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Chapter 7. 旅立ちの覚悟と決意

 とんとん、と控えめに扉を叩く音がする。

 薄暗く閉めきった部屋の中で膝を抱えていたロットは、ゆっくりと顔を上げてノックの主に返事を返した。


「……なに、母さん」

「お友達が迎えに来てるわよ。早く降りてらっしゃい」

「……いいよ。オレ、今日は気分がよくないんだ。悪いけど、帰ってもらって」

「嘘おっしゃい。最近、あなたはそればかりじゃない。お友達もみんな心配してるのよ。フィアちゃんだって……」

「いいって言ってるだろ!!」


 ドアの向こう側から小さくため息をつく声が聞こえ、やがて足音が遠ざかっていく。ロットは再び顔を埋めると、やり場のない感情に拳を固く握り締めた。


 妖魔の群れから助けだされた後、ロットは森の入口まで送り届けてもらった。

 応急処置のために屋敷へ連れて行こうとするアウラを、ロットは必死になって拒んだ。とてもではないが、ルタに合わせる顔がなかったからだ。


 それからというものの、ロットはずっと部屋にこもり続けている。フィアや子供たちが何度も見舞いに訪れたが、誰にも会いたくないと追い返してばかりだった。


「……ちくしょう」


 暗がりで幾度となく繰り返した呪詛の言葉を、掠れた喉で絞りだす。

 ちっぽけで弱い自分が情けなくて、何も知らない友人たちが疎ましくて。

 今、この瞬間にも強くなろうとしているフィアのことが眩しくて、妬ましくて。

 それに比べて、こんな風にいじけている自分のことが、嫌で嫌でたまらなくて。


 終わりのない自己嫌悪に項垂れていると、またドアをノックする音がした。


「入るわよ、ロット」


 答えを聞き届ける間もなく、扉を開けたのは立ち去ったはずのアニスだった。無遠慮に部屋に入ると、閉めたままのカーテンを勢いよく開け放つ。


「な、何なんだよ母さん。あいつらには帰ってって……」

「フィアちゃん達には帰ってもらったわよ。……まったく、あんたはいつまでそうしてるつもりなの?」


 呆れたような口調でそう告げると、アニスは手にしたかごを強引に押しつけた。


「ちょ……な、何だよこれ」

「どうせ、やることもなくて暇でしょう。たまには母さんの手伝いでもしてちょうだい」

「……嫌だよ。オレ、家から出たくない」

「わがまま言わないの! ほら、さっさと行く!!」


 座り込んだロットの腕を掴んで無理やり立たせると、アニスは彼の背中を押して玄関に追いやった。恨めしそうに見上げる視線をものともせず、小銭の入った袋を手渡す。


「何があったか知らないけれど、ちょっと外の空気でも吸ってらっしゃい。夕飯までにはちゃんと帰ってくるのよ。いいわね」

「ちょっ、母さん!?」


 それだけ言い残すと、アニスは玄関のドアをぱたんと閉めてしまう。

 ロットはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて観念して歩きだした。


 言いつけられたお使いまでの道すがら、ロットは子供たちの歓声を耳にした。反射的に身を隠して様子を窺うと、フィアがリジーたちと一緒になって遊んでいるのが見える。

 子供たちに囲まれながら、屈託のない笑顔を浮かべるフィアの姿。彼女が手の届かない場所に行ってしまったようで、胸がちくりと痛んだ。


 思わず目を背けてその場を離れようとした時、背後から呼び止める声がかかる。


「あれ。あんた、いつぞやの少年じゃない」


 振り返ると、そこに立っていたのはあの黒髪の女剣士だった。

 一番会いたくない相手に出くわしてしまい、ロットは露骨に顔をしかめる。


「こないだは、道案内してくれてありがとね。やー、この村って結構いいとこじゃない。空気は澄んでるし、食べ物も美味しいし。あ、これも結構いけるわね」


 苦々しげな表情を浮かべるロットを気にした風もなく、彼女は露店で買ってきた肉串を頬張りながら上機嫌に笑っていた。


「もう、行っていいですか。オレ、用事があるので……」

「あー、待った待った。こないだのお礼がまだだったでしょ。せっかくだから、ちょっと今から付き合いなさい」

「聞いてなかったんですか。今はお使いの途中で……」

「固いこと言ってんじゃないの。というかさ、実を言うと調子に乗って買い過ぎちゃったのよね。だから、あんたも手伝いなさい」


 そう言って女剣士は、美味しそうに湯気を立てている紙包みをロットへ差し出した。中に入った包み焼きの香ばしい匂いが鼻腔を刺激し、ここ数日ろくに食べていなかった胃が切なげに悲鳴をあげる。


 露店の軒先に並んで座り込むと、ロットは勧められるまま黙々と、渡された食事を口に運んだ。今まで忘れていた食欲を身体が思い出してしまったのか、一度食べ始めれば手が止まらなくなってしまう。

 ふと我に返って隣を見ると、女剣士はしてやったりと言わんばかりの表情でにやにやとほくそ笑んでいた。

 相手の策にまんまと嵌ってしまった気恥ずかしさを、ロットはどうせ奢りなのだからと開き直ることにした。差し出された料理をぶっきらぼうに奪い取ると、一心不乱に腹へと収めていく。


「……ずっと、あそこの宿に居座るつもりなんですか?」

「そうよ。しばらくはここで厄介になるつもり。あ、そうだ。あたしの名前はレイリっていうの。よろしくね、少年」


 聞いてもないのに名乗りをあげると、レイリはにっかりと笑みを浮かべながらロットの手をぶんぶんと振り回した。あまりにも無遠慮で奔放な立ち振る舞いに、毒気を抜かれて固まってしまう。

 そんなロットの心境などお構いなしで、レイリは他愛のない話を延々と続けた。

 やれ、入国審査に立ち会った聖都の役人が横暴極まりなかっただの、立ち寄った酒場の火酒が絶品だっただの、酔漢どもと大立ち回りを演じた挙句、衛兵に追い回されただの。次から次へと話題は移り変わっていく。


 やがて会話が途切れた一瞬の沈黙に、ロットは思い切って口を開いた。


「……どうして、フィアに剣を教えてるんですか?」

「そうねぇ……。そこは行きがかり上、やむにやまれぬ事情ってやつ?」

「真面目に答えてください」

「なに、あんたも興味あんの?」

「ないです」

「でしょうね。あんた、見るからにひ弱っちそうだし」


 あっけらかんと笑いながら、レイリは憮然とするロットの背中をばんばんと叩いた。

 ひとしきり笑い転げた後、ふっと彼女は何気ない口調で続ける。


「……あの子はこれから先、今よりずっと強くなるわよ」

「え……?」

「あの子には天賦の才能がある。それをこのあたしが直々に鍛えるんですもの。いずれはこの大陸中に名を馳せる剣の使い手になるでしょうね」

「フィアに、そんな才能が……?」


 森で一緒に遊んでいた頃の姿からは、とても想像がつかなかった。

 だが、レイリの眼差しには一点の曇りもない。彼女が自らの才能を開花させ、レイリが言う通りに立派な剣士へと成長を遂げるのだとすれば。その時はもう、手が届かないほど遠くへ行ってしまっているのだろう。


「で、あんたはどうするの?」

「どうするって……」

「時間は待っちゃくれないわ。そうやって膝を抱えていじけてる間に、あの子はどんどん前に進んでいく。あんたが今、一番すべきことは何?」


 じっと指先を見つめるロットを待たずに、レイリはすっくと立ち上がった。

 服に付いた埃を払うと、腰に手を当てながら不敵に微笑む。


「これで借りは返したわよ。後はせいぜい死ぬ気で頑張りなさい」


 それだけ言い残すと、颯爽とした足取りで人混みの中へと消えていく。

 残されたロットはただ一人、レイリが消えていった方角をじっと見つめ、拳を固く握り締めていた。


  ◆


 空の上から、軽やかなヒタキのさえずりが聞こえる。


 天を覆い尽くさんばかりに拡げられた枝葉を抜け、こぼれ落ちた陽の光が霧に反射して幾重もの紗幕を織り成していた。

 微風に揺らされた木立が葉擦れの音を奏でる中、森の小径を行く少年の姿があった。


 赤みがかった山吹色の髪を切り揃えた少年は、確かな足取りで森の奥へ歩みを進める。泉のほとりを通り過ぎ、剣の広場を抜けると、森は次第に様相を変えていく。

 鳥のさえずりは鳴りを潜め、聞こえるのは獣の遠吠えと虫たちの鳴き声ばかり。鬱蒼と生い茂った樹海の暗闇に臆することなく、少年は前を見据えて歩み続けた。


 ざり、と土を踏み締める小さな足音。音をした方角に視線を向けると、そこには一匹の醜悪な小鬼ゴブリンの姿があった。獲物に舌なめずりをしながらいやらしく嘲笑い、赤錆が浮いた小剣を手にじりじりと近付いてくる。


「……どけよ」


 低く呟いた少年が、傍らに携えた革製の鞘から中身を露わにする。

 それは自宅から持ち出した薪割り用の山刀やまがたなだった。肉厚で鈍く輝いた二(フィート)ほどの刃は、子供の手にも十分な凶器となる。

 にじり寄る妖魔を目の前にして、ロットは一歩も引かなかった。射抜くような眼差しで妖魔を睨みつけ、山刀の切っ先を決然と突きつける。


「邪魔を、するなぁっ!!」

「ギィッ――!?」


 裂帛の気合いと共に、ロットは小鬼めがけて一直線に駆けだした。

 勢い任せに振るわれた横薙ぎの一撃が、妖魔が構えた小剣を捉える。甲高い音を伴って剣が砕け散り、武器を失った小鬼は恐慌をきたして逃げ出していった。


「はぁ、はぁっ……」


 山刀を地面に突き立てながら、ロットは肩で大きく息をついた。初めて経験した戦いの余韻に心臓が早鐘を打ち、強張った手が小刻みに震えている。

 萎えそうになる足を奮い立たせ、暗い森の虚空へ向けて静かに呼びかけた。


「……なあ。そこで見てるんだろ、爺さん」

「気付いておったのか」

「ああ。さっきの妖魔が、爺さんの作りだした幻だってこともな」


 少年の言葉に応じ、木陰から自動人形を伴ったルタが姿を現わした。無言のままで佇む老魔法使いの顔をまっすぐに見据え、ロットは言葉を続ける。


「頼むよ爺さん。オレを、爺さんの弟子にしてくれ」

「……それは、ならぬ」

「どうしてだよ、爺さん」

「今のお主は、心を激しく乱しておる。そのような心持ちで力を手にすることは、お主にとって良い結果をもたらすまい」


 気遣わしげな表情を浮かべながら、ルタはなおもロットを諭そうとする。


「のう、ロットよ。お主はまだ幼く、多くの時間が残されておる。そこまで焦らずとも、時が満ちれば自ずと道が開けよう。今は己を見つめ、ゆっくりと成長してゆけば……」

「それじゃ、ダメなんだよ!!」


 言葉を遮り、ロットはルタの長衣の襟を乱暴に掴んで詰め寄る。

 込み上げた激情が嗚咽へと変わり、止めどなく溢れる悔し涙が少年の頰を濡らした。


「こうしてる間にも、あいつはどんどん先に進み続けてる。このまま立ち止まってたら、一生かかってもあいつに追いつけない。そんなの、オレは嫌なんだ……」

「……ロット」

「力が欲しい。強くなりたい。あいつと並び立つために、オレはどんなことをしても強くならなきゃいけない。だから、お願いだ爺さん。オレを弟子にしてくれ……っ!!」


 決意を固めたロットは、一歩たりともその場を動こうとはしなかった。ルタはしばらく瞑目していたが、やがて重々しく口を開く。


「もし、お主が儂に師事するというなら、これまでのようにはいかぬぞ」

「ああ、わかってる」

「修行のために、この村を旅立つ覚悟はあるか? 村へと戻ってこられるのは、一人前の魔術師と認められた時のみ。道半ばで倒れれば、それがあの娘との今生の別れとなろう。それでも構わぬというのじゃな?」


 いつになく真剣な眼差しに、ロットは思わず気圧されてしまいそうになる。そんな彼の背中を押したのは、レイリが去り際に残した言葉だった。


(あの子には天賦の才能がある。それをこのあたしが直々に鍛えるんですもの。いずれはこの大陸中に名を馳せる剣の使い手になるでしょうね)

「……オレは強くなる。誰にも負けない立派な魔術師になってみせる。だから、爺さん。そのためにオレを導いてくれ」


 ロットの覚悟を聞き遂げたルタは、静かに頷いてみせる。

「……あいわかった。ならば、今この瞬間からお主は儂の弟子じゃ」


 ルタの宣言に、ロットは深々と頭を垂れ膝をついてみせる。それはまるで、これからの行く末を厳かに誓う敬虔な信徒のようでもあった。

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