しげにアーズィムを見上げる。

 アーズィムは相変わらず自信ありげな表情でセリーヌを見つめていた。その紅玉のような瞳が舞踏会の会場から漏れた光にちらちらと反射して煌めいている。


「どういうこと?」

「ま、ファブリスの方を先に知ったんだけどな。俺の国は宝石がたくさん採れるんで、この国にも宝石をたくさん卸してるんだ。そこで、うちの店にファブリスと、えらい美人が来て、店で一番高いピンクダイヤモンドの指輪を買ったもんだから、何者だこいつはと思ってね」


 ファブリスとルイーズと、そしてピンクダイヤモンドの指輪の話が出たものだから、セリーヌは見るからにむっとした。そんなセリーヌを見て、アーズィムは笑う。


「調べてみたら、二人とも同じ学術院の生徒だった。その上ファブリスは婚約者がいると聞いてね。ろくでもない男と結婚させられる可哀想な女の子はどんな子だろうと興味がわいたんだ」

「あなたって王子のくせに悪趣味ね」

「そう言うなよ」


 アーズィムは快活に笑ってから、セリーヌを抱きしめる腕の力を少し緩めた。しかし、セリーヌもアーズィムの腕の中で大人しいまま、話の続きに耳を傾ける。


「最初は、普通の女の子だなって印象だったよ。でも見ているうちにファブリスに好かれようと努力しているってわかった。健気な子なんだな、って思って眺めているうちに、なんだか可愛く思えてきてね。普段、割と仏頂面をしているくせに、ファブリスや友達と喋るときはすごく可愛い笑顔をしているから、いいなって思ったんだ」


 アーズィムはセリーヌの背中に回していた右手を、そっとセリーヌの頬に添える。今や左手がセリーヌの背中を添えられているだけだったが、セリーヌは自分を優しく見つめる、その紅玉のような瞳に見入ってしまい、どうしても逃げられなかった。


「結構、表情がくるくる変わるよね。感情がわかりやすい。でも、ファブリスの前だとすごく緊張した顔をしていた。ファブリスに好かれようと──ファブリスを好きになろうと、努力している感じだ」


 心の中を見透かされて、セリーヌは少しどきりとする。


「俺の父は、八人の妻と一人の恋人がいる。子どもは俺を入れて九人だ。案外少ないだろう?それで、俺は父の四番目の妻との間に生まれた。父は、政略結婚中の政略結婚だった母のことは正直、他の妻に比べるとそんなに好きじゃないみたいでね……俺も、小さい頃から父に構われた記憶はほとんどない」


 アーズィムは一瞬だけ寂しそうな表情をした。しかし、またすぐに普段と同じ表情になる。


「俺は思ったんだ。やっぱり結婚は愛する人とするものだって。そして、セリーヌみたいにちゃんと相手を尊重しようと出来る相手なら、きっと幸せな結婚が出来るって」


 セリーヌの頬を、アーズィムの指の背が優しく撫でる。

 アーズィムの目が、愛おしげに細められた。


「セリーヌはまだ、俺のことを知らないだろうから、今すぐにとは言わない。でも、いつかその気になったら、俺と結婚してほしい」


 もちろんそのときは、婚約破棄の手伝いはするからな、とにっこりと笑うアーズィムから、セリーヌは目が離せない。


「……もし、もし……婚約破棄はしたとして、あなたに惹かれるか、わからないわ……」

「それでもいいよ。俺はきみのこと、すごく大事にするから、きっと好きになってもらえると思う」


 そう言って、アーズィムは端正な顔でまた笑った。



 ***




 ──セリーヌは深く息を吸い込んだ。

 とうとう、この日がきた。ファブリスが他の女に心を奪われていることを知ったあの日から、どれだけこの日を待ち望んだか。

 そして、セリーヌはきょとんとした表情のファブリスを強く睨みつける。


「ファブリス・ジェラン。あなたは私という婚約者がありながら、他の女性に心を奪われ、その財産を贈与しました。よって、私──セリーヌ・ボーヴォワールはあなたとの婚約破棄を宣言します」


 ファブリスが言い逃れ出来ないよう、あえて学術院の中庭でそれを宣言する。周囲の学友たちがどよめき、ファブリスにいたっては驚愕して口をあんぐり開けるなか、セリーヌは集めた数々の証拠と、万全な根回しによって得た婚約破棄に関する証書を彼に突きつける。好奇の目でその騒動を見ている人だかりの中で、アーズィムはセリーヌに向かって拍手をしていたので、セリーヌもそんな彼にウインクを返すのであった。




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