庭付き一戸建て
穏やかな初夏の日差しが降り注いでいる。庭の木が風に揺れてさやさやと音を立てた。縁側に座り、優実は庭を見つめる。ずっと憧れていた庭付きの一戸建て。借家ではあるが、それが自分の手の中にあるという事実は、彼女にちょっとした浮遊感を与えていた。
「どうしようかな。やっぱり、一年中お花が見られるのがいいよね」
自分の好きにできる、好きにしていい場所があるということに胸が躍る。今はまだ雑草がはびこるとはいえ、少しずつ整えていけばやがて目を見張るような美しい庭が出来上がることだろう。焦る必要はない。時間はたくさんあるのだから、納得のいくように、満足できるように考えて、着実に造っていけばいい。
――キャハハハ
下校中の小学生だろうか、子供の笑い声が聞こえる。住宅街の中にあるこの家の不満は生活音、だろうか。車の走行音、子供の歓声、掃除機をかける音――もっとも、この庭の価値に比べれば充分に我慢できるものだ。何もかもが思い通りになることなどない。そのくらい知っている。もう見たくもないが、優実の後ろ、つまり部屋の中には無数の段ボールが積まれている。引っ越してからずっと、やらなければと思いながら荷解きを先延ばしにしている。そう、思い通りになんてならないのだ。人生というものは。
赤ん坊の泣き声が聞こえる。優実は少し顔をしかめた。赤ん坊を泣かせるなんてひどい親もいるものだ。早く泣き止ませればいいのに。
今から植えるとしたら何がいいだろう? いや、まずはこの庭をどんな庭にしたいのかを考えるほうが先だろうか。今はどちらかというと和の趣だが、やはり華やかな庭にしたい。眺めるだけで心和むような、心満たされるような庭がいい。日常を忘れられるような、特別な庭がいい。
自転車のベルが聞こえる。高校生たちが下校している様子が見える。赤ん坊の泣き声が聞こえる。火が付いたように泣いている。まだ泣き止ませられないのか。うるさいな。親ならもっときちんと子供に向き合うべきじゃないの? 泣き止ませることもできないなんて、親の資格ないんじゃない?
庭に植わった木はどうしよう? 洋風の庭にするなら切るべきだろうか? でも勝手に切ることはできるのだろうか? 借家だし、大家さんに許可を取るべきかな? でもちょっと苦手なんだ、あの大家さん。顔が怖くて。理想の庭を作るためにあの木は邪魔だけど、そのために大家さんに連絡を取るのはちょっと嫌だな。和っぽい庭でもいいかな。洋風の庭は手間がすごく掛かりそうなイメージがあるよね。和っぽい庭でいいなら、この雑草がはびこる今の状態でも問題ないだろうか? いやいや、そんなことはない。今のこの庭を見ても幸せにはなれそうにない。
赤ん坊の泣き声が、止んだ。
日暮れ間近の西日が庭に差し込む。ああ、この庭をどうしよう。どうすれば眺めるだけで幸せになるような庭ができるだろう。花壇を作るべきだろうか? 雑草を取って土を掘り返さないといけない? そうそう、水遣りのことも考えないとね。いつか、鮮やかな花でこの庭をいっぱいにするんだ。私の、私だけの庭を。幸せな庭を――
――ピンポーン
玄関のチャイムが鳴る。誰だろう、荷物の配達だろうか? でも思い当たることはないな。何かの勧誘だったら面倒だけど。
――ピンポーン
しつこいな。諦めて帰ればいいのに。なんなんだろう、せっかく庭のことを考えていたのに、だいなし。
――ピンポーン
不快そうに顔をゆがめ、鈍い動きで立ち上がり、優実は玄関へと向かう。「はい」と小さく声を掛けて、チェーンロックを外さないまま玄関を開けると、そこには見覚えのない二人の人間が立っていた。
「お忙しい時間帯に申し訳ありません」
にこやかな表情で口を開いたのは、丸顔の中年男性。男性の隣には若い女性がいる。中年男性とは対照的に、若い女性は険しい表情で焦りを示していた。優実は不審そうに二人を見る。
男性は自身の懐を探り、小さな手帳を取り出して開いて見せた。
「警察の者です」
手帳には確かにこの中年男性の写真がある。偽物、というわけではなさそうだ。優実は首を傾げる。警察がこの家に何の用だろう。
「何の、御用でしょうか?」
優実は小さな声でぼそぼそと中年男性に問う。若い女性は明らかにイライラとしていて感じが悪い。中年男性は笑顔のままで言った。
「すみませんね。実は、ご近所から通報がありまして。ちょっと中を確認させてもらいたいんですわ」
通報、という言葉に優実は不可解そうに眉を寄せた。思い当たることは何もない、という様子だ。優実は硬い声でぼそぼそと問い返す。
「通報って、どんな?」
「チェーンロックを外してください!」
たまりかねたように若い女性が優実に怒鳴る。どうして初対面の相手に怒鳴られなければならないのか。優実は女性をにらんだ。若い女性を制し、中年男性はなだめるように言った。
「申し訳ありません。ちょっと急ぎで確認させてもらいたくて。実は――」
中年男性の目に鋭い光が宿る。
「この家から、赤ん坊の泣き声がするって通報が、ね」
優実の顔から、表情が消えた。