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Chapter 3. 箱馬車と異邦の旅人

「まったく、リジーのせいだぞ。オレまで父さんに叱られたじゃないか」

「へへ、悪ぃ悪ぃ」


 悪びれた様子もなく笑うリジーと連れだち、丘の坂道を足早に駆け下りていく。

 少し遅れ、後ろからエルナが危うげな足取りで追いかけてきた。六歳になったばかりで甘えた盛りの妹は、何をするにも兄にべったりくっついて離れようとしない。

 家に置いていきたいのは山々だったが、半泣きで駄々をこねる妹を放って出ていったと知れたら、後で母親から大目玉を食らうのは目に見えていた。

 案の定、道に足を取られて転びそうになるエルナを見かね、ロットは苦笑混じりに手を引いてやる。少女はぱっと顔を輝かせ、差し伸べられた手をぎゅっと握り返した。


 こじんまりした村の広場には、噂を聞きつけた村人の子供たちが既に集まっていた。陽気なペトラにおしゃまなフランカ。そして、ふとっちょのハンス。常日頃からいつも遊んでいる馴染みの顔ぶれだ。

 子供たち以外にも噂好きの大人が野次馬に集まっており、世間話に花を咲かせている。これほど多くの人が広場に集合するのは、旅の詩人が村を訪れた時以来だろう。


「二人とも、遅かったじゃない!!」

「……へえ、ちょっと意外。ロット君はこういうの、来ないとばかり思ってた」


 勝気そうな目をしたペトラと、涼しげな表情を浮かべたフランカが、ロットたちの姿を見つけて声をかけてきた。

 対照的な二人は、仲のよい双子の姉妹でもある。走り疲れて背中でぐったりとしていたエルナは、途端に元気を取り戻してペトラたちの元に駆けていった。


「どうせ今まで、先生のお説教受けてたんでしょ。ロット君も災難だったよね、こいつのおしゃべりに付き合わされちゃってさ」

「うっせーな。いちいち突っかかってくるんじゃねーよ、このブス」

「あ、あんですってぇ!?」

「だいたい、お前は人のことを言えたガラじゃねーだろ。こないだだって、お前んとこの婆ちゃんが後生大事にとってた糖蜜の壺を割って怒られてたくせに。やーい、このお転婆ペトラ!」

「ふん、リジーだって工房から道具を勝手に持ち出して、親方さんから拳骨食らってたの知ってんだから!!」

「何だと!?」

「何よっ!!」

「もう……やめなってば、二人とも。みんな、呆れて見てるじゃない」


 顔を合わせるなり、丁々発止とやり合う二人をフランカがため息混じりに仲裁する。この二人は常に張り合っていて、顔を合わせるたびに喧嘩ばかりしているのだ。


「おうおう、ガキどもは元気なことで。……おいこらハンス。柵に座るのはやめろって、いつも言ってるだろうが。お前の図体で歪んだ柵を、後で誰が直すと思ってんだ」

「へーい」


 村の入口に設けられた柵門の前には、見張り役のアルフが立っていた。ロットたちより一回り年長にあたる彼は、童顔ではあるもののとっくに成人を済ませている。

 手にした警杖でしっしと追い払われたハンスはのんびり腰を上げると、面倒くさそうに柵から飛び降りてぽりぽりと背中をかいた。


「別に見てても構わんが、仕事の邪魔はするなよ」


 軽く釘を刺すと、アルフは欠伸をしながら再び門の前へと戻っていく。

 子供たちが思い思いに駆け回る様子を、アルフは門柱にもたれかかりながらぼんやりと眺めていた。何かしら考えごとをしているようで、その表情はどこか浮かない。


「こんにちは、アルフさん」

「よう、ロット。お前も来てたのか。本ばっかり読んでないで、たまにはちゃんと遊んでおけよ。ガキの時分なんて、気が付けばあっという間に過ぎちまうんだから」

「そういうアルフさんは、あんまり仕事に身が入ってないように見えましたけど?」

「見張りの仕事なんて、だいたいこんなもんさ。毎日毎日、退屈ったらありゃしない……っとと、こいつはお前んとこの親父さんには内緒だぞ」


 冗談めかした口振りで返すと、アルフは照れ臭そうに鼻の頭をかいて呟いた。


「……いや、ちょっとな。昔の知り合いを思い出してたんだよ」


 ――昔の知り合い。

 その発言と先刻までのリジーとの会話が、ロットの脳裏で奇妙に符号する。


「もしかして、その知り合いというのは“湖畔の水鳥亭”の一人娘ですか?」

「へえ、よくわかったな。……というか、何でそのことを知ってるんだ?」

「村中で噂になってるって聞きましたよ。雑貨屋のトム爺さんが話していたとかで」

「……あんの、お喋り爺さんめ」


 小さく悪態をついたアルフをなだめつつ、ロットは続きを促す。


「この村の宿屋に娘さんがいたなんて話、初めて聞きましたよ」

「あいつが村を出ていったのは、もうかれこれ十数年以上も前になるからな。お前たちが知らなくたって、無理はないさ」


 そう言って笑うと、アルフは少しだけ逡巡した末にロットへ問いかける。


「そうだな……。ちょっとした昔話になるが、聞いてくれるか?」


 少年がこくりと頷くのを見届けると、アルフは短い咳払いを挟んで話しだした。


「昔、この村にはリーシャって子がいたんだ。ほら、俺ん家って宿屋のすぐ近くだろ? だから、今のお前らみたいによく遊んでた」

「どんな人だったんです?」

「それが、どうにも困ったやつでな。歳は俺よりも上だったが、いつもぼけっとしてて、何をするにも危なっかしくて目が離せなかった。ルークスさんの教室にも寝坊ばかりで、俺がしょっちゅう家まで迎えに行ってたっけか」


 言葉とは裏腹に、アルフの言葉には親しみと懐かしさが込められていた。しかし、その表情にわずかな翳りが差す。


「……ま、そんな奴だったからこそ、人にはない()()があったのかもしれない」

「才能、ですか?」

「ああ。リーシャには修道女シスターとしての才能があった。それもただの才能じゃない。百年に一度現れるか現れないかという、とんでもない才能の持ち主だったらしい」


 光王教会の聖職者を目指す者たちは、世俗との関わりを断たれた修道院で数年にも及ぶ厳しい修練の末にようやく認められ、教主から叙階を受けるのが通例となっている。

 しかし、世の中には稀に生まれついて神の声を聞くことができる者もいた。そういった人物は神の子として教会直々に招聘しょうへいされ、神に仕えるための英才教育を施されるのだ。


「あん時はすごかったぜ。立派な馬車が聖都からわざわざこの村にやって来てさ。まるでどこぞの貴族のご令嬢でも迎えに来たような騒ぎだったよ」

「リーシャさんは、それからどうなったんですか?」

「……それがな、わからないんだ」

「え……?」

「聖都へ行ったきり、あいつはぱったりと音沙汰が無くなっちまった。リーシャの両親の元にすら、便りの一つもないって話だ」

「そんな……」

「教会に問い合わせても、無事でやってるの一点張りだったよ。当の本人からの連絡は、出ていってから一度だってなかったけどな」


 アルフの手に力がこもり、厚手の革手袋と握り締められた樫の杖が擦れて音を立てた。


「しまいには、村の連中までリーシャの話題は滅多に口にしなくなっちまった。おかしな話さ。あいつは確かにこの村にいて、あの日まで普通に暮らしてたはずなのにな」


 力なく笑みを浮かべると、アルフはかける言葉を見つけられずにいるロットの肩を軽く叩いて言った。


「ま、そういう訳だからさ。お前も友達は大事にした方がいいぞ。誰がいつ唐突にいなくなっちまうかなんて、わからないんだからな」


  ◆


 うららかな春の陽射しが、広場を柔らかく照らしていた。

 子供たちが広場に集合して、そろそろ一刻が過ぎようとしている。だが、来訪者らしき姿はどれだけ待っても現れる気配がなかった。

 初めのうちは期待に胸を膨らませていた村人たちも、一人、また一人と広場を後にし、今では数えるほどしか残っていない。


「来ないね……」

「そうだね」


 木陰に座り込みながら呟いたペトラに、フランカが気のない声で応える。

 二人の間では、エルナが眠たそうに舟を漕いでいた。色素の薄いふわふわの髪の毛が、ペトラたちの手によって様々な髪型に結われている。


「ほら、そんなところで寝てると風邪ひくぞ。そろそろ帰るか?」


 ロットに揺すり起こされると、エルナはむずかるような声をあげて大きくかぶりを振った。

 頭上に浮かぶ太陽はとうに頂点を過ぎていた。あと少しもすれば陽は翳りだし、辺りを夕闇が包み始めるだろう。

 ここらが潮時と判断し、ロットが声をあげようとしたその時だった。


「ねえ、あれじゃないの?」


 そう呟いたのは、一人で黙々と外を眺め続けていたハンスだった。子供たちが集まり、指を差す先へと注目する。


「なあ、どこだよ?」

「何も見えないよ?」

「よく見てよ。ほら、街道から何かが近付いてきてる」


 口々に騒ぐ声につられ、ロットもまっすぐに伸びる並木道の向こう側へ目を凝らした。緑の丘陵と青空を分かつ地平線の彼方に、ぽつりと小さな影が見える。

 それは栗毛の牝馬によって引かれた、一頭立ての箱馬車クーペだった。


 舗装の悪い土くれだらけの道を車輪が行き過ぎ、幾条ものわだちを刻む。車軸を支えている機構の働きゆえか、悪路にも拘わらず車体は小揺るぎもしない。旅人たちが普段使いする木製の幌馬車とは、明らかに造りが違っていた。

 鉄でこしらわれた黒い車体の表面に琺瑯エナメルが引かれており、独特の光沢を放っている。側面の扉には太陽を象った印章が描かれ、御者台の上で手綱を引いているのは金糸で縁取られた修道服トゥニカの女性だ。

 威容を誇る黒い箱馬車を目にしたアルフが、喉から絞りだすようにして呻いた。


「……間違いない。あれは光王教会の儀装馬車だ。あの時に見たのと同じ……だったら、本当にあいつが……」


 皆が固唾を呑んで見守る中、馬車は境門の手前でぴたりと動きを止めた。御者台に座る修道女が、体重を感じさせない身のこなしでひらりと降り立つ。


「やあ、お疲れさん。村長から話は聞いてるが、一応決まりなんでな。そちらの用向きを聞かせてもらっていいか?」

「光王教会のシスター・マルテだ。この度は村への移住を希望する者を二名お連れした。こちらは教主猊下からの書状となる。ご確認願えるだろうか」


 誰何すいかするアルフに応えたのは、どこか中性的な印象を受ける低い声音だった。

 マルテと名乗ったシスターは胸元で聖印を切ると、懐から厳重に封蝋を施された書簡をアルフに手渡した。彼が書状を検めたのを確認した後、片開きのドアをそっと開く。


 馬車から姿を現わしたのは、長身痩躯の男と少女の二人組だった。

 二人とも簡素な旅装束の上から外套を目深に羽織り、ここまでの道のりが容易ならざるものであったと一目で見て取れた。

 フードを脱いだ男の相貌が露わになる。やつれてなお精悍な、彫りの深い顔立ち。陽に焼けた浅黒い肌が、彼が遠い異邦の生まれであることを暗に示していた。


「初めまして。私の名はザハールと申します。ほら、フィア。お前も挨拶をなさい」

「……っ」


 少女が緊張に身を固くした。男の陰に隠れ、外套の裾をぎゅっと心細げに掴んでいる。唇を引き結んだ口元は、ひどく怯えているようにも見えた。

 周囲が沈黙に包まれたその刹那、茜色に染まる空を一陣の風が吹き抜けた。外套が風に巻きあげられ、晒された少女の瞳とロットの視線が交錯する。風に揺らされた森の梢が、ざあと一斉にざわめきだした。


 不思議な印象を与える少女だった。男と同じく異邦の血を引いているため、目鼻立ちは他の子供たちと比べて幾分くっきりとしている。しかし、肌の色は象牙を思わせるように白く、肩まで伸ばした明るい栗色の髪を後ろで一つに括っていた。

 何よりも目を引いたのは、深みのある榛色ヘーゼルの瞳だった。涙に濡れた虹彩の揺らめきが、ロットの胸の奥を大きくかき乱す。

 それが何かわからないまま、それでもこのまま目を逸らしてはいけないような気がしてならなかった。


 時が止まったかのように思われたのは、ほんの一瞬のこと。

 その場に横たわる重い沈黙に耐えかねたのか、元気な声が横合いから割って入る。


「ねえねえ、あなたはどこから来たの? あたしはペトラ! こっちは妹のフランカよ。これからよろしくね、フィアちゃん!!」


 しかし、その行動は完全に裏目だった。少女はたじろぎながら一歩、二歩と後ずさり、か細げな肩を震わせて顔を俯かせる。


「ぁ……ぃ、いや……ごめ、なさ……っ!!」

「待ちなさい、フィア!!」

「ちょ、ちょっと待って! ねえ、待ってってばーっ!!」


 弾かれたように駆けだしたフィアを、ザハールが慌てて追いかけていく。取り残されてぽかんとするペトラに、フランカが「この、バカ」と小さく毒づいた。


「……なあ、シスターさん」


 その次に声をあげたのは書状の検分を終えたアルフだった。彼はマルテに向き直ると、固い声で静かに問いかける。


「何だろうか」

「書状には確かに『シスター・リーシャの夫ザハール、その娘であるフィア・アリエスをこの村へ受け入れることを認める』と書いてあった。けど……だったら、どうしてここに当のリーシャ本人がいない?」

「……それは」


 投げかけられた疑問に、今まで平静を貫いていたシスターの表情がわずかに揺らいだ。アルフは彼女の肩を掴み、すがるような口調で先を続ける。


「なあ、あいつも村に帰ってくるんだろう!? 村を出てからずっと音信不通で、あいつの両親がどんな思いで待ち続けてたと思ってるんだ。なのに、あいつはここにはいなくて、旦那と娘さんは、あんなにもボロボロになって……。なあ、黙ってないで何か言ってくれシスター!!」

「すまない」

「……やめてくれ。俺は、そんな謝罪が聞きたいんじゃない」


 太陽はいつしか山陰に沈み、赤い夕焼け空が濃紺に染まっていく。シスター・マルテはフィアとザハールが走り去った“湖畔の水鳥亭”のある方角をじっと見据えながら、固く組まれた指に力を込め、こう言った。


「彼女は……シスター・リーシャは、遠く離れた砂漠の地で女神の元に召された。私から言えることは……ただ、それだけだ」

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